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第六話

 あれから、三ヶ月の時が流れた。


 季節は春から初夏へと移り変わろうとしている。

 アルディスと蒼太そうたの冒険者生活は、劇的な変化をげていた。


「そこだ、蒼太!」

「はいッ!」


 ダンジョンの洞窟内。

 アルディスの鋭い指示と共に、蒼太が地面をる。

 彼の速度は、三ヶ月前とは比べものにならない。Fランクの短剣使いとは思えない踏み込みで、魔物に肉薄にくはくする。


 敵はオークの上位種、ハイオーク。

 分厚い皮と筋肉に守られた、Cランク相当の魔物だ。

 巨大な棍棒こんぼうが蒼太を狙って振り下ろされる。


 だが、その軌道きどうは既にらされていた。


 ヒュンッ!


 風切り音と共に、アルディスの放った矢がハイオークの手首を正確に貫いていたのだ。

 激痛に顔をゆがめ、棍棒の狙いがわずかに狂う。

 その一瞬のすきを、蒼太は見逃さない。


「シッ!」


 銀色の閃光せんこうが走る。

 ミスリルの短剣が、ハイオークの喉元のどもとを深々と切り裂いた。

 鮮血が舞い、巨体がどうと倒れ伏す。


「ふぅ……」

 蒼太が短剣の血を振るい、息をく。

「手首への援護、完璧でした。あれがなかったら直撃コースでした」

「いや、お前の踏み込みが良かったからだ。あそこでひるまずに飛び込める奴はそういない」


 アルディスは弓を下ろしながら、相棒の成長に舌を巻いていた。

 この三ヶ月で、二人の連携は完成の域に達しつつある。

 アルディスが中遠距離から敵の攻撃を封じ、隙を作って蒼太が仕留める。

 360度の視界を確保するアルディスの「眼」と、鋭さを増した蒼太の「牙」。

 どちらのパターンも、呼吸をするように自然に行えるようになっていた。





 二人で冒険者ギルドへ向かう。

 街はいつも通り活気に満ちていた。市場では初夏の野菜や果物が並び、商人たちの威勢いせいのいい声が響いている。


 ギルドに入ると、受付嬢のリナが満面の笑みを浮かべて迎えてくれた。


「おめでとうございます! Dランク昇格ですよ!」


 リナの声に、周囲の冒険者たちも感嘆かんたん羨望せんぼうの入り混じった視線を送ってくる。


「弓使いのアルディス」

「天才少年のソウタ」


 その二つ名は、この街の冒険者の間で知らぬ者はいなくなっていた。

 特にアルディスの評価の変化は劇的だ。かつての「万年剣士」という陰口かげぐちは消えうせ、今では「凄腕すごうで狙撃手スナイパー」として一目置かれている。


「ありがとうございます、リナさん」

 アルディスは新しいギルドカードを受け取った。

 そこには輝かしい『Rank D』の文字。


(Dランク、か……)


 かつてパーティを組んでいた頃は、当たり前のように維持していたランクだ。

 だが、ソロになり、ゼロから積み上げて手にしたこのランクには、格別の重みがあった。


 そして、現在のステータスが刻まれている。


【アルディス・フェルナンド】

 職業:弓使い

 ランク:D

 レベル:49


 順調だ。順調すぎるほどだ。

 かつて5年間もレベル37で停滞していたのが嘘のように、この三ヶ月で12もレベルが上がった。

 適性S+の才能が開花し、経験値を効率よく吸収できている証拠だろう。


「蒼太君もすごいね! レベル48なんて!」

 リナのはずんだ声に、アルディスは我に返った。


「えへへ、アルディスさんのおかげです」

 隣で蒼太が照れ臭そうに頭をいている。


【サクライ・ソウタ】

 職業:魔法剣士(見習い)

