似た者同士との遭遇
月を跨いで、今日で十一月に入った。二週間前まではまだなんとなく暑さが残っていたというのに、いつの間にか冬服を着こまないと寒い季節へとなってきた。流石に俺も我慢できなくなってきたので、冬用の服を最近引っ張り出してきたところだ。
二週間後には、大学の文化祭も控えている。毎年演劇サークルは文化祭でも劇を披露しているが、今回俺はあまり出番がないため、それほど忙しくはなかった。とはいえ参加しないわけではないので、そろそろまた忙しくなりそうだなと、半ば憂鬱な気持ちもあるのが本音だ。
そしてまさしく今、そんなサークルの練習帰りの真っ只中である。
――あーあ。せっかく今日バイト休みだったから、休めると思ったんだけどなぁ。部長に呼び出されちゃあ、逆らいようがないっての……。
九月の演劇祭を終えて、それまで部長だった四年生の早川先輩は部長降り、新しく三年生の緒方先輩が部長に就任された。
緒方先輩は早川先輩と違い、だいぶストイックな性格で、サボりなどはとにかく許さないタイプだ。おかげで今日も練習を入れられてしまって、大学へいかざるを得なくなってしまったわけだ。
――昨日は茜と本城さんの相手をしてくたくただってのに……。いいや、帰ったら速攻寝よ。
時刻は夕方の五時半。すっかり日が落ちるのも早くなり、辺りは真っ暗となっていた。そんな中、怠い体にムチを打って自転車を走らせる。
――……あ、そういえば、シャーペンの芯がもう無くなりそうだったっけ。ちょうど百均あるし、寄ってくか。
ちょうど帰り道の途中で、百均が入っているスーパーを通り掛かった。せっかくだし、いくつか文房具と軽い食べ物でも買って帰ろうか。
自転車をスーパーの駐輪場まで走らせて停めると、自動ドアをくぐり俺は百均の中へと入った。
――うわ、暑い! 暖房効かせすぎじゃねぇの……?
いくら十一月に入ったとはいえ、こんな真冬のときのような室温じゃ暑くて仕方がない。モワッとした気持ち悪い空気に耐えられずに、仕方なく上着を脱いで肩にかける。
以前にもこの店には数回寄ったことがあるが、確かここの文房具コーナーは、レジがある正面の列だったはずだ。記憶を頼りに、俺は買い物カゴを手に取って店内を進んでいった。
――お。あったあった、ここだな。
ビンゴ。鳥頭の自分にしては珍しく、正しい記憶を導き出せた。そんな小さな快感に浸りながら、シャーペンの芯を探し始める。
――って、なんで俺自分のことを鳥頭って言ってんだ。まったく……誰かさんのがうつったな。
そんなツッコミを心の中で呟きながらも、すぐにいつも使っているシャーペンの芯を見つけることができた。普段持ち運ぶ分と、ストック用としてもう一つ手に取り、それらをカゴに放り込む。
他にも何か買うものはないかと、並べられた商品達をぼんやりと眺めていた。
「あれぇー? ねーねー、これってこれでいいんですかぁ?」
「ん?」
そろそろ文房具コーナーを立ち去ろうかと思っていたそのとき、近くからそんなふわふわとした甲高い女の子の声が聞こえてきた。こちらにも聞こえるほど、だいぶ大きな声だったこともあって、なんだか妙に気になってしまう。
「そうだねー。あとこれもセットで使うからー……」
「あっ、じゃあこれもだ! これも入れといてー、えっとー、あとはぁ……」
――……あれ? なんか、聞いたことあるな……。
心做しか、不思議と聞き覚えのあるような声だ。しかし、流石にそれはあり得ないと、もう一人の自分が否定する。
――いや、まさかな。こんなところにいるはずないし……。
あの彼女がまさか、こんな場所にいるとは思えない。しかも多くの人々が休日であろう日曜日にわざわざ、こんなところまできて百均の物を買いに来る意味が分からないじゃないか。それでは全く以って、辻褄が合わない。
