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 何もない洞窟の奥で黒石は静かにため息をついた。

 あれ以来ミモリは姿を見せなくなったが、それはしかたがないことなのだと割り切っていた。

 なりゆきはどうであれミモリは黒石の助言を受け入れたのだろう。

 たとえ愛想をつかされたのだとしても、今の彼女にとって何が必要で何が不要なものなのかは考えるまでもなかったからである。

 せめて幸せであってくれればいいと黒石は願っていた。

 そしてまた深く永い眠りにつくだけなのだと。

 ガサ

 ふいに物音がし、黒石が神経を研ぎ澄ませる。

 それは覚えのある気配に似ていた。

「ミモリか」

 ミモリの影を認め驚いたように呟く。

 すぐに心をきりかえ、追い払おうと口調を改めた。

「ここにはくるなといったはずだ。何をしに……」

 黒石が絶句する。

 疲弊しぼろぼろになったミモリの姿を見たからだった。

「どうした、おまえ……」

 おぼつかない足取りで綱にしがみつき、ミモリが顔を差し向ける。その笑顔は明らかに無理をしているようだった。

「今までこれんでごめんな。ずっとあいたかったんねやけど……」

「……」

「こないだいった西の国がこっちの方にも攻めにきてて、ここにくるどころじゃなくなってん。ほんまいらんことしいで腹たつ」

 ミモリのこめかみからは血が流れ出ており、頭も服も土のついた雪まみれだった。目じりには涙のあとが見えた。

「おまえ、ケガ……」

「中央の方、ボコボコらしいで。こっちははずれたとこやからまだまだやとおもとったのに、とおりかかった奴らがわざわざ寄り道してって、全部むしりとってったわ。男の人らも抵抗する気もなかったのにみな殺しやって。ほんまかなんわ」

「……」

「魔物がきておっちゃんもおばちゃんも殺されたった。やな金持ちのおっちゃんらもいじめっこらもみんな死んでまった。うちらはおばちゃん達にぎりで逃がしてもろたんやけど、いっしょにおった子も途中でつかまって殺されて、うちだけなんとかここに逃げてきたんや。ほんとは町の方に知らせにいこうとおもてたんやけど、あんだけおったら無理や。もう疲れたわ。雪降ってて歩きにくいし、もう歩くのいやや。あいつらなんもかんもこわす気や。今にここにもくるかもしれん。おっちゃんだけでも逃げや」

「逃げやって、おまえ……」

「このツナ切ったる。そしたらうちの命取り込むことできるんやろ」

「……」

 今にも消え入りそうなたいまつを足もとに置き、懐から取り出した小さなナイフでミモリが綱を切りつける。

 が、刃渡りの短いナイフとミモリの力では成人男性の腕ほどもある綱は容易に切ることができなかった。

「ごっついな、……いつ!」

 手がすべり何度もナイフの刃がミモリのからだを傷つける。それでもミモリはあきらめようとせず、苦痛に顔をゆがめながら一心不乱に綱を切りつけ続けた。

 見るに見かね、黒石がその行為をやめさせようとした。

「やめろミモリ、もういい」

「なにがええねん。ちっともよくないわ」

「もういい。おまえが傷つくだけだ。俺はそんなことしてほしくない」

「うちだって腹たっとんねん。そらやな奴もおったけど、なんもころさんでもええやんか。ええ人達やったのにな。もうあわれへん。ほんとはあいつら全部八つ裂きにしたいくらいなんやけど、そんなんあかんやん。だったら一人くらい助かるもんおったってええかなって。おっちゃん、助かってもあいつらの仲間になったらあかんよ。ならへんよな。おっちゃんはあいつらとはちゃうから……」

