信頼のカタチ
「色々と、お騒がせしました。わざわざ今日は、ありがとうございました」
玄関先で河辺さんに見送られながら、先輩が先に靴を履いている。彼の隣で一緒になって靴履くのはなんとなく嫌だったので、終わるまで私は河辺さんの隣に立っていた。
「い、いえ、こちらこそ辛い話をさせてしまってすみません」
「いいんです。私からお二人をお誘いしたんですから。断っていただいてもよかったのに、来ていただいただけでも嬉しかったので」
「そうですか……」
「……よし。本城さん、俺先に外出てるよ」
「あ、分かりました」
靴を履いて立ち上がった先輩が、そう言って玄関の外へ出ていく。玄関は開きっぱなしだが、小声でならあまり聞こえなさそうな距離だ。
「……あ、あの、河辺さん。最後に一つ、聞いてもいいですか?」
家を出る前に、どうしてもずっと彼女に聞きたいことがあった。終始タイミングを見計らっていたが、もうここで聞くしかないだろう。
「なんでしょうか?」
何事だと言いたげな表情をしながら、彼女が首を傾げる。彼女へ向けて、私はその疑問を問い掛けた。
「どうして河辺さんは、今回村木先輩を家に誘ったんですか?」
先輩には聞こえないように、なるべく小声で呟く。
「それは、どういうことです?」
「だ、だって、私達は昨日初めて会ったばかりなのに、わざわざ家に呼んでここまで教える必要もなかったと思うんです。私達が聞きたかったのは、あのワンちゃん達のことだけだったのに、余計な辛い話までさせてしまって、よかったのかなって……」
私がそう問うと、河辺さんは上目を向きながら「うーん」と唸ってみせた。即答しなかった彼女に、私の疑問は更に濃くなっていく。
「何ででしょうね。なんとなく村木さんが、信頼できそうな方だったから……でしょうか」
「はぁ……」
だいぶぼんやりとした答えだった。予想以上にふわふわとした言葉に、拍子抜けしてしまう。
「でも人って、なんとなく雰囲気で分かるじゃないですか。もちろんそうじゃない方もいらっしゃいますけど、大体の方は話したときの返事とか態度で、その方の成り立ちが半分くらい分かっちゃいません?」
「まぁ、分からなくはないかもしれないですけど……」
「それでいいと思うんです。いちいち誰がどのくらい信頼できるのかなんて測ってたら、キリがないじゃないですか。なんとなく『自分と合いそうだな』で始まって、合わなかったら『仕方がないや』でいいと思うんです。今回だって、なんとなく村木さんなら話してもいいかなと思ったから呼んだ。ただそれだけですよ」
「そう、ですか……」
――信頼できるか測ってたらキリがない、か……。
私は昔から、相手のことを色んな観点から測ってばかりだった。相手がどんな性格で、自分とどう考え方が違って、どんな相手と仲良くしているのか、そんなことばかり。
先輩のことだって、最初は陽キャだからと疎遠にしようとしていたし、今回の河辺さんのことも、初めは全く信頼しようとしていなかった。とにかく信頼できる人しか周りに置いておきたくなくて、寄ってくる人間の大半は切り捨ててしまっていた。それがどんな相手なのか詳しく知ろうともせず、上辺を見ただけですぐに。
「確かにあの人は、情けないところがあったりしますけど……でも、悪い人では無いと思ってます」
「でしょう? だからそれでいいんですよ。それに……」
そこで彼女が一旦言葉を止めた。そして一息吐くと、彼女はニッと頬を緩めてみせた。
「それに多分、イヨとカヨは未だに母のために栗を持ってきているわけじゃないと思うんです。信頼できる村木さんだからこそ、栗をプレゼントしてるんじゃないかと、私は思ってます。犬って本当は、警戒心が強い生き物ですからね」
彼女が初めてみせた笑顔に、思わずドキリとしてしまった。同時に、彼女に対して申し訳ない気持ちになる。
私は今の今まで、彼女を堅苦しい人だと思っていた。辛い思いばかりをしたせいで、滅多に笑わないような人になってしまったのだと思っていた。だがその考えが、この一つの笑顔で全て払拭されてしまったのだ。
――そっか……。この人もこんな風に、嬉しそうに笑うんだ。
そんなこと、普通に考えてみれば当たり前のことなのかもしれない。けれども私は、そんなことさえも意外に感じてしまった。
