第1話 フェリス
聞こえてくるのは哀愁漂う乾いた風と、それに押されて軋む板の音。静かで孤独。かつては栄えていたのであろうこの廃村は、もう人が寄りつくことはなくなっていた。
生きることをやめた足音。
無造作に伸びきった瑠璃色の髪を風に任せるが、頭上には容赦なく冷たい雪が降り積もっていく。
「…………。」
焼き付いた記憶が…思い出したくないあの光景が…
脳を逆撫でするように、走っていく。
「………さん……‼…………あさん………‼」
罵声と怒号に囲まれ、手足を鎖で繋がれながらも優しい笑顔を向けてくれる母の姿が…
「おかあさんッ‼」
「必ず…あなたを助けてくれる人に出会えるから…」
どうして私達がこんな目に合わなくちゃいけないの?
何も……悪いことなんて何もしていないのに…
「お願い……やめてぇ…」
固く閉ざされた氷檻の隙間から必死に手を伸ばすも、その手が大好きな母に届くことはなかった。
「ア…アァ……」
「…愛してるわ………これからもずっと…」
ゴァ"ァ"ァァ"ァ"ァァッ!!!!
「お母さぁぁ"ぁ"ぁ"ぁん"ッ‼」
耳を切り裂かれるような咆哮と、涙で歪む視界から母の姿を遮る大きな翼を見たのを最後に、私は白い花の平原に立っていた。
「………オカアサン…?」
目が覚めると、小窓の外に沈みかけていく夕日が見えた。目に夕日が入り、少しの痛みを感じながら辺りを見渡す。
「んん~~……っプハァッ‼」
目一杯の背伸びとため息を一つ。木製の椅子から立ち上がり、母を探しにいつものところへ。
「ふわぁ…良い匂い…」
匂いを辿り、台所へ向かうと全身が安堵したような気になれた。くべた薪から聞こえる火が鳴る音。匂いの正体は母の作るシチューだった。
「あ、やっと起きたのねフェリス。今日はオオツメドリの肉を入れたシチューよ」
「オオツメドリ?!私大好き‼」
鍋の中を覗き込み、思わず口が緩んでしまう匂いを一気に吸い込む。
「ねぇおかあさん、1口だけちょーだい!」
「こら、お行儀悪いわよ。いいからお皿の用意をしてきてちょうだい」
「はぁい」
母は料理が上手だった。母に習って色々な料理を教えてもらってはいるが、到底及ばない。
「うまっ‼」
「言葉遣い。女の子がそんな言葉を使っちゃダメよ」
母はとても厳しい人だった。でも決して母の言うことが間違っているとは思ったことはない。
「おいし~い‼」
オオツメドリの肉には成長作用もある。10歳になった子どものいる家庭では少し贅沢ではあるが、よく使われている食材なのだ。
「私のも食べていいわよ」
「え、いいの?!」
「もうお母さんの背は伸びないしね」
「やったーー‼」
母がフォークで刺してくれた肉を、私は身を乗り出して大きな口を開けた。
「うま~‼」
「フェリス、言葉遣い」
「うまし~い‼」
「クスッなによそれ(笑)」
母が笑顔になってくれるだけで、胸のどこかが嬉しくなる。
温かいシチューを食べ終わり、入浴の準備を進めていく。
寝巻きと髪止め、忘れ物をしたらまた取りに戻らないといないので入念に準備をしておかなくては…
「お母さーんまだ~?」
「はいはい、お待たせ」
私達が住むここは「プロト村」。
「アラシア大陸」の北に位置する「霊峰スノーフィーネ」の峡谷に位置し、一年を通して雪が降り積もる人口およそ100人にも満たない小さな村だ。
時折、村の外から冒険者が訪れたりと外部の人間が来ることもあるが、ほぼ孤立した村と言ってもいい。
「うぅ〜…寒い…」
見渡せばどこもかしこも雪が積もった茅葺き屋根だらけ。
所々で毛皮が分厚いケガワウシが柵に囲まれ、家畜として大切に育てられている。
この村でも一級品の特産である毛皮が取れ、防具や家具など使い道は様々だ。
さらにその肉は上物で、時折王都の使者がこの国の国王に献上するため、片道2日をかけて買いに来るほど。
この寒冷地域の条件が合っているのだろうか、はたまた餌となる近辺で採取できるスノウベリーによるものか。
繊細と言われているケガワウシを家畜として育てることが可能なのはこの「プロト村」のみと言われている。
「見えてきた!」
この村の中心にはには大きな大衆浴場がある。
極寒の中、家畜の世話を終えた村の人々はここで日々の疲れを癒しにきているのだ。
母と手を繋ぎ、鼻歌混じりに浴場へ向かっていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「おーいフェリス‼」
「げ、イリアン」
「げって何だよ。げって」
この相変わらずうるさいのは「イリアン」
少し癖の入った金髪をしていて一応、私の幼なじみだ。数少ない村の子どもの一人で、その中でもイリアンは村長の孫ということもあり、次期村長候補の一人だ。
「今から浴場に行くんだろう?一緒に入ろうぜ!」
