無自覚は最大の敵
「それでー? そろそろ本題なんだけど。綾乃は、何を悩んでたん?」
二人でお昼ご飯を食べる昼休み。お互いお昼ご飯を半分ほど食べたところで、秋那のほうから本題を切り出してきた。すっかり忘れてしまっていたが、今回この時間を作ったのはそのためだ。
「あ、うん。そうだったね。……秋那にとっては、しょうもない悩みなのかもしれないけど」
こんな話、陽キャの彼女にとっては、まるでゴミのような悩みだろう。もしかすると、あまりにもしょうもなさすぎて、笑われてしまうかもしれない。
「でも悩みって、みんなそう思うもんじゃね? 自分一人だと『なんでこんなことで悩んでんだろ』って思うけどさ。いざ誰かに相談してみると、案外すぐ解決できちゃったりさ」
「秋那も、そういうことあるの?」
「あるある、めっちゃあるよ。意外とそういう悩みって、独りよがりになっちゃって、誰の意見も聞きたくなくなっちゃうんだけどさ。思い切って友達に相談してみたら、すぐ解決したりとかもあったし」
「へぇ……」
こんな感情を抱くのは、果たして何度目だろうか。またしても私は、陽キャのことを誤解していたのかもしれない。彼女達はもっと、物事を気楽に考えているものだと思い込んでしまっていた。
「……で? どんな悩みよ?」
秋那がご飯を一口運びながら問うた。
「あ、うん……。ついこの間なんだけどね。村木先輩の妹ちゃんと会う機会があって……」
そうして、今回の事の発端を彼女に話した。
彼女は私が話し終わるまで、ご飯を食べながら黙って聞いていてくれた。
「なるほどねー。妹ちゃんにそんな大事な役割を頼まれちゃって、どうすればいいか分かんなくなっちゃったと」
「うん……」
「で、村木先輩が他の女の子と二人きりでいるのを目撃しちゃって、益々自分のポジションを見失っちゃったと」
「……うん」
「そっかぁ。綾乃も意外と大変なんだねぇ」
秋那がそんな言葉を、しみじみと呟く。私が想像していたよりも同情してくれているようで、なんだか意外だった。
「それで、綾乃はどうしたいの?」
「どうって……それが分かんないんだよ。どうすればもっと、先輩のことを手助けしてあげられるのかなって」
「つーことは、助けてあげること自体は嫌じゃないんだ?」
「え、うん。……なんで?」
「なんでって、そりゃあ一人の友達のために、自分を犠牲にしようだなんて普通思わないでしょ。そんなの無謀だし、本気でやろうと思うほうがバカじゃん」
「そうなのかな……。そこまで考えてなかったんだけど……」
「マジ?」
半ば驚いた様子で、秋那が私のことを見た。
「……やっぱ綾乃ってさー、変にお人好しだよね」
「お人好し? 私が?」
「そうだよ。だってそんな話、私だったら彼氏とかじゃない限り、絶対引き受けないよ? それに、ずっとイジメてた私のことだって、助けようとしてくれてたし。そんなの普通、誰だって助けようとは思わないよ」
「そうかな……。私はそれが良いと思ったから、そうしようとしただけなんだけど」
「それがお人好しなんだって。そういうところが綾乃の良いとこだし、悪いとこでもあるのかなぁ」
お弁当に最後に残った卵焼きを食べながら、秋那がぼやく。
知らなかった。私の行動が、そんな風に思われるようなものだったなんて。やはり私は、そのぐらい大バカということなのだろうか。
「……でもさ。だからこそ私は、綾乃に謝りたいって思えたんだよ?」
弁当を食べ終わり、箸を弁当の上に置く。すると突然、秋那がそんなことを告げた。
「なに、突然……?」
「だってそうじゃなかったら私、綾乃のことを一生意地の悪い女だと思い込んでたよ。あの事件があったからこそ、今まで見ようとしてこなかった綾乃の一面が見られたんだし。綾乃の言葉があったから、私はあの辛い一ヶ月間を乗り越えられたの。『絶対この場所を出て、あいつに謝らなくちゃいけないんだ』って、ずっと思ってたんだよ?」
「そう、だったの?」
「そ。だから、何が言いたいかっていうとね」
そこまで言うと、突然秋那が右手をこちらに伸ばしてきた。そのまま、ポンッと私の頭の上に乗せる。
「綾乃のその優しさで、救われる人もいるってこと。だから、もうちょい自分に自信持てって」
そのまま彼女は、私の頭を思いっきりグシャグシャと撫でまわした。
「わ、ちょっと! そんなにしなくてもいいじゃん!」
「っひひー。秋那おばちゃんは、女の子が頑張ってる姿を見ると、応援したくなるんじゃよ」
「分かった、分かったから! もう、ありがとうね!」
ようやく秋那の手の動きが止まり、離してくれた。まったく、おかげで前髪がボサボサになってしまったではないか。ニヤニヤと微笑む秋那を前に、仕方なく手櫛で前髪を直す。
「うわー、綾乃の前髪ボッサボサ! なんか妖怪みたいじゃね?」
「誰のせいですか、誰の……」