「……そうですね、そうかもしれませんね。あの人、無駄に人を寄り付かせる性格してますから」
「ふふっ、分かる気がします。あなたも彼と一緒にいて、色々と大変でしょう? 今後も大変かもしれませんが、一緒にいてあげてくださいね。ああいう人って、意外と寂しがり屋だったりしますから」
――……一緒、か。それも、まぁ、悪くないかな。……村木先輩なら。
「……はい」
「あれー、本城さん? 何してんの?」
ふと、いつまで経っても出てこない私を心配したのか、彼が再び戻ってきた。流石に立ち話をし過ぎたようだ。
「あー、すみません。今行きますよ」
「……なんで笑ってんの? もしかして、俺の話でもしてた?」
思わずギクッとする。意識していなかったが、どうやら笑ってしまっていたらしい。
「そんなことないですよ。気のせいです、気のせい」
「えー、なんだよ。気になるなぁ」
「いいんです、先輩は気にしないでください。女の秘密話です」
「ちぇっ……」
ようやく私が靴を履き終わると、彼はまた玄関の外へと出ていった。それを見て再び私は、振り返って河辺さんのほうを向く。
今まで堅苦しくて、冷たくて、悲しそうに泣いていた表情が嘘のような母の笑顔で、彼女は私達のことを見送ってくれていた。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、先輩。一ついいですか?」
帰り道。再び彼と並んで、河川敷の長ったらしい一本道を歩く。そんな中で私は、彼に向かって問い掛けた。
「何?」
「河辺さんの家に向かう途中、私さっき言ったじゃないですか。『人間なんて、いくら友達だろうとある程度距離を置いて程々に付き合ったほうがいい』って」
「あぁ、うん……言ってたね」
私が言葉にした途端、先輩の表情が変わった。どうやら、気にさせてしまっていたらしい。
「あの言葉……やっぱり気にしないでください。考えてみたら、自分バカだなって思ったので」
「……え?」
彼が素っ頓狂な声を出した。
「やっぱり、信頼とかそういうのって気にし過ぎもいけないと思ったんですよね。面倒くさいし。私達には私達の関係があるし、それにあれこれ信頼度を付けるのもアホらしいじゃないですか。なんかもう、そういうのいいやって思って」
「えーっと……。つまり、友達らしく接していいってこと?」
「まぁ……多分、そういうこと、なんですかね……?」
「いや、お前も分かってないんかい……」
呆れた様子で、彼がフッと笑う。だがその表情からは、安堵の様子が垣間見えた。
「そうだなぁ……。確かに俺も、本城さんの言葉を信じ切れてなかったし、そこは申し訳ないと思ったから。これからはちゃんと、本城さんの言葉を信じるよ」
「あー、いいですよそういうの。そういうのを面倒くさいって言ってるんです」
「え、じゃあ何?」
「だから、えっと……。別に友達だからといっても、全部が全部信じられるわけじゃないですし、それを強要しようとしてたのは私じゃないですか。いやまぁ、確かにその、結局は最初に言ったこととあんまり変わってないかもしれないですけど、程々に信用し合いたいというか、それでもそんなことをいちいち気にし合いたくないというか……と、とにかく、そういうことなんですよ!」
段々自分でも、何が言いたいのか分からなくなってきた。挙句に適当に言い包めて、無理やりまとめてしまった。
あまりにも雑な説明に、一体なんと言われるのかヒヤリとした。だがそんな私の言葉を聞いていた先輩が、突然楽しそうに吹き出して笑う。
「なんだよそれ、もう……。とにかく、あれでしょ? 今まで通り友達でいればいいんでしょ?」
「ま、まぁ……そういうこと、ですけど……」
「じゃあいいじゃん、今までと何も変わらないし。友達って、そういう細かいことを一つ一つ気にしなくなっていくほど、仲良くなっていくものだと思うからさ。そう言ってもらえるだけでも、俺は嬉しいな」
「……そう、ですか。ならまぁ、よかったですけど……」
私がそう言うと、彼は歯を見せてニィっと嬉しそうに笑ってみせた。
――また、この笑顔だ……。
その笑顔に再び、私の心がざわつく。
