第二十八話
夕暮れ。
空が、オレンジ色から紫色へと変わっていく。
星が、一つ二つと現れ始める。
二人は、星の門の前に立っていた。
門が、青白く光り始めた。
淡い光が、脈動している。
まるで、心臓のように。
時が、近づいている。
蒼太が帰る時が。
突然、光が強くなった。
門の中心から、眩しい光が溢れ出す。
その中に、巨大な影が現れた。
エトワール。
星喰竜が、再び姿を現した。
「時が来た」
エトワールの声が、部屋に響く。
「星が重なった」
「門が、開く」
蒼太の心臓が、跳ね上がった。
来た。
この時が、来てしまった。
エトワールが、蒼太を見下ろす。
「転移者よ」
「門を開くには、お前の血と覚悟が必要だ」
「準備はいいか」
蒼太は、一歩前へ出た。
足が震える。
でも、止まらない。
「……はい」
「では、始めよ」
蒼太は、懐から小さなナイフを取り出した。
アルディスが、ハッと息を呑んだ。
「蒼太、お前……」
「大丈夫です」
蒼太が、静かに言う。
そして、左手の手のひらにナイフを当てた。
ゆっくりと、引く。
鋭い痛みが走る。
赤い血が、滲み出てきた。
蒼太は、その手を門に向けた。
血が、滴り落ちる。
門に触れた瞬間。
門が、強く輝き始めた。
青白い光が、部屋全体を満たす。
眩しい。
でも、目を閉じない。
最後まで、見届けなければ。
「覚悟を、口にせよ」
エトワールが言う。
「お前が何を選ぶのか」
「声に出して、宣言せよ」
蒼太は、アルディスを振り返った。
師匠の顔。
命の恩人の顔。
世界で一番大切な人の顔。
涙が、溢れてきた。
でも、言わなければならない。
「僕は……」
声が震える。
「この人と、別れます」
その言葉が、胸を引き裂いた。
でも、続ける。
「日本に帰って、母さんに会います」
「ちゃんと、お別れを言います」
涙が、頬を伝う。
「それが、僕のやるべきことだから」
門が、反応した。
光が、さらに強くなる。
道が、開き始めた。
アルディスが、一歩前に出た。
「ソウタ」
蒼太が、振り返る。
「はい」
二人の目が、合った。
涙で滲んでいる。
でも、はっきりと見える。
「向こうでも、元気でな」
アルディスの声が、震えていた。
「アルディスさんも」
蒼太が答える。
言葉が続かない。
言いたいことは山ほどあるのに。
言葉にならない。
「アルディスさん」
蒼太が、一歩近づいた。
「本当に、ありがとうございました」
涙が、止まらない。
「僕、アルディスさんに拾ってもらえて」
「幸せでした」
「この一年間、本当に幸せでした」
アルディスの目からも、涙が溢れた。
「……こっちこそ」
「お前がいてくれて、救われた」
「お前がいなかったら、俺は……」
言葉が詰まる。
「お前は、俺の希望だった」
二人は、抱き合った。
強く、しっかりと。
離したくない。
離れたくない。
でも、門の光が強くなっていく。
時間がない。
「大好きでした」
蒼太が言う。
顔は見えない。
アルディスの胸に埋まっているから。
でも、声は届く。
「俺も、お前が大好きだ」
アルディスが答える。
しばらく、そのままだった。
永遠にこうしていたい。
でも、できない。
「時間だ」
エトワールの声が響く。
「これ以上は、待てない」
「門が、閉じてしまう」
蒼太が、体を離した。
名残惜しそうに。
ゆっくりと。
アルディスの顔を、目に焼き付けるように。
蒼太が、門へ向かって歩き出した。
一歩。
また一歩。
光の中へ。
途中で、振り返った。
「また……」
言葉が詰まる。
また会える、と言いたかった。
でも、それは約束できない。
世界が違う。
もう、会えないかもしれない。
アルディスが、笑顔を作った。
涙で濡れた顔で。
それでも、笑顔を。
「ああ。また」
