猛毒のターゲット
その日の放課後。私は帰り道ついでに今日の晩ご飯の食材を買おうと、薄暗い通りを一人でボーッと歩いていた。
「はぁ……」
意識しなくとも、口が勝手にため息を吐く。なんだかここ数日で、ため息の頻度が増えたような気がする。
――私、なんであんなこと聞いたんだろ。
昼間、自分が彼へ向けて問い掛けた言葉。それを思い返す度に、なんとも言い難い感情になる。
先日茜ちゃんと話した日から、妙に心がざわついている。その理由は分かっているし、それは自身の杞憂であることは分かっているつもりだ。そのはずなのに、どうにも心が晴れないままだった。
――わざわざあんなこと、聞かなくたってよかったじゃん。別に、彼氏が欲しいわけじゃないんだし。
わざわざ異性に向かって『彼女を作る気はありますか』と聞くなんて、まさしく男が欲しいビッチかギャルじゃないか。自分には全く無縁な質問なのだから、する必要は無かったはずだ。
――先輩も今は彼女作る気ないって言ってたし、私なんかが心配する必要無いじゃんか。もういいよそれで。はいおしまい、おしまい!
そうやって強引に自分へ言い聞かそうとしてみるも、やはり納得がいかない。いい加減そんな自分にも、半ば苛立ちを覚え始める。
――なに、私はわざわざ先輩の彼女になるまでして、あの人を助けたいと思うの? 別にそこまでしなくたって、あの人を助ける手段なんか考えればあるんじゃないの?
そう。やろうと思えば、手段なんてきっといくらでもある。いくら彼の妹から直々にお願いされているからといって、そこまで自身を犠牲にする必要は微塵もない。もっとよく考えれば、別の良い方法が思いつくはずなのだ。
――ああもう、ワケ分かんない。お腹空いてるからイライラするのかな。早いとこ買って、家に帰ろ……。
スマホを取り出して、時刻を確認する。そろそろ外も冷えてきたことだし、早いうちに食材を買って帰ったほうがいい。
再び口が勝手にため息を吐いたことにイラッとすると、早歩きで近くのスーパーへと向かった。
――なんでこういう日に限って、卵が売り切れてるのかなぁ……。
せっかく今日は、親子丼の気分だったというのに。肝心の卵が今日は特売だったようで、最後の二パックを目の前で奥様方に持っていかれてしまった。
こういうときに、学生の一人暮らしは不利だ。特売品なんかは、午前中から主婦の人が買い占めてしまい、午後には残り少なくなっていることなんてザラである。それがまさに今日、運悪く起こってしまった。
――どうしようかなぁ。もう少し先輩の家のほうに行けば、向こうにもスーパーあるけど……。
とは言っても、ここからまた更に歩けば、戻ってくるのにだいぶ時間が掛かる。バスを使えば楽にはなるが、わざわざ家の近くを行き来するためだけに利用するのは億劫だ。
――……いいや、行くか。このままだと気分悪いし、今日くらい自分に素直にならなきゃ。
どうせ必要なのは卵くらいであるし、卵一つのためにもうひと歩きするのなら安いものだ。運動にもなるし、筋肉痛になること以外に悪いことは何もない。面倒だという感情を押さえつけて、家から更に遠くにあるスーパーへ向かうために足を動かし始める。
――そういえば小さい頃は、私が食べたいって言ったものをその日の夜に、お母さんが作ってくれてたっけ。ちょくちょく私からリクエストを聞いて作ってくれてたけど、今思うとホントに大変だったんだろうなぁ。
小さい頃から、お母さんに徹底的に叩き込まれた言葉だ。「食欲は人間にとって、大事なメンタルコントロールの一つなの。その日そのとき、自分が食べたいものを好きなように食べることこそが、至高のひとときなんだよ」と言われ続けては、日によって私が食べたいもの、お母さんが食べたいものをそれぞれ作ってくれていた。
いざ一人暮らしを始めてみて痛感したが、自分で自分の献立を毎日考えるのは至難の業だ。最近は気を付けるようにしているが、一人暮らしを始めた当初はコンビニ弁当やカップ麺も多く、面倒くさがって自炊をしていなかった。自分でやってみて思うが、毎日家族の食事を考えて作る母親というのは本当に凄い。
――シングルマザーだったのに、私のためにあそこまで頑張ってくれてたんだよね。ホント凄いな、お母さんは。……何もかも。
中学生の頃まではずっと、いちいち口うるさい心配性の母親だと思って煙たがっていた。だがお母さんを失ってから、彼女の本当の凄さに何度も驚かされてきた。母親として、一人の女性として、そして一人の人間として。今では私の中で、一番尊敬の出来る人となっていた。
――将来私も、お母さんみたいな母親になりたいなぁ。なれるかどうかは分からないけど。
そもそも論として、私とお母さんの間には陽キャと陰キャという大きな壁がある。決して私自身が努力をして陽キャになれるとは思っていないが、せめて少しでも彼女に近付きたいとは強く思っている。
――……その前にまずは、良い恋人でも見つけておけって話なんだけどね。そのためにも、早く今の私から変わらなくちゃ。
私はまず、早く人間カーストの底辺から抜け出さなくてはいけない。そうでなければ、いつまで経っても社会不適合者の不必要な人間のままになってしまうからだ。
――が、頑張ろ……。
正直言って、やる気はあれどその勇気はあまりない。一先ずは程々に頑張りながら、徐々に慣れていったほうがいい。できれば早くこの状況から抜け出したいなぁと、常々思うばかりだ。
