第二十三話
雪山。
二人は、本格的な雪山地帯に入っていた。
吹雪が激しい。
視界は、ほとんどゼロだ。
白い世界。
どこを見ても、雪しか見えない。
蒼太が、アルディスの後ろをついて歩く。
足を取られないように、慎重に。
「前が見えません!」
蒼太が叫ぶ。
風の音で、声がかき消される。
「俺の後ろについてこい!」
アルディスが振り返って言う。
月影の弓を構える。
すると、弓が淡く光り始めた。
魔力が、道を照らす。
蒼太は、その光を頼りに歩く。
アルディスの背中を見失わないように。
一日目。
雪山を登り始めた日は、順調だった。
天気も良く、道もわかりやすかった。
でも、二日目から吹雪が始まった。
そして、三日目。
吹雪は、さらに激しくなっていた。
アルディスは、前を見つめる。
この先に、星の門がある。
蒼太を帰す場所が。
それを思うと、複雑な気持ちになった。
早く着きたい。
でも、着きたくない。
その矛盾が、胸を締め付ける。
「アルディスさん!」
蒼太の叫び声。
アルディスが振り向いた瞬間。
巨大な影が、雪の中から現れた。
氷の竜。
アイスドレイク。
全長十メートルはある、巨大な魔物。
体は氷で覆われ、鋭い牙を持つ。
レベル七十二。
この雪山の主だ。
「ガアアアア!」
アイスドレイクが吠える。
咆哮が、雪崩を引き起こしかける。
雪が、崩れ落ちる。
「蒼太、下がれ!」
アルディスが叫ぶ。
弓を構える。
矢をつ
がえる。
魔力の矢筒から、光の矢が生成される。
「行け!」
矢が放たれた。
それは、アイスドレイクの左目を狙う。
しかし、竜が首を振り、矢をかわした。
速い。
このサイズで、この速さ。
強敵だ。
「蒼太、俺の指示に従え!」
「はい!」
蒼太が短剣を抜く。
炎を纏う。
二人の、いつもの連携。
アイスドレイクが、氷の息を吐く。
冷気が、二人を襲う。
アルディスが、蒼太を押し倒す。
氷の息が、二人の上を通り過ぎる。
木が凍りつく。
一瞬で、氷の彫像に。
「危ない……」
蒼太が呟く。
「油断するな」
アルディスが立ち上がる。
再び弓を構える。
「今度は、連続で行く」
アルディスが深呼吸をする。
集中する。
そして、スキルを発動した。
幻影連弧。
複数の魔力の矢が、同時に生成される。
五本の矢。
それぞれが、異なる軌道を描く。
「放て!」
五本の矢が、一斉に放たれた。
アイスドレイクが、避けようとする。
でも、避けきれない。
一本目が、右翼を貫く。
二本目が、左翼を貫く。
三本目が、右目を射抜く。
四本目が、左目を射抜く。
五本目が、喉を狙う。
しかし、五本目だけは、氷の鱗に弾かれた。
それでも、十分だった。
アイスドレイクの動きが、止まる。
翼を失い、目を失った竜。
もう、飛べない。
見えない。
「今だ、蒼太!」
アルディスが叫ぶ。
蒼太が駆け出す。
瞬獄。
一瞬で距離を詰め、竜の足元に到達する。
そして、跳躍。
短剣を、竜の首筋に突き立てる。
ズブリ
竜が悲鳴を上げる。
倒れる。
ドォン
雪が舞い上がる。
戦闘終了。
二人は、息を切らしていた。
雪の中に座り込む。
汗が、頬を伝う。
でも、すぐに冷える。
「……強かった、ですね」
蒼太が呟く。
「ああ」
アルディスが頷く。
「でも、完璧だったな」
「え?」
「今の連携」
アルディスが笑う。
「俺たち、強くなったな」
蒼太も、笑った。
「はい。強くなりました」
二人は、しばらく黙っていた。
でも、アルディスは思った。
もうすぐ、この連携も見納めか。
蒼太も、同じことを考えているだろう。
でも、言葉にはしなかった。
言えなかった。
その日の夜。
吹雪を避けて、雪洞を掘った。
狭い空間。
でも、風を防げる。
焚き火を起こし、体を温める。
二人は、火を囲んで座った。
「寒いか?」
アルディスが聞く。
「大丈夫です」
蒼太が答える。
でも、体は震えていた。
アルディスは、自分のコートを脱いだ。
そして、蒼太にかける。
「アルディスさんは?」
「俺は平気だ」
アルディスが笑う。
蒼太は、コートを受け取った。
温かい。
アルディスの体温が、残っている。
「……ありがとうございます」
蒼太が小さく言う。
火が、パチパチと音を立てる。
外では、吹雪が続いている。
でも、雪洞の中は。
静かで、温かかった。
蒼太が、口を開いた。
「アルディスさん」
「ん?」
「初めて会った時のこと、覚えてますか?」
アルディスが少し考える。
「ああ。お前、路地裏で倒れてたな」
「死にかけてました」
蒼太が苦笑いする。
「でも、アルディスさんが助けてくれて」
「あれから一年……本当に、幸せでした」
アルディスの胸が、熱くなった。
「……俺もだよ」
アルディスが蒼太を見つめる。
「お前に会えて、良かった」
蒼太の目が、潤む。
「僕も……アルディスさんに会えて、本当に良かったです」
二人は、しばらく黙っていた。
火を見つめながら。
言葉はいらなかった。
お互いの気持ちは、わかっている。
「なあ、蒼太」
アルディスが呟く。
「はい」
「お前は、日本に帰ったら何をするんだ?」
蒼太が少し考える。
「……まず、母さんのお墓に行きます」
「そうか」
「それから……わかりません」