 ランク:D

 レベル:48


 15歳の新人ルーキーが、たった三ヶ月でDランク。しかもレベル50目前。

 これは「異常」と言っていい速度だ。

 通常の冒険者なら、レベル40に到達するのに10年はかかる。それを彼は、一季節でやってのけた。


「お前、もうすぐ俺に追いつきそうだな」

 アルディスは努めて明るく言った。

 冗談めかして言ったつもりだった。

 だが、蒼太は真顔まがおで首を横に振った。


「そんなことないです。俺なんて、まだまだアルディスさんの足元にも及びません」

「はは、謙遜けんそんするなよ」


 アルディスは相棒の肩を叩く。

 その手には、確かな筋肉の感触があった。


 その時だった。


「おい、アルディス!」


 背後から、聞きおぼえのある太い声がかかった。

 アルディスの背筋が強張こわばる。

 ゆっくりと振り向くと、そこには金髪の大男が立っていた。


「ヴォルフ……」


 アルディスの元パーティ「銀のシロガネノツバサ」のリーダー、ヴォルフ・バルトス。

 解散してから、三ヶ月ぶりの再会だった。


「久しぶりだな。元気そうで何よりだ」


 ヴォルフが豪快ごうかいに笑う。

 その横には、赤髪の女性エリカと、茶髪の男性ドラン。

 元パーティの仲間たちがそろっていた。


「みんな……あれ、まだギルドに?」


 アルディスは驚きを隠せなかった。

 解散の時、三人はそれぞれ次の道を決めていたはずだ。


「ああ、まあな」

 ヴォルフが照れくさそうに頭をいた。

「実家に戻って家業の手伝いを始めたんだが……やっぱり冒険者が忘れられなくてさ。週に一度くらい、街に出てきてクエストを受けてるんだ」


「私もよ」

 エリカが苦笑する。

「姉の誘いで宮廷魔法使いの研修を受けてるんだけど、息が詰まっちゃって。たまに息抜きに、こうしてギルドに顔を出してるの」


「私は教会の仕事と並行して、たまに冒険者もやってる」

 ドランが静かに言った。

「完全に足を洗うつもりだったんだが……やはり、この生活が体に染み付いているらしい」


 三人の表情には、少しの後ろめたさと、でも確かな懐かしさが混じっていた。


「そうか……」


 アルディスの胸に、複雑な感情がき上がった。

 なつかしさ。少しの気まずさ。

 そして――安堵。


 彼らも、まだ冒険者を続けている。

 でも、その装備を見れば分かる。


 ヴォルフの胸元にあるプレートアーマー。その右肩に、大きな傷跡がある。

 それは、解散前にオーガと戦った時についた傷だ。

 三ヶ月前の傷が、そのまま残っている。

 ドランの杖も、エリカのローブも、あの時のままだ。


 (何も、変わっていない)


 彼らは、三ヶ月前から止まったままだ。

 買い換える資金も、余裕もないのだ。

 その現実が、アルディスの背中の新品の長弓とあまりにも残酷な対比を描いていた。

 

 (彼らは止まっている。でも、俺は進んでいる)


