第二十一話
王都。
街から馬車で三日の距離にある、大きな都市だ。
アルディスと蒼太は、情報を求めてこの地にやってきた。
転移者が帰還するための、確かな情報を。
王都の中心には、巨大な図書館があった。
石造りの建物。
高い天井。
何万冊もの書物が、棚に並んでいる。
その中に、二人が探している答えがあるはずだった。
「すごいですね……」
蒼太が、周囲を見回す。
これほど大きな図書館は、この世界で初めて見た。
「ああ。ここなら、何か見つかるかもしれない」
アルディスが頷く。
二人は、司書に声をかけた。
「あの、転移者に関する文献を探しているんですが」
司書は、老いた女性だった。
眼鏡をかけ、穏やかな表情をしている。
「転移者の記録ですか……珍しいですね」
司書が少し考える。
「確か、古文書の棚に何冊かあったはずです」
「あちらへどうぞ」
司書が指し示した先。
埃をかぶった古い本が並ぶ、奥の棚だった。
二人は、その棚の前に立った。
本を一冊ずつ取り出し、内容を確認する。
どの本も、古くて読みにくい。
文字が擦れていたり、ページが破れていたり。
でも、アルディスは諦めなかった。
一冊、また一冊。
丁寧に調べていく。
蒼太も、隣で本を読んでいる。
二人で、黙々《もくもく》と探す。
時間だけが、過ぎていった。
三時間後。
アルディスが、ある本を手に取った。
表紙には、古代文字で何かが書かれている。
ページをめくる。
震える手。
そして、ある記述を見つけた。
星の門、北の果てに眠る古代遺跡。
転移者を元の世界に帰す唯一の方法。
アルディスの心臓が、高鳴った。
「……見つけた」
小さく呟く。
蒼太が顔を上げる。
「アルディスさん?」
「蒼太、これを見ろ」
アルディスが本を蒼太に見せる。
蒼太が、記述を読む。
目が、大きく見開かれた。
「本当に……帰れるんですか?」
蒼太の声が、震える。
「ああ」
アルディスが頷く。
「この本には、星の門のことが詳しく書かれている」
二人は、その本を読み込んだ。
星の門。
北の遺跡の最深部に存在する、古代の装置。
転移者を元の世界に送り返す、唯一の手段。
ただし、門を開くには三つの条件が必要だ。
一つ目。
転移者本人の血液を捧げること。
二つ目。
最も大切な者との決別の覚悟を声に出すこと。
三つ目。
守護竜の試練に合格すること。
アルディスは、その文字を見つめた。
「……決別の覚悟、か」
蒼太も、同じ箇所を見ている。
二人とも、言葉が出なかった。
決別の覚悟。
つまり、別れを受け入れるということ。
それを、声に出して宣言しなければならない。
このままだ。
二人は、沈黙したまま本を読み続けた。
でも、心の中では。
それぞれが、複雑な思いを抱いていた。
その日の夜。
二人は王都の宿に泊まった。
部屋は狭かったが、清潔だった。
二つのベッドが並んでいる。
アルディスは、窓辺に立っていた。
月を見つめている。
蒼太は、ベッドに座っていた。
本を抱えて。
図書館から借りてきた、あの本。
星の門について書かれた本。
「なあ、蒼太」
アルディスが口を開いた。
「はい」
「明日、もう少し詳しく調べよう」
「門を開くタイミングとか、場所とか」
蒼太が頷く。
「……わかりました」
でも、その声は小さかった。
アルディスは、蒼太の方を向いた。
「お前、怖いか?」
蒼太が顔を上げる。
「……少し」
「何が怖い?」
「帰ることが? それとも、別れることが?」
蒼太は、少し考えた。
そして、小さく答える。
「……両方、です」
アルディスは、蒼太の隣に座った。
「俺もだ」
蒼太が驚いて顔を上げる。
「アルディスさんも……?」
「ああ」
アルディスが頷く。
「お前を帰すのは、正しいことだと思ってる」
「でも、別れたくない」
「その気持ちも、ある」
蒼太の目が、潤んだ。
「僕も……同じです」
「母さんの墓参りをしたい」
「でも、アルディスさんと離れたくない」
二人は、しばらく黙っていた。
互いの気持ちが、痛いほどわかる。
別れたくない。
でも、別れなければならない。
その矛盾を、どう受け入れればいいのか。
翌日。
二人は、再び図書館に戻った。
今度は、星の門が開くタイミングについて調べる。
古い天文学の本を探す。
そして、見つけた。
星の配置と門の起動についての記述。
星の門は、特定の星が重なる時にのみ起動する。
次に星が重なるのは。
早春。
今から、二ヶ月半後。
それを逃すと、次は二年後だという。
アルディスは、その日付をメモした。
蒼太も、その数字を見つめている。
「……二ヶ月半」
蒼太が呟く。
「ちょうど、出会ってから一年後ですね」
アルディスが頷く。
「そうだな」
一年。
二人が出会ってから、もうすぐ一年になる。
そして、その一年目の日に。
二人は、別れることになる。
運命の悪戯のようだった。
その日の午後。
二人は、王都の天文台を訪れた。
老天文学者に、星の配置について確認するために。
天文台は、王都の丘の上にあった。
石造りの塔。
最上階には、大きな望遠鏡があった。
老天文学者は、白い髭を生やした男だった。
優しい目をしている。
