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骨のつぎ木

掲載日:2026/09/26

骨のつぎ木


「お姉ちゃん、まだ怒ってるの? もう一週間だよ。日が沈む前に怒りを解けって、聖書にもあるじゃん。骨折だって放っておいたら歪んでくっつくよ。早く仲直りしよう」


真奈美からのメッセージを読み、千春はスマートフォンを伏せた。六畳の台所には換気扇の音と、水道の蛇口から落ちる雫の音がある。まな板には皮をむいた大根が半分、流しの脇には二つの角形ホーロー鍋が並んでいた。どちらも母から引き取ったもので、一つは白い縁が欠け、もう一つには紺色の蓋が付いている。


「歪んでくっつく、ね」


千春は欠けた鍋を手に取った。黒い下地がのぞいているが、水を張っても漏れない。母はこの鍋で豚肉と大根を煮て、もう一つで翌朝の味噌汁を作った。母が亡くなったとき、真奈美は「重いからいらない」と言い、千春が二つとも運んできた。


先週の日曜日、真奈美は合鍵で千春の部屋へ入った。惣菜店の早番を終えて帰ると、食器棚の引き出しが開いていた。真奈美は、千春が運転免許の更新費用と予備の生活費を入れていた封筒を持っていた。中には、半年かけて貯めた現金十二万円があった。


「友達の結婚式に行くの。ご祝儀も服も要るから、ちょっと立て替えて」


「置いていって。貸すとは言ってない」


「来月には返すって。姉妹なのに、そんなに数えるの?」


千春が封筒をつかむと、真奈美も手を離さなかった。二人の腕が食器棚に当たり、上に置いてあった父の小皿が床へ落ちた。青い線の入った陶器は三つに割れ、細い欠片が冷蔵庫の下へ滑った。千春がそちらを見た隙に、真奈美は封筒を上着の中へ入れた。


「返して」


「だから、来月返すって言ってるでしょ。今、どうしても要るの」


千春が腕をつかむと、真奈美は肩を押し返した。真奈美の靴が小皿の破片を踏み、乾いた音がした。そのまま玄関へ向かう背中を千春は追ったが、ドアの前で足が止まった。惣菜店で一日揚げ物をした手には、まだ油と洗剤の匂いが残っていた。


あれから一週間、真奈美から連絡はなかった。千春が返金を求めるメッセージを二度送っても、既読の印が付くだけだった。今夜初めて届いた返事には、金額も返す日も書かれていない。代わりに、怒り続けている千春のほうが、姉妹の仲直りを妨げていることになっていた。


千春は返信欄に「十二万円はいつ返すの」と打って送った。それから大根を厚めの半月切りにし、欠けた鍋に米のとぎ汁と一緒に入れた。白い水の中へ切り口が沈んでいく。火をつけても、しばらくは鍋の底に変化がなかった。


母は生前、姉妹が言い合いをするたびに「千春はお姉ちゃんなんだから」と言った。真奈美が千春の文房具を持ち出したときも、アルバイト代で買った靴を勝手に履いたときも、最後は千春が「もういいよ」と言うまで、食卓の空気は戻らなかった。母がいなくなったあとも、その言葉は台所に残っている。返信を打つ前にも、千春の指は一度「もういいよ」と入力しかけた。


鍋の底から小さな泡が上がり始めたころ、インターホンが鳴った。千春は火を弱め、玄関の覗き穴を見た。黄色いダウンジャケットを着た真奈美が、コンビニの袋を提げて立っている。合鍵を持っているはずなのに呼び鈴を押したことが、かえって千春の足を止めた。ドアチェーンをかけたまま、扉を少し開ける。


「いた。メッセージ見たよね」


真奈美は袋を持ち上げた。薄いビニール越しに、シュークリームの丸い容器が二つ見える。昔なら千春はチェーンを外し、小皿を二枚出していただろう。一枚は割れて、まだ箱の中に入っている。


「十二万円は?」


「入れてよ。廊下、寒いんだけど」


「いつ返すのか、聞いてるの」


真奈美がドアノブを引いた。チェーンが張り、金具の音が玄関に響く。千春はドアの縁に手を置き、隙間から妹を見た。真奈美は一度笑いかけ、それが通じないと分かると、袋を脇へ下ろした。


「来月か再来月には返すって言ったでしょ。友達の結婚式だったんだよ。お姉ちゃんは今すぐ困ってなかったじゃん」


「冷蔵庫が壊れたときや、仕事に行けなくなったときのために貯めてたの」


「まだ壊れてないでしょ。起きてもいないことで、今困ってる私を見捨てるんだ」


「貸すかどうか、私に決めさせてほしかった」


千春の声は小さかった。真奈美は聞こえているはずなのに、「なに」と顔を寄せた。廊下の奥で隣室の鍵が回る音がする。真奈美は声を落とし、またシュークリームを差し出した。


