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「死」の選択肢

 次の日のお昼過ぎ。昨晩も夜遅くまでドラマを見ていたせいで寝不足だった。眠い目を擦りながら、今日は河辺さんの自宅へ行くために玄関へと向かう。

 どうせ今日もきっと、部屋の前に栗が置いてあるのだろう。今日は一体何個置いてくれたのか。少し気にもなるが、あまり多すぎても処理に悩むから困ったものだ。

 どうすれば彼らは、部屋の前に栗を置くのをやめてくれるのか。今悩んだところで答えは出ないが、河辺さんから話を聞いてみて、何か手掛かりが貰えることを願おう。

 一息を吐いて今日のやる気を整えると、そのまま玄関の扉を開いた。






「……あれ、何も無い」


 扉の前の光景を見て、思わず声が漏れる。数日ぶりに見る、部屋の前に何も置かれていない光景。寧ろこれが当たり前なのだが、なんだか今日はそれが異質に感じてしまった。


 ――まぁ、それはそれでありがたいんだけど……気まぐれなのかな?


 一体どのタイミングで栗を置きに来るのか。これまでずっと出てこなかったのに、秋になってからひょっこりと顔を出してきた彼らのことだ。もしかすると、そんな気まぐれな性格なのかもしれない。


 ――取り敢えず、それも含めて今から河辺さんに聞きに行くんだし……一先ずはそういうことにしておくか。


 部屋の鍵を閉めて、駐輪場に向かい自転車を取り出す。特に自転車に何も異常が無いことを軽く確認すると、そのまま跨っては自転車のペダルを漕ぎ始めた。



 ◇ ◇ ◇



「村木先輩、遅いです」


 水戸駅の南口にて、待ち合わせ場所に早くも到着していた本城さんが、俺を見つけるなり不機嫌そうに告げる。


「いや、開口一番に遅いって言われても……」


「なに言ってるんですか。別に来なくてもいい私をわざわざ連れ出しておいて、文句は言わせませんよ」


「いやまぁ、それは悪かったけど。あれは話の流れというか、なんというか……」


 昨日はあのまま、話の流れで全く関係のない本城さんまで一緒に向かうこととなってしまった。俺としてはやはり、あまり知らない人の家へ行くのに友達がいることは心強いのだが、彼女はそれが不満らしい。


「まったく……。じゃあ今度、お昼ご飯奢ってください。それでチャラにしてあげます」


「昼飯? あーまぁ、それでいいなら全然構わないけどさ」


「もちろん、カフェオレ付きで。お願いしますね、約束ですよ」


「はいはい……」


 そんな約束を彼女と交わすと、そのまま俺達は河辺さんの自宅へ向かうために歩き始めた。水戸駅からそう遠くない場所に住んでいるということで、ここからは俺が本城さんに合わせて、二人して徒歩だ。






「そういえば本城さん。ホントに昨日、あのワンコ二匹が栗を咥えてるのを見たの?」


 そんな問いを、俺は本城さんへ投げ掛ける。思えば実際その光景は彼女しか見ていないのだから、彼女に真意を聞く他に手掛かりは無いのだ。


「それはホントですよ。村木先輩だって見たでしょ、あの栗。アレが紛れも無い証拠ですよ」


「それはそうだけど……ワンコが栗を持ってくるなんて、イマイチ信じられないっていうか……」


 そもそも、犬にとって栗は害の無いものなのだろうか。その知識すらも俺には無いが、それ以上に犬が栗を咥えて持ってくるイメージが湧いてこない。犬を飼ったことが無いので何とも言えないが、いくら本城さんや河辺さんが言っていても、百パーセント信用することはなかなか難しい。


