第十九話
晩秋。
葉が完全に落ちた木々の間を、二人は北へと向かっていた。
アルディスと蒼太。
目指すのは、北の遺跡。
転移者が帰還するための門があるという場所。
そこには、強大な守護者がいるらしい。
でも、二人はそれを恐れてはいなかった。
いや、正確には。
恐れるべきは、守護者ではなかった。
別れの日が、近づいていることだった。
森の中の小屋で一泊した後、二人は遺跡の外壁に到着した。
古い石造りの門。
蔦が絡み、一部が崩れている。
でも、その奥には巨大な建造物が見えた。
「ここが、北の遺跡か」
アルディスが呟く。
「すごい……古そうですね」
蒼太が門を見上げる。
二人は、門をくぐった。
中は、広い中庭のようになっていた。
石畳の地面。
崩れた柱。
壊れた彫像。
かつて、ここは栄えていたのだろう。
でも今は、誰もいない。
静寂だけが、支配していた。
「気をつけろ。魔物がいるかもしれない」
アルディスが弓を構える。
蒼太も短剣を抜く。
二人は、慎重に進んだ。
中庭を抜け、奥へ。
石の回廊が続いている。
壁には、古代文字が刻まれていた。
蒼太が壁を見つめる。
「……なんて書いてあるんでしょう」
「さあな」
アルディスが答える。
久しぶりに、自然な会話。
二人とも、少しだけ緊張が解けた気がした。
最奥の部屋に辿り着いたのは、それから十分後。
扉を開けると、広い空間が広がっていた。
天井は高く、光が差し込んでいる。
石の床には、複雑な紋様。
そして、部屋の中央には。
巨大な石像が立っていた。
全身が石でできた戦士。
高さは五メートルほど。
大剣を持ち、動かずに立っている。
「これ……なんだろう」
蒼太が小声で言う。
「わからん。でも、あまり近づかない方がいい」
アルディスが警戒する。
二人は、石像を避けて部屋の奥を調べようとした。
その瞬間。
ゴゴゴゴ……
石像が、動き出した。
「まずい!」
アルディスが叫ぶ。
石像兵が、大剣を振り上げた。
そして、二人に向かって振り下ろす。
ズガァンッ!
床が砕け、破片が飛び散る。
二人は咄嗟に左右に跳んだ。
「蒼太、下がれ!」
アルディスが矢をつがえる。
放つ。
矢が石像兵の胸を狙う。
しかし。
カンッ
矢が弾かれた。
石の装甲に、傷一つつかない。
「硬い……!」
蒼太が魔法剣を構える。
炎を纏った刃で斬りかかる。
しかし、それも弾かれた。
「こいつ、どうやって倒すんですか!?」
「わからん! とにかく、攻撃を避けろ!」
石像兵が再び大剣を振る。
横薙ぎ。
二人は、飛び退いた。
剣が、壁を切り裂く。
石が崩れ落ちる。
このままでは、まずい。
アルディスは、焦りを感じた。
矢が通じない敵は、何度か戦ったことがある。
その場合、弱点を探すしかない。
でも、石像兵に弱点は見当たらなかった。
完璧な石の鎧に覆われている。
どこを狙っても、同じだろう。
石像兵が、再び振り下ろす。
蒼太が避けきれず、転んだ。
「蒼太!」
アルディスが駆け寄ろうとする。
でも、間に合わない。
石像兵の大剣が、蒼太に迫る。
終わりだ。
そう思った瞬間。
蒼太の目が、青く光った。
真理の眼。
蒼太の視界が、変わる。
世界がスローモーションになったように、ゆっくりと動く。
そして、石像兵の体が透けて見えた。
内部の構造が、見える。
胸の奥に、光る核。
それが、石像兵の動力源だ。
そして、核を守るように。
超硬質の結晶が覆っている。
これを壊さないと、核は破壊できない。
「アルディスさん!」
蒼太が叫ぶ。
「胸のコアを狙ってください!」
アルディスが驚いて振り向く。
「見えるのか!?」
「説明は後で! まず結晶を割って!」
蒼太が転がって避ける。
アルディスは、一瞬迷った。
でも、蒼太を信じる。
矢をつがえる。
狙いは、胸の中央。
「頼む……!」
矢が放たれた。
それは、正確に石像兵の胸に命中する。
ピシッ
小さな音。
結晶に、ヒビが入った。
「もう一発!」
蒼太が叫ぶ。
「矢がない!」
アルディスの矢筒は、空だった。
蒼太が短剣を抜く。
「これを!」
短剣をアルディスに投げる。
アルディスは、咄嗟に短剣をキャッチした。
そして、それを弓につがえる。
短剣を、矢のように。
引き絞る。
放つ。
ズガァンッ!
