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月夜の舞姫

後日譚です。

誤字を修正しました(2011/08/03)

 今宵、十六の満月を迎え、西劉の王宮ではささやかな催し物を開かれた。

 先月にツキを元の世界に戻すことに成功してからというもの、覇気のないカイを心配した陛下や家臣たちが、表向きには国の復興に尽力する民や兵士らを労うこととして開いたのだ。

 久方ぶりに興奮と熱気にさざめく王宮内で、しかしカイの表情から緊張は解けなかった。

 陛下は息子の心境を痛いほど理解していた。正妃の息子であるセイロンを、離宮に幽閉することを指示したのは陛下自身なのだ。

 きっと、カイはセイロンを思って罪悪感から逃れられないでいるのだろう。

 気晴らしにと開いた宴も、宵が深まるにつれて佳境を迎えようとしていた。









 王宮をにぎわす典雅な踊りも歌も届かない離宮にいて、彼は大粒の汗を額に浮かべていた。


「し……師匠!」


 乱れる呼吸の合間にどうにか叫んだ声は、歩廊の高い壁に反響する。床に膝をつくセイロンの数歩先に立っていた老人がくるりと振り返り、細い目を弓なりにつり上げて彼を見た。


「ほほぅ、これはこれはセイロン様。慌てた様子でどうなさりましたかな?」

「とぼけるな! このっ、エセ占い師!」

「む……、どうやら幻聴だったらしいの。西劉にはちと長居しすぎたわ」


 老人はそう言うなりスタスタと歩き出してしまい、セイロンは半ば転げるようにして後を追わねばならなくなった。


「ま、待ってくれ! 今のはおれの失言だった! 師匠……リャオ師匠!」


 パタパタと滑らかな鏡石を敷き詰めた床を踏む足音が途切れた。再度足を止めて振り返った老人の顔は、ニヤニヤといやらしい顔つきをしていて、ぞんざいに汗を拭ったセイロンは、これが本当にこの世界の創造主たる創世神なのかと思ってげんなりする。

 ツキのいる世界に行くためにはまず言葉の壁を超えなければならないからと、セイロンは言語習得に意欲的だった。しかし先生役のリャオが真面目に教鞭を取った試しがない。まずセイロンの待つ部屋に来ない。セイロンが問いただすとリャオはこう答えた。

「教わる者が教える者のもとに参るべきだ」と。

 セイロンも納得してそれ以後は自らリャオの部屋に赴くようになった。が、リャオは時を見計らったように部屋に居ない。毎日欠かすことなく続けている鍛錬と、精神力を高めるために行っている瞑想を終えて、心身ともに疲労感たっぷりのセイロンには腹立たしいことこの上ない。そうして毎回毎回広い離宮内をかけずり回り、ある時は庭園で、ある時は書庫内のせまい書棚の隅で、ある時は屋根の上にいるところを見つけて、授業をしてくれと頼むのである。歯がゆい思いは募るばかりであるが、ここでもし怒りに身を任せて妖鳥の力でも引き出せば、リャオはこれを赤子の手首をひねるようにしていなしてしまうだろう。さらにはセイロンがツキに再会する望みも潰えることは明白である。


「とりあえず、今日こそおれに”向こう”の言葉で挨拶を教えてくださいよ!?」


 奮然と老人の前に立ちはだかる少年は、成長期なので日に日に背丈が大きくなっている。リャオが少年の顔を見上げたとき、昨日よりも少し視線が上にあがったような気さえした。


「ほんにのぅ、ツキのことが恋しゅうて恋しゅうて仕方のない奴じゃな」

「!」


 リャオが胸元にまで届く顎髭を撫で付けながらからかうと、うぶな少年の顔は真っ赤になる。


「まぁ、ツキの可愛さであれば、”向こう”の男どもも放っておくまい」


 リャオが続けて言った意地悪な言葉を聞いたセイロンの顔から、すうっと色が抜けていった。


(これは、ちと言い過ぎたかのぅ)


 冗談だと言うために再び口を開きかけた老人の細腕を、セイロンは凄まじい勢いで鷲掴みにした。


「師匠、おれに向こうの言葉をさっさと教えてくださいって言ってるんですよ! ほら、早く来てくださいっ!」


 そしていつになく強引なセイロンに引きずられるようにして、リャオは部屋に戻って行った。









 セイロンが離宮で猛然と日本語の勉強に励んでいるとは露知らず、その時王宮では演舞が披露され、カイはその舞を見るともなく眺めていた。

 片手に足の長い杯を持ち、酒がなみなみとつがれている。半透明なそれを傾けて口に流し込んでいると、強い視線を感じた。横を見ると、父王が舞台に顎をしゃくった。

 カイは父王に気を抜いていたことを見抜かれ、諌められたと思って居住まいを正し、舞台に集中した。すでに次の曲に移っていて、舞手も変わっていた。

 華やかな衣装に身を包み化粧を施した顔は、俗っぽさを巧妙に隠すことに成功し、神人めいて見えた。それがふとするとセイロンの顔と重なり、カイの瞳は一瞬で悲しみの色に染めた。


