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第十二話

 王都の宿。

 窓から見える夜景は、いつも通り美しかった。

 石畳の通りを照らす街灯の列が、まるで星が地上に降りてきたかのように輝いている。遠くから聞こえる馬車の音、酔客の笑い声、夜警の足音。

 王都は、眠らない。


 エリカは小さな宿の部屋で、一人赤ワインを傾けていた。

 グラスの中で、赤い液体が揺れている。

 窓辺の小さなテーブル。一人分の椅子。


 今日は久しぶりに、故郷の街に帰っていた。

 宮廷魔法使いの研修の合間を縫って、ギルドに顔を出す。それが最近の、エリカのささやかな楽しみだった。


 そして、そこで会った。

 アルディスに。


 あの顔が、忘れられない。


 蒼太という少年を見る目。

 守るべきものができた、という確信に満ちた目。

 かつて、自分を見てくれなかった目。


 エリカはグラスを唇に運んだ。

 ワインの苦みが、喉を通っていく。


 ギルドで再会した時、エリカの心臓は跳ね上がった。

 三ヶ月ぶりのアルディス。

 解散の時は、あんなにやつれた顔をしていたのに。


 今度会った時こそ、声をかけよう。

 言えなかった気持ちを、伝えよう。


 そう思っていた。

 だが、現実は違った。


 アルディスの隣には、櫻井蒼太という少年がいた。

 弟子だと言っていた。

 でも、エリカには分かった。


 あれは、ただの弟子ではない。

 アルディスにとって、大切な存在だ。


 蒼太を見る目が、優しかった。

 頭を撫でる手が、自然だった。

 二人の間には、言葉にならない信頼関係があった。


 そして、何より。


 アルディスの顔が、幸せそうだった。


 かつて「俺なんて」が口癖だった男。

 いつも自分を卑下して、誰かの顔色をうかがっていた男。

 そのアルディスが、堂々としていた。


 胸を張って、「弟子だ」と言った。

 ヴォルフの誘いを、断った。

 「今は、こいつを育てることに集中したいんだ」と。


 あの時のアルディスは、エリカが知っている男とは別人だった。


 成長したんだ。

 変わったんだ。


 そして、その変化に、私はいなかった。



 エリカはグラスを置いた。

 窓の外を見つめる。


 思い出すのは、七年前。

 パーティ「銀の翼」を結成した日のこと。


 ヴォルフがリーダーになり、ドランが僧侶として加わり、エリカが魔法使いとして参加した。

 そして、最後に加わったのがアルディスだった。


 剣士のアルディス。

 当時二十二歳。

 物静かで、真面目で、でもどこか自信がなさそうな男。


 最初に会った時、エリカは思った。

 この人、放っておけないな、と。


 パーティでの日々が始まった。

 朝の訓練。依頼の遂行。夜の酒場での団欒だんらん


 アルディスは、いつも一歩引いていた。

 「俺なんて」「すまない」が口癖で、自分を卑下ばかりしていた。


 でも、エリカは知っていた。

 アルディスが、誰よりも努力していることを。

 朝早くから訓練し、夜遅くまで剣の手入れをしていることを。


 不器用だけど、誠実な男。

 弱いように見えて、芯の強い男。


 いつの間にか、エリカはアルディスを見ていた。


 告白しようと思ったことは、何度もあった。

 でも、タイミングが掴めなかった。


 アルディスはいつも、自分のレベルが上がらないことに悩んでいた。

 「俺が弱いせいで、みんなの足を引っ張っている」と。


 そんなアルディスに、恋の話をするのは酷だと思った。

 まずは、アルディスが自分に自信を持つこと。

 それからでも、遅くない。


 そう思っていた。

 でも、結局。


 告白する機会は、来なかった。


 パーティは解散した。

 アルディスは一人になった。


 あの夜、エリカは思った。

 今度会った時こそ、伝えよう。

 次に会う時は、きっとアルディスも変わっているはずだから。


 そして、今日。

 本当に、アルディスは変わっていた。


 でも、その変化は、エリカとは関係のないところで起きていた。



 エリカは立ち上がった。

 窓を開けると、夜風が部屋に流れ込んでくる。

 冷たい空気が、頬を撫でていった。


 思い出すのは、解散の夜。


 酒場で、四人で最後の乾杯をした。

 みんな泣いていた。

 エリカも泣いた。


 だが、涙の理由は、他の三人とは少し違った。


 ヴォルフやドランは、仲間との別れを惜しんでいた。

 アルディスは、自分の無力さに泣いていた。


 でも、エリカは。

 伝えられなかった想いに、泣いていた。


 言えなかった。

 七年間、ずっと。


 「好きだった」と。



 エリカは窓辺に立ち、夜空を見上げた。

 星が、いくつも輝いている。


 ギルドでアルディスと再会した時、エリカは気づいた。


 もう、遅い。


 アルディスには、蒼太がいる。

 守るべき存在がいる。

 生きる目的がある。


 そこに、私の入る隙間はない。


 そして、何より。


 アルディスの幸せそうな顔を見た時、エリカは思った。


 これでいいんだ、と。


 アルディスが幸せなら、それでいい。

 たとえ、その幸せに自分がいなくても。



 翌朝。


 エリカは宮廷魔法使いの研修所に向かった。

 王都の中心部にある、白い石造りの建物。

 ここで、エリカは魔法の高等技術を学んでいる。


 研修所の廊下を歩いていると、先輩魔法使いのセシリアに声をかけられた。


「あら、エリカ。おはよう」

「おはようございます、セシリア先輩」


 セシリアは、エリカより五歳年上の魔法使いだ。

 金髪を高く結い上げ、いつも優雅な立ち振る舞いをしている。


「昨日は故郷に帰っていたんでしょう? どうだった?」

「ええ、久しぶりに懐かしい顔を見ました」


