本城さんは、人気者
「……あぁ、それですか。心配しなくても、別に問題ないですよ」
意外にも顔色一つ変えずに、易々と彼女はそう言ってのけた。そんな様子に、益々不安が募る。
――大丈夫? 大丈夫って、どう大丈夫なんだ……?
心配と疑念を抱きつつも、俺は次の本城さんの言葉を待った。
「だって私――ネット配信で稼いでますから」
「……え?」
自分の耳を疑った。彼女は今一体、なんて言った? ネット配信だとか、そんな風に聞こえたような気がする。
「……はぁ。その顔じゃあ、ホントに何も知らないみたいですね。分かりました、じゃあ特別に見せてあげますよ」
呆れた様子で立ち上がると、本城さんはそのままベッドの後ろにある、収納扉に手をかけた。今まで隠されていたその中身が、ようやく明かされる。
中は三段になっており、上中下段それぞれに荷物が置かれていた。そんな中、真っ先に俺の目は下段へと引きつけられる。
――げ……。あのカフェオレの箱が、二、四、六……何箱あんだよ、十箱ぐらいか? いくらなんでも好き過ぎるだろ……。
そういえば、パソコンのデスクの下には小さい冷蔵庫が置いてあった、もしかすると、その中身は――。そう考えると、思わず恐怖すらも覚えてしまった。
「カフェオレじゃないですよ、上見てください、上。これ、見たことありませんか?」
そんな俺の注意がカフェオレへと向いていることに気付いた彼女は、すぐさま上を見ろと指示をした。
そこにあったのは、ポツンと一つだけ静かに、だがとても大切にされている様子が伺えるような、銀色のプレートだった。プレートの上部には何やら再生マークのようなものが彫られており、何かの優勝賞品のような物にも見えた。
「何これ、見たことないけど」
「……じゃあ質問を変えましょう。先輩、『ソーチューブ』は流石に知ってますよね?」
「『ソーチューブ』って確か……動画のやつだったっけ」
「そうです、それです! その動画のやつです!」
ようやく理解を示してくれたことがよほど嬉しかったのか、半ば興奮気味に本城さんが叫ぶ。
「うん。……で、その動画のやつがどうしたの?」
「その動画のやつがですね、チャンネル登録者数が……いや待てよ? 先輩にはまず、サイトの仕組みから説明しないとダメですよね?」
「……できれば初歩から頼む。」
「あーもう……。天然記念物の扱いって、ホント面倒ですね。これを機に、今後少しぐらいネット社会について、学ぶようにしたほうがいいんじゃないですか?」
「うるさいな、悪かったよ……。少しずつでも、勉強するようにするよ」
「まったく、そうしてください。じゃあ、ざっと説明しますよ」
イライラした様子で俺の言葉を受け流すと、なんだかんだ言いながらも、本城さんはそのソーチューブなるものについて、事細かに説明してくれた。
意外と説明上手のようで、こちらが聞き返さなくても、それはスッと頭に入るような内容だった。
「で、そのチャンネル登録者ってのが十万人を突破すると、その銀の再生ボタンの楯が貰えると」
「そうです」
「で、本城さんはそのソーチューブで活動してて、チャンネル登録者数が十万人を突破したから、それを貰ったと」
「ですです」
「で、つまり本城さんは有名人だと」
「有名ってほどではないですが、ネットでエゴサすれば……。あぁ……調べれば、いくつか出てくる程度ですね」
「……え、待って。ヤバくね?」
彼女の説明を理解していくほど、俺の中で彼女の言葉に凄みが帯びていく。実際にそれがどれほど凄いことなのかは定かではないものの、十万人という数字から汲み取れるインパクトだけは、ネット素人の俺でさえぼんやりと分かる。
「そうでもないですよ。チャンネル登録者が百万人以上で、金の楯を貰ってる人なんて今じゃゴロゴロいますし。それにこの界隈は、十万人を超えてからが本番って言われてるぐらいですから、自分なんてまだまだ序の口です」
「いやいやでもさ、つまりさ。今この日本全国の十万人以上の人が、本城さんのことを知っていて、認めてくれてるってことでしょ? それってきっと、凄いことだよね」
