《第一章》 ヒト喰いの噂 第1話 (改)
タリナイ……、タリナイ……。
いくら両手でかき集めたって、これじゃちっとも足りやしない。
ビスケットやチョコレート、ポテトチップスみたいなお菓子でも。
給食で出てきたパンや嫌いな食べ物、夕食の残りをこっそり持って帰っても。
タリナイ……、タリナイ……。
キミは常に飢えに苦しみ怯えて恐怖して、ありとあらゆる食べ物を欲し続けている。
いつしか、僕は恐くなった。
お腹が空き過ぎて、いつかキミは僕を食べてしまうんじゃないかって。
だから、僕は。
※
目の前でヒントをチラつかされて、手を伸ばした途端に取り上げられてしまえばどんな人間であろうとも気になって仕方がないはず。少なくとも彩人はそうだった。帰りの車内でも瑪瑙には一切の無言を貫かれ、結局として彩人はあの“魔女”という言葉のその先を知ることは出来なかった。お預けを喰らった犬のような心地で彩人は昼休みを迎えていた。
「あっれー? 彩人クンがボケーッとしてるの珍しいねぇ」
「……あ? 愛子か」
興涼高校の学食で出くわしたのは来須愛子だった。
青い縁の眼鏡がよく似合う文学少女という風体の彼女だが、その実態は常日頃から未知や浪漫を追い求める女子としては相当に異端な幼馴染。
彼女の手にはサンドイッチと野菜ジュースの乗ったトレーと、シリコンカバーを装着したスマートフォンとタブレット。傍から見ればただ流行りモノを抱えているようにしか見えないのだが、噂を愛し尊ぶ愛子の性格上この二つの神器は生きていく上での必須アイテムと化していた。愛子は何一つ断りを入れずに彩人の隣に腰掛けると、食事よりも先にタブレットの方に手を動かした。
「もしかして、昨日言ってた『ヒト喰い』に遭っちゃったとか? なーんて、そんなワケないか。遭ってたら食べられちゃってるもんねー」
「……飯時だってのにコワい話するなお前」
愛子の言葉に一瞬だけドキリとしつつ、彩人はポーカーフェイスを装って焼きそばパンにかじりつく。愛子は慣れた手つきで指をスライドさせながらお気に入りのトップページを表示、そこからマイページへと移動していた。
「でも、昨日は何の事件も無かったんだよねぇ。こっちにも情報とか全然来ないし、私としてはちょっと退屈」
「そういう不謹慎なこと言ってんじゃねぇっての。一応、何人か死んでるんだからな」
「そーなんだけどさー」
コツコツと小さな音の後、表示されたのは真っ黒な背景に蛍光色の文字が浮かんだ見るからに怪しいトップページ。最上部にはこのサイトのタイトルを現した『G・B』の文字。
ゴシップ・ボードと呼ばれているこのサイトは“噂”を主とした某巨大掲示板とコミュニティサイトを組み合わせたようなもので、来須愛子御用達のホームページである。ユーザーはそれぞれ掲示板やチャット機能を駆使してそれぞれが見たり聞いたりした“噂”を持ち寄り交流を深めたり、掲示板に書き込んで噂の真偽を吟味するのだとか。胡散臭いこと極まりない交流サイトに彩人は眉根を歪めるばかりだ。
「……またソレか。お前も好きだよなぁ」
「陽詠市の噂くらいは網羅しておかないと。それに、噂だって色々と役に立つ時もあるんだよ?」
「はぁ? どんな風に?」
「例えば。彩人クンに好きな女の子が出来たとして」
「あ? いねぇーよんなモン」
「出ー来ーたーとーしーてー。雲の上の住人みたいな超絶美少女に惚れちゃった彩人クンは、その好きな女の子のことを知りたいと東奔西走を繰り返します」
「いや、しねぇっての。てか人の話をだな」
「すると? すると? 彩人クンは道端で偶然好きな女の子に関する噂話を耳にしました。『好みのタイプは眼帯の似合う男の子!』ってね」
「……ありえねー」
本気の溜息を一つこぼした後、彩人は残った焼きそばパンの欠片を放り込んでレモンティーで一気に流しこむ。そうこうしてる間も、愛子は壊れたダムのように止め処なく語り続けていた。
「それを聞いた彩人クンはこう思うの。「そうか! 眼帯の似合うヤツか。って俺だ!」って歌って踊って喜ぶ! そして希望を見出した彩人クンは勇気と確信を持って告白に――どう?」
「いや、そこで拳を握られてもだな」
「つーまーりーね? “噂”って“可能性”を運んでくれるってコトだよ。もしかしたらって聞いた人に可能性を匂わせて、その人の思考を揺さぶることが出来るの」
「モノは言いようってヤツじゃねえのかそれ? 少なくとも“噂”って聞いたらそういうプラスのイメージ抱かないだろ普通」
「彩人クンってリアリストだっけ? 誰でもこういう経験あると思うんだけどなぁ」
「そりゃ、まぁ……なぁ」
