本城さんは、お金持ち?
「だいぶ話が逸れましたね。ともかく、この話の肝心な点は、収益の話ですよ」
改めて本城さんはベッドの上にちょこんと座り込むと、再び眠たそうに大欠伸だ。ぼんやりと虚ろな表情を浮かべるその様を見るに、早く帰って欲しいと思っているに違いない。
「そういえばそうだった。本城さんが一体どんな風に活動してるのか、凄く気になるんだよね」
「なんですか。そうやって、私のプライベートの顔を暴こうとして、益々ストーカー度を高めようとする気なんですね? あまりにも気持ちが悪いので、そのまま追い出しますよ?」
「え。いや……うん。もういいです、続けてください」
「それでいいんです。ここは、私のテリトリーなんですからね」
それを聞いたのは、今日で二度目である。
このまま反論したって、どうせ本城さんの意のままにされるだけなんだ。もはや何を聞いても突っぱねられそうなので、ここは彼女の言う通りにしておこう。
「まぁそれでですね。チャンネル登録者数と、動画の再生回数がそれなりに良くなると、広告収入ってものが貰えるようになるんです。簡単に言うと、私の動画を再生した際に、企業の広告の映像を流してあげることで、その収益の一部分を貰えます。まぁ、一再生では米粒より小さいぐらいのお金ですがね。『塵も積もれば山となる』ってやつです」
右手の人差し指を立てながら、彼女が告げた。
「へぇ、それで生活できてるんだ。凄いな」
「そうですね。この部屋の家賃と、生活費を払えるぐらいなら毎月貰ってます」
「家賃? ……となるとさ、まだちょっとお金足りないよね?」
きっとこの部屋での生活費を総括すると、それだけで毎月十万近くは軽くかかるだろう。そうなると、ここまでゲームやフィギュアを集めるまでの資金は、明らかに足りていない。
そんな俺の一言を聞いた途端、何故か本城さんが顔をしかめた。様子から察するに、痛いところをつかれたといったところか。
「あ、もしかして高校の頃から、ずっと貯金してたとか?」
「いえ、そうではないんですが、その……。今は、祖父から毎月仕送りを貰って生活しています」
「おじいちゃんから?」
「えぇ」
「……あの、ごめんね。気に障るようなこと言うかもしれないけど――」
「両親なら、既に他界しています。中学生の頃から、ずっと祖父と二人暮らしをしていました」
俺が言わんとしたことを察したのか、言葉を被せて彼女が告げた。この様子では、そう言われることはだいぶ慣れているらしい。
「あぁ、そうなんだ……」
「……正直、あんまりあの人のことは思い出したくないんですよね。あんなクソジジイと何年も暮らしていただなんて、今思うと清々します」
声の調子をワントーン下げて、彼女がボソッと呟く。いつの間にか、祖父からクソジジイへと呼び名が変わっていた。
――っていうか、両親よりもそっちなんだな……。
てっきり両親の話かと思いきや、思い出したくないのはおじいちゃんのことらしい。そんなことを言われると、一体どういう事情なのかが気になってしまう。
「おじいちゃんと、何かあったの?」
「あったも何も、大有りですよ。あんな頑固ジジイ、顔を思い出すだけで血反吐が出る。もう二度と、あいつの顔なんて見たくない。どうして年寄りというのは、自分の意見が正しいみたいな感覚で生きてるのかが分かりませんね。若者の考えなんてのは全て否定されるし、話し合いなんてするだけ無駄。『俺の若い頃は~』とか、『俺の経験上~』とか、いちいちうざいんだっての。ホントに嫌い、早く死んでほしい」
「あ、あぁ……そうなんだね」
本城さんの愚痴が、段々とヒートアップしていく。その様子では、少なからず性的な問題や、虐待のような問題ではないようで、一先ず安心した。
きっとそのおじいちゃんも、本城さんの性格に合わせるのが苦手な、プライドの高い人なのだろう。それを聞くと、やはり本城さんと血の繋がった、立派な家族なのだと思う。
「だから、高校の授業が終わった途端に、一人暮らし始めたの?」
「そうですよ。なるべく実家から遠い大学に通おうとこっちに来ましたし、高校の卒業式も行ってません」
「えっ、卒業式行ってないの!?」
それはあまりにも驚愕の事実だった。そんな人、この世に本当にいるものなのか。
「えぇ。でも特に後悔はしていませんし、気が楽でしたね。高校みたいなクズばっかりの場所、ようやく卒業ができて、正直いまが一番楽しいんです」
