第十話
東の洞窟へ向かう朝、空は雲一つない快晴だった。
アルディスと蒼太は並んで森の道を歩いている。鳥のさえずりが響き、木々の間から差し込む朝日が、二人の影を長く伸ばしていた。
いつもなら、こんな朝は気持ちがいい。蒼太が何か話しかけてきて、それに答えて、他愛のない会話を楽しむ。
でも、今日は違う。
二人とも、言葉少ない。
「……今日のダンジョン、オークが出るって聞きました」
蒼太が小さく口を開いた。
「ああ。Cランクだが、数が多いらしい」
アルディスが短く応じる。
会話が、そこで途切れた。
蒼太が何か言いたそうにしているが、結局何も言わない。
アルディスも、何を話せばいいのかわからなかった。
この微妙な距離感が、いつから始まったのだろう。
一週間前か。
それとも、もっと前からか。
気がつけば、二人の間には見えない壁ができていた。
東の洞窟に到着したのは、午前中だった。
入口は暗く、ひんやりとした空気が流れている。
アルディスが弓を構え、蒼太が短剣を抜く。
二人は慎重に洞窟の中へと進んだ。
しばらく歩くと、通路の奥から重い足音が聞こえてきた。
「来ます」
蒼太が小声で告げる。
「ああ。気をつけろ」
アルディスが矢をつがえた。
通路の曲がり角から、巨大な影が現れる。
オーク。
全長2メートルを超える、筋肉質の魔物だ。手には粗末な斧を握り、牙を剥き出しにして唸っている。
そして、その後ろにさらに4体。
合計5体のオークが、二人を睨んでいた。
「数が多いですね」
蒼太が呟く。
「お前が前に出ろ。俺が援護する」
アルディスが冷静に指示を出す。
「はい!」
蒼太が駆け出した。
身体強化魔法を発動し、赤い残像を残しながら最も近いオークへ突進する。
オークが斧を振り下ろすが、蒼太はその軌道を読み切って回避。
そのまま懐に潜り込み、短剣を腹部に突き立てた。
炎の魔法を纏った刃が、オークの肉を焼く。
「グオオオッ!」
オークが悲鳴を上げて倒れる。
だが、残りの4体が一斉に襲いかかってきた。
その瞬間、アルディスの矢が飛んだ。
右から迫るオークの足を射抜く。
オークがバランスを崩し、転倒する。
「ナイスです!」
蒼太が叫びながら、次のオークへ向かう。
2体目、3体目を瞬く間に切り伏せる。
その動きは、流れるように滑らか。
無駄がない。
アルディスはもう一本矢を放つ。
転倒していたオークの首を射抜いた。
残るは一体。
蒼太が最後のオークに魔法剣の一撃を浴びせる。
オークが真っ二つに割れて倒れた。
戦闘終了。
わずか3分だった。
「ふぅ……」
蒼太が息を整えながら振り返る。
「やりましたね、アルディスさん!」
その笑顔は、達成感に満ちていた。
「ああ。よくやった」
アルディスも笑顔で応じる。
だが、その笑顔の裏で、心が軋んでいた。
俺の矢は、2本しか放っていない。
蒼太が倒したのは4体。
俺が倒したのは1体だけだ。
俺は……本当に必要だったのか?
その疑問が、胸の奥で渦巻く。
ダンジョンの奥にある安全地帯で、二人は休憩を取った。
小さな空間に、魔法の明かりが灯っている。
アルディスが持参した昼食を取り出し、蒼太と分け合う。
パンとチーズと、干し肉。
質素だが、運動後には十分だ。
蒼太がパンを齧りながら、ちらりとアルディスを見た。
何度か視線を向けては、また逸らす。
何か言いたそうだ。
しばらくして、蒼太が意を決したように口を開いた。
「あの……アルディスさん」
「ん?」
「最近、元気ないですか?」
その言葉に、アルディスの手が一瞬止まった。
パンを持ったまま、固まる。
「……気のせいだよ」
アルディスは笑顔を作った。
だが、その笑顔がどこか硬いことに、自分でも気づいている。
「でも、なんか……顔色が悪いというか」
蒼太が心配そうに続ける。
「お前が心配することじゃない」
アルディスは優しく言った。
「お前が強くなって、俺は嬉しいよ。本当だ」
その言葉は、嘘ではなかった。
確かに嬉しい。
蒼太の成長を、誇りに思っている。
でも、同時に。
怖い。
その感情も、確かにある。
二つの感情が、胸の中で混ざり合っている。
「……そうですか」
蒼太は納得していない表情だった。
でも、それ以上は聞いてこなかった。
蒼太も、何かを察したのかもしれない。
二人は再び、黙ってパンを食べ始めた。
沈黙が、洞窟の中に響く。
蒼太は、アルディスの横顔を見つめた。
いつもの優しい顔。
でも、最近、何かが違う。
笑顔が、少し硬い。
目の下に、うっすらと隈がある。
元気がないというか、疲れているというか。
僕、何かしちゃったかな。
そんな不安が、蒼太の胸を締め付ける。
蒼太は虚空を見つめ、自分のスキルを発動させた。
真理の眼。
アルディスのステータスが、頭上に浮かび上がる。
[アルディス・フェルナンド Lv49]
[HP: 682/682]
[MP: 245/245]
[弓適性: S+]
ステータスは、変わっていない。
レベルも、体力も、すべて正常だ。
だが、蒼太にはわかる。
見えないものがある。
心までは、見えない。
アルディスが何を考えているのか。
何に悩んでいるのか。
真理の眼では、それを知ることはできない。
聞きたい。
でも、聞いたら……何かが壊れそうで怖い。
蒼太は視線を逸らし、パンを齧った。
味がしなかった。
休憩を終え、二人はダンジョンを後にした。
洞窟の出口から差し込む午後の陽射しが、二人を迎えてくれる。
森の道を、二人並んで歩く。
以前なら、この帰り道が楽しかった。
今日の戦いを振り返り、お互いの動きを褒め合い、次のクエストの話をする。
そんな何気ない会話が、心地よかった。
でも、今日は違う。
お互いに沈黙が多い。
蒼太が何度か話しかけようとするが、言葉が出てこない。
アルディスも、何を話せばいいのかわからなかった。
「あの……」
蒼太が口を開きかけた。
「ん?」
アルディスが振り返る。
その目が、蒼太を見つめる。
優しい目だ。
でも、その奥に、何か隠しているような気がした。
「……いえ、何でもないです」
蒼太は言葉を飲み込んだ。
言えない。
聞いたら、アルディスさんを責めているみたいだ。
僕が何か悪いことをしたんじゃないか、って疑っているみたいだ。
「……そうか」
アルディスが前を向く。
こいつも、何か気づいているのか?
