第4話:キャンセル料がもったいない? 天才的な節約術
恭子が出て行った後の実家のリビングは、お通夜のように静まり返っていた……わけではなかった。
そこには、電卓を叩く音と、焦ったような話し声が響いていた。
「なによお姉ちゃん、偉そうに! 家族の縁を切るなんて、頭冷やせば戻ってくるに決まってるわ」
母はふんぞり返ってお茶をすすっているが、その目の奥には不安が見える。
一方、翔は顔面蒼白でスマホの画面を見つめていた。
「どうしよう……慰謝料二百万なんて、俺の手取りじゃすぐに用意できないよ。それに、恭子のやつ、本気だった。あの目は本気だ……」
「翔くん、しっかりしてよぉ」
愛梨が翔の腕にすがりつく。
「私とお腹の赤ちゃんのためなんでしょ? 男ならドーンと構えててよ。お姉ちゃんなんて、放っておけばいいんだよ」
「でも……結婚式のキャンセル料の話、聞いてただろ? 式まであと二ヶ月切ってるから、見積もりの八十パーセント近くかかるんだぞ……?」
翔の声が震える。
そう、ここが最大の問題だった。
翔の貯金は、新居の初期費用と結婚式の手付金ですっからかんだ。
その上、慰謝料とキャンセル料のダブルパンチ。
借金をするしか道はないが、そんな甲斐性も覚悟も彼にはない。
「八十パーセント……二百万円以上ドブに捨てることになるのかい?」
父が渋い顔で唸った。
「もったいないわねぇ……。衣装代も料理も、もう発注しちゃってるんでしょう?」
「はい……。招待状も発送済みですし……」
翔が頭を抱えたその時、愛梨が「あ!」と声を上げた。
まるで、世紀の大発見をしたかのような顔だった。
「ねえ、キャンセルしなきゃいいんじゃない?」
「え?」
「だってさ、式場も料理も予約してあるんでしょ? だったら、そのまま私たちが式を挙げればいいじゃん!」
翔と両親が、きょとんとして愛梨を見た。
「いや、でも招待状の宛名は恭子だし……」
「そんなの、『印刷ミスでした』って言えばいいよ。どうせお姉ちゃんと私は姉妹なんだから、親戚は一緒でしょ? 友達だって、事情を話せば『愛がお腹に宿ったなら仕方ないね』って祝ってくれるよ!」
愛梨の論理は破綻していた。
だが、金に目がくらんだ人間には、それが「妙案」に聞こえてしまったのだ。
「待てよ……」
翔がブツブツと計算を始めた。
「式を挙げれば、ご祝儀が入る。招待客は八十人。相場が三万として……二百四十万。親族からの多めの包みを期待すれば、三百万近くになるかも……」
翔の顔に、下卑た光が宿った。
「そうか! キャンセル料を払って借金を背負うより、式を強行してご祝儀をもらった方が、手元にお金が残る! その金で恭子への慰謝料も払えるじゃないか!」
「まあ! 翔さん、頭いい!」
母が手を叩いて喜んだ。
「そうよ、それがいいわ。せっかくの予約を捨てるなんてバチ当たりよ。それに、愛梨にだってウェディングドレスを着せてやりたいしねぇ」
「やったぁ! 私、お姉ちゃんが選んでたあのマーメイドドレス、着てみたかったんだよね~」
愛梨は無邪気に喜んでいる。
サイズが合うかなど微塵も気にしていない。
「しかしだな……翔くんのご両親にはどう説明するんだ? 招待状はもう届いているんだろう?」
父の唯一まともな懸念に、翔は一瞬詰まったが、すぐにヘラヘラと笑った。
「あー……うちの親、堅物なんで、今言うと絶対反対されるし。だから、式を挙げて孫を見せれば、感動して許してくれるはずですよ。ドラマとかでもよくあるじゃないですか」
「ドラマ?」
「ええ。『感動のサプライズ結婚式』ってやつですよ。孫の顔を見れば、向こうのご両親もイチコロですって」
これぞ、クズの極みたる「事なかれ主義」の発想だった。
怒られるのが怖いから、問題を先送りにする。
そして、既成事実を作ってしまえば相手は折れるだろうという、現実とフィクションの区別もつかない甘い見通し。
「なるほどねぇ。孫の力は偉大だものね」
「よし、じゃあそれで決まりだな。キャンセルはなしだ」
「あ、ちなみに式場との打ち合わせはどうするんだ?」
「ああ、それも面倒だし、変更頼むとお金かかりそうだから、全部ブッチします。当日に『急遽変わりました!』って言えば、スタッフも何とかするでしょ」
こうして、地獄への特急券が発行された。
彼らは誰も気づいていなかった。
結婚式というものが、「新郎新婦のため」だけではなく、「家と家との繋がり」であり、「社会的な信用を問われる場」であることを。




