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《第三章》 目覚めたケモノ 第6話

「……なんか、なぁ」


 外の空気を吸ってくると一言断ってから、彩人はコーヒーを片手に『灰の館』の中庭へと訪れていた。玄関の様子からある程度は察していたが、中庭とは名ばかりで目に付くのは優雅な色どりを添える花々ではなく、名があるのかどうかすら怪しい雑草ばかりだった。縦横無尽に跋扈する雑草に囲まれた中央には、元は優雅な装飾に彩られ絢爛豪華な雰囲気を放っていたであろう噴水が最低限の機能を果たしている。その縁に腰掛けながら吐いたため息は鉛のように重かった。


「予想以上にハードだったな……」


 決して、おいそれと訊ねられるような話題ではない。ある程度込み入った事情があるのではと予想はしていたが、まさか実の祖父に誘拐され、あまつさえ殺されかけたなどという暗過ぎる過去は彩人の予想を嘲笑うかのようだった。

 おかげで完全に怖気づいてしまった。

 ここまで踏み入っておきながら躊躇うのはどうかと思わないでもないが、かと言えばここから先に再び踏み込もうとは思えなかった。人には人の事情があり、琥珀や瑠璃たちには彼女たちの事情がある。同じ境遇ならばと一瞬でも自惚れかけていた自分が情けない。カップの中の黒い液体に自分の腑抜けたような顔が浮かんでいる。風に吹かれて液体が揺れ、彩人が視線を上げる――と、その先にゴシック衣装の琥珀が立っていた。


「あ……」


 真一文字に唇を結び、不快そうに顔をしかめている。「どうしてそこにお前がいるの?」と表情が物語っていた。


「…………」

「あ、その…………悪い、今出ていくから」


 慌てて腰を上げようとした瞬間、カツカツと靴音を響かせ琥珀が彩人の方へ向かって歩き出す。思わず面喰った彩人はぎくりと身体を強ばらせた。無言のまま彩人の真正面に立ち、凍てついた眼差しを向けてくる。威圧感が尋常ではない。


「……ど、どうし……た? じゃ、邪魔ならすぐ出てい」

「…………怪我、大丈夫なの」

「……ほ?」


 あまりに予想外の言葉を耳にし自分でも吹き出しそうになるほど変な声が出た。相変わらずほとんど蔑視のような瞳なのにその口から出た言葉は正反対の労わりの言葉。表情は張り付いたように不機嫌そうな色を浮かべている。別段恥らって赤らめたりもしてないし、動揺その他の感情も一切見受けられなかった。


「あ……あ、あぁ。派手に血が出ただけだしそこまで酷くない。瑪瑙の処置もあったし病院じゃ怪しまれたりとかってのもない……よ」

「……そ」


 極端に短い返事をした後、驚くべきことに琥珀はそのまま黙って彩人の隣にちょうど二人分の隙間を空けて腰掛けた。目の当たりにした彩人と言えば驚きと若干の恐怖を覚えながらどうすべきか悩んだ挙句、浮きかけた腰をゆっくりと下ろした。


「……」

「……」

「…………」

「…………」


 針の筵のような息苦しい程の沈黙が二人の間を渦まいている。何を話していいのか、そもそも話しかけていいのか分からないし、というか自分は立ち去ろうとしていたのにどうしてまた座ってしまったのか自問する始末。


「えーっと……」


 ちら、と横目で琥珀の様子を窺うと彼女は真顔で正面を向きっぱなしで黙っている。氷の彫刻のような触れたら壊れてしまいそうなほど儚くも美しい横顔。雪のように白い髪が風に揺られるたび、彩人の胸が、ドキ、と小さく鼓動する。最初に出会った時も綺麗だと思ったが、こうも間近で見ると殊更その歳に不相応なほどの美しさに驚かされる。額縁に飾ったら数千万円程の名画になりそうだ。


「あぁ、そうだ。この前は、その……悪かった」

「……この前?」

「いや、ほら……風呂上りに、だな……」


 それまで微動だにしなかった彼女の眉に、くっ、と小さな皺が寄る。言ってから思ったがこの発言、物の見事に地雷を踏み抜いた。見る見るうちに彼女の雰囲気に棘が増していき、殺気にも似たピリピリとした空気が肌に伝わってくる。


