世界が灰色に見える病(やまい)
世界が灰色に見える。
実際にそう見えているわけではないのだけど。
例えば、目の前にトマトとレタスとコーンの入ったサラダがあるとする。
もちろん、赤と緑と黄色だと、ちゃんと色を答えることができる。
例えば、初めて見る絵画だって、夕焼けが描かれているのか、青空が描かれているのかちゃんと識別することが出来る。
あとから思い返してみれば、世界は灰色に包まれているだけなのだ。
元々黒と白の服を着て、同じ時間に同じ席にすわって、白いノートに黒い字が書かれていくのだから、困ったことはなにもない。
灰色だって黒に近い灰色から、白に近い灰色まであるのだから、濃淡があるのだから、困ったことはなにもない。
困っていないのだから、それが病気だ!とか、おかしい!なんて思いもしない。
何か大きな病気になって色がわからなくなったとか、事故にあって頭を強打したとかそんなことはなにもない。
ただ、いつの間にか景色は色を失って、灰色に包まれていて、それが日常になっただけ。
一日中誰とも話さないのも、誰にも話かけられないのも、いないものとして扱われるのも、すぐ隣で悪口を言われるのも、全てが日常。
でも、大丈夫。
灰色の世界に色をつけられる方法を私は知ってるから。
ここで刃物を振り回したら、真っ赤な世界が作れることを私は知ってる。
ガソリンを撒いて火を付けたら、明るいオレンジ色になることを私は知ってる。
水の中に沈んで水面を見上げれば、白と水色と青が見えるのも知ってる。
下を向いている時に落ちていく涙には、色がないことを知ってる。
なんて、いくら知っていたとしても、実際は全ては灰色だ。
きっとこのまま、灰色の世界を生きていく。
死んでしまいたいといくら願っても、きっと私は意地でも生きていくから。
灰色の世界を。灰色の人生を。
この先、私の瞳が『色』を映す時があったなら、きっと私は笑ってる。
その時は、ピンク色の空にたくさんの赤トンボが翔んでいることでしょう。