こんなにも面倒くさくて、考え方が合わなくて、できれば何にも付き合いたくないはずなのに。本当はもう、こうして隣にいてほしくないはずなのに。――この笑顔のせいで私は、この人のことを嫌いになれないでいるんだ。
「ま、色々と解決してよかった。これからも河辺さんは愛佳ちゃんと一緒に顔を出してくれるみたいだしさ。ご両親はまだ見つかってないみたいだけど、今後見つかるといいよね」
両手を頭の後ろに乗せながら、呑気に彼がそんなことを言う。一体この人は、何を言ってるんだろう。やっぱりアホなのかな。いや、アホなんだと思う。
「なに言ってるんですか。一番肝心なことを忘れてますよ」
「え? なんだっけ?」
どうやらすっかり忘れているようで、目を丸くさせながらこちらを見ていた。
「あのワンちゃん二匹のことですよ! 結局、どうして今のように栗を渡しに来るかが分かっただけで、何の解決策も出ていないじゃないですか」
「……あっ! そういえばそうだった!」
「はぁ……」
思わず大きなため息が口から出る。まったく、この人の記憶力は一体どうなっているんだろう。一度精密検査で調べてもらったほうがいいんじゃないだろうか。
「ならさっさと、解決策を考えましょう。いつまでも栗を持ってこられちゃ、先輩の部屋の中が栗臭くなっちゃいますからね」
「そうだなぁ……。……あっ」
「? どうかしましたか?」
突然村木先輩が、何かを思い出したかのように口を開いた。
「いやさ……今ふと思い出したんだけど。俺……多分九月頃に一回、あの二匹のこと撫でたわ」
「……は?」
一瞬、その言葉の意味が分からなかった。
「いや、あの……朝ゴミ出しする時にさ。偶々駐輪場の近くにワンちゃん二匹が寝転んでて、可愛かったから少し撫でてやったんだよね。あんまり覚えてないけど、多分あの二匹だった……ような気がする」
「……原因、それじゃないですか。絶対」
「……うん。原因、これだと思う。多分」
「……先輩、アホですね」
「……うん、俺も今そう思った」
「はぁ……」
情けない。そんなことすら覚えていないだなんて、私と話していなかったら絶対に思い出していないじゃないか。
――あぁもう……。ホントにこの人、私がいなきゃ何もできないなぁ。先輩のくせに……。
「もうっ、そんなんだから部屋にエロ本出しっぱなしのことも忘れるんですよ。この鳥頭」
「へあっ!?」
私の一言に、急に顔を真っ赤にして彼が叫ぶ。いや、どこぞの三分しか動けないヒーローかあなたは。
「押し入れの中に入ってて、さぞ安心したでしょうね。昨日私が部屋に入ったとき、堂々と枕元の台の上に置いてあるんですもん」
「えぇ!? あそこに置いたの、本城さんだったの!?」
「そうですよ。あぁ、それ見てそういうことしたんだなぁって思いましたよねー」
「ち、ちがっ! それはあの、ワケがあって!!」
珍しく声を荒げながら、顔を真っ赤にして必死に弁解してみせる。初めて見るそんな彼の姿に、吹き出して笑ってしまいそうになるのをグッと堪える。
「まぁ? 先輩はああいう趣味をお持ちなんだなぁって分かっちゃいましたけど? それでもドン引かずにこうしてお友達としてお出掛けしてあげたんですから? しかも知らんぷりして先輩の秘密を守ってあげようとすらしてあげたんですから? 少しは感謝して欲しいんですけどねー」
「だ、だからっ!」
「すみませんねぇ、先輩。私が全然ロリ体型じゃなくて。私じゃ、先輩のおかずにすらなりませんよねぇ。まぁ、されたらされたで気持ち悪いですけどね」
「だから違うんだって! 信じてくれよ!」
「えー、どうしよっかなぁ……」
「だっ……もう……」
そこで萎えてしまったようで、声を震わせながら深々とため息を吐いてしまった。流石に泣きはしないだろうが、それでもかなり文句を言いたげだ。
――ま、昨日学食で別れる時に何か言いたげだったし、最初見たときから誰かから借りたか何かなんだろうなぁとは思ってたけど。……村木先輩って、絶対年上好きだし。でも反応面白いから、しばらくこのままでもいいや。
相変わらず酷い性格を自分はしているなぁと思いつつも、彼の反応をもうしばらく楽しむために、強引に話を拗らせてしまった。
彼に本当のことを話させたのは、それから実に数週間後だったのは言うまでもない。