「父上、すこし席を外してもよろしいでしょうか……?」


 カイは陛下が頷き許可するがはやいか、逃げるようにして席を立って広間を後にする。

 酒を入れた体は思いの外ふらつき、なかなか自由が利かなかった。

 背後に影のように付き従ってくる護衛も意識の外に追いやり、カイが辿り着いたのは青を基調とした中庭だった。この庭の先には、ツキが暮らした白い室がある。そしてここは、セイロンとカイが何度となく立ち止まって話をした、思い出深い場所でもあった。

 無意識に感傷を誘う場所に自ら来てしまったのかと苦笑し、池のそばに腰を下ろそうとした。


「痛っ!」


 だが座ろうとした石の上に尖った何かが置いてあり、それにお尻を刺されたカイは飛び上がった。

 今まで息を潜めていた警戒心と闘志を剥き出しにした護衛兵らが薄暗がりの中から飛び出してきて、カイのひょろりとした体はあっという間に屈強な男達の包囲網の中に囚えられていた。


「王太子さま、お怪我は」


 ピリピリとした緊張感が一帯に漲る中、一人の舞姫が月あかりの下にまろび出てきた。


「あっ、ああ!」


 彼女はフワフワとした衣装を翻し、こちらにやって来ると悲しみの声を上げた。視線は先ほどカイが腰掛けようとした石の上に向いている。


「あ、あたくしの……髪飾りがっ」


 弱々しい涙声で屈みこんだ彼女が取り上げたのは、無様にひん曲がった小さな銀の髪飾りだった。どうやらカイが踏んづけてしまったものはそれらしい。

 彼女の悲嘆にくれた顔は良心を刺激し、カイは護衛兵の肩口から首を伸ばして舞姫を見下ろして言った。


「その髪飾りを壊してしまったのは僕です。お詫びに代わりの髪飾りを用意させ……」


 と彼が言い終わらないうちに、舞姫は背を伸び上がらせてカイを一睨みし、


「これはお母様の大事な物ですわ! 代わりですって? この宝物に代えられるものはありません!」


 彼女は悲痛な声を上げて言い捨てると、くるりと背を向けて行ってしまった。

 カイはそんな彼女の小さな後ろ姿を見送って、己の失態に頭を抱えた。

 酔っていた、というのは言い訳にならないだろう。

 今の一悶着ですっかり酔の覚めたカイは、護衛兵たちの無言の要望に答えて広間に戻ることにして、人間包囲網はそのままの形でズルズルと場所を移動した。

 広間に辿り着くと、舞台は舞踊から剣舞にうつろうという時だった。剣舞はカイもセイロンとともに幼い頃から好きな演目である。

 内心見逃さずに済んでよかったと喜んで席につき舞手の登場を待っていると、現れたのは髪飾りを駄目にしてしまった先の舞姫だった。

 彼女が何の迷いもなく舞台に上がると、会場はどよめいた。誰もがこれを前座だと理解しつつも、同じことを考えていた。


(剣舞を女が舞うとは……)


 カイが視線を玉座に向けてみると、陛下の表情はこれを黙認していると語っていた。

 ならばカイに異議はないと、前口上を述べようと舞台中央に仁王立ちになった舞姫の姿を正面を見据えた。


「我が名はエリアーデ・ユム・ロムニカ。我が祖国ロムニカにして第三皇女」


 まるで水を打ったように静まり返った室内で、舞姫は毅然とした態度を少しも崩さなかった。

 舞台裏から覗き見る他の舞子たちは彼女の正体を知らなかったのか、好奇心と疑心をあらわにしていた。

 揺らがぬ決意に引き締めた表情のまま、彼女は言葉を続ける。


「我がロムニカ国の救済を西劉に請い願い、和平の交渉に参った」


 陛下はひたと舞姫を注視し、カイは注意深く広間を見回してエリアーデの護衛を探した。


「そして和平の印として、エリアーデ・ユム・ロムニカは貴国王太子殿下に婚姻を申込む!」


 朗々と言い切った彼女の声は淀みなく、聞き間違えようがないのだが、カイは我が耳を疑った。瞠目しながら舞台上の舞姫に目を戻すと、その時はじめて彼女の青い目と目が合った。

 舞姫も、まさか池の側で受けた謝罪を切って捨てた男が玉座の隣に座っているとは思いもしなかったのだろう。その目は驚きを隠せていなかった。

 その彼女の深海を思わせる瞳の青さに、思わずつばを飲みこんだ。







 ある満月の夜。突然舞い込んだ蝶は嵐を呼び起こし、西劉は新たな指針に向けて動き出した。

 後にカイの妻となるエリアーデの鮮烈な登場であった。


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