1
暗い暗い洞窟の奥の奥のそのまた奥に、それは奉られて、否、封印されていた。
何百年もの間そこに足を踏み入れるものはいなかった。
その地域の禁忌にして、厄災とされていたからだった。
魔封黒石と呼ばれるそれを持ち出そうと訪れた盗人や野心家達はそれに手をかけた途端に原因不明の大ケガや病気にかかり、命からがら逃げ出す始末だった。いつしか魔よけの綱まではりめぐらされ、次第に誰も近づかなくなっていった。
何百年かぶりにその小さな影が訪れるまでは。
「ほんまやったんや」
たいまつの明かりからまだ幼い少女の顔がのぞく。
少女は好奇心に満ちた表情で綱をくぐり、自分の身長の半分ほどもある丸い黒石をまじまじと観察しだした。
やがておそるおそるコンコンと手の甲でこづいてみる。
「もしもし」
当然何もかえらない。
やや不服そうな様子で首をかしげる。
「なんや、なんぞ中に閉じ込められとるゆう話やったのに、なんもおらんのかいな」
もう一度こづいた。
「ほんまに誰もおらんのかい」
やはり何もかえらず、不機嫌そうに口を曲げた。
「つまらん。なんもおこらんやんか。せっかくあのアホども退治したろうと思っておそなえもんまで持ってきたゆうのに」
そういって懐から取り出した干物の類にむしゃむしゃとかぶりつく。
すべてたいらげた後でまた不機嫌そうな顔になり、黒石を睨みつけた。
「おしっこしたろかな」
「やめろ」
ふいに響いたくぐもったその声に、目と口を思いきり開いて動きをとめる。
「あ、おった」
少女の表情は畏怖よりも、期待していたものが得られた時の驚きと喜びが勝っているようだった。
「ほんまにおった」
それ以上少女がなにか行動を起こすこともなくしばしの沈黙が続くと、しびれを切らしたように黒石が発した。
「なんのようだ」
「ようっちゅうか……」
黒石の問いかけにようやく我にかえり、少女はやや後ろめたそうにそれをきり出した。
「外にちょっとやな奴らがおってな、ほんでここにさそいこんでバチあてたろうかなと思って」
「俺にそんな力はないぞ」
「嘘やん。しっとるぞ。おっちゃんがここに入ったドロボウさん達にバチあててたって話」
「おっちゃん……」
「うちの作戦はこうや。ここに奴らおびきだしておっちゃんの石の後ろにこそっと隠れんねん。んで、大人の声出して、この子はわしの子分になった、もしまたいじめたりしたら大魔王のわしが承知せえへんど、ってな。あいつらビビリやからこれでイチコロや」
「そんなくだらんことに俺を利用するつもりだったのか……」
「くだらんことあるかい。あいつらすごく根性悪いねんど。うちがおとんやおかんおらんからっていつもいじわるしてきよる。うちだけならええけど、あいつらもっとゆるせへんことしよったんや。うちが世話になっとるおばちゃんの家から干し芋ぎょうさん盗んでいきよった。雇い主の家の子らやからしょうがないゆっておばちゃんあきらめとったけど、うちはゆるせへん。なんで金持ちの子は何やったって許されるんや。おかしいやろ。んでこらしめたろおもて、ここに閉じ込められとるっちゅう魔物のこと思いついたんや。でもあいつら思った以上のびびりやって、ここまできよらへん。計画狂ったわ。外寒いんはしょうがないけど、雪まで降ってくるとは思わんかったわ。失敗や。これだから冬はきらいや。なんもええことあらへん。んでもせっかくここまできたんで、しょうがないから魔物の顔でも拝んでからおしっこでもしてかえろかな思って」
「おしっこはやめろ」
黒石の横に腰を下ろし、少女が大きく伸びをした。
「……。おまえはいじめられているのか」
「はあ、なにいっとるん。いじめられとらへんわ」
「いや、さっき」
「いじめられとらんわ、てかこっちがいじめとるぐらいやわ。でもあいつらぜんぜんこりひんから、もっとひどい罰あたえたろおもただけや」
「……」
「なんや」
「なにも言っていないだろうが」
「なんかいいたそうにしとったやんか」
「わかるのか……」
ふてくされた様子で少女がそっぽを向く。さびしそうに目をふせ、口を開いた。
