《第四章》 サンゲキの終焉 第8話
「アイツの身体の中に、心臓……みたいな、何かがあるのが見えたんだ。身体のど真ん中っていうか……」
“ヒト喰い”に追いかけられながら街道や大通りを往く訳にもいかず、琥珀たちは裏路地を駆使しながら件の工場へと向かっていた。時間帯が真夜中のお陰で路地は完全な無人。時折“ヒト喰い”が咆哮を上げるがこればかりはどうにも出来ず、これで近所にまた新たな“噂”の出来上がり。
路地の角を絡め、ヒト喰いを翻弄するように立ち回りながら琥珀は彩人の言葉を聞いていた。
「それ狙えば倒せるんじゃない……か? 確証はないんだが」
『へー、そんな分かりやすい弱点あったなんて知らなかったなぁ。でも、それが本当にアイツの心臓だったら、殺せるかもしれないね。……どうする、お姉ちゃん?』
その瑠璃の言葉は、既に答えを知ってるような素振りだった。琥珀は二人の言葉を反芻しながら走り続ける。
「わかった。でも、少しだけ難しいことがある」
『難しいこと……? 私があいつに食べられたらそれでいいんじゃないの?』
「……お前、モノ食べたら普通どうするか知ってるだろ?」
『あー、モグモグされるね』
そのまま口に放り込めば、噛み砕かれ、咀嚼され、飲み込まれて一巻の終わり。それではただの食事だ。彩人の言う『心臓』とやらを狙うためには二通りの手段が考えられる。
『お腹を引き裂いて狙うとか?』
「今の手持ちの武器じゃ、間に合わない」
「やっぱ、口から喰われないように入って狙うしかないのか。……それ、何かおとぎ話みたいだな」
『傘掛け地蔵だっけー?』
「……誰を殺す気だ誰を」
小人が鬼の身体に入って――というのは一寸法師。鬼は参ったと泣いて謝るが、ヒト喰い相手に謝罪など在るわけも無くただ一方的に殺すのみ。
何度目かの角を越え開けた道に出ると、見覚えのある建物が見えてきた。あの事件から数日と経ってない今、進入禁止のテープが幾重にも張り巡らされている。彩人と琥珀はそれをくぐって抜けると、すぐさま物陰に飛び込むようにして身を潜めた。
「……え、と」
「? どうした?」
『おにーさんは途中で別の場所に逃げても良かったんじゃない? って、お姉ちゃんが』
「……そう、だな。だけどまぁ、来ちゃった以上はしょうがないし、何とかしてみる」
「……」
そうこう話しているうちに地響きが近づき、やがてテープをズタズタに破きながら“ヒト食い”が登場した。工場敷地のど真ん中で雄たけびを上げ、その視線は彩人たちが隠れた廃品の方へと注がれている。ヒト喰いは躊躇なく飛び掛かると廃品も、隠れている彩人たちも諸共その黒い腕で叩き付け潰しにきた。舞い上がった砂煙から弾かれるようにして駈け出した琥珀と瑠璃を先に捉え、ヒト食いが派手に廃品を蹴散らしながら猛進していく。
『お姉ちゃん、どうする? 何か良いアイディアとかないの?』
「……今、考えてる」
瑠璃を操作しながら方々に視線を彷徨わせ、ヒト喰いの体内に侵入するために使えそうなものを探していく。リサイクル工場というだけあって周囲には元が何のパーツだったのか分からないようなモノばかり散らばっている。大きな歯車、錆びた鉄骨の山に千切れたケーブル。果ては空っぽになった自動販売機なんてものまである。ボロボロに朽ち果ててしまってもうほとんど使い道など残っていなさそうな物も見える。
「……ッ」
攻撃の手は緩まるどころかより強靭になっていく気さえする。以前より狙いに精確さが増し、かなり際どい場所に爪が振り下ろされていく。避けながら、或いは瑠璃の攻撃で往なしはするものの徐々に攻撃を弾くことが難しくなってきている。加えて、そろそろ琥珀の体力が限界だった。
『でぇええいッ!』
「……はぁッ、ぁッ……」
うっすらと視界に靄がかかっていく。瑠璃を操っている右手は鉛が絡まってきたかのように酷く重たい。足は半ば棒のようでほとんど感覚が薄れてきている。気を緩めてしまったら、琥珀が一瞬で喰われてしまうだろう。気力だけで姿勢を維持し、気迫だけで意思を保つ。手を止めれば死んでしまうのは自分だ。
「ほんの少しの間でも、動きを止める方法は……」