短剣が結晶に突き刺さった。
結晶が、砕ける。
核が、剥き出しになった。
「今です!」
蒼太が駆け出す。
もう一本の短剣を握り、跳躍する。
石像兵の胸に向かって。
そして、短剣を核に突き立てた。
パリィィン
核が砕ける。
石像兵の動きが、止まる。
そして、ゆっくりと崩れ落ちた。
バラバラになり、床に散らばる。
戦闘終了。
二人は、へたり込んだ。
息を切らし、汗を拭く。
「……危なかったな」
アルディスが呟く。
「はい……」
蒼太が頷く。
しばらく、沈黙が続いた。
二人とも、疲れていた。
でも、それだけではない。
何か、言わなければならないことがある。
そんな空気が、流れていた。
アルディスが、口を開いた。
「さっきの……何だったんだ?」
蒼太は、目を伏せた。
言わなければならない。
隠していたことを、全て。
深呼吸をする。
そして、顔を上げた。
「……実は」
「僕、特殊な能力があるんです」
アルディスが蒼太を見つめる。
「真理の眼って」
「真理の眼……?」
「人のステータスが……見えるんです」
蒼太が言葉を選びながら続ける。
「レベル、適性、スキル、全部」
アルディスは、息を呑んだ。
「お前……ずっとそんな能力を……」
「すみません。隠してて」
蒼太が頭を下げる。
アルディスは、しばらく何も言わなかった。
そして、ゆっくりと口を開く。
「他には?」
「……え?」
「お前が隠してること。他にもあるんだろう」
蒼太は、驚いて顔を上げた。
アルディスは、優しく笑っていた。
「教えてくれ。全部」
その言葉に、蒼太の胸が熱くなった。
涙が溢れそうになる。
でも、堪えて。
蒼太は、話し始めた。
「……僕、この世界の人間じゃないんです」
静寂。
アルディスは、黙って蒼太を見つめている。
「日本っていう、遠い場所から来ました」
「異世界、って言うんでしょうか」
「言葉が最初通じなかったのも、それが理由です」
アルディスは、何も言わなかった。
蒼太は、続ける。
「あの時、路地裏で倒れてた時」
「アルディスさんに助けられて」
「アルディスさんのステータス、見えたんです」
蒼太が、真理の眼で見た画面を説明する。
「剣の適性、C。でも、弓の適性……S+」
「隠しクラス:弓聖」
「だから、弓を勧めたんです」
「アルディスさんは、剣じゃなかった」
「本当は、弓の人だったんです」
アルディスは、震える手で顔を覆った。
そして、涙が溢れた。
「お前が……」
声が震える。
「お前が、俺を救ってくれたのか」
蒼太も、泣きそうになった。
「僕こそ、アルディスさんに救われました」
「あの時、死にかけてた僕を」
「拾ってくれて、育ててくれて」
アルディスは、蒼太を抱きしめた。
「ありがとう。本当に、ありがとう」
蒼太も、アルディスにしがみつく。
二人は、しばらくそのままだった。
温かい抱擁。
何も言わなくても、お互いの気持ちがわかった。
抱擁を解いた後。
二人は、遺跡の入口に戻った。
日が暮れる前に、野営の準備をしなければならない。
焚き火を起こし、荷物を広げる。
携帯食を温め、二人で分け合う。
火の温もりが、心地よかった。
星空が、広がっている。
秋の夜は、静かだった。
焚き火の前で、蒼太は話し始めた。
日本のこと。
母親のこと。
そして、転移してきた理由。
「母さんが、中二の冬に事故で亡くなったんです」
アルディスは、黙って聞いていた。
「それから、居場所がなくなって」
父親の再婚、継母との関係。
学校での孤立。
「誰も、僕を必要としてくれなかった」
アルディスが小さく頷く。
「……辛かったな」