 エリカは笑顔で答えた。

 だが、その笑顔がどこか硬いことに、セシリアは気づいたようだ。


「何かあった?」

「いえ、別に」

「嘘ね。顔に出てるわよ」


 セシリアは鋭い。

 エリカは小さくため息をついた。


「……昔の仲間に会ったんです」

「ああ、冒険者時代の?」

「はい」


 二人は研修室へ向かいながら、歩く。


「それで、何かあったの?」


 セシリアが優しく聞いてくる。

 エリカは少し迷ったが、正直に答えた。


「昔、好きだった人がいたんです」

「あら」


 セシリアが興味深そうに目を輝かせる。


「でも、結局、告白できないまま別れました」

「それで、昨日再会したの?」

「ええ。でも……もう、遅かったみたいです」


 エリカは苦笑した。


「彼には、大切な人ができていました。幸せそうでした」


 セシリアは少し黙って、それからぽんとエリカの肩を叩いた。


「そう。辛かったわね」

「いえ、大丈夫です」


 エリカは首を横に振った。


「むしろ、良かったと思ってます」

「良かった?」

「ええ。彼が幸せそうだったから」


 その言葉に、嘘はなかった。


 確かに、寂しい。

 確かに、悔しい。


 でも、アルディスの幸せそうな顔を見た時、エリカは心から思った。

 良かった、と。


 あの人は、自分の居場所を見つけたんだ。

 それでいい。


「エリカ、あなた強いわね」


 セシリアが感心したように言う。


「強くなんて、ないです。ただ……」


 エリカは窓の外を見た。

 青い空が、どこまでも広がっている。


「もう、終わった恋なんです」



 午後の訓練が終わり、エリカは研修所の屋上に上がった。


 ここは、研修生たちの憩いの場だ。

 誰もいない時間を狙って、エリカはよくここに来る。


 屋上からは、王都の街並みが一望できる。

 夕日が、街を赤く染めていた。


 エリカは手すりに寄りかかり、空を見上げた。


 思い出すのは、アルディスの顔。

 七年間、ずっと見ていた顔。


 不器用で、自信がなくて、でも優しかった。


 今はきっと、もっと強くなっているんだろう。

 蒼太という少年のために。


 エリカは小さく笑った。


「ありがとう、アルディス」


 誰に聞かれるわけでもない。

 ただ、風に向かって呟く。


「あなたの幸せそうな顔、見られて良かった」


 涙が一筋、頬を伝った。

 でも、悲しくはなかった。


 むしろ、ほっとしていた。


 七年間、ずっと心の中で抱えていた想い。

 それが、ようやく終わりを迎えた。


 アルディスは、もう私を必要としていない。

 それは、寂しいことだけど。


 でも、良いことでもある。


 アルディス。

 あなたは、自分の翼を見つけたんだ。

 それは、弓という武器。

 そして、蒼太という相棒。


 私には、もう何もしてあげられない。

 でも、それでいい。


 エリカは涙を拭った。

 夕日が眩しくて、目を細める。


 私も、前を向かないと。


 アルディスには、蒼太がいる。

 ヴォルフには、実家の家業がある。

 ドランには、教会の仕事がある。


 そして、私には。


 エリカは自分の手を見つめた。

 魔法使いの手。

 この手で、これから何ができるだろう。


 宮廷魔法使いとして、王国のために働く。

 それも、悪くないかもしれない。


 姉のように、立派な魔法使いになる。

 それが、今の私の目標だ。


 いつか、誰かに恋をする日が来るかもしれない。

 でも、今は、自分の道を歩む。


 エリカは深呼吸をした。

 夕日が、ゆっくりと沈んでいく。


 終わった恋。

 でも、それは終わりではなく、始まりなのかもしれない。


 新しい人生の、スタート地点。



 その夜、エリカは宿の部屋で手紙を書いた。


 宛先は、ヴォルフとドラン。

 アルディスには、書かなかった。

 書けなかった。


 ヴォルフへ。


 久しぶりに会えて嬉しかったです。

 アルディスのこと、見守っていてあげてください。

 彼は、ようやく自分の道を見つけたんです。


 私は、王都での研修に集中します。

 また会える日を、楽しみにしています。


 エリカ


 ドランへ。


 あなたの落ち着いた様子を見て、安心しました。

 教会の仕事、頑張ってくださいね。

 私も、魔法使いとして、頑張ります。


 いつか、また四人で集まれたらいいですね。

 その時は、きっとみんな違う道を歩いているでしょうけど。


 エリカ


 手紙を書き終えて、エリカは封筒に入れた。

 明日、郵便局に出そう。


 窓の外では、月が昇り始めていた。

 静かな夜。


 エリカは、ベッドに横になった。

 天井を見つめながら、ふと思った。


 私は、本当に諦められたのだろうか。


 アルディスへの想い。

 七年間、ずっと抱えていた気持ち。


 それが、一日で消えるわけがない。


 でも、それでいい。


 少しずつ、忘れていけばいい。

 時間が、きっとこの傷を癒してくれる。


 そして、いつか。

 アルディスのことを、ただの「昔の仲間」として思い出せる日が来る。


 その日まで、私は前を向いて歩き続ける。



 翌朝。


 エリカは、いつも通りに研修所へ向かった。

 朝日が、王都の街を照らしている。


 新しい一日。

 新しい人生。


 エリカは胸を張って、歩き出した。


 アルディス。

 あなたの幸せを、心から願っています。

 そして、いつか。

 私も、あなたのように幸せになれる日が来ると信じています。


 さようなら、私の初恋。

 ありがとう、大切な思い出。


 そして、こんにちは、新しい私。


 エリカの頬を、朝の風が優しく撫でていった。


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