その言葉に、どれだけの想いが込められているか。
蒼太には、わかった。
だから、自分も笑顔を作った。
泣きながら。
それでも。
「さようなら、アルディスさん」
「さようなら、ソウタ」
蒼太が、光の中へ入っていく。
その姿が、薄れていく。
透けていく。
消えていく。
そして。
完全に、消えた。
門の光が、収まった。
蒼太の姿は、もうない。
静寂が、部屋を満たす。
アルディスは、しばらく立ち尽くしていた。
信じられない。
本当に、いなくなった。
あの子が。
俺の……俺の大切な子が。
膝が、崩れた。
床に倒れ込む。
声を上げて、泣いた。
もう、我慢しなくていい。
誰に見せても、かまわない。
ただ、泣いた。
「蒼太……」
名前を呼ぶ。
でも、返事はない。
「蒼太……!」
もう一度呼ぶ。
返事はない。
当たり前だ。
もう、ここにはいないのだから。
エトワールが、静かに見守っていた。
巨大な竜の瞳が、優しく光っている。
「泣くが良い」
エトワールが言う。
「別れは、辛いものだ」
「涙を流すことは、恥ずかしいことではない」
アルディスは、何も答えられなかった。
ただ、泣き続けた。
「だが」
エトワールが続ける。
「お前たちは、美しかった」
「互いのために別れを選んだ」
「それができる者は、稀だ」
「誇りに思え」
アルディスは、顔を上げた。
涙で滲んだ目で、エトワールを見る。
「誇り……」
「そうだ」
エトワールが頷く。
「お前は、良い師匠だった」
「あの子を、立派に育てた」
「あの子は、お前のおかげで強くなった」
「生きる意味を見つけた」
「帰る覚悟を持てた」
「それは、お前の功績だ」
アルディスの涙が、また溢れた。
でも、今度は少し違う涙だった。
「あの子は、向こうの世界で頑張るだろう」
エトワールが言う。
「お前が教えたことを、胸に刻んで」
「お前の背中を思い出しながら」
「前を向いて、歩いていく」
「お前も、そうしろ」
「前を向いて、歩け」
アルディスが、ゆっくりと立ち上がった。
足が震える。
でも、立てる。
「いつの日か」
エトワールの声が、優しくなった。
「再び会えることを願っている」
「お前たちの物語は、まだ終わっていない」
その言葉が、アルディスの心に響いた。
「……また、会える」
「そう信じろ」
エトワールが言う。
「信じる者には、道が開ける」
アルディスは、月影の弓を握りしめた。
蒼太が見つけてくれた、俺の道。
蒼太が教えてくれた、俺の才能。
それを、胸に刻もう。
あいつの分まで、生きよう。
エトワールの姿が、薄れていく。
「さらばだ、弓使いよ」
「お前の未来に、祝福を」
光が消える。
エトワールも、消える。
残ったのは、静かな遺跡だけ。
アルディスは、門を見つめた。
もう、光っていない。
ただの石の門。
蒼太は、あの向こうにいるのだろうか。
日本という国で、新しい人生を歩んでいるのだろうか。
「……元気でな」
小さく呟いた。
返事はない。
当たり前だ。
でも、伝わっている気がした。
アルディスは、遺跡を後にした。
外に出ると、夜空が広がっていた。
無数の星。
その中の一つが、特に強く輝いている。
あの星の向こうに、蒼太がいるのかもしれない。
「また、会おう」
星に向かって、呟いた。
「絶対に」
涙は、もう止まっていた。
代わりに、決意があった。
前を向いて、歩こう。
蒼太に恥じない自分でいよう。
いつか、また会える日のために。
アルディスは、山を下り始めた。
一人で。
でも、寂しくはなかった。
胸の中に、蒼太がいるから。
あいつとの思い出が、温かく灯っているから。
新しい冒険が、始まる。
蒼太のいない冒険が。
でも、蒼太と過ごした日々が、俺を支えてくれる。
だから、歩ける。
どこまでも。




