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占い師

 港に着くとそこではカイの指揮する討伐隊と流冠の男たちによる激しい白兵戦が繰り広げられていた。地面には倒れている者の姿も多く、服装からして流冠がほとんどである。

 討伐隊の士気は心強い加勢と、それを引き連れてきた人物が第一王子という人物だけにうなぎ上りだった。しかし、セイロンが苦労してようやく見つけたカイはあまりいい顔をしなかった。


「なんで来たんですか」


 カイは下方から掬い上げるように刀身を振り上げて相手の動きを牽制しながら声を張り上げた。セイロンはカイと背中合わせに立ち、剣を振るわせて攻撃をかわして人をなぎ倒してから答える。


「ツキはな、あの時俺に頭を冷やせと言っていたんだ」

「へぇ、そうですか」

「残念だったな。決して俺を止めたわけではなかったようだ」


 ふふん、と鼻で笑うセイロンに、カイは何も答えず剣を振るう。

 そうこうしているうちに優秀な兵士たちの働きで流冠が徐々に後退しはじめ、日も暮れる頃にはそのほとんどを拘束し、事態は収束に向かった。

 今まで息を潜めて身を隠していた住民が顔を出し、姿を見せ始め、ようやく西劉に平穏が戻ったかとセイロンとカイはお互いに顔を見合わせた。

 沖から海風に運ばれてきたのだろうか。

 黒雲が雷の青光りをチラつかせて姿を現し、王城に撤収していく討伐隊の頭上に重く垂れ込めはじめていた。



 

 セイロンは流冠襲撃の件があった翌日にはツキの元に訪れ、見様見まねで鶴の折り方を教わりながらふたりで穏やかな時を過ごしていた。そこに、突然近衛兵を押し切って初老の男がズカズカと入り込んで来たものだから彼の不機嫌も知れるというものだ。

 セイロンの表情は一変して険しいものとなり、ツキを背後に隠すように立ち上がると侵入者の前に立ちふさがった。彼は男の後ろから困惑した表情で追ってきた近衛兵を睨みつけてから、室に侵入して来た老人を一喝した。


「おいお前、ここを何処だと心得る。王宮であるぞ!」


 セイロンは間をあけずして腰にさしていた剣をスラリと引き抜くと、胸までとどく長い髭を垂らした男の首に突きつける。


「知っていますとも、王子。わしはリャオというしがない占い師です。心配なさらずとも、彼女と話をしたらすぐに帰らせていただきます」


 リャオは伸ばした髭を指でなぞり、ほっほっほと目尻にしわを寄せて笑った。セイロンは男が占い師だと知って剣を下げたものの、訝しげに目をすがめた。


「話す……だと? リャオといったか。お前に、ツキの話す言葉を理解できるというのか?」


 セイロンが半信半疑のまま訊ねたとき、入り口にカイが姿を現した。肩で息をしているあたり、この部屋まで走ってきたのだろう。室内の状況を見てセイロンと視線が合うと、すまなそうな顔をした。


「すみません。取り調べ中に逃げてしまったんです。この人……先日の流冠に捕虜となっていたということで身元を確認していたら、急に人魚だとか十五ヶ月がどうのとか妙なことを話し出しまして……」


 彼は何度も肺に酸素を送り込むため深呼吸を繰り返すと、居住まいを正してリャオの前に進み出た。彼がリャオを連行するよう兵士に命じて連れ出そうとしたところで、抵抗する占い師が奇怪な言葉を発し、老人にしては信じられないまでの力を発揮してその場にとどまろうとする。それを近くにいた近衛兵が帯剣を抜き、強行手段に移ろうと構えた刹那のことだった。

 ――バシャン! という盛大な水音がこの部屋を支配した。

 その場にいた誰もが驚きに棒立ちになった。しばらくしてこの音源が、室内家具としては不似合いなバスタブに張られた水がこぼれた音だと気づく。それも、ただならぬ量の。

 セイロンが振り返ると、そこには今までになく必死の形相をしたツキがバスタブを飛び出して床に手を突き、背をのけ反らせていた。彼女は宝石のようにきらきらと光る尾ひれをタイル張りの床に打ちつけて、しきりと何かを言葉にして訴えかけていた。

 そう……彼女は、リャオに話しかけていたのである!

