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「命」と向き合うこと(2)

「私の両親は――今、行方不明になっているんです」


「……え?」


 河辺さんの言葉を聞いて、村木先輩が短い言葉を発する。どうやら彼は、そこまで考えてはいなかったようだ。


 ――やっぱりか……。


 あまり想像したくないことだったが、それが事実だというのなら仕方がない。聞いていて良い気持ちはしないが、もう少し詳しく彼女に話を聞いてみよう。


「愛佳ちゃんにわざわざ、『アメリカへ行っている』なんて嘘をついている時点で、気にはなっていたんです。病死とか事故死だとしたら、もうお葬式も全て終えているはずじゃないですか。そうだとしたら、当然愛佳ちゃんも出席しているはずですし。それを、わざわざそんな嘘で誤魔化すのは明らかに不自然でしたから……」


「あぁ! 確かに……。俺はてっきり、亡くなってるのかと思ってた……」


 驚きの表情を浮かべながら、先輩が私のことを見る。そんな顔で見られても、別に凄いことでもなんでもないのに。


「そうだったらわざわざ、『ご両親はもういらっしゃらないんですよね?』なんて聞き方しませんよ。それに、『亡くなっていますよね』なんて聞き方したら、それこそ失礼じゃないですか」


「う……それもそうだ」


「……教えてください、河辺さん。ご両親は、どうして行方不明になってしまったのか」


 改めて彼女へ向かって告げる。

 正直なところ、昨日彼女が娘の愛佳ちゃんへ嘘を吐いていた時から、ずっと真実が気になっていた。先輩が言っていたように、確かに河辺さんが日頃の鬱憤(うっぷん)から、両親を殺害してしまったという可能性も捨て切れない。だがどうしても、その説は信じられなかった。――彼女がそんなことをする人間には、到底思えなかったのだ。


「……分かりました、話します」


 そう言って小さく頷くと、彼女は神妙な顔つきでその真実について語り始めた。






「先程お話したように、母の認知症は徐々に悪化していきました。認知症になってから、悪化のスピードが凄く早かったんです。仲良しだったご近所さんのことから、自分で名付けたイヨとカヨのことも、自分の子供のことまでも忘れていって、最終的には父以外を認識できなくなりました。最後まで父のことを覚えられていたのは、それほど父を愛していたからなのかもしれません」


 そこで河辺さんは一呼吸を置くと、そのまま話を続ける。


「ですが……去年の秋です。珍しく夜中に父から電話が掛かってきて、何事だろうと電話に出たんです。その時父に言われました。『母さんがとうとう、俺を忘れちまったみたいだよ』って。物凄く悲しそうにしながら話していました。もしかすると、泣いていたのかもしれません。


 でもそんな父に私は、“たかがその程度で”と思ってしまいました。もう既に、私は娘として覚えられていませんでしたから。認知症は治せないんだし、いずれ忘れられるのは父だって同じでしょう? そんな風に、私は思ってしまっていました。もちろん直接そんなことは言いませんでしたが、口調には出てしまっていたのかもしれません。それを、父も感じ取ったのかもしれませんね。


 そうしてしばらく話した後に、最後に父から言われたんです。『父さんと母さんは、お前が忘れない限りずっと家族だよ』って。その時は、その言葉の真意が全く分かりませんでした。何を当たり前のことを。そう思いながら、その日は電話を終えたんです。……問題は、その次の日でした」


 ふと、河辺さんが「すみません……」と告げながら、右手で目を擦り出す。

 話の内容から、段々と予想がついてきた。それがどれほどまでにショックで辛い出来事だったのか。話している本人はどれほど辛い心境なのだろうと、私は思った。


「次の日、いつものように両親が住む部屋へ向かったんです。ですが、普段ならインターホンを押せば出てくるはずの父が出てこずに、部屋の中からは何も物音が聞こえてきませんでした。


 明らかに異変を感じた私は、合鍵を使って中に入ったんです。ですが、中には二人ともいませんでした。まさかと思って部屋の中から駐車場を見てみると、普段父が使っていた車がなかったんです。……その時に分かりました。父が母を連れて、どこかへ行ったんだと」


 河辺さんの話を聞いていた先輩が、「そんな……」と小さく呟いてみせた。実に彼らしい反応だなと思いながらも、特に何も口出しせずに話を聞き続ける。


「すぐに弟へ連絡しようとした時に、ふと机の上にある置き手紙に気が付きました。その内容を見て、全て分かったんです。父がどうして今まで、ヘルパーの方を頑なに呼ばなかったのか。どうして電話の最後に、あんなことを言ったのか。どうして父が母を連れていったのか……」


 そう言うと河辺さんは、懐から数枚の紙を取り出した。それを、私達に見えるようにこちらへ差し出す。


「これが、その手紙です。あまり他人には見せるべきではないのでしょうが……これを見せないと、信じてもらえないと思ったので」


「そうですか。えっと……何々?」


 手紙の一枚目を手に取った村木先輩が、私に代わって目を通す。黙読して次に私に読ませてくれるのかと思いきや、彼はわざわざ音読をして、彼女のお父さんからの手紙を読んでみせた。



