陽キャ嫌いのきっかけ
「ふいーだ。ご馳走様でした!」
他愛もない会話を交えつつ、先に食べ終えていた俺に続いて日和ちゃんも完食した。両手を合わせて、ニコニコ顔で挨拶をしてみせる。どうやら、だいぶご満悦のようだ。
「いやぁ、ミノルン先輩と話してるとあっという間ですねー」
「そう? 楽しかったならよかったよ」
「はい! さっきも話したけど、私って昔から避けられてばっかりなので。こうやって男の人と二人きりになるっていう経験、あんまり無いんですよねぇ。なので、なんか凄く新鮮で楽しいです!」
「……そっか」
そんなことを笑顔で言われてしまうと、なんだか複雑な気持ちになる。決して喜ばしいことではないが、それでも楽しんでくれているのなら、こちらとしても嬉しい限りだ。
「うはぁ……もう七時半かぁ……」
眠たそうに欠伸をしながら、日和ちゃんが自分のスマホで時刻を確認する。早いことに、もうすぐ夜の八時になるらしい。
「ミノルン先輩。綾乃の話、さっき途中で切れちゃいましたけど、他に聞いてみたいこととかありますかー? 私バスの時間があるので、もう少ししたら出なきゃいけないんですけどぉ」
スマホをカバンの中に仕舞いながら、日和ちゃんが告げる。そういえばまだ、本城さんがイジメられていた頃の話しか聞けていなかった。
「あーそうだなぁ……。うーん……」
「あ、じゃあその間に私、ドリンクバー行ってきますね!」
「ん。分かったよ」
そう言うと日和ちゃんは、コップを持って立ち上がった。そのまま席を立って、ドリンクバーコーナーへと向かっていく。できれば彼女が戻ってくるまでの間に、考えておきたいところだ。
――とは言われても、いざ何が聞きたいって聞かれるとなぁ……。
あまりにも聞きたいことが多過ぎて、逆に自分が一番何を知りたいのかが分からない。一体何を聞けば、本城さんとより仲良くなれるのだろうか。
――……そういえば。
『あ、でもー。一度だけ、男の子と付き合ったことあったんだよねー?』
だいぶ前に日和ちゃんが言っていた一言が、脳裏にふと蘇ってきた。あまり詳しく覚えていないが、何か気になることも言っていたような覚えがある。
――ホントなら、あんまりそんなことを聞くのはダメなんだろうけど……。本城さん、だいぶ深刻そうにしてたしなぁ。聞いておくのもありなのかも。
「よいしょー。お待たせ致しましたぁ!」
ふと、ぼんやり窓の外を見ながら考え込んでいたせいで気が付かなかったが、ちょうどそのタイミングで日和ちゃんが戻ってきた。せっかくだし、この話について日和ちゃんに話してもらおう。
「あ、おかえり。……聞きたいことだけど、あったよ。いいかな?」
「おぉ、ありましたか! なんですなんですー?」
相変わらずのピーチソーダを一口含みながら、期待した目で俺を見ている。……何故本城さんについての話だというのに、日和ちゃんがそんなに楽しそうなのだろうか。
「その……確か前に、本城さんにも彼氏がいたんだよね? その話について、聞かせてもらってもいいかな」
「あぁー……その話ですかぁ」
俺が告げた途端、先程までのワクワクした表情は消えて、苦笑いで目を逸らしてしまった。やはり聞いちゃマズい内容だったかもしれない。
「あっ、話せないようならいいんだよ。ごめんね、こんなこと聞いて」
「ううん、そういうんじゃなくてですねぇ。……この話を綾乃と元カレ以外で知ってるの、私と元カレの友達ぐらいなんですよぉ。綾乃からもあんまり口出ししないでって言われてますし、これを教えたら確実に私が怒られるんですよねぇ……」
「あー……」
なるほど。それは確かにそうかもしれない。万が一俺が口を滑らせて言ってしまったならば、確実に日和ちゃんへ怒りが向くだろう。
「……いいやっ! ミノルン先輩と綾乃のためですもん、そのくらい怒られても大丈夫です!」
少しの間悩んだ末に、ハッキリと日和ちゃんが言ってみせた。そうなってくると今度は、なんだか申し訳なく感じてくる。
「いいの?」
「いいです! きっと綾乃は自分から言わないでしょうし、何より先輩にこの話を知ってもらっておいたほうが良いと思うんです。それも綾乃のためになると思うので」