「んー、まぁ。そう言われてみればそうですけど。でも別に、ネットに顔を出しているわけではないので、普通に町の中は歩けますし、ほとんどバレたことはないですね。声でなら何度か、バレかけたことはありますが」
「声? なんで声?」
「あぁ。私の声って、結構可愛いって言われるんですよ。なんだか、特徴的なクールボイスらしくて。この声で『大好きだよ、〇〇君』みたいなこと言うと、ギャップ萌えで大半の男が釣れますね」
「……あの、待って? ちょっと待って? その、『大好きだよ、〇〇君』って言うまでの過程が理解できないんだけど」
「あぁもう、だからですね。いわゆる、声主っていうのをしてるんです。言っちゃえば、声優の真似事みたいなものです。アニメキャラの真似をしたり、リクエストされたセリフを言ってあげたりとか。あとは一応チームで動いているので、仲間内で一緒に声劇をしたりだとか、色々です」
「お、おぉ? その話を聞いた途端、本城さんの凄さが分かってきたぞ。みんな、本城さんの演技を認めてくれてるんだ。本城さんは、やっぱり凄いよ!」
「……むさい」
せっかく褒めてあげたというのに、彼女は気持ち悪そうにして目を細めた。頼むから、そんな目で俺を見ないでくれるかな?
「いやあの、突然むさいって言われても」
「そうやって、すぐに人を褒めるからです。褒めまくってても、信用されなくなりますよ? 褒め言葉の乱用、ダメ、ゼッタイです」
「えぇ……? でもでも、全部ホントに思ってることだしさ、嘘じゃないよ?」
「自分からそう言っちゃうところが、益々信用を失ってるってことに、いい加減気付いてくださいよ」
――いやいや、あなただって自分で自分のことよく褒めてるじゃないの。
「……自分だって、自分のこといっつも褒めてるじゃん」
「私はいいんです。先輩はこの私の顔を見て、底辺のブサイクだと思いますか?」
「いや、それは思わないけど……」
「そうやってすぐ褒めないでください。通報しますよ?」
「待って、それこそ誘導尋問だったよね今!?」
「あ、補足しておきますけどね。心はブサイクだと、アンチにはよく言われたりしますね。腹黒いだとか、自己中だとか、お姫様だとか、クソビッチだとか、色々です。最後のビッチだけは全力で否定しますけど、それ以外は私自身も熟知していることです」
「でも取り敢えず、俺の言葉は無視なのね……」
「当たり前じゃないですか。まだ分からないんですか?」
「まだって何、まだって!?」
「言葉の通りです」
再びベッドの上に座ると、眠たそうに本城さんが欠伸をした。憎たらしい口調をしながら、マイペースな様子でおねむな表情をしてみせる彼女は、まさに猫と形容するにふさわしい。
「……でも、なんか色々言われてるみたいだね。人気者になると、やっぱり大変?」
「いいんですよ。そんな奴らの言葉なんて、一ミリたりとも真に受けてませんから。あいつらはただ、私のことが羨ましいだけだったり、単純に私のことが嫌いなだけだったり、自分よりも私が弱い人間だと勝手に判断して、日常のストレスをがむしゃらにぶつけてきてるだけです。その相手が偶々私だったってだけですからね。私には何一つ、関係のない事情です」
「そういうもんなんだ?」
「そういうもんなんです」
――へぇ……。やっぱり、なんかサッパリしてるなぁ。羨ましい、俺には絶対無理だと思うな。
「……凄いね、本城さんは」
「だから、そうやって褒めないでくださいよ。気持ち悪いです」
俺が告げるなり、やはり気持ち悪そうな目でこちらを見てくる。だから、そんな目をするなっての。
「ううん。それでも本城さんは凄いと思う。建前だとかなんだとか、そういうの抜きでホントに。俺だったらそんなの、絶対耐えられないもん。流石だなぁって思うよ」
「信用できませんね」
「信じなくてもいいよ。でも、俺はそう思ってる。本城さんのそういうところも、本城さんの演技もね」