蒼太が首を傾げる。
「父さんとは、うまくいかないかもしれない」
「学校も……もう卒業の時期は過ぎてます」
「でも」
蒼太が顔を上げる。
「アルディスさんとの思い出を胸に、頑張ります」
「この一年で学んだこと、忘れません」
アルディスが、蒼太の頭を撫でた。
「そうか。なら、心配ないな」
蒼太が笑う。
「はい」
外の吹雪が、少し弱まった気がした。
雪洞の入口から、星空が見える。
無数の星。
蒼太が、星を見上げた。
「綺麗ですね」
「ああ」
アルディスも、星を見る。
「あの星の向こうに、お前の世界があるのかもしれないな」
「……そうかもしれません」
蒼太が静かに言う。
「でも、僕」
「この世界のこと、忘れたくないです」
「アルディスさんのこと、ずっと覚えていたいです」
アルディスの目が、潤んだ。
「……俺もだ」
「お前のこと、忘れない」
二人は、星空を見つめていた。
この瞬間が、永遠に続けばいいと。
二人とも、願っていた。
翌日。
吹雪は止んでいた。
空は晴れ、太陽が雪を照らす。
眩しい。
二人は、雪洞を出た。
荷物をまとめ、再び北へ向かう。
雪山は、まだ続いている。
でも、頂上は近い。
あと少しで、星の門だ。
「行くか」
「はい」
二人は、歩き始めた。
雪を踏みしめながら。
一歩、また一歩。
確実に、北へ。
別れの場所へ。
四日目。
二人は、山道を登っていた。
険しい道。
一歩間違えれば、谷底だ。
慎重に、足を進める。
蒼太が、滑りそうになった。
「危ない!」
アルディスが、蒼太の手を掴む。
引き上げる。
蒼太が、アルディスにしがみつく。
「……怖かった」
蒼太が震える。
「大丈夫だ。俺がいる」
アルディスが蒼太を抱き締める。
「お前を、絶対守る」
蒼太が顔を上げる。
涙が、頬を伝う。
「……ありがとうございます」
二人は、しばらくそのままだった。
風が、二人を包む。
冷たい風。
でも、二人の体は、温かかった。
五日目。
頂上が、見えてきた。
そこを越えれば。
星の門だ。
アルディスは、複雑な気持ちで頂上を見つめた。
あと、少し。
あと少しで、蒼太と別れる。
その事実が、重くのしかかる。
でも、進むしかない。
アルディスは、前を向いた。
「もうすぐだな」
蒼太が呟く。
「ああ」
「あと……何日ですか?」
「……三日だ」
アルディスが答える。
三日後。
星が重なる日。
蒼太が、帰る日。
別れの日。
「三日……」
蒼太が、その数字を繰り返す。
二人は、黙って歩き続けた。
もう、言葉はいらなかった。
頂上に着いた時。
二人は、息を呑んだ。
眼下に、広がる景色。
雪に覆われた山々。
そして、その奥に。
巨大な遺跡が見えた。
古代の建造物。
月光に照らされて、神秘的に輝いている。
星の門。
二人が、ずっと探していた場所。
「……あれが」
蒼太が呟く。
「ああ。星の門だ」
アルディスが答える。
蒼太の目から、涙が溢れた。
帰れる。
母さんに、会える。
でも、同時に。
アルディスと、別れなければならない。
その現実が、胸を締め付ける。
「アルディスさん……」
蒼太が震える声で言う。
アルディスが、蒼太を抱き締める。
「大丈夫だ」
「お前を、ちゃんと帰してやる」
蒼太が、アルディスの胸で泣いた。
声を上げて。
アルディスも、涙を堪えていた。
でも、堪えられなかった。
涙が、頬を伝う。
二人は、抱き合ったまま。
遺跡を見つめていた。
あと、三日。
残された時間は、それだけ。
でも、今は。
この瞬間を、大切にしよう。
二人は、そう思った。
夕方。
二人は、遺跡の手前でキャンプを張った。
焚き火を起こし、食事を作る。
いつものシチュー。
でも、今夜のシチューは。
いつもより、美味しく感じた。
蒼太が、シチューを口にする。
「……美味しいです」
いつもの言葉。
でも、その言葉の重みが。
今は、違った。
アルディスも、シチューを食べる。
温かい。
でも、心は。
少しずつ、冷えていく。
別れが、すぐそこまで来ているから。
食事を終え、二人はテントに入った。
寝袋に入り、横になる。
外では、星が輝いている。
満天の星空。
蒼太が、呟いた。
「アルディスさん」
「ん?」
「明日も、一緒ですよね」
「ああ」
「明後日も」
「……ああ」
アルディスの声が、少し震えた。
「その次の日は……」
蒼太の声が、途切れる。
アルディスは、答えられなかった。
その次の日。
それが、別れの日だから。
沈黙が、流れる。
やがて、蒼太が小さく言った。
「……おやすみなさい」
「おやすみ」
二人は、眠りについた。
でも、ぐっすりとは眠れなかった。
明日が来るのが、怖かったから。
別れの日が、近づいているから。
夢の中で。
二人は、笑っていた。
街の陽だまり荘で。
ギルドで。
訓練場で。
クエストで。
いつもの日々。
幸せな日々。
でも、それはもう。
戻らない日々。
夢だけの、思い出。
アルディスは、夢の中で泣いていた。
蒼太も、泣いていた。
二人とも、わかっていた。
これが、最後だと。
でも、まだ諦めたくなかった。
この夢が、続いてほしかった。
でも、夢は。
やがて、覚める。
朝が来れば。
現実が待っている。
別れへと続く、道が。




