30 叱り方講座を見て
こんにちは。
部下の叱り方講座、みたいなものが有るという特集を見ていたのだけれど。
まぁ、時代ですよね。
時代という言葉で纏めてはいけないのかもしれないけれど、この流れには良い事も悪い事も両方、ない混ぜになっている気がします。
社会的に上の立場の者が、下の立場の者の気持ちを配慮して言動するという事は、とても良い事だと思うのだけれど、下の者もある程度の理解したうえでの許容も必要だと思うのです。
理不尽に対して我慢をしろと言っているのではなくて、どうして、そう言われるのだろう?とか、何のためにやっているんだろう?という事を自己分析する必要がある、という意味。いわれのない圧力や脅迫じみたコミュニケーションは、言語道断でアウトですけどね。
お互いがお互いの事をおもんばかり、同時に、自分の事も顧みましょうという、普通の事だと思うのです。
来た道も行く道も、馬鹿にしてはいけない。
そのためには、日々変わっていく「今」を敏感に感じ取っていないといけないのでしょう。
流されるのではなくて、濁流に流されないように「今」を知るのです。
そのためには、自分に話しかけられている以外の話も、何気なく聞いていたり、聞いてない事にした方が良い事は忘れてあげたり。人の癖なども何気に気が付いて、違う行動を取った時に調子が悪いのかな?とか、察する力というか……
酸っぱいものが嫌いな人に対して「○○はすっぱいものが得意だから、大丈夫だろうけど、オレは無理だ」みたいな事を言った時点で、この人は普段何を見ているんだろう……と信頼度が下がると言うか。
わざわざ言わなくても良い事、それを言って誰が楽しむの?誰が得するの?という内容の話を、面白いと思って口にする事。その辺りの判断が出来るセンスが必要になっているのだと思うのです。
今日のテレビの特集で、インタビューを受けている部下の人が「気を使いすぎている感じがすることもあって、もっと言ってくれても良い」と言っている事もいて。
それ言葉に対して、満足げに「(今の若者だって)そうだろう、そうだろう」とか「やっぱりな」と満足げに言うような人は、出来ていない人なんですよね……
そう言われても「石橋をたたいて渡る精神」の上司に対して向けられている言葉なのに、それが分かっていない。
まぁ、とどのつまり、人の事も自分の事も観察できない人は生きにくい世の中になったという事でしょう。いい意味で興味を持ち、同時に適度に無関心でいる事が大切なんでしょうね。