「いいじゃんかぁ。私の撫でなではレアだぞー?」
「はいはい、そうですか。そりゃあどうもね」
そう口ではふて腐れながらも、内心ではちょっとだけドキドキしていた。まさか急に頭を撫でられるとは、思ってもいなかったからだ。
――……頭撫でられたのって、いつ以来だったっけ。お母さんにされたのが、最後だった気がする。
こんな事実、誰にも言ったことがないし言えやしない。だが私は昔から、よくお母さんに頭を撫でてもらうのが大好きだった。そうされることで、自分がそこにいていいんだと言われているような気がして、褒められているようで、不思議と心が安心する。要するに、頭を撫でられることに弱いのだ。
もちろんこんな事実は、お母さん以外に知る人はいない。これからも誰にも暴露するつもりはないし、する相手だっていないだろう。――このまま私が、変われることができない限り。
「で、まぁ話を戻すんだけどさ。今回の先輩だって、もしかしたら上手くいくかもしれないだろ? まだまだこれからだってのに、気を落とすなってことよ」
「……それもそうだね。ありがとう」
「いいってことよ」
彼女のそんなありがたいお言葉を聞きながら、残ったからあげの最後の一口を運ぶ。これで私も、少し遅れてお昼ご飯を完食した。
「そういや、因みになんだけどさ。綾乃は、先輩と一緒にいた女の子のこと、どう思ってんの?」
「……ふぇっ?」
口の中にまだからあげが残っていることも相まって、変な声を上げてしまった。
「だってさ。“友達として”先輩のことを助けてあげたいと思うなら、彼が他の女の子と一緒に歩いてたとしても、普通それほどショックは受けなくね? 何か別の理由があるからこそ、それに対してショックを受けてんだよね?」
「っ……」
唐突な彼女の言葉に、思わず声すら上げられずに、からあげを噛む力すらも一気に抜けてしまった。ただただぼんやりと、そんな言葉を口にした彼女のことを見つめてしまう。
「その様子じゃ、図星っしょ?」
「い、いや、ほの! ずぼひというかにゃんというか!(い、いや、その! 図星というかなんというか!)」
「……ちゃんと飲み込んでから話せっての」
「ん……」
つい焦って飲み込む前に思いっきり喋ってしまい、呆れられてしまった。これも昔からの悪い癖だ。急いで口の中のものを細かくして、ゴクリと飲み込む。右手の甲で口元を拭いながら、改めて言葉を続けた。
「その、それには一応、理由があると言いますか……」
「理由? 言ってみ?」
「えっと……。村木先輩を助けるために一番いいのは、彼女になるのがいいのかな、なんて思っちゃったっていうか。でも私なんかに、先輩の彼女が務まるのかなって考えると、絶対あり得ないよなっていうか……」
「ふぅん、なるほど。……さっきアレほどそういう関係じゃないって否定してたくせに、やっぱり意識してたんじゃん」
「う、うるさい! こっちは悩んでんの!」
そう改めて言われると、なんだか恥ずかしいじゃないか。わざわざ言わなくたっていいだろうに。
「ふふーん、まぁいいぞー? おばちゃん、こういう話は大好物じゃからな」
焦る私を見て、秋那が楽しそうに笑みを浮かべている。相談に乗ってくれるのはありがたいが、おまけとして私自身のことも弄ぼうとするのは、やめてほしいところなのだが。
「で? 結局綾乃は、先輩のことは好きなの?」
「えっ、そんなストレートに聞く?」
「当たり前じゃん。恋愛なんて、ここでズバッと答えられなきゃやってられないぞ?」
「うぅ……」
――どうなんだろう。私は、村木先輩のことを好きなのかな? そんなこと、一度も考えたことがなかったから、全然分かんないよ……。
これまで村木先輩のことは、先輩であり、友達であり、陽キャであるとしか考えたことがなかった。それ以上深いところまでいくことは全く考えていなかったし、それ以上の関係を望んですらいなかったのだ。ただ村木先輩のためにはどうすればいいのか、そればかりを考えていた。
――それに……この間村木先輩は、『無理に彼女を作ろうとは思わない』って言ってたもんな。私が無理に詰め寄ったら、それこそ茜ちゃんの頼みとは真逆の行為かもしれないし……。
「……全然分かんない。私がそういう目で見たら、村木先輩はどう思うのかなとか、そういうことも心配だし。これまでそんなこと、考えたこともなかったから……」
「チッ……。あぁもう、じれったいなぁ!」
そんな私のあやふやな回答に、呆れた様子の秋那が舌打ちをしながら、頭をむしゃくしゃとしてみせる。そのまま彼女は、右手で机をバンッと叩いてみせた。
「いい? 私はいま、先輩の気持ちがどうこうとかは聞いてないの。綾乃自身が彼をどう思ってるのか、どう思いたいのかを聞いてんの!」
「私自身が……?」
「そ。じゃあいくつか質問するけどさ。一言で『好き』と言っても、色んな『好き』があるのは分かるだろ?」