「そう、なのか……」
「それに、大学は誰も私のことなんて興味ないし、講義も自分で自由に選んで、一人で受けられますからね。まぁ必修科目だけは別ですが。それでも、今が人生を一番楽しめていると思います。――それを、誰かさんが台無しにしかけているんですが」
「……それは俺?」
「他に誰がいるんです?」
「いやまぁ……。なんか、悪かった」
「ま、わりかし先輩は素直で扱いやすいので、マシなほうですけどね。焦ってる顔を見るのが楽しいです」
口元をニヤリと吊り上げて、彼女が笑った。
「あの……一応俺、先輩なんですが?」
「だからどうしたって言うんです? 年齢差があろうが、実力差が伴わなければ意味がありません。社会なんて、そういうものでしょう?」
「うぐっ……。それはそうかもしれないけど……」
「まぁ、就職して後輩達に抜かされないことですね。案外先輩はバカで抜けてる部分が多いので、将来が特に心配です」
「そんなの別に心配されなくても、大丈夫だよ。自分でなんとかしてみせるからさ」
「はぁ……その自信は、一体どこから湧いてくるんだか……」
彼女が大きくため息を吐いた。それは呆れからくるものなのか、それとも本気で心配してくれているのか、はたまたその両方なのか。
「因みに、そういう本城さんは、将来どうするのさ?」
「私ですか? 私は大丈夫ですよ。現在進行形で、仕事持ってるようなものですから。今後も動画の収益は増える見込みなので、貯金しながらやりくりしていけば、十年くらいは生き延びられるんじゃないですかね?」
「いやじゃあ、その先は?」
「うーん。それまでの間に、もし恋愛らしい恋愛ができていれば別ですがね。そうじゃなければ、お金を持っていそうな適当な男を見つければ済むんじゃないですか?」
「……いいのか、それで?」
「そうすれば私は、一生自宅警備員で生きていけるんで構いませんね」
「うわぁ、なんてお姫様な考え方なんだ……」
そんなのはただの、男のことをATMだと思い込んでいる女性と何ら変わらないじゃないか。言ってしまえば、旦那のお金に縋るだけの、ただのヒモ生活だ。
「だから言ったじゃないですか、お姫様なんだって」
「はいはい、そうっすね。姫様ー……」
「ふふっ、私のことは、姫様とお呼びなさい? ……ほら」
彼女は後ろ髪を右手で弾いてみせると、言葉を促すように俺へ左手を差し伸べた。
「……え、やらせるの?」
「いいじゃないですか。練習ですよ、練習」
「なんのだよ!?」
「演技の練習ですよ。先輩演劇やってるんだから、練習は必要でしょう? 日頃から練習を怠らないのが、役者というものですよ」
「はぁ……。はい、そうですね……」
改めて話を聞いていると、本当にワガママお姫様のような性格をしていると思う。彼女の過去はまだよく知らないが、それでも嫌われていたという事実が本当なら、それはそれで納得できる気がする。
もちろん、それが分かったところで、俺が彼女のことを嫌いになるわけではないが。
「まぁ、そういうわけなので。その二つの収入源のおかげで、私は生活できているということです。よく分かりましたか?」
いつの間にか話が脱線していたところで、彼女が元へと戻した。
「ん? うーん、分かったのは分かったんだけど……」
「なんですか、まだ疑問があるんですか? 先輩はやっぱり、おつむが弱いんですね」
「いや、なんでそうなるの!? 違うよ。ただ、例えそうだったとしてもさ、この数のものを集めるのには、やっぱりなんか足りないような気がするんだよね。よっぽどその、おじいちゃんからの仕送りが多くない限り、ギリギリになっちゃうような気がしてさ」
「……あぁ、そういえば言ってませんでしたね」
天井を見上げながら、思い出したかのように本城さんが告げる。
「言ってないって、何を?」
「ウチのクソジジイ、ああ見えて魚市場の会社の社長なんですよ」
「はぇ……しゃちょさん?」
「はい。だから、金銭感覚が狂ってるのか、毎月それなりに仕送りが貰えるんです。多く貰えるなら、それに越したことがないですしね」
それはまた、話が飛躍しすぎだ。彼女ですら凄い人物だというのに、その祖父も凄い人だというのか。やはり家族の遺伝子とは、結局そういうものだと思う。