「わかった。おまえの気持ちはよくわかったからもうやめろ。早くおまえだけでも逃げろ」

「逃げられへんちゅうてるやろ。それに、うちはおっちゃんに命あげるって決めたんや」

「そんなことをしたらおまえは……」

 黒石の言葉が途切れる。

 ぐらりとゆれて膝をついた時、ミモリの背中に数本の矢が刺さっているのを見てしまったからである。

「ええねん。どうせうちはもうながない。だったらこんな命でも誰かの役に立った方がええ」

「本当にそれでいいのか」

「ええってゆうてるやろ。しつこいわ、もう。おっちゃん、魔王様なんやろ。うちをお姫さんにしてくれるんやったらそれでちゃらや」

「俺の言ったことを信じるのか」

「アホか、そんなんこれぽちも信じてへんわ。魔物のいったこと信じるバカがおるかい」

「……」

「ほんとにアホやな、おっちゃんは。だからすぐ騙されんねん。よう考えてみ。もしおっちゃんがほんとの魔王さんやったら、うち魔王さん世に解き放った重罪人になってまうやんか。そんなんなりたないわ」

「……」

「それにうちおしとやかになんかなれへんから、お姫さんなんかにされてもこまるわ。うちはこのままでええ。今のままがええんや」

 ミモリの懐から転がり落ちた拳大の塊を黒石が凝視する。

 血に染まったまんじゅうだった。

「……なぜだ」

「うちは頭悪いからみんながいってることもようわからんし、誰が悪くて誰がええかなんて知らん。でもおっちゃんのことは好きや。ほんとは悪い魔物かもしれへんけど、うちと友達になってくれただけ、今ひどいことしとるやつらよりはマシや。ぜんぜんマシや。でもおっちゃんはお人よしやからすぐ騙されるし、うちの他に助けたろ思うようなもんもおらんはずや。だから助けたろおもたんや。まんまとおっちゃんの計画どおりになってまったのがしゃくやけどな。人騙すんなら今度からもっとうまくやり」

「……そうだな。おまえのいうとおりだ」

「いらんこと考えんでええからな。もしここから出られたらあいつらにつかまらんようにまっすぐ逃げ。どうせここはもう助からん。おっちゃん、ありがとな。友達になってくれて。もう騙されたらあかんよ」