――でも気になるな……。一応、覗いてみるか……。
そうは言っても、真実が気になってしまうのは人間の性だ。ここは己の欲望に任せて、行ってみることにしよう。
確か声が聞こえてきたのは、後ろのほうだったはずだ。文房具コーナーを後にして、何列か挟んだ向かい側へと歩みを進めていった。
――あっ、いた。
見つけた。ちょうど棚から収納ボックスを手に取り、眺めている一人の女の子。身長もそれほど高くは無くて、小学生にも見えるその体型。そして何よりも、そんな彼女の横顔には、明らかに見覚えがあった。
――あの喋り方で、あのロリっ娘のような体型。っていうことは、やっぱり……。
「……あれ、日和ちゃん?」
そんな俺の一声に気がついた、彼女がこちらを振り向く。途端、ぱぁっと表情を明るくさせて、手に持っていた収納ボックスを雑に棚へと戻した。
「あぁー! ミノルン先輩だぁ! お久しぶりですぅ!」
先程よりも数倍大きな声で日和ちゃんがはしゃぐ。それと同時に、ハッとした様子で彼女は自分の口元を手で覆った。
「あはは……。久しぶり。どうしたの、こんなところで」
偶然遭遇した日和ちゃんは、何故か私服ではなくスーツ姿だった。スーツと言っても堅苦しいものではなく、いわゆるカジュアルスーツと呼ばれるものだ。
あの日和ちゃんもこんな格好をするのかと思うと、なんだか新鮮だった。
「あー、それはですねぇ……」
「ヒヨリン、あったよー」
ふと、日和ちゃんが話だそうとすると同時に、奥から三十代前半くらいのそこそこ若い男性が一人、こちらへと向かってきた。俺の知らない人だったが、彼も同じくカジュアルスーツを見に纏っていた。
「あっ、ありがとうございますぅー!」
「……おや、そのお兄ちゃんは?」
日和ちゃんの足元に置いてあった買い物カゴに商品を入れながら、彼が問うた。
「あ、えっとですねぇ。私の友達の先輩で、ミノルン先輩ですぅー!」
「ええっと、どうも……?」
よく分からないまま日和ちゃんに紹介されてしまい、軽く彼に会釈をする。すると彼は、「なるほどぉ」とまるで理解したかのように頷いてみせた。
――いや、ミノルンで理解されても困るんだけど。
「ミノルン先輩! こっちは私の上司で、松平さんです! 松平っていちいち呼ぶの面倒なんで、いつもマッツー先輩って呼んでます!」
「こんばんはー、松平と言います。どうぞよろしく」
「あぁ、よろしくお願いします……」
――待て待て、俺だけ状況が全然理解できてないんだが?
松平と紹介された彼も日和ちゃんと同じく、どことなくふわふわした感じの人だった。身体つきは割とガッシリしていて大きいくせに、のんびりとした雰囲気はまさに熊と呼ぶにふさわしい。誰かさん風に言うのなら、まさしく“類友”である。
「で……結局お二人は、どうしてここに?」
危うく話が脱線しそうだったので、再び同じ質問を日和ちゃんへ投げた。
「あっ、そうだった! えっとー、実はぁ、今絶賛お仕事の真っ最中でしてー」
「仕事? 日曜日なのに? ……そういえば俺、日和ちゃんが何の仕事してるのか聞いたことなかったような」
「ですねー。私もミノルン先輩に言ったことなかった気がします! あははっ!」
――いや、あははて……。
「私はですねぇ、ネット通販の事務仕事をしてるんですー。なので、仕事も年中無休なんですよねぇ。会社もこの近くなんですよぉー」
「え、そうだったんだ? 初めて知った」
「そうなんですぅ。でもでもー、わたし結構会社の中でも嫌われ者なのでー。今はこうして、買い出しに駆り出されてるって感じですぅ!」
日和ちゃんが、笑顔のままサラッと自虐ネタを盛り込んでくる。そんな風に楽しそうに言われたって、どう反応すればいいのか分からないぞ。
「あ、あー……。そういえば前に本城さんと話してた時に、そんなことも言ってたような気がするね」