「それに、クソジジイは機械が苦手なので、私がネットで活動していることを知りません。言ってもいないですしね。だから、それなりの仕送りを貰えてるんです。きっとそれを言ったら、今貰ってる分の三分の一ぐらいになるだろうし、堪ったもんじゃない」
「は、はぁ……」
それはなんだか、親の金を騙して使っているのと同じではないのか? 俺がそのお金を使っているわけではないはずなのに、なんだかこっちが申し訳なく感じてきたぞ? ……おじいちゃん、ごめん。
「それに加えて、二週に一回ぐらいのペースで、海で取れた魚も送ってくるんです。いちいち料理するのが面倒だから要らないっていつも言ってるのに、しつこく送ってくるんですよ。海鮮だから、早く食べないと鮮度が落ちちゃうじゃないですか。ホントに迷惑なんですよね」
「へぇ。でも海鮮いいじゃん。わざわざタダで送ってくれてるんでしょ? スーパーとかで買うと高いし、お得じゃん」
「得とかそういうのはどうだっていいんです。先輩には分かりませんか? 毎回毎回、わざわざ魚を捌くところからやらなくちゃいけない面倒くささが……」
「えっ……捌くところからなの?」
それは確かに、ちょっと面倒な気がする。……とはいえ、それでもタダで頂けているのだから、なかなか文句は言い難いところだ。
――っていうか……本城さん、魚捌けるんだな。
「そうですよ。そんな魚を捌く時間があるのなら、ゲームのクエスト一つくらいクリアできるだろうにですよ? まったく、嫌になっちゃいます」
「……それはそれでゲーム脳過ぎやしないか?」
「はぁ、そうですよ。ゲーム脳で結構です。ゲームは友達、ゲームはクソゲーじゃない限り裏切らない、そんなゲームを愛してます」
「あぁ……この子、怖い」
淡々と彼女が告げてみせる。もはやゲームを愛してしまったら、取り返しのつかないところまでいってしまいそうなものだが。
「怖いってなんですか。先輩のその、年齢に見合っていないアホな頭よりはマシですよ」
「……誰がアホだって?」
「先輩です。聞こえませんでしたか? 私は今、あなたに向けてアホと言いました。それだけです」
「うっせ! あぁいいさ。いつか絶対、見返してやるからな!」
「どうぞ。いつでもお待ちしています」
脚と腕を組んで、鼻高々に俺を見下ろす本城さん。俺が床に座っているということもあるが、それでも今の本城さんは、かなり高いところから俺のことを見下ろして、嘲笑っているに違いない。
――あぁクソ! いつか絶対見返してやって、そして演劇サークルに勧誘させてやるからなっ……!
この時、俺は改めて、本城さんを絶対にサークルへの勧誘を成功させることを、心に強く誓った――。
それからなんだかんだ、本城さんと雑談――もとい、罵り合いを繰り広げながら、一時間程を過ごしていた。
ふと気が付いた頃には、窓の外で降る雨が弱まってきていた。どちらにせよ雨には打たれてしまうとはいえ、外へ出るなら今のうちだ。
「んじゃあ……っと。あんまり長居するのも悪いし、俺はここらでお暇するかな」
「あら、もう帰るんですね」
咄嗟に本城さんが俺へ問うた。
「そうだけど……。何、そんなに嬉しいの?」
「そうですね、とっても嬉しいです。感謝、感激、雨、あられですね」
「そんなにか……」
果たして、彼女の言葉はどこまでが本音で、どこまでが強がりなのかが分からない。それでもきっと、今の言葉は絶対に前者だと思っている。
「……まぁ、でも」
ポツリと呟くと、突然本城さんは立ち上がった。次の言葉を溜めたまま、隣のリビングへと向かっていってしまう。
「ストレス発散に、もう少し先輩をサンドバッグにしたかったんですけどね」
背中を向けながら、チラッとこちらを振り向いて告げた。
「おいおい、俺はいつ君のサンドバッグになった?」
「あら、先輩が私のところに来るようになってから、ずっと私はサンドバッグだと思っていましたが」
「そんなものになった覚えはないんだけどなぁ……」
やれやれと、そのまま立ち上がって本城さんの後ろを歩く。
「いいじゃないですか。こんなに私にズタズタに罵られても、全然先輩めげないんですもん。ここまで私に付きまとってきた人は初めてです」
「……え、まさか今まで俺のことを、本気で罵ってたの?」
「……え、寧ろ本気で罵られてると、思ってなかったんですか?」
お互いがお互いに、その言葉に驚いて向かい合う。なんだこれ、どういう状況だ?