 セイロンが驚きの表情を浮かべて占い師を振り返ると、リャオは長い髭の下で薄い唇を開いてなんとも挑発的な視線で笑みを返してきた。

 内心ではむっとしながらも、セイロンは渋々近衛兵に剣をしまうように指示し、カイも兵士を引き下がらせた。


「ツキとお前が話せるのは分かった。では、お前は何を彼女に話したいのか申せ」

「もちろんです。彼女に占いで出た結果をお話し、目的を果たしたらわしはもうここには用はありませぬ」

「それは僕らにも教えてくれますね?」


 気を取り直したカイが注意深く確認する。セイロンも占い師がどういった返答をするか耳を澄ませながら、ツキがバスタブの中に戻るのを手伝った。


「それを貴方様方が望みますなら。何にしても、まずツキ様にお話せねばの。ツキ様とお話しすること、お許しくださいますね……?」


 占い師がわざとらしくへりくだった態度をしてセイロンに確認するので、憮然とした態度で頷いて見せた。するとなぜか占い師に笑われた。

 ほっほっほ、若いのぅ、と。

 占い師のリャオは首にぶらさげていた数珠をはずしてその場で一礼すると、セイロンの前を通り過ぎてツキの傍に腰を下ろした。彼は少しのあいだ沈黙し、普段セイロンが見たことのない期待を込めたツキの視線と目を合わせていた。

 セイロンは柄にも無く緊張して手に汗を握り、端からふたりの様子を見守っていると、唐突にリャオの口から例の言葉が歌うように滑り出た。

 ツキはそれまで不安に揺れていた瞳に喜色を浮かべて、リャオの言葉にじっと耳を傾けている。

 会話の間中、リャオはツキの手を取ったり身振り手振りを加えて何かを彼女に伝えていた。ツキもそれに頷き返しており、彼の言葉を理解しているのだと周囲の者に示していた。

 その一部始終を、壁際に移動して見守っていたセイロンは切なげにため息をついた。


「終りました」


 リャオが振り返って軽く頭を下げると告げた。


「王子も、お聞きになりますかな?」


 彼は悪戯な視線をカイとセイロンに向け、念押しに聞いてくる。


「もちろんだ」


 カイとセイロンの声が重なった。


「では、今回のやむなく乱入してしまった件を見逃してくれませぬかの?」

「……わかった」


 この問いにはセイロンだけが答えた。

 部屋の前に詰め駈けた兵や女官たちを追いやり、しっかりと扉に鍵をかけてセイロンとカイはリャオを前に座った。


「単刀直入に申し上げますぞ」


 リャオの髭を撫でていた手が止まった。


「ツキ様が十五回目の満月の光を浴びるとき、彼女は死に至ります」


 はっと、セイロンとカイは息を飲んだ。そして瞬く間に怒気に顔色を真っ赤に染めて、セイロンが立ち上がった。


「なんだとお前! 無礼な!!」

「やめなさい。この部屋にはツキも居ます。熱くならずにリャオ殿の話しを聞きましょう」


 カイが落ち着いた声で立ち上がりかけたセイロンを宥め、座らせる。そして、目の前の占い師に先を続けるよう促した。

 リャオは一つ咳払いをし、再び髭をひと撫でして続きを話し始めた。


「ツキ様はこの世界では『人魚』という存在です。しかし、こことは違う世界では、我々と同じ人間として生を授かっておったのです」


 リャオが遠い目をして皺の深い目を細めた。そうかと思えばいきなり表情を固くして、セイロンとカイを交互に見て声を低くした。


「彼女は次の満月の夜に死ぬ運命なのです。そしてこの国も彼女と共に滅びの道へと向かう。この世界で人魚とはそういうものなのです。地神の逆鱗に触れた、呪われた娘なのです。王子、彼女をここで死なせてはなりませぬぞ。なんとしてもそれだけは防がなければ!」

「ならばどうすれば良いと言うのだ。ツキをこの場で、まさか殺せとでも言うのか!?」


 声を押し殺し、憤怒に握り締めた手を振るわせてセイロンは呻いた。リャオはゆるりと首を降って口を開くと、髭にあてていた手を離した。


「帰すのです」

「……帰す?」

「はい。彼女には求めている場所があるはずです。元は人間といっても今は『人魚』。動物と同じように自分の帰るべき場所を本能で感じとれるはずです」


 その時リャオはツキを見た。セイロンとカイもつられてツキの方を向く。

 彼女は水を弄びながら、じっと窓の向こう側を見つめていた。初めてこの部屋が彼女にあてがわれたときも、やはり彼女はここから空を見つめていた。

 三人は複雑な気持ちで、人魚になってしまった少女の背中を見つめた。





「どうなされますか?」

 占い師から聞き知ったあらましを国王陛下に報告し終えたカイは、長い沈黙を破って玉座に腰掛けた父に問うた。

 重い空気がたち込めた室内に、彼らの他に人の姿はなかった。


「その占い師が言っていたことが真実であるとわかる証拠はないのか」


 いきさつを聞き、カイに問われた後もしばらく沈思していた国王はふと意識を浮上させると訊ねた。カイは心得ていたのか、数枚の料紙を国王に渡した。


「ツキを手放し難く思っているセイロンには申し訳ないのですが、僕は占い師の言うことは信用に足ると思います」

「それは何故だ?」

「リャオ殿が言っていた地神の逆鱗を買った、という点について様々な文献にあたってみたところ、かの有名な『創世神異譚』に数行ですがそれらしいものが記載されていました」