昔から一緒に入ってきた仲でもあるけれど、私達はもう10歳なんだ。
「何言ってるの、イリアンのエッチ」
「え…?」
困惑するイリアンを横目に、女浴場へと入っていった。
「あら、イリアンとはもう一緒に入らないの?」
「入るわけないじゃん‼もう10歳なんだから‼」
別にイリアンはただの幼なじみで、特別な感情があるわけでもない。
ずっと当たり前のように隣にいる存在なだけ。
服を脱ぎ終え、大風呂に1日の疲れを溶け込ませていく。
「ふわぁ……あったかぁ…」
「風邪引くから、ちゃんと肩まで浸かるのよ」
先に身体を洗っている母の後ろで、だらしなく大の字で湯船に沈む私。
温かいお湯の中で身体を存分に伸ばせるのはなんて幸せなのだろうか。
湯に長い瑠璃色の髪が入っているのも気にせず、10歳ながら幸せについての理論を考えていた。
「こら、湯船に髪を入れちゃダメよ」
「わかってるよぉ…」
温まる身体を起こし、髪を結んでいると母が隣にゆっくり座り込んできた。
その時ふと視界に入った疑問について、何気なく尋ねてみる。
「ねぇお母さん?」
「どうしたの?」
「その耳飾り、お風呂の時も寝る時もずっと付けてるけど外さないの?」
それは瑠璃色に光る小さな結晶の付いた耳飾り。
物心付いた頃から母が肌身離さず付けているのを見てきたが、外しているところを見たことはなかった。
「これ?」
淡く光る耳飾りに軽く触れ、何かを思い出しているような表情で俯いている母。
「……」
「お母さん?」
何かを躊躇っているのか、口を開かずただ俯いている。
何か聞いてはいけない事だったのかもしれない。
今まで当たり前のように視界に入っていたから聞くことも無かったが、母にとってそれは特別な物だったのかも…
「私とお母さんの目とか髪の色と同じ…だよね…?」
「そうね、フェリス、この耳飾りは…」
「ねぇ、あの噂聞いた?」
外部から訪れた冒険者だろうか。
見慣れない女性達が湯に浸かりながら話している声が聞こえてきた。
「セレニス大陸で五神獣の一体が復活したって噂でしょ?」
「そう、何者かが封印を解いたとかって…」
この村に住んでいると、外の世界のことは何もわからない。
村の入口となっている頑丈な門より外はまだ行ったこともないし、村の掟で15歳になるまで出ることは許されていない。
だからこうして時々訪れる冒険者の噂話だけが外部と繋がる唯一の方法なのだ。
でも、五神獣という名前には聞き覚えがある。
「お母さん、五神獣ってもしかして…」
「その話をここでしてはダメ、いつも言ってるでしょ。」
母の瑠璃色の目が私に言い聞かせてくる。
「う、うん…」
話をしていた冒険者達が湯から出ていくのを見て、母はもう一度口を開いた。
「フェリス、その話は外の人間に聞かれてはいけないの。この村の掟であり、私達家族の…」
キュアアアアアアアァッ!!
その瞬間、辺りに甲高い獣の鳴き声が響き渡った。
「…?!」
「こ、この声って…」
何度も何度も鳴り響く獣の声。
まるで苦しんでいるような、悲痛に叫ぶような声だった。
「フェリス、貴方は先に家に戻ってなさい!」
「え?」
「お母さんはあそこへ向かうから!」
「わ、私も行く…!」
「ダメよ」
「でも…」
「フェリス‼」
こうなると、何を言っても否定されることを私は知っている。
「はい…」
「……ごめんなさい、一人で帰らせてしまって」
「ううん、お母さんも気を付けてね」
「フェリスも、じゃあお母さん先に出るから」
「うん、行ってらっしゃい…」
まだ甲高い声が鳴り響いている中、母は急いで大衆浴場から出ていった。
私も服を着て、母のいない自宅へ帰路に着こうと外に出た時だった。
「あ、出てきた」
女風呂の入り口横に座り込んでいたイリアンが待ちくたびれたかのように話しかけてきた
「イリアン?ここで何してるの?」
端から見たら女風呂の前で待っている変態のようだった。
「……エッチ」
「なっ⁉ち、ちげぇよ‼フェリスの母ちゃんが一人で出ていったの見たから、おまえが一人だと思って…その……」
待っていてくれていた…ということか…
「べ、別におまえが寂しそうとかそういうのじゃ…」
必死になっているが、顔がどんどん紅くなっている。
それを見ると、胸の辺りが優しく締め付けられるような感覚を覚えた。
「イリアン…」
「な、なんだよ…///」
「…ありがと……」
当たり前のようにいる存在ではあるが、
それは当たり前にこういう事をしてくれる彼だからこそ、私は……
「ほら、風邪引くから早く行くぞ…///」
「うん…」
暗い夜道を一人で帰るのは怖かった。
だから隣にいるのは母ではないけれど、信用出来る彼がいてくれるから、その日は満天の星空をゆっくり眺めながら帰る事が出来た。
「そういえば、結局耳飾りの事聞けなかったなぁ…」




