42 与えられる
こんにちは。
今日も疲れて寝てしまっていました……もういつもなら書き終わる時間なのに、書き始めています。
今日は個展をしている作家さんに会いに行ってきたのです。
昨日に神社の近くまで行った用事というのは、ご所望を受けた差し入れを買いに行っていたのです。作家さんは関東の方なので、関西でしか買えない美味しいもののリクエストをあらかじめ聴いていたのです。
もう数回目の差し入れなので、ネタが無くなったと言うか……いや、他の方々から、基本的に甘いものの差し入れを頂くだろうし、作家さん自信が買に行きたいけれど、在廊しているから行けない「何か」を差し入れしてあげられたらなぁと思ったのです。
個展期間中は、在廊していたら、居れば居るだけ、お客さんはわざわざ足を運んで会いに来てくれるから、席をはずせないですよねぇ。
リクエストされたのはお漬物。
私が美味しいと思っていて、他の友達にも紹介したら、お取り寄せまでするようになったり、嫌いだった種類の漬物も好きになってしまったという、お漬物をチョイスして持って行ったのです。
今日は作家さんが在廊する最終日だったので、帰る日に合わせてお漬物を届けたわけなのですが、帰る日は、他の雑貨屋さんやらにご挨拶もあって、昼過ぎには在廊を終わられるのです。
なので、いつも行動が遅い私も早い時間から行動をしないといけなくて。個展会場はいつもの雑貨屋さん。私の家からは遠いので、お昼を食べるタイミングが無く、昼食抜きで行ったのですが、昼食を食べていないという話も一切していないのに、あれよあれよという間に、大きな肉まん、ドーナツ、腸に良い乳酸菌飲料、そしてあんころ餅のセットが用意され、ちゃっかりそれがお昼になりました。
雑貨屋に来たはずが、カフェのように……(笑)
最近特に思うのだけれど、日々の色んな当たり前に感謝をして生活をしていると、必要なものが必要な時に自然に与えられるようになっているのです。
先日も、友達とチョコレートを買いに行って、おいしそうなチョコレートだなぁと思っていたけれど、買わなかったチョコが、全く別の関東の友達から届いたのです。前に話した、お正月明けに連絡をくれた男の子の友達です。
私もその友達にチョコを送ろうかなぁ~とか、チラッと思ってはいたのですが、もし、住所は前と変わっていないか?とか聞いたら、気を使わせてしまうと思って連絡をする事を躊躇していたら「チョコを送りました」と連絡をくれて。
それが、なんの発信もしていなのに、食べたいなぁと思っていたチョコが送られて来た。同じブランドのチョコレート。
私も届いて、住所確認してから、チョコとお漬物を送り返したのですが、お互いに気を使わせないかなぁ……と思っていた事が判明して笑いました。
前に、臨時収入があると、それを使う出来事が起こるし、お金が無くても必要な分だけ臨時収入があるよあに出来ていると言うような内容を書いたことがあると思いますが、まさにそれなんですよねぇ。
これを「全自動」だと言っている方もいるようです。
必要な人材に出会ったり、必要な場所に呼ばれたり、お腹が減っていたら飢えないように食べ物を提供されたり。
不思議に丁度いいものが、余らないように、贅沢過ぎない量だけ与えられる。
あるがままに生きていたら、本当はそういうものなのだと、それがこの世界のサイクルなのだと不思議に実感があるのです。
だから逆に、自分も心が赴くところに、ちゃんと与えて回る。見返りは考えない。だって、与えた人から返って来なくても、必要なものがしかるべき時に与えられるのが摂理だから、見返りなんて気にすることはないのです。
ちょっと、宗教っぽく聞こえるかもしれませんが、これが「情けは人の為ならず」という言葉で昔から日本人がやっている生活の様式なんです。人にやさしくするのは、人のためじなく自分の為なのです。
これは神さまの……仕業なんだけれど、神さまご本人の仕業では無くて、神さまが作ってくださったシステムの自動で起こる結果なんです。全てに感謝をして丁寧に生活をしている人には良い循環が起こるようになっている。
良い人に出会い、良い物に出会い、良い時間が過ごせる。
だから人にイジワルをしてはいけない。奪ったものは奪われるように出来ている。そういうシステムになっているから。
人にやさしく接すればそれだけ、優しい人生になるんですよ。
これは神さまへの信仰が必要なんかじゃなく、ただやるだけ。お布施もいらないし。みんなの味方になってあげるだけのこと。
さ、寝よう。
実は明日もやることがあって、出かけないといけなのです。
どれだけ寝られるだろう。




