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第十四話

「本当に大丈夫ですか?」


 リナが心配そうに尋ねる。

 ギルドの受付カウンターで、アルディスと蒼太そうたはBランクの討伐依頼を受け取ろうとしていた。


「大丈夫だ。こいつなら」


 アルディスは蒼太の肩を叩いた。


 西の大森林。Bランク指定区域。

 そこに巣食う巨大な魔物、ベヒモスの討伐依頼だ。


「でも、まだDランクですよ? ベヒモスはレベル六十八相当です」


 リナの声には、本気の心配が込められている。


「俺たちなら、やれます」


 蒼太が言った。

 その声には、確信があった。


 リナはしばらく二人を見つめ、それから小さくため息をついた。


「わかりました。二人なら、きっと大丈夫ですね」


 依頼書を手渡しながら、リナが笑顔を作る。


「気をつけて行ってきてください」

「ああ、行ってくる」



 西の大森林は、街から半日の距離にある。


 うっそうとした木々が空を覆い、昼でも薄暗い。

 足元にはこけが生え、湿った空気が肌にまとわりつく。


「...静かですね」


 蒼太が小声でつぶやく。


「ああ。ベヒモスの縄張なわばりに入ったからだ」


 アルディスは弓を構えたまま、周囲を警戒する。


「他の魔物が近づかない。ベヒモスを恐れて」


 二人は足音を殺して森の奥へ進む。


 やがて、開けた場所に出た。

 木が倒され、地面が荒れている。

 ベヒモスの巣だ。


 そして、その中央に。


 巨大な影が、ゆっくりと動いた。


「……でかい」


 蒼太が息をむ。


 全長十メートルはある。

 黒い毛皮に覆われた、巨大な熊。

 その目が、二人を捉えた。


「グオオオオオォォォッ!」


 咆哮ほうこうが森を揺るがす。

 木々が震え、鳥たちが一斉に飛び立つ。


 地響きと共に、ベヒモスが突進してくる。


「いつも通りだ。俺を信じろ」


 アルディスが冷静に言う。


「はい!」


 蒼太が短剣を抜き、身構える。



 ベヒモスの巨大な前足が、蒼太を叩きつぶそうと振り下ろされる。


「左へ!」


 アルディスの指示が飛ぶ。

 蒼太が左へ跳ぶ。

 前足が地面を叩き、土が爆発するように飛び散った。


 その瞬間、アルディスの矢がベヒモスの右目を射抜いた。


「ガアアッ!」


 ベヒモスが悲鳴を上げる。


「右前足の関節!」


 アルディスの声に、蒼太が一気に踏み込む。

 短剣が、ベヒモスの右前足の関節に突き立てられる。


 ベヒモスがひるむ。


 アルディスは次々と矢を放つ。

 左目、左前足、右後ろ足。

 すべての関節を正確に射抜いていく。


「回り込め!」


 蒼太が背後に回り込む。

 ベヒモスが振り返ろうとする。


「今だ、腹を!」


 蒼太が跳躍し、ベヒモスの腹部に短剣を突き立てた。

 炎の魔法をまとった刃が、深々と突き刺さる。


 ベヒモスが暴れる。

 巨大な尾が蒼太をぎ払おうとする。


「下がれ!」


 アルディスの声に、蒼太が跳び退く。

 尾が空を切る。


 アルディスの矢が、ベヒモスののどを射抜いた。


 ベヒモスの動きが止まる。

 巨体がゆっくりと傾き、地面に崩れ落ちた。


 戦闘終了。



 三十分の激闘だった。


 二人とも、息を切らして座り込む。


「ふぅ……やりました……」


 蒼太が額の汗を拭う。


「ああ。よくやった」


 アルディスも弓を下ろした。


 完璧な連携だった。

 蒼太の動きも、アルディスの指示も、すべてがみ合った。


 Bランク上位の魔物を、Dランクの二人で倒した。


 その瞬間、蒼太が虚空こくうを見つめた。


「あ……」


 その表情で、アルディスは察した。


 心臓が、嫌な音を立てた。


「上がったか?」


 アルディスは努めて平静を装って尋ねる。