「まさか先輩、生粋のドMなんですか? ヤバい、それは流石に気持ち悪い……」
「いや待て、勝手に決めつけるな……。てっきり俺はもう友達だから、色々冗談言ってくれてるんだなぁって思ってたんだけど」
「冗談? 私が?」
彼女が機嫌悪そうに、グッと眉をひそめる。
「うん。……え、まさかホントのホントに、本気で言ってたの?」
「当たり前じゃないですか。本気じゃなかったら、こんなこと言ってません」
「あ、当たり前なんだ……」
それはそれで、やはりショックだ。俺はもうてっきり、友達になったものだと思っていたが、彼女はそうは思っていなかったのか。
「そもそも、私はまだ先輩と友達になった覚えはありませんよ?」
玄関の前までたどり着く。彼女の隣まで歩み寄ると、俺はその場にしゃがみ込んで、靴を履き始めた。
「えぇ……。じゃあどうすれば、本城さんと友達になれる?」
「いや、友達なんて、なろうと思ってなれるものじゃないでしょ」
「え、そうかなぁ? 友達になろうよ、うんいいよ、でなれるものだと俺は思ってたんだけど」
「なんですか、そのおとぎ話のような平和な世界観は。やっぱり私と先輩じゃ、生きてきた世界が違うんですね」
顎に手を添えながら、「うーん」と彼女が唸った。これはまた、困ったものだ。一体どうすれば、彼女と友達になれるものか。
「でもさ。俺はもう、君のことを友達だと思ってるよ。これだけ一緒にいるんだし、お互いのこともそれなりに知れたわけだし。十分過ぎるくらいかな」
靴を履いて、その場に立ち上がった。お互いに、向き合う形となる。
「勝手にそう思われてても困るんですけど」
「それもそうだけどさ……。まぁ、君がいつ俺のことを友達だと認めてくれるかは、君次第だよ」
結局俺がいくら言おうが、彼女自身が俺のことを認めてくれなければ意味がない。彼女に拒絶されない限りは、俺はこうやっていくらでもアプローチをかけてやろうと思う。
「私のタイミングでいいなんて、また随分お優しいんですね」
「優しいというか……ただ人として当然のことを言っているだけだよ。そうでしょ?」
「まぁ……それもそうですね。……分かりました、じゃあこうしましょう――」
俺が問うと本城さんは、少しだけ考え込んだ後、面倒くさそうに大きなため息を吐いた。どうやら、こんなことを本当はしたくないと言いたげな表情だ。
そうして――彼女が次に告げた言葉を、俺達はすぐに実行へと移した。
◇ ◇ ◇
――ふいーっ……。ようやく帰ってこられた。
本城さんの家から、自宅まで自転車を引いて約五十分。やっとの思いで雨の中を帰ってこられた。
今回は徒歩なのでここまで時間がかかってしまったが、ちゃんと乗っていれば恐らく二十分ぐらいの距離だろう。住んでいる場所が、彼女の家からそう遠くないという事実に、帰路をたどりながら思わず驚いてしまった。
急いで濡れた服を洗濯カゴの中へ投げ込みパンツ一丁になると、部屋の中から適当な部屋着とタオルを取り出した。
――いやぁ、本城さんが傘を貸してくれたから助かったなぁ。まさかホントに貸してくれるとは思ってなかったから。
玄関に立てかけた、本城さんの傘を覗く。
彼女からお借りしたそれは、やはりグレー色の傘だった。前々から薄々感づいていたが、どうやら彼女はグレーカラーがお好みのようだ。
――しっかしまさか、本城さんのほうからあんなことを言うなんてなぁ。ちょっと驚いたよね。
仕上げにパンツも脱いでから風呂場へ入り、シャワーを浴びながら浴槽に水を溜め始める。早いとこ水を溜めて、冷えた体を温めたいところだ。
――……“傘を貸してやるから、その代わり何かお返ししてくれ。だからその連絡を取るために、連絡先を交換しましょう”……。なんて、どこの乙女だよって。あははっ、本城さんらしくないよなぁ。
きっとまた、強がりでそう言ってしまったのだろう。こんなこと、本城さんが本位で言うだなんて、絶対にあり得ないのだから。
けれど、そんな強がっているところを眺めているのもちょっと面白くて、可愛くも見えてしまった。
「まぁ、今度昼飯でも奢ってやるかな……」
そんな可愛らしくて愛嬌のある後輩ちゃんに、俺は益々興味をそそられた一日となった。