『お姉ちゃん、あとどれぐらい私を動かせる?』
「……分かんない。けど、長くない」
『なら、やってみたいコトがあるんだけど』
「……」
言葉にしなくてもその意思は糸を通じて琥珀へと流れていく。瑠璃の提案したアイディアに琥珀は無謀過ぎると思ったが、もう余裕はなく他に妙案は思い付けそうになかった。
『おにーさん、どっか近くにいる?』
「……どうした? 何か思い付いたのか?」
突然呼ばれて物陰から顔を覗かせると、青い瞳がまっすぐこちらを見つめている。距離は遠くともその声は聞こえる。
『その近くに硬そうな棒みたいの……ない?』
「硬そうな棒って……」
言われて見回してみるも、どれもこれも錆ついていたり折れ曲がっていたりと強度のありそうなものは見当たらない。強いて言うなら、細い水道管のようなものが転がっている程度だ。
『どれくらいの大きさ?』
「パッと見、二メートルはあるんじゃないか。……これがどうかしたのか?」
『要するにさ、私が噛まれずに飲み込まれればいいわけだよね。だから、ほんの一瞬だけ口を開けっぱなしに出来れば解決だよね』
「……これをつっかえ棒みたいに使うってのか?」
『もう時間もアイディアもないからそれで行くよ。……そこに向かって走るから、おにーさん離れててね』
彩人が逃げたのを確認してから、瑠璃はこくりと小さく頷く。用意は出来ているという琥珀への合図。“ヒト喰い”のその眼が瑠璃を捉えた瞬間、残る気力を振り絞りながら瑠璃を走らせる。追いかけるヒト喰い。肉薄し、その巨大な顎が開く瞬間に右足で強引にブレーキを掛けると同時に身の丈を越える水道管を拾い上げる。振り返る一瞬、まさに喰らい付こうとする大口に向かって瑠璃は意を決して飛び込んだ。
『ガアアアッ、ガッ、ガ――!?』
ガキリ、と滅茶苦茶に生え揃った歪な牙がぶつかり不協和音を響かせる。瑠璃の目論見通り、水道管がその顎を食い止め、そこには大口を開けたまま悶えるヒト食いの姿があった。
『やった!』
「早く、トドメを――ッ!」
が、水道管はあっという間にミシミシと軋む音を立てながらゆっくりとひしゃげていく。琥珀の指先が踊り、血と腐臭にまみれた舌を蹴飛ばし瑠璃は“ヒト喰い”の体内へと侵入していく。太刀を構え直し、彩人が見たという心臓の元へと向かう途中で、ついに水道管が潰れてしまった。
「ッ……く」
「こ、琥珀!? おい、おい!」
琥珀に体力の限界が訪れ、力尽きその場に蹲ってしまった。ゴリゴリと金属を咀嚼する音がゆっくりと近づき、やがて琥珀の目の前に“ヒト喰い”が立ちはだかる。酷く並んだ牙に死を纏った腐臭。轟々と唸り、念願の獲物を追い詰めたと言わんばかりに咆哮を上げる。
琥珀は、残っていた力を全てを――右指に込めた。
「……貫いて、瑠璃」
歪んだ牙が琥珀を穿つその刹那、ビクン、と不意に大きく痙攣したかと思えば“ヒト喰い”の動きがピタリと止まる。
そして、時間が止まったのかと錯覚するほどの静寂が訪れる。
琥珀もヒト喰いも動かない。
全てが終わった今、彩人は蹲る琥珀の元へと駆け寄って肩を抱きかかえた。
「だ、大丈夫か……? おい、琥珀……?」
「…………」
がっくりと項垂れる琥珀に言葉を投げかけるも反応は無し。
“ヒト喰い”は――と視線を向けたその瞬間、その胸元からくぐもった音が響く。
音はゆっくりと、時折、ボリ、と鈍い音を響かせながら近づいていく。奇妙な現象に戸惑うも、彩人は琥珀の正面に立って唾を飲み込んだ。
――と、不意に袖を引っ張られて振り返る。
「……大丈夫」
「え? 大丈夫って……」
『ぶっはあああ!!』
血飛沫を撒き上げながらヒト喰いの胸が裂け、その中から赤黒く染まって現れたのは瑠璃だった。折れた野太刀を握りしめ、笑顔で姉の元へと駆けていく。
『ただいま、おねーちゃん』
「…………おか、えり」
疲労が限界に達し、その言葉だけ言い残すと琥珀は気を失ってしまった。
冷酷な気配も剣呑な色も無い。
全てを終えた琥珀の表情は、陽だまりの中に在るような穏やかなものだった。
諸事情あって予約投稿。
……残すところあとわずか、です。
次回更新は10月30日。
では、待て次回。