 ◆ ◆ ◆



 (なぎさ)宏太(こうた)


 突然の出来事に、二人とお前達の家族を混乱させてしまっていることだろう。本当に、申し訳ない。

 こんなことになってしまったのは、父さんのワガママのせいだ。それも、お前達二人に相談すればいいものを、ずっと黙ってきてしまっていた。父親として、そして人として、本当に最低な行為だろう。恨んでもいい。だがそんな最低な人間として、いくつか言い訳をさせてほしいんだ。


 まず今まで、母さんの介護を全て渚と宏太に任せきっていたこと。頑なに専門の人間に任せようとせず、ずっと二人に任せていたね。二人が忙しいのにも関わらず、負担ばかりを掛けさせてしまっていた。そしていくら渚に言われても、父さんは「専門の人間は嫌いだから」と言っていたと思う。実はアレは、嘘なんだ。それについては、いま謝ろう。すまない。

 それからもう一つ。突然父さんと母さんがいなくなって、混乱させてしまっていること。これについても、上の話と同じ理由があるんだ。今までずっとお前達に黙ってきたが、ここで話そうと思う。直接口で言えないことだけが心残りだが、こうでもしないと決心ができなかったんだ。


 さて、そんなお前達に迷惑ばかり掛けるようになってしまった理由についてだが、これはお前達二人が独り立ちして、実家に母さんと二人きりになったとき。母さんから父さんに、言われたことがあるんだ。それは「もし私が将来ボケて、渚と宏太、そしてあなたのことを忘れてしまったら、私を殺してもいい」ということ。だいぶ物騒な作り話だと思うかもしれない。笑われてしまうかもけれど、これは本当のことなんだ。

 父さんも最初は、意味が分からなかった。そしてその理由を尋ねてみたら、母さんはこんなことを言ったんだ。


「自分の記憶がある今は、記憶があるからこそあなたの妻でいられて、あの子達二人の母でいられるでしょう? でももし記憶が無くなって、あの子達の母では無く、あなたの妻ですらなくなってしまったら、それはもう私であって私じゃないの。それは私のような姿をした何か。ただ物を食べては出して、寝ては起きるだけの生きた何かになってしまうの。自分が何者かすらも分からずに、相手が数年前まで愛してやまない家族だったことすらも忘れて、生きているようで死んだ孤独の何かなのよ。そんなこと、私は耐えられないの。


 介護をするってだけでも、家族みんなに迷惑を掛けるでしょう。それに、将来渚や宏太が結婚した相手の家族にすらも迷惑になる。そんな迷惑を何年も掛け続けるなんて、私には耐えられない。本当は、迷惑になる前にいなくなってあげたいところだけど……そう言うときっと、あなたが一番許さないでしょう? だからせめて、私が家族みんなを覚えているうちは、みんなと一緒にいさせてほしいの。これは私のワガママ。その後は、あなた達に任せるわ」


 そう母さんは言ったんだ。それでも父さんは、それには反対だった。どうにかして説得しようと、必死に言葉を考えたさ。でも母さんは変わらなかった。挙句に、こんなことを言ったんだ。


「そりゃあ、私が家族みんなのことを忘れてしまっても、あなた達は私のことをまだ愛してくれているかもしれない。でもそれじゃあダメなの。愛っていうのはね、お互いに愛を分かち合うからこそ成り立つの。ただ一方的に愛を渡し続けているのは、それは愛じゃなくてお節介か何かでしょう。


 もちろん赤ちゃんとか、小さい子供に対してなら少し意味合いは変わってくるかもしれないけど、お互いを理解し合える相手同士なら分かるでしょう? 『私はこんなに子供を愛しているのに!』と言ったって、その子供が親を怖がっていたら意味がない。夫婦同士なら当然分かち合えていなければ意味が無いし、子供相手なら分かち合うとまではいかなくても、その愛を子供に理解されてなければ、それはただの一方的な親のエゴでしかない。それで愛し合ってると言われたって、何の説得力も無いじゃない。


 それでも世間は、“認知症になった妻を愛し続ける夫”を美談として扱うでしょう? 私にはそれが、よく分からないのよね。何も理解できなくなった私に対して、ずっと私を愛し続けられるとあなたは言うかもしれない。けれど、それは果たして意味があるものなのかなって私は疑問に思うの。植物人間のように、回復の可能性が〇・一パーセントでもあるのなら頑張れるかもしれない。けれど認知症は違う。今後ただ衰弱していくだけの人間を生かして、どういう意味があるのかしら。もう取り戻すことの出来ない過去を抱きしめながら、私の姿をした何かを世話して生きていく老後。考えてみて、虚しくなるでしょう?