「そうなんですよぉ。でもマッツー先輩は、いつもこうして私の雑用に付き添ってくれてるんです! だから、すっごく感謝してます!」
「ちょっとヒヨリン。急にそんなこと言われると、照れるからやめてってばー」
「えーだってだって、感謝してるのは本当のことですもん! いいじゃないですかー」
「えー。でもそういうヒヨリンだってさぁー……」
俺の目の前で、いつの間にか二人のそんな会話が始まってしまった。まるでマイペースな二人に置いてきぼりになり、段々と居心地が悪くなってくる。
――うーん、似た者同士というか、なんというか……。年齢差はありそうだけど、付き合っても上手くやっていけるんじゃないのかな、この二人。
しばらく二人してお互いの褒め合いが続いたのち、ようやく俺の存在を思い出した様子の日和ちゃんが「あっ、そうだ、ミノルン先輩がいたんだった!」と元気に告げた。
「ねぇねぇミノルン先輩! もしかしてこの後、暇だったりしますかぁ?」
「ん、この後? ……まぁ、暇っちゃ暇だけど」
――でもホントは、今すぐにでも帰って寝たいんだけどな。
「やったぁ! じゃあじゃあ、せっかくだし二人でご飯でも食べに行きましょうよー。私、お腹空いちゃいましたぁ」
「あぁ、ご飯? まぁ構わないよ。俺もちょうどサークル帰りで、お腹減ってるんだよね」
「オッケーですぅ! それじゃあ、どこに行きましょうかー?」
「ちょいちょいヒヨリン。今日の晩ご飯を考えるのはいいんだけど、先に会社にこの荷物持って行かなきゃ―。まだお仕事中でしょー?」
今度は俺との会話に夢中になっていた日和ちゃんに、松平さんがトントンと肩を叩いて告げる。それに対し日和ちゃんが「あぁっ! 忘れてたぁー!」とまたも元気に叫んだ。
「うー、すみませんミノルン先輩! やっぱり無理かもしれないですぅ……」
今度は寂しそうな顔で、ガッカリしてみせる。相変わらず、表情がコロコロ変わる面白い子だと思う。
「あはは……。この後会社に戻ってから、まだ掛かりそうなの?」
「ううん、買い出しした荷物を持っていったら、今日はもうそれで終わりですー」
「そっか。じゃあ日和ちゃんが仕事終わった後でも大丈夫だよ。それまで適当に、時間潰して待ってるからさ」
「えっ、本当ですかぁ!? やったぁ!」
両手をパンッと合わせて、嬉しそうに日和ちゃんが微笑んでみせる。まさかそんなに喜んでもらえるとは、思ってもいなかった。
他の女の子なら、あざとい印象を持ってしまうのだろう。だがこの子の場合は、本気で思ったことをそのまま顔に出すタイプだろうから、本当に喜んでいるのが目に見えて分かりやすい。
「じゃあじゃあ、光の速さで会社に戻って、ミノルン先輩に連絡しますね! なるべく急ぐので、待っててくださーい!」
「うん、分かったよ」
「はーい! それじゃあマッツー先輩、行きましょー!」
「はいよー。それじゃあミノルン君、またね」
「あ、はい、また!」
ご機嫌な様子で買い物かごを持って、レジへと向かう日和ちゃんに、その後ろを歩く松平さん。なんだかまた、キャラの濃い人と知り合いになってしまったなぁと、しみじみ思ってしまった自分がいた。
――……っていうか、ミノルン君てなんだよおい。
ふと我に返って、大事なことを思い出した。松平さんに、日和ちゃんが付けたあだ名しか教えていないじゃないか。二人のペースに持っていかれたまま、ちゃんと自己紹介するのをすっかり忘れていた。
――……まぁいいか。どうせ言ったところで、ミノルンって呼ばれるんだろうし……。
最近の諸々な出来事のおかげで、こういった些細なことにはもう慣れた。適当に諦めをついてため息を一つ漏らすと、小腹を満たすための食べ物を買うために、俺は店内のお菓子コーナーを探し始めた。