「うん」
「いい? 例えば、『共有したくなる好き』が好意で、『独占したくなる好き』が恋ね。
あと『一緒にいてワクワクする』のが好意で、『一緒にいてドキドキする』のが恋。
そして『その人と会っても会わなくても気持ちが変わらない』のが好意、『その人と会えないと辛い』のが恋だよ。……分かった?」
「うーん……よく分かんない。そういうのって、あんまりハッキリ気持ちが区切られるものじゃないし」
「マジ? ……ならさ。綾乃は先輩に、どう思われたい?」
「どう? どう……うーん。これまでなら、今まで通り友達でいてくれたらそれでも嬉しかったけど……。妹ちゃんに言われてからは、できるだけ先輩の頼りになれるような人になりたいなとは思ってる」
「でもそれは、妹ちゃんに言われたからでしょ? 綾乃自身はどうなのさ」
「わ、私? ……正直に言うとね。今以上の関係になるとするなら、ちょっと、怖い……」
「なんで?」
「……もしかしたら、友達ではいられなくなっちゃうんじゃないかなって、思っちゃうんだよね。お互い友達じゃいづらくなっちゃって、結局は次第に離れちゃうんじゃないかな、って……」
私がそう言うと、秋那が突如吹き出して笑い始めた。なんだなんだ、さっきまであれほどキツい口調で話していたくせに。
「な、なに!?」
「いやぁ? そこは大丈夫っしょ、綾乃じゃあるまいし。さっきチラッと話した程度だけど、あの手の男はそう簡単に人を切ったりしないよ」
「何で、そんなことが分かるの?」
「そりゃあ……長年の勘?」
「援交女のくせに?」
「……殴るよ?」
「じょ、冗談だって……」
「ったく……。ま、でもさ。心配しなくても、あの人なら大丈夫だと思う。どっちかっつーと、綾乃の気持ち次第ってところじゃない?」
「私の?」
「そ。さっきも言ったけど、綾乃は別に何も出来ない女じゃない。綾乃にだって、できることがあるんだから、もっと自信持つようになれってこと。それができれば、きっと先輩との仲も上手くいくようになるんじゃね?」
「じゃねって……軽いなぁ」
「逆だよ逆、綾乃が重く捉え過ぎなの。もうちょっと気楽に考えられるようになれば、色々と楽になるんじゃねぇの」
「そっ……か」
――そりゃあ私だって、秋那や村木先輩みたいに、もっと世の中を気楽に考えて生活したいって思うよ。でも、だって、私なんか……。
そんな「でも」「だって」という自分の言葉に嫌気が差す。そうやってとことんネガティブにしかなれないから、いつまで経っても前向きになんてなれないのだ。いい加減、自分にも学習してほしいと思う。
「……じゃあ最後だけどさ。先輩とキスすることとか、想像できたりする?」
「は、き、きき、キス!?」
突然この子は何を言い出すんだ。そんなの無理だ、無理に決まっている。そんなこと、今まで一度も考えたことがないのだから。――そんなこと、考えるだけで恥ずかしくなる。
「んー、その反応だと、今まで考えたことなかったな?」
「あ、当たり前でしょ! ただの友達だもん」
「でも、想像するのは恥ずかしいんだ?」
「そりゃあ……」
「……ま、そこまで至るならOKラインか……」
秋那が小声でボソッと呟いた。そのまま、一呼吸置いてから再度話し始める。
「いい? 綾乃。恋っていうのは、無自覚なほど厄介なものはないから。早いうちその気持ちにケジメを付けたいなら、頑張って向き合ったほうがいいよ。その綾乃の気持ちが、『好意』なのか『恋』なのか、ハッキリさせたほうがいいと思う」
「ハッキリ、ね……」
「大丈夫、また不安があればいつでも暇電してよ。いくらでも話なら聞くし、叱ってほしいなら秋那おばちゃんが叱ってやっから」
「もう。ありがたいけど、調子には乗りすぎないでよね?」
「分かってるって」
そう言って、秋那がニッと笑った。
――叱る……叱るか。秋那が私に、叱ってくれたんだ。
そういえば先程、村木先輩も言っていた。相手を想っているからこそ、その人のために怒るのだと。
今回秋那も、情けない答えばかりの私に叱ってくれた。これが以前なら、罵倒を浴びせられて終わりだっただろう。それが、こんな私に向けてアドバイスまでをもしてくれたのだ。彼女は本当に私のことを、友達だと思ってくれるようになったのだと思うと、なんだかとてもありがたく感じた。
「さぁてと。そろそろ昼休みも終わりかなぁ。綾乃、お皿持っていっちゃえば?」
お弁当を鞄の中に片付けながら、秋那が告げる。そうだった、すっかり忘れていたが、今回はお皿を全て返しにいかなければいけないのだ。
「あ、そうだった。じゃあ持っていっちゃうね……」
お盆ごと手に取って、返しに向かおうと席を立つ。――しかし、私は肝心なことを忘れてしまっていた。
――あれ? 持っていくのはいいんだけど、どこにこれ持っていけばいいの?
