12 奈央と店長 5
遅延のアナウンスに、店長は小さく溜息をつく。
「下のコーヒーショップでいいかな」と言われて素直に頷いた。
私が追いつくのを待って、一緒に階段を降りる。
店長が私の顔を見ることはなくて、どんな表情をしているのかは分からない。
下階のコーヒーショップも空いていた。
2人分のホットコーヒーを買って、ホームからそう遠くないベンチに2人でそれぞれ端に座る。コーヒーから立つ湯気が、冷たい風に揺らめく。
電車はまだこない。
「……。」
呼び止めこそしたものの、何をどう、どこから話せばいいのか何もまとまっていなかった。
気まずさと申し訳なさに、両手で持った紙コップに視線を落とす。
「……和泉に聞いた?」
ああ、やっぱり紗枝さんなんだ。
店長の反応に、一番に思ったのはそんなこと。
苦笑気味に話を切り出してくれた店長は、いつの間にかすっかりいつもの大人の顔に戻っている。
私は弱く首を左右に振ると、そっと視線を上げる。
一度きゅ、と唇を噛んで、浅く、薄く、開く。
「……私の、近くて、遠い、知り合いのおねえさんです」
「は……?」
「……私が生まれたときから、紗枝さんの生きてた頃の記憶がある、って言ったら、信じてくれますか?」
「……スピリチュアルとか、そういう話?」
訝しげにする店長に、内心そりゃそうだよなと思う。
実の親にも他人の人生の記憶を持ってるなんて話せていないのだ、私だって他人にこんな話をされたらこういう反応をするだろう。
それでも、ここで諦めたら、私もこの人も生きづらいままだから。
「……お財布」
「え?」
「紗枝さんがプレゼントしてくれたやつですよね。高校1年生のクリスマスのときに」
「……。」
「出会いも、初デートも……日常も、全部、知ってます。ずっと、映画を見てるみたいで、実在した女の子だなんて実感なかった」
バイト先で初めて店長に会ってから、ずっと気になる人だった。
あれは「私の恋」じゃない。
子供の頃からずっと、繰り返し見たことのある人だったからだ。
私の記憶の紗枝さんが、一番好きな人だから。
「……えっと、伊藤さんが紗枝の生まれ変わりってこと?」
「……いえ。私は伊藤奈央だし、彼女は三上紗枝だから。ただ、彼女のことをすごくよく知ってる、他人――です」
この辺の感覚は、説明するのが難しい。
ただ、完全に別の人格であるという認識が、私の中にあるだけだ。
「じゃあ、生まれ変わりでもない伊藤さんは、そんな話を俺にしてどうしたいの?」
「……わかりません…。でも、…店長がそうやって、自分が幸せになるのを諦めてるのはなんか、違うかなって」
――ぴり、と空気が変わる。
罪悪感と、後悔と、喪失感と。
そういうものに飲まれて、店長の「大人」の仮面が剥がれる感覚。
和泉さんと2人でいた時の雰囲気に似ていた。
「彼女作って幸せになれってこと?」
「別に彼女じゃなくてもいいですけど…。幸せからあえて遠ざかってる感じがして」
「いや、無理でしょ」
「なんでですか」
「1人で幸せになる?俺のせいで紗枝は死んだのに?」
「紗枝さんはそんなこと思ってない!」
強い否定に、店長が一瞬たじろぐのが分かる。
でもこれは、これだけは、私にしか言えないから。
「たいちゃんのせいで、とか、なんで私だけ、とか、そういうこと言う人じゃないのは、店長が一番知ってるじゃないですか…!
だから、店長のこと突き飛ばしたんでしょう!」
「っ…」
驚いたように息を飲む。
じわ、と目元に涙が滲むのを自覚しながら、それでも言葉が止まらなかった。
紗枝さんの代弁じゃない、これは私の「感想」と「クレーム」だ。
三上紗枝っていうひとりの女の子の人生を映した映画に対する感想と、それを一番近くで見ていたはずなのに理解しようとしない、彼へのクレーム。
「私の中にある紗枝さんの記憶は、神様に「たいちゃんはまだ連れて行っちゃいやだ」ってお願いして終わるんです……」
多分、あのときにはもう紗枝さんは、自分のことは諦めていた。
それでも、彼のことだけは諦めきれなかった。
「痛くても苦しくても、自分のことじゃない、最後まで大好きな人のことだった…。なのになんで、店長はそんな、1人で置いていかれたみたいな顔してるんですか……」
なんのために、彼女はあなたの「まだ」を願ったのか。
「忘れてほしいとも、置いていっていいとも思わない。
でも、紗枝さんが好きなら、その分店長は生きて幸せにならなきゃだめなんです……っ」
近くで心配してくれる人がいるのに。
全部受け止めて、それでも好きだって伝えてくれる人がいるのに。
「店長が、紗枝さんとのこと、全部悲しくてつらい思い出のまま抱えてたら、私は誰と紗枝さんの話、したらいいんですか…?」
私の言葉に、店長ははっとした顔をする。
「――…」
何かを言おうとして、でも言葉を選んで…。
彼がそんなことをしているうちに、ホームに電車がやってきた。
手の甲で涙を拭って、立ち上がる。
店長はまだ、立ち上がれないまま。
「……お疲れさまでした」
ぺこりと頭を下げて、電車に乗り込む。
言い逃げ。
分かってるけど、これ以上向き合える勇気はなかった。
「ねぇ紗枝さん、私、ちゃんと言いたいこと言ったよね」
電車の一番端の席に座る。
もちろん、彼女の返事はないけれど。
なんとなく今日は、夢を見ないで寝られる気がした。




