まあ、そんなわけなんですよ。
その後、私を身籠っていることがわかった母は、未婚のまま私を産んでくれました。でも私を産むことで親に勘当されたみたいです。
母の遺品整理していた時に、死んだと聞かされていた祖父からの手紙を見つけたんですよ。郵便の日付を見ると、身籠っていた当時に送られてきた手紙のようでした。
子供を施設に入れるなら帰ってきてもいいって書いてあって、望まない孫はいらないなんて、ちょっとショックでしたね。
未婚の娘が子供を産むなんて以ての外の時代でしたから、母は相当、勇気がいったと思います。苦労して愛情かけて育ててくれて感謝しかありませんよ。
…え? 今はもうそんな時代じゃないって?
…そうなんですか、良い時代になりましたね~。
…あら、どうしました? もしかしてあなたも同じ境遇で?
…違う? 気にしなくていい?
…そうですか。でもそろそろ私の話は止めましょう。
…え? でも泣くほど辛いんでしょう?
…う~ん、それじゃあもう少しだけ。
母は梅が好きでね、市内に入園料を払って入る日本庭園があったんですが、梅の咲く時期には毎年必ず一緒に見に行ってたんです。
教えてくれなかったけど、多分、父との想い出があるんだと思います。私の名前を『梅』にしたくらいですからね。
その帰りには必ず、駅のホームにある立ち食いうどんを食べて帰るんですよ。うちは貧乏だったので外食なんて滅多にできなかったけど、その日だけは特別でした。
うどんに入ってる天ぷらなんて衣ばっかりで、具は小さいエビが二個しか入ってないんですけど、衣が出汁を吸ってとても美味しかったんですよ。きっとこれも父と母の想い出の一つでしょうね。
その母は私が就職後すぐに亡くなりましてね、それまでの無理がたたって、職場で心臓発作を起こしてアッという間だったそうです。
『一日一個の梅は健康長寿の秘訣よ』って、毎日梅干しを一個食べたあとに私をギュッと抱っこして健康アピールしていたんですけどね。
就職したら苦労した母に恩返しするつもりだったんですけど、それが出来なかったのが今でも心残りですよ…。
…というわけで、未婚の母から生まれた娘で、しかも頼る親戚もいない孤児では、息子の嫁に迎えるのに相応しくないと言うことでした。勿論、私は潔く受け入れました。
ご両親は私達がただ別れるだけでなく、会社を辞めて遠くに行って連絡も取れないようにしてほしいと仰いました。それならどこか紹介してもらえないかと伺いましたが、彼に分かってしまうので出来ないと言われまして…。
その代わり手切れ金として分厚い封筒を渡されたんです。中には見たこともないほどの札束が入っていましたよ。
押し問答を繰り返してとうとう受け取ることになりましてね、念書も書いたんですよ。そんなことしなくても大丈夫なんですけどね。でもご両親は安心なさいましたよ。受け取ってしまえばこちらも約束を破ることはできませんから。
仕事を辞めるのと寮を退去するのは同時になりました。彼に疑われないようにするためにね。手配はご両親がしてくださると言ったので、私は必要な物を持って出るだけでした。荷物なんて殆ど無かったんですけどね。
最後の日に大きな旅行鞄を引きずってバス乗り場に向い、あと少しで到着という一歩手前の信号で、私は車に轢かれたようです。気付いたらどこかの大きな待合室にいて、切符を貰うために大勢の人と一緒にお行儀よく並んでいましたね。
あ、それはあなたも知っていますね。
私が貰ったのはバスの切符でしたけど、あなたは?
…豪華客船? それは楽しみですね~。
それで皆と同じようにバスの列に並んでいたんですが、近くには波止場があって船が並んでるじゃないですか。色んな船があるから近くで見たくなって列を離れたんです。
豪華客船・フェリー・クルーザーはいいですけど、伝馬船・筏・カヌーなんて、あんなのに乗ってどこへ行くんですかね?
プカプカ浮いているから海だというのは分かるんですが、辺りは霧で真っ白で向こうも見えないのに、これで本当に運転できるの? って思いましたよ。
バスの停留所の方を見ると、乗客の列はまだ途切れそうにありませんでしたから、私は最後に入るつもりでそれまで船を眺めていようと思ったんです。
そしたら急に後ろから『列に戻ってください』って声がして、振り返ろうとしたらバランスを崩して海へドボン。泳げるはずなんですけど、いくら水を掻いても全然浮かばないんですよ。
で、そのまま沈んで、気がついたらここに流れ着いていました。
あとはあなたが見ている通りです。
話が長かったですか?
…そうでもない? それはどうも。
彼はもう少しで来ますよ。
…何でわかるかって?
彼が来る前に一部分だけ空の色が変わるんですよ。
ほら、あんな風に」
と言って彼女は空を指差した。
二人が空を見上げると、上から餅のように黒い膨らみが出てきてパチッと弾け、穴が開いた。そして穴からフワリと誰かが降りてきた。
「さあ、お迎えが来ましたよ。それじゃ良い旅を」
スーツの女性が立ち上がって彼女に別れを告げ、砂浜の波打ち際まで行ってそこに置いてある小舟に乗った。すると、小舟は目的地に向って勝手に進み始めた。
目的の場所に到着すると、小舟はゆっくりと上昇して空の穴に吸い込まれていった。