第36話 「世間話」
視線を向けた先には鎖骨辺りまで白いひげを蓄えた老人が立っていた。
「まさかその書物を読む者がまだいてくれるとは…」
「あ、これは…その…」
慌てて読んでいた本を閉じ、膝上に置いて様子を伺う。
「ドラゴンに興味があるのかい?お嬢さん、ここらじゃ見かけないようだが…」
「えっと…」
顔を見られないようにフードを被り直し、返答に困っている怪しい私を見てこのご老人は優しく微笑みかけてくれていた。
「すまない、申し遅れた。わしはこのアライア教会書庫の司書をしているエヴァンスだ。君の名を聞いてもいいかね?」
余裕のある話し方とその落ち着く声色に自然と緊張がほぐれていった。
「フェリスです…」
「フェリス…幸せという意味か、良い名だ。して、フェリスはドラゴンに興味が?」
「興味…とは違いますが…」
「ではその姿を見たことはあるかね?」
「いえ…ありません…」
「そうか、この世界においてドラゴンはその存在すら忘れかけられておるからのう。もう一度だけで良いから、拝んでみたいものじゃ」
「もう一度って…もしかしてドラゴンを見たことがあるのですか?」
エヴァンスさんはまるで遠い過去を思い出すように、懐かしむように天窓を見つめ、その白ひげを撫でている。
「もう何十年も前だがな、ここから遥か北の『霊峰スノーフィーネ』に位置する守護獣の村を訪れた時に見たのだが、それはもう美しかった…今もおるのかは分からぬが…」
霊峰スノーフィーネ…まさかそれって…
ということは、あの氷檻のドラゴンのこと…?
「一昔前は各地にドラゴンもおったようだが、今では絶滅した種がほとんど。この時代の記憶からも薄れかけている存在と言えよう。」
「そうなんですか…」
「だから君のような若者がその書物を手に取っていたのが珍しくてな。つい声をかけてしまったのだ。」
「あの…ドラゴンはどうして絶滅してしまったのでしょうか…?」
「ふむ…理由は分からぬが、突然姿を消したと話す者もおるようだ。」
「突然…」
村のドラゴンとラズリ…私の知るドラゴン以外はもういないのかもしれない…
「ある一族の力で消されたという話も聞いたことがあるぞ」
「ある一族?」
「呪われた力を持つと言われておる一族だ。」
「………。」
その先を聞こうとはしなかった。
呪われた力…その一言でもう答えはわかった。
「フェリスちゃーん!」
静けさに包まれていた書庫内に大きな声が響き渡った。
「フェリスちゃん、まだ読みたいものは…あら、エヴァンスさん!」
「ハーデリアンさんではありませんか。このお嬢さんは貴女のお連れ様でしたか」
「そうなんだよ。昨夜、人攫いに襲われていたところを息子が助けたようでね」
「なんと…今城下で指名手配されている者達がいると聞いていたが…無事で良かった」
この二人は知り合いのようで、世間話が進んでいた。
私は手に取っていた本をどうしたものかと手持ち無沙汰にしている。
「あの、お話を聞かせていただいてありがとうございました…」
「いやいや、老人の戯言を聞いてくれてありがとうよ。他の書物は読まなくても良いのかね?」
「はい、また読みに来ますので…」
「じゃあまた、バカ息子の旅路の支度もあるからさ!」
おばさんに連れられ書庫を後にしようとする前、私はもう一度エヴァンスさんに向いて深く一礼をした。
「フードで良く見えなかったが、どことなく面影が…まさかな…」
二人を見送ったエヴァンスは視線をゆっくりと地下牢へ続く鉄格子に向けた。