 カイは話しながら自身も手元の資料を捲っていく。そして適当な所を見つけたのかそれを国王に見せ、ぎっしりと古語で埋め尽くされた文面の一部を簡単に訳して説明した。


「水神の加護を受けていた娘が地神の力を怒りを買い、地神は創世神にその娘を罰するよう頼んだとあります。つまり創世神が娘に与えたという罰が『人魚』にすることなのだと思われます」

「だが、創世神は娘を異界に転生させることで助けたようだな」

「え?」

「娘は今まで普通に生きてきたのだろ?」

「……確かに。そのような考え方には初めて気づきました」


 カイは考えも及ばなかったと赤面したが、国王の考えに沈む顔を見て表情を引き締めた。


「では、占い師が言っていた通りにしよう。その他に道は無かろう」

「では……」

「そうだな。残念だが、セイロンには継承権を放棄してもらわなければいけない」


 国王はなんとも悔しそうに顔をしかめ、声を押し殺した。


「……やはり、そうなってしまうのですね」


 と呟いて、カイも歯を食いしばった。


「すまないな。セイロンには余からも伝えるが、お前からも云ってくれるか」

「は」


 深く腰を折って一礼し、カイは踵を返すとその足でセイロンがいると思われるツキの室へ向かった。




***




 鷲と孔雀の羽が交差しているセイロンの紋章が彫られた銀盤が扉に打ち付けられた部屋に、いつものようにお喋り好きな女官が二人、掃除道具を片手に立ち話しをしていた。


「ツキさま〜!」

「こっち向いてくださーい!」


 仕事の邪魔にならないように髪の毛を編み込んだ女官達が順々にツキの名前を呼んでは、ツキが振り返って応えてくれるのを喜んでいた。ちょうどその時、戸口にセイロンが顔を覗かせた。


「すまないが、部屋を空けてくれないか」

「え? あ、はい! セイロン様」


 瞬く間に室内が騒然となって、女官たちは慌しく部屋を出ていった。それを見送ってから、セイロンは疲れた顔をしてツキの傍まで来て座り込んだ。

 ツキが心配そうにバスタブから身を乗り出して彼の顔を覗き込むと、彼は閉じかけた目を開けてツキの頬に手を伸ばした。


「あぁ、大丈夫。随分久しぶりに師範と手合わせしたから、加減がわからなかったんだ」


 セイロンの掠れた声は室内に溶けて消えた。

 ツキは直接床に座り込んで眠りに入ろうとする彼の様子を見つめていたが、思いつめた様子で伸ばしかけたその手を引っ込めた。セイロンはバスタブに背を預け、ツキの頬を掠めたその手のひらは床上に投げ出されるようにして置かれた。


「セイロン!!」


 その時、大きな音をたてて扉が開いた。いつもはマイペースのはずのカイが飛び込んできて、セイロンを見つけるとかける言葉が見つからないのか、視線をさ迷わせた。


「父上から話を聞いたんですね……」

「あぁ。だからさっき師範の元へ行って来た」


 短い沈黙が降りた。カイはなぜか苦しそうな表情をしてセイロンを見つめた。


「本当は、こんなことは一生なければ良かったと願っていたのに……」

「まぁ、しょうがない。誤魔化しようのない真実なのだからな」


 セイロンはおもむろに革靴のきつく結ばれた紐を解きながら言った。カイは彼の態度があまりに素っ気無いことにもまた言葉をなくし、うな垂れた。


「しかし、僕はセイロンこそが王位に相応しいと思いますよ」

「あぁ、俺もそう思う」


 あっさりと肯定したセイロンに、カイは思わず苦笑をもらした。


「だが、もしツキが死んでしまった時。国が荒廃の一途を辿り、国民が西劉を去ってしまっては王の意味が成さないだろ?」

「まぁ、それはもっともですが……」

「じゃ、それで良いだろ」


 彼は笑ってバスタブに腰掛けたかと思うと、靴を脱ぎさったその素足を水につけた。

 ツキとカイが驚いてセイロンの顔をまじまじと見つめる中で、彼はお構いなしに気持ち良さそうに声を上げて伸びをしたり、背をそり返らせたりしている。


「はー、気持ちいい〜」


 するとツキが笑って、セイロンの真似をした。二人は顔を見合わせると、今度は一緒に笑いあった。

 そうやって楽しそうにはしゃぐ二人の姿を眺めていたカイは、ふっと笑みを浮かべて肩の力を抜いた。

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