「本城さんの……?」
その言葉の意味は正直俺にはよく分からなかったが、それを問う間もなく日和ちゃんが言葉を続けてしまった。
「はい! ミノルン先輩なら、綾乃を助けてくれると思うので。綾乃の幼馴染として、ここは先輩に一任します!」
「……そっか、分かったよ」
そうして日和ちゃんはニッと笑うと、そのまま話の本題を語り始める。
「えっとですね……中二の時にお母さんが亡くなってから、しばらくの間綾乃は学校に来なかったんです。私とも話したくなかったみたいで、家に行っても顔すら見せてくれませんでした」
「……相当ショックだったんだろうね」
「だと思います。……その後、いつからなのかは私も知らないんですけど、一人の男の子と会うようになったみたいなんです。なんでも、一人で散歩してたときに、偶々会ったことがきっかけみたいで」
「ふぅん……」
なんだか、アニメなどでありそうなきっかけだ。どんな出会い方をしたのかは分からないが、落ち込んでいるときに励ましてくれた、という感じだろうか。
「その子、同じ中学校の後輩だったんです。サッカー部でサッカーやってる男の子で」
「え、後輩だったんだ。てっきり同級生かと勝手に思ってた」
あの本城さんが、後輩の男の子と付き合っていたとは意外だ。あまりにも想像がつかなくて、そのギャップに驚いてしまう。
「そうなんですよー。体格は小柄で、あんまり男の子らしくなかったんでけど、優しくて話しやすい子でした。ハヤト君って言うんですけど」
「ハヤト君……ん?」
ふと、その名前が不思議と引っかかった。一体それがなんだったか、理由が全く思い出せない。
「ミノルンせんぱーい?」
そんな俺を見て、日和ちゃんが問い掛けてくる。
「あぁ、ごめん。なんでもないよ」
「そうですかぁ? ならいいですけど。それで、その子のおかげで綾乃もまた、学校に来るようになったんです。……ただ途中まで、隠れて二人で会ってたみたいなんで、私も知らなかったんですよねぇ。ハヤト君のことを知ったのは、二人が付き合う少し前ぐらいでしたぁ」
「そうなんだ」
隠れて付き合うというのは、本城さんらしい。きっと色々と思うところがあったのだろうが、何を考えたのか大体の予測はつく。
「それで……それからどのくらいで別れたの?」
「えっとぉー……。多分、一ヶ月あるか無いかぐらいだと思います。前にも話しましたけど、最初のデートでハヤト君の家に行ったとき、襲われそうになって逃げ出したらしいので」
「あー……なんか、言ってたね」
すっかり忘れてしまっていたが、確かにそんなことを前にも言っていた。どうしてそんな大事なことを、忘れてしまっていたのだろう。
「その後すぐに別れて、それ以降は口を利かなかったみたいです。どんな風に襲われたのかは知らないですけど、初めてできた彼氏にそんなことをされて、だいぶショックだったんじゃないかな」
「……そうだろうね」
そりゃあそうだ。本城さんの気持ちは凄く分かる。初めてできた恋人に、急にそんなことをされてしまったら、きっとショックを受けるだろう。
「……あれ、なんか私変なことでも言いました?」
「え? ……あぁ、いや。ちょっと考えてただけ、ごめんね」
どうやら、顔に出てしまったらしい。悪い癖だ。
何故俺がいま、そんな顔をしてしまったのかと問われれば――本城さんの気持ちと同時に、彼女を襲ったハヤト君の気持ちも、俺には痛いほど理解できてしまったからだ。
「いえー。まぁそんなこんなあって、綾乃は人のことをあんまり信用しなくなっちゃったんですよね。陽キャの男の子相手は特に。高校生の頃は、一切友達作ろうとしてなかったみたいですし」
「そうだったんだ……。どうりで最初の頃は、当たりが強かったわけだ」
長い間謎のままだった彼女の過去が、ようやく少しずつだが分かってきた。色々と辛い過去を経験してきたからこそ、今の彼女が存在しているのだ。
それならば、今の彼女の友達として俺ができることは一つ。彼女のそばに寄り添って、彼女の考えを正してあげることだ。
「でもでも、ミノルン先輩と出会ってから、綾乃ってば百八十度人が変わったみたいになったんですよぉー? 知ってますか?」