先程のスーパーから、歩いて二十分。次に着いたスーパーにて、ようやく卵を買うことができた。これで無事、今日は親子丼を作ることができそうだ。
――良かったぁ、卵買えて。買えなかったらどうしようかと思ったよ。
もしここで買えなかったら、今度こそ帰りはバスで向かうハメになっていただろう。そんな事態にはならなくて一安心だ。
――さてと。少し遠いけど、頑張って帰るかぁ。
家へ帰るのに、ここから大体三、四十分くらい歩くだろうか。面倒だか、親子丼のためだ。ここはもうひと頑張りしよう。
自分にムチを打って、再び歩き始める。普段はこれほど歩かないおかげで、段々と足が悲鳴を上げてきているが、ここは無視だ。
そうして、スーパー出て歩くこと数分。初めのうちは大丈夫だと思っていたが、段々と足の痛みに耐えられなくなり、徐々に歩くペースが落ちてきてしまっていた。
――うぅ……普段から運動してないことが悔やまれる……。明日筋肉痛で死ぬかも。
流石にこれ以上歩くと、足が壊れてしまうかもしれない。どこか休めるような場所があれば、万々歳なのだが……。
――おっ。ちょうどクレープ屋さんにベンチあるじゃん。少し座るか。
ナイスタイミングと言わんばかりに、偶々通り掛かったクレープ屋の前に置かれたベンチを発見した。それを視認するなり、すぐさま座り込む。歩き続けてパンパンになった足を伸ばして、ゆっくりと休めた。
「あー……きっつぅ……」
そんなおばちゃんのようなセリフを吐きながら、チラッと店内を覗いてみる。店の中は想像通り、女の子グループの溜まり場となっていた。
――クレープ屋さんかぁ……。食べたいとは思うけど、一人じゃ入りづらいしなぁ。
こんな陽キャの巣窟のような場所、陰キャである私にとってはドアを開くだけでもハードルが高い。せめて誰かと一緒なら行けるが、一人だと絶対に無理だ。
――もうクレープなんて、しばらく食べてないなぁ。美味しいから好きなんだけど、なかなかなぁ……。
店内を覗く度に、私の気分は徐々に親子丼から、クレープへと傾き始めていた。口の中にじわじわと唾液が出始めて、胃も甘いものを欲しがり始める。
――……村木先輩って、甘いもの平気だったっけ。
私の脳裏に真っ先に思い浮かんだのが、彼の姿だった。果たしてどうだったか、曖昧な記憶を頼りに過去の出来事を遡ってみる。……そんな中。
『いやぁ……ははっ。やっぱり俺、本城さん好きだわぁ』
――っ! うぅ……やめてよ、心臓に悪い……。
昼間彼に言われた言葉を思い出しては、一人で恥ずかしくなってしまった。リアルで褒められることは慣れていないせいで、すぐ照れてしまうのは悪い癖だ。
――っていうか、よくよく考えるとこんな場所に、男女で行くなんておかしいよね。私、なに考えてるんだろ。
考えてみればそうだ。恋人同士でもないくせに、こんな陽キャ感満載の場所に来るだなんておかしいに決まってる。どうしてそんな考えをちょっとでもしてしまったのか、自分で自分を殴りたい。
――……やっぱり一人で行ってみようかな。変わるんだって決めたんだもん、それくらいは頼らなくても、できるようにならなくちゃいけないよね。
そうだ。私はもう、これまでの私のままじゃいけない。例え陰キャだとしても、多少のコミュ障は直せるぐらいに。そして茜ちゃんに頼られた通り、彼の助けになれるぐらいまでは、変わらなくてはならないのだ。
――で、でもどうしよ……。なるべくキャラは作らないで、自然な感じでいけば……。
とはいえ、やはりまだまだ心細い。一体どんな顔をして入ればいいのか迷ってしまう。
――……え、ええい、とにかく自棄だ。入ってみなきゃ分からないよね、行ってみよう!
ここでいちいち考えていたって、何も始まりやしないのだ。とにかくまずは、店内に入ることから始めてみよう。
意を決して、いつの間にか鉛のように重くなっていた足で立ち上がる。ふぅっと一つ息を吐くと、私は最初の一歩を踏み出した――。
――……え?
その瞬間、私は目の前の光景を見て、自分の目を疑った。一体それが何なのか、理解するのに数秒掛かる。
それと同時に、腹の底から形容し難い感情が沸々と湧き上がってくる。これは一体、何なのだろう。嬉しみか、悲しみか、それとも怒りか。はたまた、それら全部なのかもしれない。
私は悟った。私にはやはり、この店内には入れないのだと。それを理解した途端、これまで鉛のように重かった足は嘘のように軽くなり、その場を逃げるように早歩きで立ち去った。
――……やっぱり私には、無理だったのかな。
私はいま、自分の正しい感情が分からない。喜怒哀楽、どれにも当てはまらないような感情に侵されている。自分が一体あの光景に対して、どんな感情になったのか。自分自身に問うてみたい。
だがたった一つだけ、確実に言えることがある。それはとても強い“悔しみ”だった。私はいま、逃げ腰で現実から目を逸らしてしまった自分が、結局は口先だけで情けない自分が悔しくて、悔しくて堪らなかった。
――結局そうだ。私は“ただの”友達。それ以上でもそれ以下でもない、その程度の存在。それだけでいいんだよね。……そのほうが、気も楽なんだよね。
先程この目で見た光景が、何度も何度も脳裏でループを繰り返す。目まぐるしく繰り返される光景に、頭がおかしくなりそうになる。
一体私が、何を見てしまったのか。それは一人の女の子と一緒に、楽しそうにクレープ屋へと入ろうとしていた、私の友達――村木先輩だった。