「…………別に、気にしてない」

「……ス、スミマセン」


 気まずさのあまり、二人の距離がもう一人分開く。余計に空いた隙間に吹く風が彩人の背筋で滝のように流れていた嫌な汗を冷やしていく。もっとも、今はそれとは別の震えが止まらないのだが。


「ねぇ」

「え、あっ、はい!」


 今日は珍しく琥珀の方から積極的に話しかけてくる。そんな状況が初めての彩人としては何を言われるのかと、情けない話だがびくびくしていた。


「どうとも、思わなかったの?」

「え、あぁ……そうだな、ちょっと痩せ過ぎな気があ」


 一刀両断されそうなジト目に出かかった言葉を飲みこむ。


「……あの、魔女のこと。あなた……どうとも、思わなかったの?」

「どう……って、言われてもな」


 眼帯で覆った右眼に手を当て彩人はうぅんと唸る。どう、と言われても琥珀に比べればそこまで深い感慨を抱いた覚えてはいない。ただ眼帯の所為で少々不自由な目にあった程度。軽いイジメだとか、そこから生じた劣等感、しかしそれらは歳を経るにつれて胸の内から薄れていき、友人のお陰でもうほとんど気にならなくなっていた。彼女に比べればずいぶんと平和である。


「……」


 そんな話を聞かされた琥珀の横顔には途端に険しい表情が浮かび上がり、今の今まで平穏だった雰囲気にヒビが入っていくのが分かった。


「じゃあ、お願い(、、、)があるの」


 そんな見た目とは裏腹に可愛らしい言葉と共に改まった態度で琥珀が彩人に向き直る。


「お願い? まぁ、俺に出来ることならいいけど」

「その眼、私に頂戴」

「…………は?」


 一瞬、我が耳を疑った。

 琥珀は真顔で、そして真剣な眼差しを彩人に向けている。一切ふざけていない本気の視線。お願いだなんて言葉からは到底想像も出来ないような物騒な願いに彩人は面喰ってしまった。


「いや、その……つまり、どういう?」

「私のやりたいことのために、その眼が欲しいの。あなた、その眼が無くても困らないでしょう」

「ま、待て待て待て!? そんな滅茶苦茶なお願いが通るわけないだろ!?」

「どうして?」

「どうしてって……」


 本気で「どうして?」と疑問を浮かべる琥珀の反応に彩人は困惑が入り混じった溜息をついた。常識で考えれば人体のパーツである“眼”をあげることなんて出来るわけない。どんだけ物騒なお願いだ。というか、仮にオーケーを出したとしてどうやって眼なんか……


「道具ならあるけど」


 琥珀のポケットから出てきたアイスピックのようなモノは見なかったことにした。


「む、無理だ無理! あのな、流石にそういうのは」

「じゃあもういい。帰って」


 言うが否や琥珀は縁から立ち上がりロビーの方へと戻っていく。

 にべもない琥珀の言葉に彩人は少々カチンと来てしまった。無理難題を吹っ掛けておいて、出来なければ用はないと捨てる。ちょっとばかり無礼が過ぎるんじゃないだろうか。


「ちょっと待てよ。いくらなんでもそういう態度は酷くないか」

「……酷い? 何が?」

「そもそもお前、どうしてそこまで拘るんだよ。アレはあんな命張ってまでお前がしなきゃいけない事なのか?」

「えぇ」


 躊躇のない断言。

 彩人を見据える揺るぎのない双眸。

 自分から食ってかかったのにも拘らず、彼女の放つ重い威圧感に彩人は竦んでしまう。


「私が殺さなきゃいけない。あの“イワクツキ”も“魔女”も……」


 そして次の言葉を耳にした途端、世界が凍りついたかのような錯覚を覚えた。


「……妹も」

「な……は、はぁ!? なんで!? バケモノはともかく、何で……妹まで!?」

「…………話したら、その眼をくれる?」


 薄く細めた瞳は微塵も笑っていない。

 答えに詰まる彩人を他所に、琥珀は踵を返しゆっくりと“あの日”のことについて語りだした。

琥珀ちゃんがちょっと恐いコになっちゃったぃ。

それと、タイトルとお話の展開に若干の食い違い感。


次回更新は8月21日。

では、待て次回。




……新作、来月の頭に序章公開出来そうです。

詳細は近いうちに活動報告にて。

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