アルディスは思った。
俺の心の内を、見透かされているんじゃないか。
この気まずい空気は、俺が作り出しているんだ。
でも、どうすればいいのかわからない。
二人は並んで歩き続けた。
言葉少なく。
それぞれの胸に、言えない思いを抱えながら。
陽だまり荘に戻ったのは、夕方だった。
二人で部屋に入り、装備を整理する。
アルディスが台所に立ち、夕食の準備を始めた。
いつものシチュー。
野菜と肉を煮込み、塩で味を調える。
蒼太が皿を洗いながら、その背中を見ていた。
いつもと同じ光景。
でも、何かが違う。
シチューが出来上がり、二人でテーブルに座る。
湯気が立ち上り、良い匂いが部屋を満たす。
「いただきます」
蒼太が箸を合わせる。
一口食べて、いつものように言った。
「美味しいです」
「そうか」
アルディスの返事は、短い。
会話が、そこで途切れる。
いつもなら、もっと会話が弾むはずなのに。
蒼太が何か話そうとするが、言葉が出てこない。
アルディスも、黙々とシチューを食べている。
お互いに、何かを隠している。
それがわかっているのに、どちらも口に出せない。
気まずい沈黙が、部屋を支配していた。
夕食を終え、蒼太が先に寝た。
アルディスは一人、窓辺に立っていた。
月明かりが部屋を照らし、蒼太の寝顔を優しく包んでいる。
アルディスは、自分の手のひらを見つめた。
弓を引く手。
矢をつがえる手。
この手で、俺は何を守っているんだろう。
ふと、ある思考が頭をよぎった。
俺は、こいつに依存している。
その気づきが、胸を締め付けた。
蒼太がいなくなったら、俺は……
かつて、パーティを解散した時の孤独が蘇る。
あの時の空虚な感覚。
何者でもなくなった自分。
誰にも必要とされない自分。
また、独りになるのか?
その恐怖が、アルディスを襲う。
手のひらを握りしめる。
弓を引く手。
この手は、こいつを守れているのか?
それとも、ただ縋りついているだけなのか?
自分では、もうわからなかった。
アルディスは窓辺に立ち続けた。
月が、静かに街を照らしている。
その光が、とても冷たく感じられた。
同じ頃、蒼太は浅い眠りの中にいた。
夢を見ている。
広い草原。
アルディスの背中が、遠くに見える。
「アルディスさん!」
蒼太が叫ぶ。
でも、アルディスは振り返らない。
そのまま、どんどん遠ざかっていく。
「待ってください!」
蒼太が走る。
でも、追いつけない。
足が重い。
声が届かない。
アルディスの背中が、どんどん小さくなっていく。
やがて、視界から消えてしまった。
「待って……!」
蒼太が目を覚ました。
汗をかいている。
心臓が早鐘を打っている。
夢だ。
ただの夢だ。
蒼太は深呼吸をして、落ち着こうとした。
そして、隣のベッドを見る。
アルディスは、いない。
ベッドは空だった。
蒼太が慌てて起き上がる。
部屋を見回すと、窓辺にアルディスの姿があった。
月明かりに照らされたその背中が、とても寂しそうに見えた。
蒼太は声をかけようとした。
でも、言葉が出てこない。
何を言えばいいのかわからなかった。
ただ、アルディスの背中を見つめ続けた。
その背中が、夢の中で遠ざかっていった姿と重なる。
怖い。
その感情が、蒼太の胸を締め付けた。
アルディスさんが、遠くに行ってしまいそうだ。
僕の手の届かないところへ。
でも、どうすればいいのかわからない。
何を言えばいいのかわからない。
蒼太は再びベッドに横になった。
だが、眠れなかった。
ただ、天井を見つめ続けた。
翌朝。
アルディスは、いつもと同じように朝食を作った。
蒼太も、いつもと同じように起きてきた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
二人は笑顔で挨拶を交わす。
いつもと同じ光景。
でも、その笑顔の裏に、お互いが何かを隠していることを、二人とも知っていた。
朝食を食べながら、蒼太がふと口を開いた。
「今日は、どこに行きますか?」
「北の森だ。薬草採取の依頼がある」
「わかりました」
会話は、そこで途切れた。
二人の間に、見えない壁ができている。
お互いに相手を思いやるあまり、本音を言えなくなっている。
このすれ違いが、やがて大きな転機を迎える。
だが、その時はまだ来ない。
二人は朝食を済ませ、街を出た。
朝日が二人を照らしている。
でも、その光は、二人の間にできた壁を照らすことはなかった。
物語は、まだ続く。