「星の配置ですか」
天文学者が星図を広げる。
「次に特定の星が重なるのは……」
指で星図を辿る。
「早春、二ヶ月半後ですな」
「それを逃すと、次は二年後」
アルディスが頷く。
「……わかりました。ありがとうございます」
天文学者が、二人を見る。
「転移者を、帰すのですか?」
アルディスが少し驚いて、天文学者を見た。
「……なぜ、わかるんですか?」
「長年、星を見ていればわかります」
天文学者が微笑む。
「あなたたちの目は、別れを覚悟した者の目だ」
「でも、同時に。まだ受け入れきれていない目でもある」
天文学者が立ち上がり、窓の外を見る。
「別れは辛いものです」
「でも、いつかは訪れる」
「大切なのは、その時まで後悔のないように過ごすことです」
アルディスと蒼太は、黙って頷いた。
王都を出たのは、翌日の朝だった。
街へ戻る馬車の中。
二人は、並んで座っていた。
窓の外を眺めている。
景色が、ゆっくりと流れていく。
「アルディスさん」
蒼太が呟く。
「ん?」
「あと……何日ですか?」
アルディスは、少し考えた。
「……七十三日だ」
「七十三日……」
蒼太が、その数字を繰り返す。
アルディスは、窓の外を見つめた。
七十三日。
残された時間は、それだけ。
それが過ぎれば、二人は別れる。
もう二度と、会えないかもしれない。
その事実が、胸に重くのしかかった。
街に戻ると、すぐに準備を始めた。
北への旅の準備。
装備の新調。
防寒具の購入。
食料の確保。
すべて、別れのための準備。
リナが、不思議そうな顔をした。
「長旅ですか?」
「ああ。少し、遠出をする」
アルディスが答える。
リナが心配そうに言う。
「気をつけてくださいね」
「……ありがとう」
アルディスは、複雑な表情で頷いた。
リナには、すべてを話していない。
蒼太が転移者であることも。
帰ることも。
別れることも。
でも、いつかは話さなければならないだろう。
その時が来るまで、隠し続けるしかなかった。
準備が終わったのは、一週間後。
部屋には、荷物が積まれていた。
旅に必要なすべてのもの。
アルディスは、それを見つめた。
これで、いつでも出発できる。
冬が来れば、二人は北へ向かう。
そして、星の門を開く。
蒼太を、元の世界に帰す。
それが、アルディスの決意だった。
その夜。
陽だまり荘二〇三号室。
アルディスと蒼太は、向かい合って座っていた。
テーブルを挟んで。
二人とも、何も言わなかった。
ただ、静かに時間が過ぎていく。
やがて、アルディスが口を開いた。
「蒼太」
「はい」
「二ヶ月半後、星の門へ行く」
蒼太が頷く。
「……はい」
「お前を、帰してやる」
アルディスが真っ直ぐ蒼太を見つめる。
「それが、俺の最後の仕事だ」
蒼太の目から、涙が溢れた。
でも、拭かなかった。
「……ありがとうございます」
蒼太が小さく言う。
「僕、アルディスさんに会えて本当に良かった」
「拾ってくれて、育ててくれて」
「弓を勧めてくれて」
「全部、ありがとうございます」
アルディスも、涙を堪えていた。
「……俺もだ」
「お前に会えて、良かった」
二人は、しばらく黙っていた。
涙を流しながら。
でも、それは悲しい涙だけではなかった。
感謝の涙。
出会えたことへの、喜びの涙でもあった。
それから。
二人の日々は、少し変わった。
以前より、一緒にいる時間を大切にするようになった。
朝は、ゆっくりと朝食を食べた。
昼は、クエストに出かけた。
夜は、部屋で語り合った。
何気ない日常。
でも、その一日一日が。
かけがえのないものだった。
アルディスは、毎日思った。
この時間が、永遠に続けばいいと。
でも、それは叶わない願いだと。
わかっていた。
ある日の夜。
蒼太が、カレンダーを見つめていた。
指で、日数を数えている。
「あと……六十日」
小さく呟く。
アルディスが、蒼太の隣に座った。
「早いな」
「はい……」
蒼太が頷く。
「でも、僕」
蒼太が顔を上げる。
「アルディスさんと過ごした日々、忘れません」
「ずっと、心に残します」
アルディスが、蒼太の頭を撫でた。
「俺もだ」
「お前のこと、忘れない」
二人は、笑顔を交わした。
涙を堪えながら。
冬が、近づいていた。
木の葉は、すべて落ちた。
空気が、冷たくなってきた。
朝、息が白く見える。
季節は、確実に移り変わっていた。
別れの季節へと。
でも、二人は。
今を、大切に過ごしていた。
笑い合い、話し合い、一緒に戦った。
その一瞬一瞬が。
宝物だった。
窓の外では、雪が降り始めていた。
初雪。
冬の訪れを告げる、白い雪。
アルディスは、窓辺に立っていた。
雪を見つめている。
蒼太が、隣に立った。
「綺麗ですね」
「ああ」
アルディスが頷く。
「もうすぐ、冬だな」
「はい」
二人は、雪を見つめていた。
静かに降る雪。
それは、別れの季節の始まりだった。
でも、二人は。
今は、ただ雪を見つめていた。
その美しさを、心に刻むように。
いつか、この景色を思い出すために。
二人は、並んで立っていた。
それで、良かった。
今は、それでいい。
二人は、そう思った。