「うそや。ほんまはいじめられとる。うちが身寄りがないのよってたかってバカにして、おばちゃんとこで働いてもらった金取られたこともある。おばちゃんやおっちゃんは気にしたらあかんゆってまたお金くれたけど。でもな。ほんとにゆるせへんのは、あいつらおばちゃん達のことまでビンボーだってバカにしよるねん。ええ人達やねん。でもあいつらの親に頭上がらんおっちゃん達のことすごく下にみてえらそーにしとる。おっちゃん達だけやのうて、そのまわりの人達も全部や。あいつらなんかいなくなったらええのに」
「おまえ、友達少ないだろ」
「アホゆうな、少ないんとちゃうわ、おらへんだけや」
「おらんのか」
「おらへんわ。そんなん」
「さびしいやつだな」
「おっちゃんにいわれたない。なんや、なんでこのながれでそないなふうになんねん」
「育ちの悪さが顔に出ているからな。そんな貧相な顔をしていては誰も近寄ってこないだろうと思っただけだ」
「アホぬかせ、うちのどこが貧相やねん」
「……」
「貧相かもしれんけど……」
少女が上を向く。
「あかん、落ち込んできた。泣きそうや。泣いたら負けや」
「おい」
「もう負けとるとかゆったら承知せんで」
「どうでもいいがその口の悪さはなんとかならんのか」
「口ようなったらいじめとかなくなるんか。いやがらせとかされんくなるんか。もっといい暮らしできるんか。あかん、なんか涙出てきた。これだから雪の日はいややねん」
「……」
「よし、決めた。うち、おっちゃんの友達になったるわ」
「ちょっと待て、なぜそうなる」
「おっちゃんも友達おれへんのやろ。うちもおらんけど友達になったらうちもおっちゃんも一人ずつ友達できるやんか。おたがいハッピーでいってこいやんか」
「なぜ俺に友達がいないと決めつける」
「おれへんやろ。こんなとこに一人ぽっちでとじこめられてんのやから」
「バカをいうな。こう見えても俺はかつて万の軍勢を率いた大魔王だったんだぞ」
「うそや」
「嘘やない! いや、嘘ではない」
「そんなんおったら今ここにおるわけない。誰か助けにくるはずや。誰もきいへんからうそや」
「嘘ではない。本当にそれだけの部下がいたのだ。すごい大魔王だったのだ」
「んじゃ、なんで誰も助けにきいへんの」
「それは、だな……」
「おっちゃん、部下から嫌われとったんやないの」
「それは! ……好かれてはいなかったとは思う。粛清とかよくやっていたしな。帰属する魔王がいなくなれば別の魔王のもとへと向かうのが通例であり契約でもあるから仕方がないのだ」
「ふうん、なんかシビアな世界なんやな。仲間は大切にせなあかんで。最後に助けてくれるのは友達だけなんやから」
「それをおまえが言うのか」
「おまえおまえてえらそうやな。うちかてミモリちゅう名前があるんやからな」
「おまえの方がえらそうだぞ」
「おっちゃん、こんなとこで一人ぽっちでさびしくないんか」
「そのおっちゃんというのはやめろ。魔王に向かって不遜だぞ」
「ええやんか、別に」
「ちっともよくないぞ」
「魔王、魔王て、なんちゅう魔王なん」
「魔王ケルベロスだ」
「聞いたことないわ~、そんなん」
「あたりまえだ。おまえが生まれる何百年も前からここに閉じ込められているのだからな」
「そんな前からなん」
「そう言っているだろ、ずっと。今はこれであれだが、全盛期は勇者どもが束になってかかってきてもまとめて返り討ちにするくらいの大魔王だったのだぞ」
「あっちゃー、しくったわ。おっちゃんほんまもんの人やったんなら、おそなえ食わんどきゃよかった。おっちゃんに頼んであいつらベコベコにしてもらえばよかったわ」
「だからそんな力ないって言ってるだろ」
「大魔王とちゃうん」
「……大魔王だが」
「なんでなん」
「は」
「なんで勇者をまとめて返り討ちにできるくらいのすっごい大魔王様がこんなとこに閉じ込められとるん。こんなしょぼい石の中に」
「それは、騙されたからだ」
「誰に。魔法使い、賢者さん、僧侶の坊さんか」
