第八話
ギルドの受付カウンターに、蒼太と二人で並んだ。
朝の陽射しが窓から差し込み、舞う塵を白く照らしている。
受付嬢のリナが報告書に目を通している間、アルディスは隣に立つ蒼太を横目で見た。
この1週間、何かが違う。
蒼太の立ち振る舞いに、以前よりも確かな自信が宿っている。
足の運び、武器の扱い、判断速度。
全てが洗練されつつある。
「それで、西の渓谷の岩竜討伐、報酬は銀貨80枚です」
リナが報告書を閉じ、二人に笑顔を向けた。
「お疲れ様でした。それにしても、蒼太君、レベル51おめでとうございます!」
リナの声は明るく、周囲の冒険者たちもちらりと視線を向けてくる。
「あ、ありがとうございます」
蒼太が照れ臭そうに頭を下げる。
その控えめな態度が、かえって周囲の好感を呼ぶ。
「Fランクから始めて、まだ半年経ってないのにレベル50超えなんて。天才ですね」
「いえ、アルディスさんのおかげです」
蒼太はまっすぐな目でアルディスを見上げる。
その純粋な尊敬の眼差しが、アルディスの胸を穏やかに温め、そして鋭く刺した。
「おいおい、俺の手柄みたいに言うなよ。お前の才能だ」
アルディスは笑って蒼太の頭を撫でた。
周囲の冒険者たちから、微笑ましげな視線が向けられる。
「良いコンビですね」と、リナが目を細めた。
「アルディスさんも、最近ますます腕が上がってるって評判ですよ。先日のBランク推薦の話、考えてくださいね」
「ああ、検討しとく」
報酬の銀貨を受け取り、二人はギルドを後にした。
石畳の通りを歩きながら、蒼太が嬉しそうに銀貨の袋を揺らす。
「今日は何か美味しいもの、食べに行きませんか?」
「そうだな。あの肉料理屋はどうだ? お前、あそこの骨付き肉が好きだろ」
「はい! 行きたいです!」
蒼太の笑顔は太陽のように眩しい。
アルディスも笑顔で応じる。
だが、心の奥底では、別の感情が静かに蠢いていた。
レベル51。
蒼太は、遂に壁を突破したのだ。
多くの冒険者が足を止める、あるいは諦めて引退を選ぶ、あの壁を。
アルディス自身、剣士として5年間、レベル37で停滞し続けた。
弓に転向して、ようやく成長の兆しが見えたとはいえ、今もレベル49だ。
あと1つ。
壁の向こう側まで、あと1つなのに。
それなのに、蒼太は――
(たった、3ヶ月……)
わずか3ヶ月で、蒼太はその壁を飛び越えた。
いや、飛び越えたというよりも、壁の存在すら気づかぬままに通り過ぎていった。
それが才能というものなのか。
アルディスの胸に、重たい澱が溜まっていくのを感じた。
肉料理屋の暖簾をくぐる。
脂の焼ける香ばしい匂いと、活気ある店内の喧騒が迎えてくれた。
「いらっしゃい! おっ、アルディスの兄さんと坊主じゃねえか」
店主が豪快な笑顔で手を振る。
「今日も骨付き肉の特盛りか?」
「ああ。それと、ビールを一杯」
「俺は果実ジュースで」
蒼太が元気よく注文する。
二人は奥のテーブルに座った。
しばらくして運ばれてきた骨付き肉に、蒼太が目を輝かせる。
「いただきます!」
無邪気にかぶりつく蒼太。
その横顔を見ながら、アルディスはビールを一口飲んだ。
苦い。
だが、今の気分には丁度いい。
「アルディスさん、次のクエストはどうしますか?」
蒼太が肉を頬張りながら尋ねる。
「レベルも上がったし、もっと強い魔物に挑戦したいです!」
その言葉に、アルディスの手が一瞬止まった。
もっと強い魔物。
Bランク、あるいはそれ以上の。
確かに、蒼太ならもう対応できるだろう。
だが、アルディスは?
レベル49の、壁の手前で足踏みしている自分が、今度は蒼太の足を引っ張ることにならないか?
「ああ。そうだな」
アルディスは努めて平静を装った。
「でも、焦る必要はない。基礎を固めることも大事だ」
「はい! アルディスさんの言う通りです」
蒼太が素直に頷く。
その信頼に満ちた表情が、アルディスの胸を静かに、そして確実に締め付けた。
食事を終え、二人は宿へ戻った。
部屋に入り、装備を整理する。
蒼太は新しく手に入れたミスリルの短剣を嬉しそうに磨いている。
「この短剣、本当に良い買い物でしたね」
「ああ。お前に合ってる」
あの短剣を買うために、アルディスは父の形見の剣を質に入れた。
長年握り続けた剣を手放すのは、想像以上に辛かった。
だが、蒼太のためなら、と心を決めた。
蒼太の喜ぶ顔を見れば、その決断は間違っていなかったと思える。
(だが)
アルディスは窓の外を見つめた。
日が傾き始め、街が夕暮れの色に染まっていく。
(俺は、このままでいいのか?)