「はい」
蒼太は、涙を堪える。
「母さんの一周忌の夜」
「僕、仏壇の前で『死にたい』って願ってしまったんです」
アルディスは、息を呑んだ。
「そしたら、気づいたらこの世界に」
「神社で、『ここじゃない場所に行きたい』って」
「母さんがいる場所に行きたいって」
「そう願った瞬間、光に包まれて」
蒼太の声が、震える。
「僕……逃げたんです。現実から」
アルディスは、蒼太の肩を抱いた。
「逃げたっていいんだよ」
「生きるために、逃げるのは悪いことじゃない」
蒼太が顔を上げる。
「でも……」
「お前は今、生きてる」
「それが大事なんだ」
アルディスが優しく言う。
蒼太の目から、涙が溢れた。
アルディスが、その涙を拭う。
「泣くな。お前は、よくここまで頑張った」
蒼太は、小さく頷いた。
焚き火が、パチパチと音を立てる。
沈黙が、また訪れた。
でも、今度の沈黙は。
温かい沈黙だった。
やがて、アルディスが口を開く。
「なあ、蒼太」
「はい」
「お前、帰りたいか?」
蒼太は、少し考えた。
そして、頷いた。
「……はい」
「母さんの墓参りを、したいです」
「ちゃんと、お別れを言いたい」
アルディスは、優しく微笑んだ。
「そうか」
「じゃあ、帰そう」
蒼太が驚いて顔を上げる。
「でも……」
「大丈夫だ。俺はお前が帰っても、やっていける」
アルディスが笑う。
「お前のおかげで、俺は生きる意味を見つけたんだ」
「お前が帰った後も、俺には弓がある」
蒼太は、涙が止まらなかった。
「アルディスさん……」
「お前の人生は、向こうにある」
「ここは、お前の世界じゃない」
アルディスが蒼太の頭を撫でる。
「俺が送り出してやる」
蒼太は、何も言えなかった。
ただ、泣くことしかできなかった。
アルディスは、蒼太を抱きしめた。
そして、二人は。
星空の下で、朝まで語り合った。
過去のこと。
これからのこと。
全てを、話した。
翌朝。
二人は、遺跡を後にした。
帰り道、蒼太が呟く。
「アルディスさん」
「ん?」
「僕、本当に帰っていいんですか?」
アルディスが笑う。
「いいんだ」
「お前の母さんも、きっとそう思ってる」
「ちゃんと別れを言って、前を向いて生きろって」
蒼太は、小さく頷いた。
胸の中には、まだ迷いがある。
本当に、帰っていいのか。
アルディスと離れて、いいのか。
でも。
アルディスは、笑っていた。
本当の笑顔で。
それが、蒼太の答えだった。
街に戻るまで、三日かかった。
その間、二人はいつも通り笑い合い、話し合った。
もう、隠し事はない。
全てを、分かち合っている。
それが、嬉しかった。
陽だまり荘に戻った夜。
アルディスは、蒼太に言った。
「冬になったら、また北の遺跡に行こう」
「今度は、門を開くために」
蒼太が頷く。
「はい」
アルディスが笑う。
「それまで、思い切り楽しもうぜ」
「一緒にいられる時間を、大切にしよう」
蒼太も、笑った。
「はい。一緒に」
二人は、その夜。
いつものように、シチューを食べた。
いつものように、ベッドに座った。
いつものように、おやすみを言った。
でも、その全てが。
これまでより、温かく感じた。
なぜなら、二人は。
もう何も隠していないから。
全てを分かち合っているから。
別れの日が近づいていることを、お互いに理解しているから。
だからこそ。
今を、大切にしようと思った。
窓の外では、木枯らしが吹いている。
冬は、もうすぐそこまで来ていた。
別れの季節が、近づいていた。
でも、二人は。
今は、笑い合っていた。
それで、良かった。




