185 成長の仕上がり
こんにちは。
とある事件の裁判のニュースを見ていて、私が昔、遭遇した親子の事を、なぜだか思いだしていた。
娘と父親の関係の話。いや、思うのは、それだけにはとどまらないのだけれど。
私が職場で、お客として出会ったその親子は、二・三歳くらい?の女の子と父親だった。母親も一緒にいたのだけど、父親の娘への溺愛が、ちょっと異質だったのだ。
「俺は王子様で、○○ちゃんをお姫様にしたんだよ」と言っていた。まぁ、それだけだったら、よくある話だ。お姫様のように大切に育てたい、お姫様のようにかわいく育てたい、というような比喩だと、普通の人は捉えるだろう。
でも、その父親はちょっと違っていた。
母親が、娘の靴のストラップを留めようとしてた。いたって普通に私には見えたのだけれど、その母親がしゃがみこもうとした時に、父親が母親を押しのけて、娘の前に片膝をついて頭をさげてかしこづき、靴を直した。
その後で、座らせていた椅子から立たせる時も、片膝をついて手を差し出して、立たせていた。
私が「ここに座ってね~」と普通に対応をするのとは、完全に違う。
その椅子がある場所だって、広いとは言えない場所で、周りに機材も置いてある。そんなところにわざわざしゃがみ込まれて、さっさと移動してほしいのに、お父さんはお構いなし。
分かるんですよ?娘が可愛いのは。でも、お姫様と王子様ごっこをしたいなら、家でやって欲しい。
まぁ、その他にも、娘の髪型の乱れを直すのも襟元を直すのも全部、片膝を立てて、いちいち座わる。
あの子、今はどうなっているんだろう。もう随分大きくなっただろうなぁ。
家庭という狭い社会から、外に出た時、自分の待遇をどのように感じたんだろうか。
その辺りのギャップというか、社会性や外の世界と向き合って、学習させながら育てるのなら、何ら問題はないと思うんです。「世の中はどうであれ、お父さんは、あなたの事をお姫様のように大切に思っているよ」というメッセージだと理解させるんだったら。
私が彼らと関わったのは、その時だけなので、その後、その親子がどのようになったのかはわからない。
ちゃんと、お互いが社会と向き合えていたらいいなぁと思うし、お母さんも大変だなぁと思う。
お父さんは、それが娘にとって一番良い事だと思って疑わないんだろう。けれど私には、その行為は娘を所有物にしているようにしか見えなかった。
その辺りの歪みもあるんだろうけれど、何より、お姫様扱いの末の「出来上がりのイメージ」が、私と彼とでは全く違うんだろうな、と思うのだ。
彼は、お姫様のように一番尊い存在だとすり込んで育てたら、キラキラと輝くような純粋無垢で素直な、ステキなふるまいの出来る子に育つと思っているかもしれない。
まぁ、そういう事も、時計をバラバラにしてプールに投げ入れ、混ぜたら、偶然に時計が組み上がる……くらいの確率では、あるのかもしれない。
でも、娘は人間として生まれた。自分で物事を感じ、考え、学習し、人からの悪意も好意も一般的な現代人として受けて、それを処理しながら成長していく。この先、家族以外のコミュニティーに在籍しない訳にはいかないのだ。
なんでも思い通りなる家庭から、外に出た時、自分よりも優先される事があるのは当たり前。
だれが片膝を立ててかしづき、一番に給食を運んでくるんだろう。
思い通りにならない事、人が自分の為に動いてくれない事、自分の気持ちを先読みて行動してくれない事。そんなのは秒単位で起こる。
赤ちゃんが泣いたり、イヤイヤ期がくるのは、徐々に自分とそれ以外の存在という区別を知るためだ。それまでは、親は自分の分身であり、なんでも思い通り動いてくれる存在なのに、親が思ったように動いいてくれない事もある存在で、それは自分とは別の個体なのだと知って行く過程でもある。それが初めての人間としての気付きであり、成長なのだ。なのに、ずっと分身がいる状態は、成長を阻害している事にもなる。
思い通りにならない事の方が多いと知り、どうしたら居心地が良くなるのかを考え、居心地がいい環境にあると言う事が、どれだけ有り難い事なのかを学習する。それで初めて、与えられる事だけではなく、与える事の大切さと、喜びを知るんじゃないだろうか。そして、人との距離も。
お釈迦さまだって、一国の王子として生まれ、贅沢で恵まれた環境しか知らなかったのだ。そこから、老いる事、病気になる事、死ぬ事をしって、成長していくことになる。自分ではどうにもならない事がこの世にあると知ったからの成長だと言う事。
でもまぁ、あの子は、そういう家庭を選んで生れて来たんだろう。自分で氣が付いて成長をするために。
あの子が、本当の意味で、気高く人に礼儀を尽くせる尊い人に育ってくれていたらいいなぁと思う。
それが姫だと思うんですよねぇ……