蒼太はどんどん強くなっている。
才能が開花し、レベルは上がり続け、技術も洗練されていく。
一方で、アルディスは?
弓に転向して成長の兆しが見えたとはいえ、また壁の前で足踏みしている。
かつてヴォルフたちと組んでいた時と、同じように。
(また、俺は足を引っ張るのか?)
その思考が、ふと脳裏を過ぎった。
アルディスは慌てて頭を振った。
駄目だ。
そんなことを考えてはいけない。
蒼太は何も悪くない。
ただ、正しく努力し、正しく成長しているだけだ。
だが、心の奥底で、黒い感情が蠢き始めていることを、アルディスは否定できなかった。
翌日。
アルディスと蒼太は、東の森でのクエストに向かった。
Cランクの魔物、森狼の群れを討伐する依頼だ。
森の中を進む二人。
木々の間を抜ける風が、葉を揺らして小さな音を立てる。
「アルディスさん、前方に気配があります」
蒼太が小声で告げる。
その感知能力も、以前より鋭くなっている。
「ああ。数は5匹だ」
アルディスも弓を構えた。
やがて、茂みの奥から灰色の毛並みの狼たちが姿を現す。
森狼。素早く、牙と爪が鋭い。
単体ならさほど脅威ではないが、群れで襲ってくると厄介だ。
「俺が前に出ます。アルディスさんは援護を」
蒼太が短剣を抜いて前に出る。
その動きに、迷いがない。
狼たちが一斉に飛びかかった。
蒼太は冷静に、最も近い一匹に炎の魔法を浴びせる。
狼が怯んだ隙に、短剣を喉元に突き立てた。
一撃。
無駄のない動き。
他の狼たちが左右から挟み撃ちにしようとする。
その瞬間、アルディスの矢が一匹の狼の足を射抜いた。
狼が転倒し、蒼太への包囲が崩れる。
「ありがとうございます!」
蒼太が残る狼たちに身体強化魔法をかけて突進する。
赤い残像を残し、あっという間に二匹を切り伏せた。
最後の一匹が逃げようとするが、アルディスの矢が正確にその首筋を貫く。
戦闘終了。
わずか数十秒だった。
「やりましたね!」
蒼太が振り返り、笑顔を見せる。
その額にはほとんど汗もかいていない。
「ああ。お前、動きが良くなってる」
アルディスも笑顔で応じる。
だが、心のどこかで、違和感があった。
(今の戦い、俺はほとんど何もしていない)
援護の矢を数本放っただけだ。
蒼太一人でも、恐らく全滅させられただろう。
アルディスの存在は、もはや必須ではない。
あればいいという程度の、添え物に過ぎないのではないか。
その思考が、アルディスの胸を締め付けた。
「アルディスさん?」
蒼太が不思議そうにこちらを見ている。
「どうかしました?」
「いや、何でもない」
アルディスは笑って首を横に振った。
「次に行こう」
その後も、いくつかの魔物と遭遇したが、結果は同じだった。
蒼太の火力と機動力が圧倒的で、アルディスの援護はあくまで補助的なものに過ぎない。
かつて、ヴォルフたちのパーティで感じていた感覚が、再び蘇ってきた。
(俺は、また足手纏いになっているのか?)
その日の夕方、宿に戻った。
報告を終え、部屋で装備の手入れをする。
蒼太が嬉しそうに短剣を磨いている。
「今日も良い経験になりました!」
「そうか。良かったな」
アルディスは弓の弦を張り直しながら、蒼太の横顔を見た。
成長している。
日に日に、確実に。
嬉しいはずだ。
自分が育てた少年が、強くなっていくのを見るのは、誇らしいはずだ。
だが、同時に。
(俺は、置いていかれるのか?)
その恐怖が、アルディスの心を蝕み始めていた。
翌朝。
アルディスは一人、ギルドの訓練場にいた。
的に向かって、矢を放つ。
50メートル先の的の中心に、矢が吸い込まれるように突き刺さる。
もう一本。
また一本。
全て中心。
技術は確かだ。
命中精度は、おそらくギルド内でもトップクラスだろう。
だが、レベルは上がらない。
49のまま、動かない。
「おや、アルディスさん。今日も熱心ですね」
背後から声がかかった。
振り返ると、ギルドの訓練指導員が立っていた。
白髪の老人だが、かつてはAランクの弓使いだったという。
「ああ。少し、技術の確認をしていた」
「見事なものです。その命中精度、私が現役の頃にも及ばないかもしれない」
老人は感心したように頷いた。
「ですが、アルディスさん。技術だけでは、壁は越えられませんよ」
「……どういう意味ですか?」
「レベル50の壁というのは、技術の壁ではないのです」
老人は訓練場の隅にある椅子に腰を下ろした。
「それは、役割の壁なのです」
「役割……?」
「ええ。冒険者として、自分の役割を見つけられるかどうか。それが壁を越えられるかの分かれ目なのです」
アルディスは黙って老人の言葉を聞いた。
「あなたは今、何のために弓を引いているのか。明確に答えられますか?」
その問いに、アルディスは言葉に詰まった。
何のために?