「女に」
「女に! アマゾネスか」
「普通の少女だった」
「どないなっとるねん!」
「村を救ってほしいなどといって近づいてきたところまではおぼえているが、気がついたらこんなことになっていた」
「ちょろ。ちょろすぎやわ。お人よしにもほどある」
「おいこら」
「あかんあかんあかんあかん。ぜったいないない。魔王様はそんなちょろない。おっちゃん、うそついたらあかんで」
「全部本当のことなのだが……」
「……」
「なんだその疑いの目は」
「やっぱうそやん」
「嘘ではない」
「大魔王がこんなちんけで貧相な石に閉じ込められとるわけないやん。どうみても小物の魔物やん。せいぜいドロボーに嫌がらせするくらいの」
「……」
「怒ったんか」
「おい」
「んあ」
「望みをかなえてほしいか」
「なにいっとるん。そんな力ないんやろ」
「今はな。だが方法はある」
「どんな」
「おまえの命を捧げて俺を復活させろ」
「そんなんうちが死んでまうやん。意味ないやんか」
「大丈夫だ。俺には魂が三つある。そのうちの一つを使っておまえをよみがえらせてやる」
「ほんまか」
「ほんまだ。そしてついでにおまえの願いを一つかなえてやろう」
「なんでそんなことできるん」
「魔王だからだ。たしかおまえの願いはいじめっこ達をこらしめることだったな……」
「こらこら、ちょいまち。そんなんあかんあかん」
「だがさっきおまえはそう言ったではないか」
「そんなん命かけるのとぜんぜんつりあわんやんか。せめてお姫様にしてくれるくらいせんと」
「おまえがか」
「そや」
「……」
「なんや文句あんのか、うちがお姫様になったらあかんのか」
「こんなガラの悪い王女は見たことがないぞ」
「ほっとき。お姫さんになったらがんばっておしとやかになったるわ」
「……まあ、別にかまわんが」
「できるんか」
「それくらいは造作もないことだ」
「ほんまかおっちゃん。すごいんやな、魔王って」
「あたりまえだ。俺を誰だと思っている。魔王だぞ。断じておっちゃんなんかではないぞ、おい」
「でもほんまに魔王やったら、うちの命なんかじゃぜんぜん足らんのじゃない」
「それはおまえの心がけしだいだ」
「なんやそれ。やっぱおかしいで。うちなんかの命で魔王様が復活するわけないもんな。魔王ゆうたら勇者何百人か分の命はいるんとちゃうの」
「そういう問題ではない。ようは本当に心から命を捧げられるかどうかがキモなのだ。俺を信じ想いをはせ心の底から尊い命を捧げることによって、我復活するなり」
「あかんあかんあかん。信じられん。全部うそくさいわ」
「嘘ではない。仮にもしおまえが見た目どおりのどうしようもない命だったとしても、ないよりはましだ。多少力は減るが、それでも世界の一つや二つ簡単に滅ぼせる」
「世界の一つや二つ簡単に滅ぼせるもんがなんで人間なんかに簡単につかまっとるん」
「だから言っただろ、油断して騙されたって」
「とんだお人よしやな。魔王がきいてあきれるわ」
「うるさい。もう二度と人間のいうことなんて信じんぞ」
「そんじゃうちも信じられんやんか」
「あ、いや、それはな、おまえ以外の人間ってことでな」
「そんなこというもんをうちが信用すると思うん」
「ううむ、それもそうだな」
「うさんくさ。だいたい命が三つあるならそれ捧げてここから逃げればええやん。ちょお、見た目どおりてどういうことや」
「自分の命じゃ駄目なのだ。本当は俺を封じ込めたやつのものが一番なのだが、当然のことだがもう死んでしまっているしな。な、頼むから」
「いやや、いたいもん」
「いたくはない。一瞬だ。この魔王が人間ごときに頭をさげているのだ。いいから黙っていうことをきけ」
「なんやえらそーに。だいたいどこにあたまがあんねん。ちっともさげとらんわ。どっからどこまでがあたまで、どっからがからだやねん。まんまるい石やんか。石のくせになにが魔王や、いいかげんにし」
「く、こちらが手出しできんと思って言いたい放題言いよって」