両手を合わせながら、ニコニコ笑顔の日和ちゃんが告げる。
「え、そうなの?」
「はい! 例えばぁ……ほら、前に二人がケンカして、仲違いになったことがあったじゃないですかぁ」
「ケンカ? ……ケンカなんてしたっけ」
はて、そんな覚えは俺には無い。本城さんとのケンカなら、いくら鳥頭の俺でも覚えていそうな気がするが。
「えー、ほらほら! 綾乃が怒っちゃって、しばらく連絡してなかった時期があったんじゃなかったです?」
「……あー、六月頃のか! でもアレって、単に本城さんが気に食わないことを俺が言っちゃっただけで、ケンカとは言わない気がするけど」
「あれぇ、そうなんですかぁ? 綾乃に『先輩に怒って帰ってきちゃった、どうしよう』なんて半泣きで相談されたから、てっきりケンカしたのかと思ってましたぁ」
「大袈裟だなぁ……」
そんなところも、本城さんらしいと思う。大口を叩いている割に、本音は酷く弱々しいところだなんて、そんな場面はたくさん見てきたものだ。
「前の綾乃だったら、絶対そんなこと言わなかったですよぉ。きっと先輩だからこそ、そんなことを思ったんだと思いますよー」
「俺だから?」
「……あれぇ、ミノルン先輩。もしかして、気付いてないんですか?」
「ん?」
「ミノルン先輩……あぁ見えて結構、綾乃に好かれてるんですよ?」
「へ?」
素っ頓狂な声が出た。
「なんか最近、家の前に栗が置かれてるだとかいって、色々あったんですよね? この間一緒にゲームしたときも、『何もなければいいんだけどね』なんて言って、結構心配してたんですよー?」
「……マジ?」
「はい! 私が心配してるんだねーって聞いたら『そりゃあ、友達だからね』とも言ってましたよ。あはっ、ミノルン先輩、モテモテだぁー!」
そう言って、一人でお腹を抱えて日和ちゃんが笑っている。そんな風に笑われても、俺は一つも面白くなんかない。
――あの本城さんが? 俺のことを? ……マジで?
信じられない。いや、日和ちゃんが言っているのだから間違いないのだろうが、その事実を受け入れることができないと言うべきか。
普段から、ああだこうだと散々酷いことばかり言われ続けているが、それらは全て好きの裏返しということなのだろうか。だとすると本当に、俺はあの本城さんから好かれているということなのか。
「……あれれー、ミノルンせんぱーい?」
未だに現実が受け入れられない俺を見兼ねて、日和ちゃんが声を掛けてくる。ちょっと待って、今それどころじゃない。
「いや……あの本城さんが、俺のことを好きとか信じられなくて。普段から色々言われてるのに」
「もー、分かってないなぁ先輩はー。好きな男の子には、女の子は強がっちゃうもんなんですよぉ」
「そうなの……?」
「そうなんです! だから先輩も、綾乃には優しくしてあげてくださいね! じゃないと、私が締め上げちゃいますから!」
袖を捲りながら、強気に日和ちゃんが告げてみせる。
「……そういえば、合気道やってるんだっけ」
「そうですよぉ。小さい頃からおじいちゃんに『女も身を護る術をもっとかにゃいかん!』って言われて、徹底的にやらされてましたから。ちょっとでも綾乃に悪いことしたら、親友の私が許しませんからねー」
「わ、分かったよ! 何もしないから、大丈夫だって!」
――それから、その笑顔で自分の手にグーパンすんのはやめてくれよ……。
割と良い音がしていたので、結構な威力はあったと思う。小柄なくせに、意外と筋肉はあるみたいだ。
「えへへー、冗談ですよぉ。ミノルン先輩はそんなことしない人だって、私信じてますから。大丈夫です!」
「な、ならよかったけど……」
相変わらず楽しそうに、ニッコニコな笑顔で話している日和ちゃん。普段怒らない奴が怒ると怖いと言うが、この子の場合はまさにその典型例だと思う。
これまでも何度か、日和ちゃんは怒らせないようにしようと心改めてきたが、今回は本当にマズい気がする。この子だけは怒らせちゃダメだ。この子だけは、怒らせないようにしよう。絶対に。そう改めて、心に誓った瞬間だった。