「……はい」


 蒼太が小さく頷く。


「六十、です」


 静寂。


 森の中に、風の音だけが響く。


 レベル六十。


 一流と呼ばれる領域。

 多くの冒険者が一生かかっても到達できない場所。


 アルディスは、まだレベル五十四だ。


 六つ。


 蒼太との差が、六つも開いた。


「すごいな!」


 アルディスの口が、勝手に動いた。


 蒼太の肩を叩く。


「レベル六十なんて、十年選手でも到達できない奴がいるのに」


 笑顔。

 完璧な笑顔を作る。


「アルディスさんのおかげです」


 蒼太が謙虚けんきょに答える。


「違う。お前の才能だ」


 アルディスは言った。


「胸を張れ。お前は誇っていい」


 その言葉は、本心だった。

 確かに、蒼太を誇りに思っている。


 でも、同時に。


 胸が締め付けられるように苦しかった。


 蒼太はアルディスの顔を見上げる。

 その目には、尊敬と感謝が溢れている。


 アルディスは笑顔を保った。

 完璧な笑顔。


 でも、その目は。


 笑っていなかった。



 陽だまり荘に戻ったのは、夜だった。


 夕食を作り、二人で食べる。

 蒼太が嬉しそうに今日の戦いを振り返っている。


「アルディスさんの指示、本当にすごかったです」

「お前が動けるからだよ」


 アルディスは笑顔で応じた。


 でも、心の中では、別のことを考えていた。


 レベル六十。

 レベル五十四。


 その差が、頭の中で繰り返される。


 六つ。


 六つも、差がついた。


 夕食を終え、蒼太が先に寝た。

 疲れていたのか、すぐに寝息が聞こえてきた。


 アルディスは一人、椅子に座っていた。


 しばらくじっとしていたが、やがて立ち上がった。


 洗面所へ向かう。


 鏡を見る。


 そこには、引きつった笑顔の名残が映っていた。


 蒼太の前で作り続けた、完璧な笑顔。

 その仮面が、まだ顔に張り付いている。


 アルディスは水で顔を洗った。


 冷たい水が、顔を流れる。


 もう一度。


 また一度。


 何度洗っても、胸の苦しさは消えない。


 アルディスは、そのまま両手で顔を覆った。


「……っ」


 声が漏れそうになる。

 慌てて押し殺す。


 でも、涙は止められなかった。


 ぽたり、ぽたりと。

 涙が洗面台に落ちる。


 もう、追いつけない。


 六つも差がついた。


 俺が何年かかっても到達できない場所に、こいつは。


 たった半年で。


 届いてしまった。


 涙が止まらない。


 アルディスはひざをつき、床に座り込んだ。


 嗚咽おえつみ殺す。


 声を出してはいけない。

 蒼太に聞かれてはいけない。


 でも、涙は止まらなかった。


 俺は、何をしているんだ。


 蒼太の成長を、素直に喜べない。

 嬉しいはずなのに、嫉妬してしまう。


 役割を見つけたはずなのに。

 蒼太を勝たせることに意味を見出したはずなのに。


 レベルの差が広がるたび、心が引き裂かれる。


 俺は、結局。


 何も変わっていないのか。


 剣士時代、仲間の成長におびえていたあの頃と、同じなのか。


 アルディスは床に座り込んだまま、動けなかった。


 時間だけが、過ぎていく。


 洗面所の電灯が、冷たく顔を照らしている。


 胸が苦しい。

 息が詰まりそうだ。


 でも、声は出せない。

 泣くことすら、許されない。


 これは、俺の問題だ。

 蒼太のせいじゃない。


 アルディスは立ち上がろうとした。

 だが、足に力が入らない。


 また床に座り込む。


 どれくらい、そうしていただろうか。


 やがて、涙も枯れた。


 アルディスはゆっくりと立ち上がった。


 鏡を見る。

 目が赤い。


 水で顔を洗い、タオルでく。


 深呼吸。