 あなたには、あなたの人生があるの。同じく渚には渚の人生があるし、宏太には宏太の人生がある。そこに私のような何かがわざわざ介入する必要は無いの。昔私だった生き物を生かし続ける人生なんて、時間が勿体無いじゃない。


 だから、そんな私のことは忘れて、楽しく生きてほしいと思うのが私の願いよ。だって、あなた達が私のことを覚えていてくれるのなら、それだけで生きていて良かったと思えるんですもの」


 母さんのその言葉は、今でもずっと覚えてるよ。それまで父さんが考えたことも無いような話だったから、あまりにも衝撃的過ぎて、今でも鮮明に覚えてる。

 そこまで聞いて、分かったんだ。母さんはそれほど、家族みんなのことが大好きなんだと。渚や宏太、そして父さんのことを愛してくれているんだと。そんな母さんを裏切ってしまったら、それこそ夫として失格だと、父さんは思ったんだ。


 それでも、いざ母さんが認知症になった時はショックだったさ。まさか本当になるとは思ってもいなかったから、その申告を聞いてしばらくはずっと頭が痛かったさ。

 母さんが言っていたことは理解できたよ。でも、だからと言って俺の言い分をスルーされるのは嫌だろう? だから父さんは、渚と宏太、そして母さんにも嘘をついて、敢えて介護の専門の人間に頼まずに、渚と宏太に介護を手伝ってもらっていたんだ。二人に少しでも母さんと一緒にいられる時間を作ってあげたかったし、何よりそれで母さんが家族のことを忘れないでいてくれたらいいと思っていたから。

 こんな大事な話を、今までずっと黙っていてすまないと思ってる。でもこれを話したら、渚が黙っていないと思ったから話さなかったんだ。本当に、父親として失格だな。


 ここまで読んだお前達なら、もう父さんが何を考えているか分かっていると思う。ここには敢えて何も書かないが、父さん達のことは探さないでそのままにしておいてほしいんだ。きっといくら探したところで、見つからないと思うから。これは、父さんのワガママだ。

 いいかい、父さんと母さんはお前達が忘れない限り、ずっと家族だ。それはこれまでも、そしてこれからも変わらない。

 お前達が父さんのことをどう思っているかは分からない。けれど、父さんからこれだけは言わせてくれ。

 父さんは渚のこと、宏太のこと、そして母さんのことを、ずっと愛しているよ。


 父 勝之(かつのり)より



 ◆ ◆ ◆



「……そういうことだったんですね」


 長く続いた文章を読み終えた先輩が、静かに一言告げる。一方、その文章をずっと聞いていた河辺さんは、途中から耐えられなくなったようで、ハンカチで目を拭いながら涙を流していた。


「先輩、それちょっと見せてください」


「ん、はい」


 彼から手紙を受け取って、ようやく文面を見ることができた。字体を見るに、確かに女性ではなく男性が書くような、硬く圧の強い文字だった。これは本当に、彼女のお父さんが書いたものだろう。


「確かにこれは、お父さんのものだと思います。こんなに堅苦しい文字を書くのは、ご年配の男性に多いでしょうからね」


「分かるの?」


 私の言葉に、不思議そうな顔をして先輩が問うてくる。


「そりゃあ、五年もクソジジイと一緒に住んでたら、何人ものおじさんの字を見ますよ。こんな文字を書く女性は、まず珍しいんじゃないでしょうか。河辺さんもこんな字を書く方には見えませんし、信じていいと思います」


「そっか……」


 手紙を机の上に置いて、会話に一呼吸を置く。ずっと涙を流していた河辺さんだったが、そこでようやく「すみません、大丈夫です……」と小さく口にした。






「でも、そっか……。お父さん、お母さんと二人でいなくなっちゃったんですね。まだお二人は、見つかっていないんですか?」


 先輩が彼女へ問うた。その言葉に、思わず私はムッとしてしまう。


「あんまり無神経なこと言わないよう気を付けてくださいよ。一つ間違ったら最低な発言ですよ、それ」


「え、えぇ、ホントに!? それは申し訳ない……」


「いえ……私なら大丈夫です」


 段々と落ち着いてきた様子の彼女が、小さく首を振る。


「まったくもう……」


 ホント、陽キャは変なところは鈍い。まだマシな発言だったからいいが、これがアホ発言だったら今すぐに家を追い出されていたことだろう。


 ――でも……。河辺さんのお父さん、奥さんと一緒に最期を迎えられて、どう思ったんだろう。幸せだったのかな。


 机の上に置いた手紙を再び覗く。

 最期を迎える前に、自分の子供達へ向けて綴った、これまでの想い全てが詰まった手紙。これを書いていた彼は、一体どんな気持ちで書いたのだろう。


 ――やっぱり……幸せ、だったんだろうな。


 彼の気持ちは、私にはハッキリと分からない。だがなんとなく、彼の妻への想いの強さは分かるような気がした。


 ――……似てる。


 ふと、そんな感情が心の奥底から湧いて出てくる。それと同時に、彼へ向かって告げた一言が脳裏を過ぎった。



『ごめん。私には……その資格は無いよ。きっと、もっと良い人が見つかると思うから。……だから、ごめん』



 ――……私もあの時、死ぬべきだったのかな……。


 そんな罪悪感が、ジワジワとまた私の心を蝕んでいく。

 それは今ではもうどうしようもない、どこにも捌けることのできない感情。これまでも、そしてこれからもずっと、一生背負っていかなくてはならない、私の罪だった。

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