「今日は仲直りしに来たんだって。お姉ちゃん、カスタード好きじゃん」


「お父さんの小皿を割ったことも、謝ってない」


「あれは引っ張り合ったからでしょ。私だって足に破片が当たったんだから」


千春はドアチェーンから手を離した。指で押さえていなくても、金具は外れない。居間のほうから、大根を茹でる湯気が漂ってきた。真奈美はその匂いに気づいたらしく、千春の肩越しに中をのぞいた。


「何か作ってるの? 食べながら話そうよ」


「今日は入れない」


「私、歩み寄ってるよ。シュークリームまで買ってきたのに」


袋の中の容器には、水滴が付いていた。ここで受け取れば、千春は皿を出し、お茶をいれ、これまでと同じ順番で「もういいよ」と言うだろう。十二万円は返ってこないかもしれない。割れた小皿についても、二人の間で二度と話せなくなる。


「返す金額と日を、メッセージで送って」


「家族相手に、そんな事務的な話する?」


「私のお金だから」


「分かった、送ればいいんでしょ。だったらチェーン開けて」


「返事が来ても、今日は開けない。これからは来る前に連絡して。合鍵も返して」


真奈美の手が、袋の持ち手を握り直した。片方だけ新しい手袋をしている。冬になると手袋を片方なくす癖は、子どものころから変わらない。その手で封筒を上着へ押し込んだところも、千春は覚えている。


「お姉ちゃんさ、いつまで怒ってるつもり? 骨折だって治さないと、変なふうにくっつくんだよ」


「うん。だから今、前みたいには戻さない」


真奈美が口を開いた。千春は一度息を吸い直し、続けた。ドアの隙間から入る風で、エプロンの裾が揺れている。


「小皿を割ったことも、お金を持っていったことも、なかったことにはしない。返してもらう話は続ける。でも、今すぐ仲直りはしないよ」


「たったそれだけのことで?」


「私には、それだけじゃない」


真奈美はしばらく千春を見ていた。やがて「もう知らない」と言い、シュークリームを持ったまま階段へ向かった。千春はドアを閉め、二つの鍵をかけた。足音が一階まで下りたあとも、玄関マットの上に立っていた。手のひらには、ドアの縁を押さえた赤い跡が残っていた。


台所へ戻ると、とぎ汁が鍋の縁まで上がっていた。千春は火を止め、大根をざるにあけて洗った。豚肉の表面を焼きながら、スマートフォンで真奈美とのやり取りを保存する。先週、生活費の口座から十二万円を引き出した記録も、同じ場所に写しを残した。


豚肉と大根を鍋へ戻し、酒、醤油、生姜を入れる。甘辛い湯気が立ち始めたところで、千春は玄関を見た。真奈美に言っただけでは、合鍵はまだ返ってこない。戸締まりを任せられる状態に戻すため、明日は出勤前に管理会社へ鍵の交換費用を聞こう。千春は惣菜店のシフト表の隅に、「鍵」と書いた。


母が住んでいた家には、庭に一本の柿の木があった。枝が折れた年、母は折れ口を見て、無理につなげばまた風で裂けると言った。弱った枝を切り、別の枝をつぐかどうかは、木の様子を見て決める。千春は子どものころ、その作業を母の隣で見ていた。枝をつぐ前には、まず幹の傷んだところを確かめるのだと、母は教えた。


食器棚の上には、父の小皿の欠片を入れた箱がある。千春はそれを下ろし、三つの欠片を布の上に並べた。元の丸い形にはなるが、細い一片はまだ冷蔵庫の下にある。千春は接着剤を探さず、欠片を箱へ戻した。揃っていないものを、今夜急いでつなぐ必要はなかった。


スマートフォンが短く震えた。真奈美から「来月末に六万円、再来月末に残りの六万円を返す」と届いていた。千春は日付を確認し、振込先を送った。そのあと「合鍵は郵便受けに入れて」と書きかけ、消した。郵便受けに入れられても、ほかに合鍵がないことまでは分からない。管理会社に連絡するというメモを残し、画面を伏せた。


煮汁の表面に浮いた脂を、小さな匙ですくう。もう一つのホーロー鍋は洗って戸棚へ戻した。母が二つ並べて使っていた鍋も、今夜の夕飯には一つで足りる。豚肉に箸を入れると、中心はまだ硬かった。千春は欠けた鍋の蓋を少しずらし、火をいちばん弱くした。



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すみません また僕です。 妹、ちょっと腹立ちますね。金借りといてコンビニでシュークリーム 買うなよと思いました。コンビニは金持ちの行く所です。 シュークリーム買うならスーパーかドン・キホーテとかに し…
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