「なんですか。もしかして、信じられないんです?」


 そんな俺の表情を見て、本城さんが目を細める。


「うーん、まぁ……」


「ふぅん。私が警告したのにも関わらず、見ず知らずの女性の言葉を信じて今から自宅に向かうっていうのに、私の言葉は疑うんだ。へー」


「うぐっ、それは……」


「なんですか、ようやく気付きましたか? 今からでも遅くないですよ、行くのやめますか?」


 彼女が口元をニヤリとさせて、こちらを見ている。この様子を見るに、河辺さんの自宅へ向かうこと以上に、自分の言葉が信用されていないことが不服らしい。


「いや、ごめん……。分かった、信じるよ」


「それでいいんですよ。まったく、陽キャの人って普段は簡単に『信頼してる』だなんて言うくせに、こういうときだけ疑うんですね。酷い人です」


「それは……」


 反論できない。昨日まさしく彼女へ向けて『信頼している』と言ったばかりなのに、こうなってしまえば当然の反応だろう。これは彼女を少しでも疑ってしまった俺が悪い。


「ま、いいですよ別に。人間なんてそういうもんですからね。そのくらい、なんとも思いませんから」


「えっ、怒らないの?」


「そんなことでいちいち怒って何になるんですか? 人間なんて、信用し過ぎるだけ無駄ですから。いくら友達だろうと、ある程度距離を置いて程々に付き合ったほうがいいってもんですよ。そのほうがお互い面倒事にもなりませんし、気が楽ですからね」


「……そう、なんだ」


 平然とした表情で淡々と告げてみせる本城さん。その言葉はなんだか冷た過ぎて、俺には納得のし難いものだった。


 ――なんだろう……それって本当に、本城さんの本心なのかな?


 ある一面から見れば、いかにも本城さんらしい言葉だ。人間関係が苦手で、陰キャとして人付き合いを避け続けてきた彼女が言えば、説得力はきっと相当なものだろう。

 けれど――そんな説得力のある言葉のはずなのに、俺にはその言葉を信用することはできなかった。






 水戸駅を出てしばらく歩いた先に、川に沿って道が続く河川敷がある。そんな長々とした河川敷を、俺は本城さんと並んで歩いていた。


「確か、このまま真っ直ぐ行って踏切を渡った先にあったはずだよね。となると……あそこかな」


 少しだけ遠くに見える踏切を指差す。その指の先を見て確認した本城さんも、「そうですね」と一言告げた。


「こっちの方って、あんまり来たことないんだよなぁ。水戸に来てもすぐ大学のほうへ行ってたし、こっちは大学とは真逆だから」


「そうなんですか。私はまぁ、ちょくちょく来たことがありますよ」


「そうなんだ。じゃあ詳しいの?」


「詳しいってほどではないですよ。何度か友達と遊びに来たのと、あとは……高校の体育の時間に、この河川敷を走らされていたので」


「え、ここ走ってたの?」


「えぇ、走ってました」


「ここ、結構距離あるよね? 女子が走るにしては、かなり長くない?」


「そうなんですよ。だから、体育の中でもマラソンは大嫌いだったんです。運動部と二十分以上差がつくし、休みすぎても体育の時間終わって次の授業始まっちゃうから、意地でも時間内にゴールしなきゃいけないし、ビリだと目立つから絶対ビリにだけはなりたくなかったし……」


「あー……そうなんだ」


 その言葉自体には、確かに同情はできる。だが実際に、自分がそんな境遇に陥ったことがないおかげで、なんだか空返事になってしまった。


「その点、村木先輩には分からないかもしれないですね。先輩はどうせ、上位争いしか考えてなかったでしょ?」


 そんなツケが早速回ってくる始末だ。


「まぁなぁ……。最低でも六十人中、十二位とかだったし、体育祭のリレーとかだと一番初めとかアンカーもやったことあるから」


「いいですねぇ、運動神経良くて。羨ましい」


 そう言って本城さんは、気怠そうに「あーあ」と呟いていた。


 ――あれ、バカにしないのか……?