「まんじゅうみたいなかたちしよってからに」
「なんだそれは」
「東の方の国のおかしや。おっちゃんみたいなかたちしとってごっつうまいらしいわ。うちもまだたべたことない。でもおっちゃんのすがたみとったらむしょーにたべたなったわ、どないしてくれんねん」
「しらんがな……」
「なあ、命を捧げるってどうやるん」
「ここにきて俺をぎゅっと抱きしめながら、心の底から俺の復活を願うだけだ」
「そんなやったらドロボーちょろまかして命とったったらよかったんちゃう」
「なんでもいいというわけではないと言っただろうが」
「でもやる気のないうちよりは野心持ったドロボーさんの方が力でそうやで」
「うるさい、あいつらは気に食わんかったのだ」
「あ~、ひょっとしておしっこかけられたんとちゃう」
「……」
「あたりやん」
「やかましい。こっちにだって選ぶ権利がある」
「騙して復活した後で八つ裂きにしたったらええやん」
「それでは約束を破ったことになるではないか」
「あんがいマジメなんやな」
「うるさい」
「そんなことゆうて、うちが近づいたらガバッと命取る気ちゃうん」
「無理だ。そこにある太い綱があるうちは俺には何もできんのだ」
「ほな綱切ったろか」
「本当か」
「うそや。そんなんやったらうち殺されてしまうやん」
「……」
「おっちゃん、ちょろすぎや。そら騙されるで。そんなちょろい魔王がおるかいな。うそもたいがいにせえ」
「だから嘘ではないといっとろうが」
「もうええわ。おっちゃんがそないなたいそうなもんやないことくらいうちでもわかる。でも別にええねん。うちはおっちゃんが魔王じゃなくても下っ端の魔物でもかまへん。その方がきやすう話せるし」
「……」
「だいたいよってくるもんびびらしたったらあかんやろ。誰も近づいてきーへんようになったら、おっちゃん、永久にここからでられんようになるやんか」
「あ、そうか……」
「しょーもな。アホやな、ほんまに。なんかかわいそうになってきたわ」
「……」
しばしの沈黙の後、低く押し殺したような黒石の声が聞こえてきた。
「もういい。ここから出ていけ」
「怒ったん」
「もうおまえとは口をきかん」
表情もなく少女が黒石を眺める。
「ふうん。じゃ一人でしゃべるわ」
「……」
「うちな、ちっちゃいころおとんとおかん亡くして、親がおらん子ばっかあつまっとるとこで世話になっとんねん。ちっちゃい時はなんもせんでよかったのに、十歳になったら働きに出てそこでの生活費のたしにすんねん。うちは今十三歳やけどかよわい女の子やから農場のお手伝いとかさせてもろてんねん。んでおばちゃんやおっちゃんとこで同じとこにおる子と二人で働かせてもろてんのやけど、おばちゃんらマジでええ人達で、うちらのことほんまの子供にしたいくらいやってゆうてくれてるん。あ、おばちゃんら子供おれへんからな。前もそんなんで男の子自分ちの子にしたったみたいなんやけど、戦争にいって死んでしまったらしいわ。だから今度もらうなら女の子がええってゆってた。でもどっちか一人だけだともうかたっぽが悲しむから、まだいろいろ考えてる感じや。うちはええんやけどな。もう一人の子もええ子やし、そっちにいってくれたらええわ。うちはお嬢ちゃんって感じでもないからな、別に一人でもええけど。そっちの子もらってくれたら嬉しいわ。うちなんかに気いつかわんでええのに。ほんまにええ人達やからな。こまってしまうわ。なんかかんかやってこまらすのもいややから黙ってるけどな。ほんまはうちもあの人らとはなれたないねん。別に家の子にしてくれんでもええんやけどな。ほんでもまだいっしょにはいたいねん。おかしいやろ」
さんざん一人語りを続けるが黒石からは何もかえらない。
それでも誰にも話せなかったことをひとしきり吐き出したことですっきりしたのか、満足した様子で立ち上がった。
「ながながと聞いてもろてありがとさん。ほなさいならや」
残りわずかとなった明かりに目をやり、笑いながら背中を向ける。
「またくるわ」
「おしっこはすませてからこいよ」