 明日も、笑顔でいよう。


 蒼太の前では、頼れる師匠であり続けよう。


 それが、俺の役割だから。


 アルディスは洗面所を出た。


 蒼太の寝顔を確認する。

 穏やかに眠っている。


 何も知らない。

 俺の嫉妬も、苦しみも。


 それでいい。


 アルディスは自分のベッドに横になった。


 天井を見つめる。


 レベル六十。

 レベル五十四。


 その差が、胸を締め付け続ける。


 でも、もう泣けなかった。


 涙は、もう枯れていた。



 翌朝。


 アルディスは、いつもと同じように目を覚ました。


「おはようございます」


 蒼太が笑顔で挨拶してくる。


「ああ、おはよう」


 アルディスも笑顔で応じた。


 昨夜の涙の跡は、もう消えている。


「今日は、ギルドに報告ですね」

「ああ。それから、装備の補充もしないとな」


 二人は朝食を済ませ、ギルドへ向かった。



 ギルドに入ると、リナが待っていた。


「おかえりなさい! 無事でしたか?」


 リナの声は明るい。


「ああ。無事だ」


 アルディスが報告書を提出する。


「ベヒモス討伐、完了しました」


 リナが報告書に目を通し、それから目を見開いた。


「本当に……倒したんですか?」

「ああ」


 リナは二人を見つめ、それから笑顔を浮かべた。


「すごいです! 蒼太君、レベル六十おめでとうございます!」


 その声に、周囲の冒険者たちがざわめいた。


「六十? あの少年が?」

「半年前はレベル一だったのに」

「化け物だな」


 そんな声が聞こえてくる。


 蒼太が気まずそうにうつむいた。


「胸を張れ。お前は誇っていい」


 アルディスが蒼太の肩を叩く。


「……はい」


 蒼太が小さく頷く。


 だが、その表情には、喜びよりも戸惑とまどいが勝っていた。



 報酬を受け取り、二人はギルドを出た。


 街を歩きながら、蒼太が小声で言った。


「アルディスさん」

「ん?」


「俺、レベル六十になりました。でも……嬉しくないんです」


 その言葉に、アルディスは驚いて蒼太を見た。


「何を言ってるんだ。お前が頑張った結果だろう」

「でも、アルディスさんは……」


 蒼太が言いかける。


 だが、アルディスがそれをさえぎった。


「俺のことは気にするな」


 笑顔。

 完璧な笑顔を作る。


「お前が強くなることは、俺の誇りだ」


 その言葉は、本心だった。

 確かに、蒼太を誇りに思っている。


 でも、同時に。


 胸が締め付けられるように苦しかった。


「さあ、装備屋に行こう。お前の短剣、もうそろそろ限界だろう」

「……はい」


 蒼太は何か言いたげだったが、結局何も言わなかった。



 その夜。


 陽だまり荘の部屋で、二人は夕食を食べていた。


 アルディスが作ったシチュー。

 いつもの味。


 でも、何かが違う。


 会話が続かない。

 お互いに何かを言いたいが、言えない。


 気まずい沈黙だけが流れる。


「美味しいです」


 蒼太が小さく言う。


「そうか」


 アルディスも小さく答える。


 それ以上、言葉が続かなかった。


 夕食を終え、蒼太が先に寝た。


 アルディスは一人、窓辺に立った。


 月が、街を照らしている。


 胸に手を当てる。


 嫉妬が、そこにある。

 消えない。


 役割を見つけた。

 蒼太を勝たせることに意味を見出した。


 でも、レベルの差が広がるたびに、心が引き裂かれる。


 もう、限界かもしれない。


 この嫉妬を、いつまで隠し通せるだろうか。


 アルディスは深く息を吐いた。


 窓の外では、月が静かに輝いている。


 何も答えてくれない月を、アルディスはただ見つめていた。


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