妻は何でも作ってくれる
朝、スーツを着て会社に出かけようとする私に、エプロン姿の妻が声をかけてきた。
「今夜、何か食べたいものある?」
「じゃあ……唐揚げ」
夜、帰宅すると、もちろん食卓には鶏の唐揚げが並んでいる。
カラッと揚がったジューシィな唐揚げを食べると、その日の疲れなどたちまち吹っ飛んでしまう。
もちろん、妻のレパートリーは唐揚げだけではない。
ハンバーグ、肉じゃが、ポテトサラダ、ロールキャベツ、生姜焼き、チンジャオロース、ピラフ、ミネストローネ……キリがないのでこの辺にしておく。
和洋中何でもござれだ。
しかも、味はもちろん超一流。
自慢じゃないが、テレビに出るような有名シェフにだって負けてないんじゃないかと思ってる。
会社に行く前に頼んでおけば、妻は何でも作ってくれる。
そう、何でも作ってくれる……。
***
ある日のことだった。
「何か食べたいものある?」
私はふと思いつきでこう言ってみた。
「じゃあ……満漢全席」
妻はにっこり笑ってこう答える。
「うん、分かった!」
本当に分かったのだろうか。満漢全席だぞ、満漢全席。
私は不安に思いながら、会社に出かけた。
夜になり、家に帰ると――
「お帰りなさい。満漢全席よ」
テーブルの上には、贅を尽くした満漢全席が用意されていた。
簡単に説明すると、満漢全席というのは中国の清王朝で皇帝が食していたとされる、超ゴージャスな料理形式だ。実に数十種類ともいわれる山海の珍味を楽しむことができる。
私が尋ねる。
「よく用意できたね」
色々な意味でこう思った。
「苦労したんだから! 清朝の史料を漁って、材料も予算内でなんとか集めて、どうにか私なりに満漢全席を再現してみたの!」
しかも、本来の満漢全席は数日間かけて料理を堪能するとされているが、一品一品の量を抑え、私が食べきれる量にしてくれている。
いわば、満漢全席ファミリーバージョン。
私はさっそく食べてみるが、どれも美味しく、瞬く間に平らげてしまった。
満漢全席を再現しつつ、私のために味をカスタマイズしている部分もあるのだろう。
妻が私に跪いて、こう言う。
「陛下、いかがでした。お味は?」
私はゆっくりうなずく。
「うむ、朕は満足じゃ」
ちょっとした中華皇帝気分も味わえてしまった。
ありがとう、妻よ。これで明日からも元気に出勤できる。
***
また別の日のこと。妻が聞いてきた。
「今夜、食べたいものはある?」
私は少し考えて言った。
「SF作品なんかによく登場する、ペースト状の宇宙食を食べたい」
ふとした思いつきから言ってみた注文だが、妻はにっこり笑った。
「任せて」
これほど頼もしい“任せて”を私は他に知らない。
私が仕事を終え、家に帰るとそこには――
「はい、SF作品なんかによく登場するペースト状の宇宙食よ」
給食を思い起こさせるトレイに、青や緑といった食欲をそそらない色のペースト状の食べ物が載せられていた。
スプーンですくって食べてみる。
うん、味自体は悪くない。だが、あくまで栄養だけを摂取してるような、そんな無機質な味だ。
さすが妻は分かってる。
こういうのはメチャクチャ美味しいのではなにか違うんだ。
決して不味くはないが、食べていると虚無感を覚える。本物の肉や野菜が恋しくなる……それぐらいでないと。
私は妻を褒め称えた。
「ありがとう。SF作品の登場人物になれた気分だ」
妻は微笑んで、
「ドウイタシマシテ」
と返した。多分、宇宙人のモノマネをしたのだろう。可愛い。
***
ある朝、私はこんな注文をした。
「マンモス肉のステーキを食べたいな」
家に帰ると、一枚のステーキが用意されていた。
「マンモスの化石からマンモスのお肉を再生して、ステーキを焼いてみたの」
「よく再生できたね」
妻の横では一頭のマンモスが鳴いている。
「このマンモスは?」
「ステーキを作れればいいから生きたマンモスは必要なかったんだけど、間違えて生きた状態で再生しちゃって……」
妻としてはステーキ一枚分程度のマンモス肉を再生できればよかったのだが、加減を誤って、それとは別に本当にマンモスを一頭再生してしまったとのこと。
「この子、どうしましょう?」
「うちで飼うわけにはいかないから、研究所に引き取ってもらおう」
こうしてマンモスは引き取られ、生きたマンモスとして貴重な資料になるとともに、動物園で飼われることとなり、子供たちの人気者になった。
ちなみにマンモスステーキは肉質がやや硬かったが、なかなかの美味であった。
***
こんなことを言ったこともある。
「取調室で出てくるカツ丼を食べたいな」
家に帰ると、リビングに刑事ドラマに出てくるような薄暗い取調室が再現されていた。
椅子に座ると、コートを着て刑事になりきっている妻が電気スタンド片手に私に言う。
「お前がやったのは分かってるんだ……吐いちまいなァ!」
「やってません」
「そうかい……。ま、とりあえずカツ丼でも食いな」
妻がカツ丼を出してきた。
トンカツを卵でとじ、ご飯に載せた、オーソドックスなカツ丼だ。三つ葉がついているのが嬉しい。
全部食べると、妻が睨みつけてくる。
「さあ、吐く準備はできたか!?」
私はこう返す。
「こんなに美味しいカツ丼、吐くわけがないじゃないか」
妻は赤面してしまった。
このように妻は何でも作ってくれるのだ。
***
朝、テレビのニュースの1コーナーを眺めていた。
毎日世界のどこかの国や都市に関する情報を特集しており、今日はインドだった。
見ているうち、私はある料理を閃いていた。
そして会社に行く支度を済ませ、玄関に向かう。
「今夜は何が食べたい?」
いつも通りの妻の問いに、私はこう答える。
「ナンを作って欲しいな。カレーをつけて食べたいんだ」
ナンの素朴な味に、カレーの刺激的な味が加わる。想像するだけで涎が出てくる。
だが、妻の顔が一気に強張った。
「それは……できないの!」
「へ? できない?」
「ナンは……私、ナンは作れないの!」
私には信じられなかった。妻に作れない料理があったなんて――
「何で!?」
「ナンはダメなのよぉぉぉぉぉ! ごめんなさいぃぃぃぃぃ!!!」
何でも作れる妻だけど、ナンだけは作れなかったか……。
完
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