俺がそこまで言うと本城さんは、珍しく返事に困った様子で視線を背けてしまった。またすぐに憎まれ口が飛んでこないところを見るに、もしかするといつも褒められるときに突っぱねてくるのは、単に褒められ慣れていないだけなのかもしれない。
「……先輩は、やっぱりおかしいんです。こんな私のことを、そうやって本気で褒めるなんて、どうかしています」
「そんなことはないと思うけどな。その十万人の人達だって、本城さんのことが凄いな、好きだなって思ってくれたから、認めてくれてるんでしょ? そうじゃなかったら、そんな数のファンなんてできないよ」
そうだ。本当に性格が悪かったり、魅力がなかったりするのならば、大勢のファンなんて付くはずがない。彼女は彼女なりの魅力があったからこそ、今もそんな風に応援されて、活動を続けられているのだろう。
「先輩はネットを何も分かってないから、そんなことが言えるんです。現代のファンコミュニティなんてのは、そんな甘っちょろいものじゃありません。もっとネバネバして気持ち悪くて、居心地が最悪なところばかりです」
「……と、言うと?」
本城さんは右手の人差し指を立てると、大変なネット事情についてを淡々と語り出した。
「まず、自分のアカウントを誰かが乗っ取ろうとしてくるのは日常茶飯事です。私の偽物もいっぱいいますし、実際に何人か騙されてしまったファンの人もいます。それからウチの住所を特定しようとしてくる、特定班なんてのもいっぱいいますので、迂闊にプライベートの話をすることや、写真なんかも上げられません。そして何よりも、共に一夜を過ごしたいと言ってくる男共から、メッセージが届くことも珍しくないですね。自分なら抱かせてくれると勘違いしてるのか、奴らは了承されるのを前提に話してくるので、見る度に吐き気がします」
「う……なんかそう聞くと、やっぱりキツイな……」
「そうでしょう? やめろと言っているのに、次から次へと無限に湧いて出てくるんです。結局人間なんて、多くの人がその程度の知能レベルなんですよ。私自身だって大概ではないかもしれませんが、そんな仕打ちをされていると、信用なんて簡単にできませんよね。……結局は、私みたいな社会の底辺にいる人間の集まりなんですよ」
ため息を吐きながら「だから先輩も、早く私の元から去ったほうがいいですよ」と告げると、そのまま本城さんはベッドの上に仰向けに寝転んでしまった。目の前には、先輩の俺がいるというのに。
「別に……本城さんは、社会の底辺なんかじゃないでしょ」
「どうしてそう言い切れるんですか? 先輩は、私の何を知ってそう言ってるんですか? 大学で見せている私の姿なんて、ほんの一部分でしかないんです。ホントの私は、昔からみんなの嫌われ者だし、痛い目で見られるし、存在自体を快く思わない人も大勢います。そんな私のことを、そんな風に言う先輩のほうがおかしいんです。――やっぱり先輩は、頭がどうかしてますよ」
仰向けからゴロンと寝転がって、頭を枕に乗せながら俺とは反対方向を向いてしまっている。どうやら彼女は自分のことを、本気でそんな風に思ってしまっているようだ。
「じゃあ俺は、きっと頭がどうかしてるんだろうな。そんな風にみんなから嫌われてる本城さんと、もっと仲良くなってみたいなって、思っちゃってるんだから」
「……そうやって、陽キャはすぐ人と仲良くなって群れようとします。そのままサークルに入れようだとか、群れの中に引きずり込もうだとか、考えてるんでしょ? そんなのはお見通しですし、そんな浅はかな考えは大嫌いです」
「別に群れようとなんかしてないよ。ただ単純に、俺が本城さんと仲良くなりたいって思ってるだけ。仲良くなったからって、強引にサークルに入れようとは思ってないし、俺の友達に紹介したいとも思ってない。俺には俺の友達との関係があるみたいに、俺と本城さんの間にだって、二人らしい友達らしさってものがあると思うんだよ。だから、本城さんが俺と接しやすくなるためにも、俺も本城さんみたいな自宅警備員、だっけ? そんな風にならなきゃなって思ってる」