 それ以降、特に言葉を告げる様子もなく、ぼんやりと川の様子を眺めながら歩いている。こうも何も言われないと、逆に不自然に感じてしまうのは何故だろう。


 ――っていうかこいつ、前に豚を追いかけた時にだいぶ足早かったよな? よくその口で言えるなおい。


 そんな言葉もわざわざ口に出す気にはなれずに、俺も彼女と同じように、隣を流れる川をぼんやりと眺めてしまっていた。






「あっ……」


 二人してぼんやりと歩きながら、もうすぐ次のポイントである踏切を渡ろうとしたとき、ちょうどそれが甲高く大きな音を立て始めた。お互いにもはや急ぐ気にもなれなかったようで、ゆっくりと下がっていく遮断機の様子を眺めてしまう。


「あぁ、もう。踏切鳴っちゃったよ。ここ長いんだよなぁ、駅近いから」


「先輩がのそのそと、亀さんみたいに歩いてるからですよ。先輩の先祖は亀なんですか?」


 いつもの仏頂面のまま、ここぞとばかりに俺のことをバカにしてくる。まるでさっきまでの不自然さが嘘のようだ。


「いや、なんだ亀さんって。んなワケないでしょ。っていうか、君だって俺と話しながら同じ速度で歩いてたよね?」


「違いますよ、勘違いしないでください。私はただ、亀さんみたいな先輩の歩幅に合わせていたんです。ちゃんと感謝してくださいよ」


「あー、はいはい。そりゃあどうもー……」


 ――まったくもう、この子はもう少しどうにかならないのかな……。


 普段から口を開けばこんな風に皮肉だらけなくせに、いざ黙っていればそれはそれで不自然に感じてしまう。こうなってしまったのも最初の出会い方が悪かったのか、はたまたそのままでいいと言ってしまった自分の責任か。 ……言葉だけ並べてみると、なんだかただのドMみたいだが、そこに関しては一旦考えることをやめておこう。


 一拍ずつ音を鳴らし続ける踏切を目の前に、特に何を考えることもなくボーっと周りと見回してみる。

 ふとその時、先日偶々大学の教室で盗み聞きをしてしまった、とある話題を俺は思い出した。


「……そういえば、聞いた? この近くの中学校で、女の子二人が屋上から飛び降り自殺したんだって」


「あぁ、なんか聞きましたね。講義中に、陽キャの女性組が話してましたよ。『将来があるのに』とか、『誰かに相談出来なかったのかな』とか、思ってもいないことを散々言ってましたね」


「はぁ。そりゃあまた、色々言ってたんだな」


「あの人達は、当人の気持ちを知ろうともしない偽善者ですからね。綺麗事だけ並べて、自分からは何もしようとしない人間のクズですから」


「いやでも、クズって言い方はどうかと思うけど……」


「いいんですよ、ホントのことですから」


「はぁ……」


 彼女の言いたいことも分からなくはないが、どうしてそんな極端な答えで結論付けてしまうんだろう。せめて、その女性達がどうしてそう思ったのかを考えてみるだけでも、違った答えが出せるだろうに。


「因みに先輩は、どうして二人は死んだと思いますか?」


 そんな矢先、本城さんが俺にそんなことを問うてきた。


「え? そりゃあ、家に不満があったとか、学校に不満があったとか……」


「……はぁ。やっぱり何も分かってない。先輩は、いつまで経っても陽キャのクズですね」


「なんっ!?」


 そんな“クズ”という称号が、急に俺にも付けられてしまった。どうしてそうなってしまったのか、俺には全く分からない。


「いいですか、教えてあげます。一人で自殺をするのなら、そりゃあ先輩の言った通り、何かしらに不満があったという線が濃いのかもしれません。けれど、それも確実にそうだとは言い切れません」


 人差し指を立てながら、本城さんが淡々と言葉を告げる。


「……と言うと」


「死にたいと思う理由なんて、人それぞれなんですよ。誰かのために死にたいと思う人もいれば、一概に死にたいと思ってなくたって、生きる理由が見当たらなきゃ死にたくなるものです。……いや、違いますね。死んでみたくなるんですよ。死んだらどうなるのか、試したくなっちゃうんです」


「試したくなる……?」


「ええ、そうです」


 ゾッとした。それと同時に、自分の脳では理解できない感覚に気持ち悪さを覚える。

 何故「死」というものを怖がらないのだろうか。何故「死」というものに興味を覚えてしまうのだろうか。もちろん医学や科学的には重要な内容だが、日常ではまず関わることが無いようなことに、どうしてそこまで執着するのだろう。彼女が言うことは、俺にとっては全くのいびつな非日常だ。