 ふと、そんな思いが頭をもたげた。

 それは、見下しているわけではない。だが、確かな「安堵あんど」だった。

 あの時、一緒に沈まなくてよかった。泥沼から抜け出せてよかった。

 そんな、今の自分を肯定する優越感が、無意識のうちに胸の奥底に芽生えていた。


「お前、弓を?」


 ヴォルフがアルディスの背中を見て、目を丸くした。

 そこには、かつての剣ではなく、新しく購入した長弓が背負われている。


「ああ。いろいろあって」

「いろいろって……お前、武器変えたのか?」


 エリカが驚いた顔をする。

 その隣で、ドランも興味深そうにアルディスを見つめていた。


「剣士から、弓使いに?」

「ああ」


 アルディスはうなずいた。

 三人の視線が、不審そうにアルディスに集中する。

 弓使いへの偏見は根強い。ヴォルフたちの反応は当然だった。


「レベルは?」


 ヴォルフがおそる恐る聞いた。

 アルディスは一瞬ためらったが、静かに答えた。


「……49だ」


 沈黙。

 酒場の喧騒けんそうが一瞬遠のいたように感じた。

 三人が、そろって絶句している。


「よ、49……?」

 エリカが信じられないという顔をする。

「俺、まだ44なのに……」


 ヴォルフがつぶやく。

 解散時、ヴォルフはレベル42だった。この三ヶ月で2つしか上がっていない。

 エリカもドランも似たようなものだろう。


「お前、三ヶ月で12も上がったのか?」

 ドランが冷静さを欠いた声でたずねる。

「……ああ」


 アルディスは正直に答えた。

 実際、弓に転向してからの成長速度は異常だった。剣士時代とは比べ物にならない。


「すげえな……」


 ヴォルフが感嘆かんたんの声を上げた。

 その目には、驚きと、隠しきれない羨望せんぼうが混じっていた。


「その子は?」

 エリカが蒼太を見た。


「……弟子だ」

 アルディスは蒼太の背中を軽く押した。

櫻井さくらい蒼太です。よろしくお願いします」

 蒼太が礼儀正しく頭を下げる。


「レベルは?」

 ドランが興味本位で聞いた。

「48、です」


 再び、三人の顔が凍りついた。


「48……?」

「こいつ、何ヶ月やってるんだ?」

「三ヶ月、です」


 蒼太が正直に答える。

 三人は言葉を失っていた。

 15歳の少年が、わずか三ヶ月で自分たちベテランを超えている。その事実は、彼らの常識を打ち砕くに十分だった。


「お前ら、何者だよ……」

 ヴォルフがあきれたように笑った。


 しばらく立ち話をした後、ヴォルフが真剣な表情で切り出した。


「なあ、アルディス。もう一度、俺たちとパーティを組まないか?」


 その言葉に、アルディスの胸がぎゅっとめ付けられた。

 かつて、俺が一番欲しかった言葉。

 「また一緒に戦おう」という誘い。


 だが、今は違う。


「……ごめん」


 アルディスは首を横に振った。


「今は、こいつを育てることに集中したいんだ」


 蒼太を見る。

 少年は、アルディスの言葉を聞いて少し驚いた顔をしていた。


「そうか……」

 ヴォルフが少し寂しそうに笑った。

「お前、本当に変わったな」

「いい顔してる」


 その言葉が、胸に響いた。


「ありがとう。あの時、解散してくれて」

 アルディスは心からそう言った。

「お前たちがいなかったら、俺は弓に出会えなかった」


 ヴォルフたちは驚いた顔をし、それから穏やかに頷いた。

 別れ際、三人の背中を見送りながら、アルディスは思った。

 かつての仲間たち。もう同じ道は歩けない。

 彼らは止まり、俺は進んでいる。

 それが、どうしようもなく寂しかった。


「アルディスさん」

 蒼太が嬉しそうに声をかけてきた。

「いい人たちでしたね」

「ああ」


 胸を張って答えられる。

 俺は、間違っていなかった。


「行こうか。北の森に魔猪まちょ討伐の依頼が出てる」

「はい!」


 この時のアルディスは、まだ知らなかった。

 本当の試練が、この後に待っていることを。





 北の森。

 うっそうとした木々が日光をさえぎっている。


「アルディスさん、あそこです」


 蒼太が指差した先に、巨大な魔猪まちょがいた。

 体長三メートル近い巨体。きばは鋭く、目は血走っている。

 本来ならCランクパーティでいどむ強敵だ。


(こいつを倒せば、今日のノルマは達成だ)


 アルディスは弓を構えた。

 矢をつがえ、狙いを定める。

 いつもの動作。呼吸を整え、つるを引き絞る。


 だが、ふと、さっきの光景が脳裏のうりをよぎった。


 『レベル48、です』


 蒼太の言葉。

 そして、ヴォルフたちの、止まった時間。


(あと1つ……)


 あとレベルが1つ上がれば、蒼太は49になる。

 俺と同じになる。


 その瞬間、目の前の魔猪の姿がにじんだ。

 代わりに脳裏に焼き付いた『50』という数字が、フラッシュバックした。

 俺が5年かけても超えられなかった壁。


 指先が、ほんの数ミリ、強張こわばった。

 

 視界には、明確な射線ラインが見えていた。風も読めている。当たる確信もある。

 なのに、指が離れない。

 まるで、脳からの信号が指先で凍りついたかのように。

 

 ほんの刹那せつな遅延ラグ

 

 ヒュンッ!


 放たれた矢は、魔猪の急所をわずかに外れた。

 狙い通りの軌道だったはずなのに、最後の最後で指が拒絶したのだ。

 「50」という見えない壁への恐怖が、体を縛り付けた。

 矢は太い首筋に当たり、浅く刺さるのみ。


「グォォォォッ!」


 魔猪が咆哮ほうこうを上げ、怒り狂って突進してきた。

 地面を揺らす轟音ごうおん


「しまっ……!」


 外した。

 適性Sの俺が。

 技術ではなく、心の弱さで。


「蒼太、下がれ!」


 叫びながら二本目の矢をつがえる。

 だが、動揺どうようで手が震える。

 集中できない。


(なんで外した? なんで震えてる?)


 二本目の矢も、魔猪の分厚い肩にはじかれた。

 魔猪が目前まで迫る。


「はっ!」


 アルディスが身構えるより早く、影が飛び出した。

 蒼太だ。

 ミスリルの短剣を逆手に持ち、魔猪のふところもぐり込む。


 速い。

 アルディスの目でも追えないほどの速度。


 ザンッ!