一気に背筋が凍っていく。さっきはギリギリセーフで安心したはずなのに、結局はこうして秋那に陰キャを晒す羽目になってしまうじゃないか。もしそうなったら、彼女はなんというのだろう。
まるで氷固まった体を隠すようにして、私は彼女のことをチラッと見た。
「さてと、じゃあ行こっかぁ。私も一緒に行くよ」
鞄を持ち上げながら、秋那が告げた。
「えっ!? あ、うん! じゃあ行こうか!」
――あああああっ! 秋那、ありがとおおおおおっ!!
心の中で、彼女に感謝を叫ぶ。きっと偶々その気になってくれただけなのだろうが、今はそう思ってくれただけで感謝感激雨あられだ。
「秋那……その、ありがとうね」
「あぁ、別にいいって。また相談あったら言えよ? 友達なんだし」
「んぇっ!? あ、うん! そうだね、そうする!」
「……お前、なんか今違うこと考えてた?」
「そ、そんなことないない! ただただ秋那には感謝だなーって」
「あっそ。ならまぁいいんだけど」
そのまま、まるで自然な流れの如く彼女の後ろを付いていく。無事にお皿の回収口に食器を返すことができた私は、色々な気持ちのこもった一息を、大きく吐いた。
◇ ◇ ◇
その後。途中で秋那とは別れて、三限目が行われる教室へと向かう。
次の時間は、いつものように村木先輩と同じ教室で受ける授業だ。今度こそは、なるべく彼といつも通り話せるようにしなくては。
――でもなぁ……。私が村木先輩に恋してるかも、なんて言われても、実感なんてないしなぁ……。
秋那は先程、無自覚の恋ほど厄介なものはないと言っていた。だがそうは言われても、無自覚とはその言葉通り、自分の気持ちがハッキリと分かっていないことだ。それを対処しろと言われても、今の私にはどうすることもできやしない。
――そういえば、まだ先輩とあの女の子の関係性、聞けてないや。先輩が来たら、今度こそ聞いてみるか……。
教室に着き、いつも自分が座っている特等席へと座る。まだ授業開始まで五分ほど残っていたので、私はボーっとスマホをいじりながら、彼がやってくるのを待っていた。
――……あれ?
五分後。未だに彼は、教室には来ていなかった。しかし無情にも、三限目開始のチャイムが室内に鳴り響く。担当の先生もたどり着き、そろそろ授業が始まってしまう頃合いだ。
――待って待って。さっき先輩、大学にいたよね? なんで授業に来ないの? サボったなんて話は一度も聞いたことなかったけど……そんな人だったっけ?
おかしい。彼はきっと、授業をサボるような人ではないはずだ。少なくとも、私と一緒に受けているこの授業は、一度も休んだことはない。それなのに、どうして授業が始まっても、彼は教室に入ってこないのだろう。
――……まさか。何か、あったのかな……?
時間が進むにつれて、そんな不安が徐々に募っていく。まるで授業の内容など全く頭に入ってこずに、ただただ音と化した声が耳を通り過ぎていくだけだった。
――村木先輩……。
こんな風に心配をしてしまうのは、ただただ私が大げさなだけなのかもしれない。ただ私が心配性なだけなのかもしれない。
これまで彼に対して、こんな感情を抱くようなことは一度もなかった。けれど――今この瞬間だけは、彼の姿をもう一度この目で見たいと、不覚にも私は強く願ってしまっていた。