「……」

 ようやく綱が切れ、倒れこむようにミモリが黒石に抱きつく。

「あかん、おまんじゅうもってきてたのにどっかいってまった。またおっちゃんといっしょに食べよおもてたのにがっかりや。白くてふわふわで絶品やったのに……」

「ミモリ、しっかりしろ」

「しっかりしてるて。まだぜんぜん平気や……」

 愛しい人間を抱きしめるようにミモリが黒石に覆い被さる。

 やがて眠そうに瞼を閉じていった。

 たいまつの炎が己の役割を終え暗闇が世界を支配し始める。

 それでもミモリの顔はしごく穏やかで嬉しそうに映った。

「おっちゃん、聞こえてる」

「ああ」

「アホとかいってごめんな。でもおっちゃんも悪いんやで、いらんこというから」

「ああ」

「冬はきらいや。やなことばっか思いだす」

「ああ」

「もっとおまんじゅう食べたかったな、おっちゃんと」

「ああ」

「ああばっかやな。まあええけど」

「……」

「なんかあったかいわ。おまんじゅうみたいな石なのにな。おっちゃん、あったかい人やったんやね。知らんかったわ。知ってたけど……。んじゃな……」

「ああ……」


 魔物達の進軍はとどまることを知らなかった。

 あと半日もすればこの周辺地域もあらかた平らげてしまうことだろう。

 軍勢の約半数が魔物に属する輩達であった。

 その戦力は凄まじく、他の国の軍隊が倍の戦力で対抗したとしても、造作もなく退けられる始末だった。

「時間の無駄だったな」

 軍勢を率いる司令官は拍子抜けするように鼻で笑ってみせた。

 腹心もそれを受けて笑う。

「何もないところですからな。ゴミ掃除をしただけでした」

「ふむ。それにしても寒いな」

「ええ、こんな雪だらけの土地、なんの使い道もありませんな」

「スキー場くらいは作れそうだな」

「そうですな、町をすべて平らにしてリゾート地に改良しましょう」

「それはよい考えだ」

 敵地であるのに悠々と先頭を闊歩する司令官が自慢の顎髭に手をのばしたその時、それは現れた。

 数万の軍勢の眼前に、たった一人で立ちふさがったのである。

 青き炎を纏いし金色の瞳を持つそれは、荒々しい怒りを微塵にも抑えることなく、彼らを威嚇した。

 司令官が不遜な態度をあらわにし、それを見据える。

「なんだあれは……」

「貴様がこの雑兵どもの親玉か」

「何」

 見下すようなその物言いにカチンとなる司令官。

 だが彼は知らない。

 その後方で人を除く魔物達だけがことごとく震え上がっていたことを。

「貴様も魔物の類か。小物の魔物がたった一人で我が軍勢を相手に何をしようというのだ」

「俺は今機嫌が悪い。逆らうものはみな殺す」

「下等な魔物の分際で何をいうか。誰かこの身の程知らずのバカものを……」

 司令官の言葉がそこで途切れる。

 けたたましいまでの悲鳴の束が、降り積もった雪をも揺らす激しい音響となって彼の耳に襲いかかったからである。

 思わず振り返った彼が見たものは、人を除いたすべての魔物達が怒りの炎に焼かれて消滅していくところだった。

 魔物の一人が散り際に漏らした、「魔王ケルベロス様……」という言霊を聞きながら。

「身の程知らずの愚かものは貴様たちの方だ」

 先までの余裕は完全に消え去り、ガチガチと歯を鳴らしながら司令官はじめ万の軍勢が魔王の前にひれ伏し命乞いをはじめた。

「親しき者との約束がある。今ここで貴様達を根絶やしにするはたやすいが一度だけ見逃そう。命が惜しくば今すぐここから立ち去れ」

 雪の降り積もる大地に額をうずめながら平伏し続ける司令官が、懇願する表情で青ざめた顔を差し向けた。

「偉大なる魔王様に僭越ながら申し上げます。我らはみな恩義ある国王からの命によりこの地に使わされました。たとえ魔王様の命令であろうと、我らだけの意思でここから引きかえすことはできません」

「恩義ある国王とはこの者のことか」

 背後に手をのばした魔王が仔犬を持ち上げるように一人の人物を差し上げ、司令官達の前に転がす。

「国王様!」

 青ざめる軍勢の中、ひときわ血の気の失せた国王が口の中に押し込まれていたまんじゅうを地面に叩きつけ、雪にまみれたまま最後の力を振り絞って全軍に告げた。

「撤退だ、全軍すみやかにこの地より撤退せよ!」

 血に染まった白いまんじゅうを拾い上げた後、周辺の積雪をすべて溶かすほどの怒りの炎にまみれた魔王が憎悪のまなざしで軍勢を見据えた。

「この後未来永劫貴様達がこの地に足を踏み入れることはこのケルベロスが許さん。よいな」


 その国は常に平和の象徴として世界中に知れ渡っていた。

 建国後一度として戦火に関わることなく国を存続させてきたのだからそれもしごく当然のことである。

 他国が攻め手を欠く地形の利もあった。

 それ以上に国民達はその土地の守り神への感謝の気持ちを忘れることなく、立派な祠を建てて厚く奉っていたからともいえた。

「どうかなされましたか」

 従者に問われ、空へと続く景色を見渡していた若き王女が振り返る。

「我が国の空はなぜにこうも青く高く澄み渡っているのだろうかと感心しておりました。他の国のように焼けつくような暑さも厳しい寒さもなく、こうして一年中穏やかな陽射しを浴びながらすごしていられる。いくら感謝してもしたりません」

 それからなにごともなさげに笑ってみせた。

「これも守り神様のおかげでしょうか」

 すると従者は苦虫を噛み潰したような顔になった。

「そのようなことを公言されては……」

「そうでしたね。失言でした」王女が楽しそうに笑う。「たとえ誰もが知っている守り神だとしても、王族の私が公に口にしてはなりませんね」

「そのとおりでございます」

「ではまたおしのびでいくとしましょうか」

「またですか」

「いけませんか」

「いえ。ではまた町の人達に溶け込める衣装をご用意いたします」

「おまんじゅうもね。白くてふわふわのにしましょうか」

 従者が腑に落ちない様子で首をかしげる。

「以前から気にはなっていたのですが、なぜ魔王の祠へのおそなえものがおまんじゅうなのでしょうか」

「おいしいからに決まっているじゃないですか」

「はあ……」

「絶品なんやで」

「え」

 澄み渡る空を見上げ王女が楽しそうに笑った。





 習作です。

 大空直美さんと遊佐浩二さんのボイスに変換してお読みいただけると幸いです。

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