生きるため?
蒼太を守るため?
もう一度、冒険者として歩くため?
どれも正しいようで、どれも核心を捉えていない気がした。
「焦る必要はありません。ゆっくり考えてみてください」
老人はそう言って立ち上がり、訓練場を後にした。
一人残されたアルディスは、弓を握りしめた。
自分の役割。
それは何だ?
その日の午後。
アルディスと蒼太は、ギルドから新しい依頼を受けた。
Cランク上位、岩場に巣食う地竜の討伐だ。
「アルディスさん、地竜って鱗が硬いんですよね?」
「ああ。並の武器じゃ通らない。だが、関節部分や目は柔らかい」
「なるほど。じゃあ、俺が魔法剣で関節を狙います」
蒼太が意気込む。
その表情には、不安よりも期待が勝っている。
岩場に到着すると、巨大な地竜が姿を現した。
全長8メートル。鈍い灰色の鱗が鎧のように全身を覆っている。
「グルルルルゥ……!」
地竜が咆哮を上げる。
その声が岩場に反響し、空気が震えた。
「行きます!」
蒼太が駆け出す。
その速度は以前よりも速い。
だが、地竜も巨体に似合わず素早かった。
巨大な尻尾が唸りを上げて蒼太を薙ぎ払おうとする。
蒼太は回避するが、その動きにわずかな隙が生まれた。
地竜の顎が、蒼太に迫る。
その瞬間――
ヒュンッ!
アルディスの矢が、地竜の右目に突き刺さった。
地竜が怯む。
その隙に蒼太が体勢を立て直し、地竜の右前足の関節に炎の短剣を突き立てた。
地竜が悲鳴を上げる。
アルディスは冷静に次の矢をつがえた。
蒼太の動きを見る。
地竜の攻撃パターンを読む。
そして、蒼太が次にどう動くかを予測する。
(あそこだ)
アルディスは地竜の左目を狙った。
矢が放たれる。
地竜が頭を振ろうとした瞬間、矢は正確に左目に突き刺さった。
両目を失った地竜が、狂ったように暴れる。
だが、その動きは既に予測できる。
蒼太が地竜の懐に潜り込み、腹部の柔らかい部分に短剣を突き立てた。
地竜の巨体が崩れ落ちる。
戦闘終了。
「ふぅ……やりました!」
蒼太が息を整えながら振り返る。
その顔には、達成感と安堵が混じっていた。
アルディスは弓を下ろし、蒼太のもとへ歩み寄った。
「よくやった。だが、さっきの隙は危なかったぞ」
「すみません。回避が甘かったです」
「いや、お前は良くやった」
アルディスは蒼太の頭を撫でた。
そして、気づいた。
(俺の役割は、これなのか)
蒼太の火力は確かに高い。
だが、戦況の全体を見る余裕はまだない。
敵の攻撃パターンを読み、次の一手を予測し、そして的確な援護を入れる。
それが、アルディスの役割なのかもしれない。
蒼太を勝たせること。
蒼太の才能を最大限に引き出すこと。
それこそが、アルディスがここにいる意味なのではないか。
(俺は、こいつを勝たせる)
その思考が、アルディスの胸に小さな光を灯した。
嫉妬の感情が、完全に消えたわけではない。
蒼太がレベル51で、自分が49だという事実は、依然として胸を締め付ける。
だが、少なくとも。
自分にも、やるべきことがあるのだと。
存在意義があるのだと。
そう思えるようになった。
宿に戻り、二人で夕食を摂った。
蒼太が嬉しそうに今日の戦いを振り返っている。
「アルディスさんの矢、本当に助かりました。あれがなかったら、やられてました」
「お前も良く動いてた。魔法剣の威力も上がってるな」
「はい! もっと練習して、強くなりたいです」
蒼太の目が輝く。
その純粋な向上心が、アルディスの胸を温かくする。
(そうだ。俺は、こいつを強くすればいい)
それが、アルディスの新しい目標となった。
自分のレベルを上げることではなく。
蒼太を、最強の冒険者に育て上げること。
それが、アルディスの役割なのだと。
その夜。
蒼太が先に寝た後、アルディスは一人窓辺に立った。
月明かりが街を照らしている。
静かな夜だ。
アルディスは胸に手を当てた。
嫉妬の感情は、まだそこにある。
簡単には消えない。
だが、それを抑え込む理由ができた。
(俺は、こいつの師匠だ)
(こいつを勝たせるのが、俺の仕事だ)
自分にそう言い聞かせる。
それが、アルディスなりの折り合いの付け方だった。
だが、心の奥底では、まだ問いかけが残っていた。
(このまま、蒼太がどんどん強くなって)
(俺が置いていかれたら?)
(その時、俺は本当に笑っていられるのか?)
その答えは、まだ見つからなかった。
アルディスは深く息を吐き、ベッドに横になった。
明日も、クエストがある。
蒼太のために、自分ができる最善を尽くそう。
それだけを、今は考えればいい。
窓の外では、月が静かに街を見下ろしていた。