俺がそう言うと、俺には見えない彼女の口から、ため息のようなものが聞こえてきた。
「だからさっきも言いましたけど、先輩には絶対無理ですよ。そもそも私は、先輩と仲良くなりたいだなんて思っていませんし、先輩と仲良くなれるような器じゃありません」
「器なんて関係ないでしょ。お互いが仲良くなりたいなって思ったら、それだけで友達なんだよ。どの人とは仲良くなれて、どの人とは仲良くなっちゃいけないだなんて、そんな決まりはないんだから」
「じゃあ先輩は、例え私と仲良くなって、後悔しないって言うんですか?」
「あぁ、しないよ。当たり前でしょ」
「何度も言ってますが、私、かなりトゲのある性格ですけどいいんですか? 腹黒いだとか、自己中だとか、お姫様だとか、クソビッチだとか、散々言われるような人間ですよ? ――それでもいいんですか?」
そう言って、寝転んでこちらから体を逸らしているこんな姿は、いつもの本城さんらしくない。まるで駄々をこねながら言い訳を述べている、大きな子供のようだった。本当の本城さんの気持ちはもしかすると、これが本音なのかもしれない。
――あぁ……。いつもは強がってるだけで、やっぱりなんだかんだ気にしてるんだなぁ。そりゃそうか。
「あぁ、構わないよ。俺はそれでも、本城さんと友達になりたいなと思う」
「……私と一緒にいることで、先輩にたくさん迷惑をかけると思います。私自身の性格もそうですが、何よりネットで身元がバレたときが厄介です。先輩と付き合っているわけでもないのに、絶対『交際相手発覚か!?』みたいな記事書かれちゃいますよ。それでもいいんですか?」
――あーなるほど、そういう懸念もあるわけか。確かに本城さんみたいなタイプが隠れて男と一緒にいたら、それだけで彼氏と間違われても分からなくはないな。
「まぁ……そのときはそのときでしょ。そのときに、どうすればいいかなんて考えればいいしさ。俺は別に、問題ないよ」
噂なんてものは、こちらが堂々としていれば、向こうが飽きて忘れられるものだ。変に隠そうとしたりするから、世の中のスキャンダルは絶えることを知らないんだ。
本城さんとの問題だって、きっと大丈夫に決まっている。ネット問題にはあまり詳しくないが、それでも人間なんてものはそういうものだ。……そう、思っていたのに。
「……はぁ? 何言ってるんですか?」
「……はい?」
素っ頓狂な声が出た。
「私が一番困るんです! どうして先輩なんかと、カップルに間違われなきゃならないんですか!?」
「って、お前がかよ!? 今の流れは、俺じゃないの!?」
「はぁ、やっぱり先輩はバカなんですね。か弱い乙女の気持ちなんて、これっぽっちも分かってない。酷い男です」
呆れた様子で、大袈裟にため息をしてみせる。おいおい、それが先輩に対する態度なのか? ……ねぇちょっと、酷くない?
「君がか弱い乙女なんて、一ミリも思えないんだけどなぁ。どちらかというと、図太い女だろ?」
「……先輩。ここにスマートフォンという便利な道具があります。今すぐにでもイチイチゼロを押してしまえば、憎き先輩とはバイバイできちゃいますが、構いませんか?」
そうして、本城さんはゴロンとこちらに寝転ぶと、スマホの画面を見せつけてきた。――その画面には既にイチイチゼロの番号が押されており、あとは発信ボタンを押してしまえば、ジ・エンドの一歩手前だった。
「あぁー!? おま、待てって! 冗談でもそれだけはやめろバカ!」
「あー、バカって言ったー。ひどーい」
「あ、いやすまん! 悪かった! 悪かったから、それだけはやめろ!」
「それが人にモノを頼むときの態度ですかー?」
「ああっ、だからやめてください! すみませんでした!」
「えー、どうしよっかなぁ」
そんな本城さんを止めようと必死になっていた俺は、再び楽しそうに笑みを浮かべているレアな本城さんの姿のことなど、惜しくも一切眼中になかった。
因みに、Souはギリシャ語で「あなた」って意味らしいです。
強引ですが、あのサイトと一緒ですね(白目)