思い当たる節が完全に無い、とも言い切れず彩人は否定とも肯定ともつかない苦笑いを浮かべる。
「よぅ、ご両人。今日も昼間っから見せつけてくれるねぇ」
「げ、幸男じゃねえか。それに歩も」
彩人と愛子の会話に割って入ってきたのは同じクラスで友人の竹垣幸男と志藤歩だった。幸男は片手に購買で買ったと思われるカレーパンを握ったまま彩人の真正面に歩と一緒にドカッと腰を下ろす。
「……お? 何だ、彩人イメチェンか? 眼帯が少し変わってるじゃん」
「あ、本当だ。私の知らないうちに新しく買ったの?」
「よく気付いたな。昨日付けてたの、どっかに失くしちゃってな。今予備使ってるんだ」
「彩人ってマメなイメージあったけど、結構抜けてるんだね」
馬鹿正直に『路地裏で出くわした人形に斬られて失くした』なんて口が裂けても言えるわけがない。
眼帯のことを言われ、釣られて思い出した昨日の出来事。
未だにアレが現実なのだと信じ切れていない自分がいるのも事実だが、半ば信じてしまっている自分がいるのもまた事実。
そんな奇妙な心境に揺れる彩人を他所に、目の前を平穏な日常がゆったりと流れている。
「そういえば愛子ちゃんさ、迷い猫の噂とか知らない?」
「はい? 迷い猫?」
幸男の言葉に愛子の青縁メガネがきらりと小さく輝く。
素早い動作でスマートフォンの画面を指でなぞり、どうやら件のサイトで何やら検索機能を駆使しているらしい。
「……って、いっぱいあり過ぎてどの猫の話なのかわからないなぁ。もうちょい詳しい情報は無いの? 猫の色とか種類とか」
「え? あぁ、そ、そうだな…………み、三毛猫、だっけかな。小太り、な」
「……歯切れが悪いなぁ。お前の飼い猫なんじゃねえの?」
「違う違う。コイツはね、夏切先輩の猫を探したいんだよ」
「わ、歩の馬鹿!? それ言っちゃあ……あ」
二人分の三白眼に睨まれ固まる幸男、それを見てくすくすと笑う歩。
「なぁるほどね。夏切先輩の猫を助けてお近づきになりたい、と?」
「いや、いやーいやいや!? 違うに決まってんじゃねえか。俺は純粋に困ってる人を助けたくてだな」
「夏切先輩って、確か茶道部の人だっけか」
フルネームは夏切美智留、だっただろうか。彩人も名前ぐらいは聞いたことがある。
この興涼学園の二年生で茶道部の部長も務める才色兼備の生徒。流石に顔までは覚えてないが、二度三度くらいはすれ違ったような覚えはある。ポニーテール、だったような気がする。
「この前の放課後にさ、ボクと幸男で図書室に資料を運んでた途中で夏切先輩とばったり出くわしてさ。その時に家で飼ってる猫がいなくなっちゃったって話を聞いたんだ」
「で、困ってる先輩のチカラになってあげたい……と。いやー、幸男クンは優しいなぁ~?」
「お、おう! 俺は何時でも何処でも誰にでも優しいぞ! ……な、なんだその目はオイ!?」
幸男は決して悪いヤツではない。基本的に面倒見はいいのだが色々と大雑把で少々本能的な性格なのが玉にキズ。時々毒を吐くことを除けば物腰もゆったりで女子からの支持もある歩とは色々と正反対なのだが親友というのが面白い。クラスで眼帯のことで騒がれそうになった時も、この二人のお陰で余計な気遣いや騒動に巻き込まれずに済んでいるので、彩人は表には出さないがこっそりと感謝していた。
「ほ、ほら! 今はこの街で『ヒト喰い』なんてのが流行ってるだろ! そんな中で女の人が一人で猫探ししてたら危ないだろ。だから、俺が代わりに助けてだな」
「あわよくばキャッキャウフフ? 女ってそんなに単純じゃないんだけどねぇ?」
「女の来須さんが言うと説得力あるね。……で、どうするの幸男?」
「そりゃもちろん探す! んで、アドレスとか聞けたらいいなとか思わんでもない」
「頭の中身がだだ漏れじゃないか……あれ、彩人? どうかしたか?」
しばらく無言になっていた所為か歩の方から声が飛んできた。微妙に眉をひそめて怪訝そうな視線を送ってきている。
「え? ……いや、どうもしてないけど」
「そうは見えなかったけど? 一瞬、心ここにあらずって顔してた」
「……何でもないって」
そう言って席を立ちトレーの上にあったゴミを片付けて彩人は食堂を後にした。
「…………」
脳裏を過ぎったのは、昨日出会った猫の最期。
前日の凄惨な非日常と、今日という平穏な日常とに挟まれ、彩人の胸は言いようのない曖昧なざわつきに蝕まれていた。
解消するには――彼らに会いに行くしかない。
今日から第1章『ヒト喰いの噂』開始。
……学食完備の高校ってありますよね? ね?
次回更新は3月27日。
では、待て次回。
※夜斗のトコはなかったです。