「彼女達は、二人で飛び降りたらしいですね。考えられるのは、両者が死にたいと思っていたパターンと、どちらかが死にたくて一緒に死んでくれる人を探してたパターン。――そう、考えられませんか?」


「それは……そうかも、しれないけど……」


「きっかけはどうあれ、一緒に何かをするというのは、非常に心強いものですよ。相手のことを、信じていればいるほどね。先輩だって、スポーツやってて分かるでしょ?」


「それは分かるんだけど、やっぱり誰かと死のうとする気持ちは、あんまり分からないというか……」


 そう言うと本城さんは、呆れた様子で大きくため息を吐いた。


「陽キャの先輩にはきっと、一生分からない感情ですよ。理解しようとしても無駄です」


「はぁ……そういうもんなのか」


 世の中にはそんな風に、「死」に対してそれほど興味を持つ人間が多いということなのだろうか。俺がこれまで知らなかっただけで、そう考える人間も自分の周りにたくさんいたのだろうか。


 相手のことを信頼しているからこそ、そんな選択肢を取ることができるのだと本城さんは言っていた。だが俺は、そんな風には考えられない。相手のことを信頼しているからこそ、例え自分がそんな境遇に陥ってしまったのなら助けてほしいし、自分だって相手のことを助けたいと思う。そこでお互いに死んでしまったら、元も子もないじゃないか。死んだって何も解決することはないのに、何故無理やり「死」を解答にしてしまうのだろう。俺にはそれがわからない。

 これまで俺達の間では、陽キャと陰キャとして色々と分かち合えないことばかりだった。だがこれは今までとは違い、生死という大きな問題だ。例えどれだけ相手が死を望んでいようとも、それを全力で止めてやるのが友達というものじゃないのか。自分が陽キャだろうと陰キャだろうと関係なく、それは人間全員に共通することではないのか。


 ――本城さんは……もしそんな風になったら、どう考えるのかな?


 思えばそうだ。女子中学生二人の気持ちを代弁してみせた彼女のことだ。考えたくはないが、その答えはもしかすると……。


「ほら、とっくに踏み切り上がってますよ。どこ見て突っ立ってるんですか」


 そんな本城さんの一言で、現実へと引き戻される。いつの間にか目の前の踏切も上がっていて、辺りには静けさが漂っていた。


「まったく……先輩は、頭の後ろに目があるんですか?」


「なっ! うるさいな、いちいち一言多いんだよ」


「うるさい人ですね、さっさと行きますよ」


「いやなんで真似して言い返すんだよ!? 大体ね、本城さんは……」


 彼女へ向かって、どうにか言いくるめられないかと必死に勝てる言葉を荒探しする。無論そんなものは見つかるはずもなく、結局最後には彼女に言いくるめられて終わってしまった。






 ――こんな風に口が悪くてウザったくて、時には本気で怒りたくもなる本城さんだけど……きっとこの子は、誰かがそばに付いていなくちゃダメなんだ。それが誰なのかは、俺には分からないけれど……それが見つかるまでは、俺がそばにいてやるしかないよな。


 お節介だと言われるかもしれない。最悪嫌われて、疎遠になってしまうかもしれない。だがそれでもいい。どれだけ微力だろうと、最悪こちらが果てようと、それでもいい。――こんなところで()()、一人の命が目の前で消えてしまうよりはずっとマシだ。


 ふと、咄嗟に俺達の真上をガサゴソとした異質な物音が通りかかる。一体なんだと見上げてみると、そこには二手に分かれた真っ黒いカラスの群れの一派が、悠々と大空を羽ばたいていた。

本話の後半部分は、たいちょーさんが出している短編小説『不死鳥もどき』から、先輩視点で取り上げたものです。両作品は、クロスオーバー作品となっています。村木先輩とはまた違った視点で二人の会話を読めるので、そちらも楽しんでいただけることかと思います。

女子中学生二人はどうして自殺をしまったのか……そちらを読めば、その全貌が明らかにもなります。気になった方はぜひ、チェックしてみてくださいね。

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