 一閃。

 

 それは、あまりにも無機質な一撃だった。

 熱い闘志も、必死の形相もない。ただ、最適解をなぞるように、刃が吸い込まれていく。

 

 短剣が魔猪の喉元のどもとを正確に貫いていた。

 巨体が慣性で数メートル滑り、アルディスの目の前で停止する。

 ズゥゥゥン……と重い音を立てて絶命した。

 

 圧倒的な暴力。

 だというのに、血飛沫ちしぶきひとつ浴びていない。

 人間離れした、異質な強さ。


「……ふぅ」


 蒼太が血振るいをして、短剣をさやに納める。

 無傷だ。

 あれほどの突進を、正面からさばききったのか。


「大丈夫ですか、アルディスさん」

 蒼太が笑顔で振り返る。

「少し狙いがれたみたいですね。珍しい」


 悪気のない言葉。

 それが、アルディスの心をえぐった。


「……ああ。悪かった」

「いえ! アルディスさんの矢が牽制けんせいになったおかげで、すきができましたから」


 蒼太は無邪気にフォローする。

 それが余計にみじめだった。


「あ、そうだ」


 蒼太が何かに気づいたように、虚空こくうを見つめた。

 自分のステータスを確認しているのだろう。


「アルディスさん、レベル上がりました」

「……そうか」


 アルディスの心臓が、嫌な音を立てた。

 聞きたくない。

 でも、聞かないわけにはいかない。


「いくつに、なった?」

「51、です」


 時が止まった気がした。


 51。

 レベル50の壁。

 多くの冒険者が一生かかっても超えられない才能の壁を、この少年はあっさりと飛び越えた。


 そして――

 俺を、追い抜いた。


「すごいな」

 アルディスの口が、勝手に動いた。

「お前は天才だよ」

「えへへ、ありがとうございます!」


 蒼太は嬉しそうに笑っている。

 アルディスも笑った。

 笑えているはずだ。顔の筋肉が引きつっていなければ。





 その夜。

 アルディスは一人、宿の裏手にある林の中にいた。


 ドゴッ!


 硬いかしの木を、怒鳴り声と共に殴りつける。

 こぶしの皮が裂け、血がにじむ。

 だが、痛みなど感じなかった。


「なんで……! なんで俺は……!」


 胃の奥から、焼けるような酸っぱいものがこみ上げてくる。

 アルディスはひざをつき、地面に嘔吐おうとした。

 胃の中は空っぽなのに、嗚咽おえつが止まらない。


 嫉妬。

 どす黒い嫉妬が、体中を暴れまわっている。


 (俺が5年かけても超えられなかった壁を、こいつはたった3ヶ月で……)


 悔しい。

 情けない。


 そして何より、恐ろしいことに気づいてしまった。


 ――俺はどこかで、こいつがずっと『守られる存在』でいてくれることを望んでいたんじゃないか?

 こいつが俺より弱くて、俺が守ってやらなきゃいけなくて。

 そうすれば、俺の居場所がなくならないから。


 そんな、みにくい本音が、嘔吐物と一緒にせり上がってくる。


 (俺は、相棒の成長にブレーキをかけたがっていたのか……?)


 守っているつもりだった。

 導いているつもりだった。

 でも本当は、才能という翼を持つ少年に、「守護」という名の首輪をつけて、自分の手の届く範囲につなぎ止めておきたかっただけなんじゃないのか。


 お前は弱いから。一人じゃ何もできないから。

 そう言い聞かせて、自分を必要とさせようとしていた。

 なんとみにくく、卑小ひしょうな独占欲か。


「最低だ……」


 涙があふれてきた。

 地面を拳で叩く。

 泥と血が混ざる。


 俺は結局、何も変わっていなかったのか。

 剣士時代、仲間の成長におびえていたあの頃と、同じなのか。


「……っ、うぅ……」


 声を押し殺して泣いた。

 蒼太には、絶対に聞かれないように。

 これは俺の問題だ。あいつのせいじゃない。


 ひとしきり泣いて、涙をそでぬぐう。


 (……明日も、笑顔でいよう)


 アルディスは誓った。

 この黒い感情は、墓場まで持っていく。

 蒼太の前では、頼れる師匠であり続けるんだ。

 それが、大人の、そして「相棒」としての最低限の責任だ。





 翌朝。

 食堂に降りると、蒼太が朝食の準備をして待っていた。


「おはようございます、アルディスさん!」

 昨日と変わらない、屈託くったくのない笑顔。


「……ああ、おはよう」


 アルディスもまた、昨日と変わらない笑顔を作った。

 内心の地獄を、完璧な仮面でおおい隠して。


「今日はどこに行きますか?」

「西の渓谷けいこくだ。岩竜がんりゅうの討伐依頼が来てる」

「岩竜……強そうですね。でも、俺たちならやれますよね!」


 蒼太の言葉には、確信に満ちた自信があった。

 自分たちなら勝てる。自分が強くなったから。


「ああ、そうだな」


 アルディスはコーヒーを流し込む。

 いつもと同じ、苦いブラックコーヒー。

 だが、今日はその苦みが、妙に心地よかった。


 二人の間に、目に見えない亀裂きれつが入った。

 それに気づいているのは、今のところアルディスだけだった。


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