茶色い落とし物
次の日。
ちょっぴり肌寒い朝。今日は半袖Tシャツに上着を羽織り、ジーパンを履いて洗面所へと向かう。
――眠い……。寝る前までドラマ見てたの失敗したな……。
昨晩は夜遅くまで、ずっと見たかったドラマシリーズを一話から見始めてしまった。おかげで切り上げるタイミングを見失い、結果的に寝不足となってしまった次第である。
――寿命を一年ずつ減らされる代わりに、人を一人殺せる能力かぁ。実際にそんなのがあったら怖いよなぁ。
ある日突然、両親と兄を何者かに殺された主人公の女子高生が悪魔と契約を結び、自分に定められた寿命を教えられた上で、寿命一年を代償に人を一人ずつ自由に殺せる能力を手に入れて、犯人へ復讐をする物語。
一見ありがちな設定かもしれないが、この作品の面白いポイントは何よりも、主人公は将来二人目の子供を出産した翌年、三十二歳の若さで病死してしまうという悲しい運命であること。つまり、能力を使って二人を殺した時点で二人目の出産には立ち会えなくなり、更に人を殺しすぎると一人目の出産どころか、結婚すら果たせなくなるという結果となってしまうのだ。
そんな中で、果たして主人公は復讐か、それとも自身の幸せか、どちらを選ぶのか。そして上手く復讐を果たすことはできるのか……そんなハラハラする物語だ。
――ようやく黒幕が分かるかもってところで終わったんだよなぁ。ああいうファンタジーじゃないけど、現実世界で起こる非現実的な物語ってやっぱり好きだなぁ。
実際に起こり得そうで、絶対に起こり得ない出来事。そんな非日常のような世界に、男なら一度は皆憧れを持つはずだ。無論俺も、そのうちの一人である。
例え魔法や悪魔、ヒーローや特殊能力がこの世に無かったとしても、人生で一度くらいは日常では体験できないような出来事に遭遇してみたいと思うものだ。
もちろん、人が目の前で何人も死んでしまうような悲惨な出来事は御免だが、ちょっとぐらい非日常な体験はしてみたいと度々思ったりする。
――ま、多分無いとは思うけどな。
これまで生きてきた十九年間、一度たりともそんな出来事に遭遇したことはない。自分はドラマの彼女のように自身の寿命は知り得ないが、恐らく今後もそのような出来事が降りかかることはないだろう。
余程不運か幸運か、低確率の運を引かない限り、起こるはずはないのだ。
鏡をボーッと見つめながら髪を整えて、寝癖を直す。自身の見た目に自分でオーケーを出すと、荷物を持って玄関へと向かった。
――あー、大学行きたくねぇ。でも今日の三限は絶対出ておかないと、再来週の発表で恥かくしなぁ……。
ふわっと欠伸をしながら、そんなことをぼんやり思い浮かべる。あまり気乗りはしないながらも、俺は今日も大学へ向かうために、玄関の扉を開いた。
「……あ?」
扉を出て一歩足を踏み出した瞬間、口から変な声が出る。視界に入った目の前の事実に、思わず目を疑った。
――なんだ、これ。もしかして……。
その場にしゃがみ込み、偶々足元にあった小石を手に取る。その小石で、そっと目の前の物体を突いた。
――……あー、うん。柔らかいね。臭いも微かに鼻につくし、大きさはもうまさにそれ。
玄関の目の前に転がった、大小二つの茶色くふと長い物体。そう、これはまさに言うまでもなく……。
「……いや、え? なんで?」
その瞬間、俺の中にあった日常が微かに、非日常へと傾き始めたのだった。
◇ ◇ ◇
「あはははっ! なんですかそれ!」
目の前に座る彼女が、珍しくお腹を抱えて楽しそうに笑っている。こちらとしては全く面白みも感じないのに、酷い反応だ。
「そんなに笑うか……?」
「だって、だって……村木先輩、動物達にフンでも納められてるんですか? 家の前にピンポイントでフンが落ちてるなんて、誰かに崇め奉られなきゃ普通あり得ないでしょ。しかもアパートなのに」
「崇め奉るって、俺は神様か何かか」
「えーやだなぁこんな神様。私は絶対崇めませんね」
「自分で言っておいてお前……」
はぁっとため息を一つ吐く。この間までアレほど素直になっていたのに、許した途端にまたこれだ。当然許した自分にも責任はあるのだが、それでもいざこうしてバカにされるとやはりへこむ。
「こちとらやりたくもないフンの処理を朝っぱらからしたってのに、酷いもんだ」
「あー、もう。冗談ですって。そんなに落ち込まないでくださいよ」
そんな俺を見かねて、すかさず本城さんがフォローに入った。
「別に落ち込んでねぇし」
「嘘言わないでくださいよ。そんな風に口を尖らせながら言われても、説得力ありませんから」
「むぅ……」
バカにされた上でそこまで見透かされていると、なんだかどうしようもなく悔しい。相変わらず、俺は彼女の手の平で転がされているようだ。
「ちょっと笑い過ぎましたかね、すみません。あまりにも話が面白すぎたのでつい。もしかしたらホントに、先輩は崇め奉られてるのかなと思って」
「謝りながらバカにされても、説得力がゼロなんだが?」
「気のせいですよ。それより、今まではそんなこと無かったんですか?」
飄々とした表情で、彼女は俺の言葉をスルーして次の話へと進めてようとする。
どうせこれ以上こちらが問い詰めても面倒くさがられるだけなので、諦めて俺は質問に答える。
「まぁ、そうだね。今回が初めてかな。多分偶々だと思うし、嫌がらせだとかそういうのじゃないとは思うけど」
「でもそうは言っても、ピンポイントで家の前に落ちてるものなんでしょうか。やっぱり故意にされないと、そんな偶然なことなかなか無いと思うんですけど」
「うーん、でもそうだったとしても、わざわざ家の前まで持ってきて置くか? それほど俺のことが嫌いか、悪戯でもよっぽど度胸がある奴じゃないと、普通そんなもの置けなくない?」
「確かにそうかもしれませんけど……かといって、偶々そこにされたという線も納得しづらいですし……」
するとなんだか不服そうに、本城さんは唸ってみせた。
「先輩のアパートの辺りって、例えば野良猫とかって通るんですか?」
「んー、いや、普通じゃない? 偶に見かけはするけど、そんな頻繁に見かけるほどじゃないし。飼い猫も多いんだろうし、それほど珍しくはないよ」
「だったら尚更、誰かの仕業の可能性のほうが高くありませんか? 猫があんまり通らないんだとしたら、それこそ自然にされた可能性すら低くなりますし」
「それはそうかもしれないけど……」
確かにそれはそうかもしれないが、それにしたってなんだか、本城さんの当たりが強い。あの面倒くさがりな彼女が、ここまで強く言うとは珍しい。
「……なんですか?」
ふと、そんなことを考えていたところで、本城さんが俺を見て問うた。どうやら、顔に出てしまっていたようだ。
「いやなんか、やけに心配してくれてるんだなぁって思って」
「……そりゃあ、だって……何かあったら心配だなって、思うじゃないですか」
「大袈裟だなぁ、もう。大丈夫だって、どうせ偶々だよ」
「そうかもしれませんが……。でも、また何か立て続けにあったら言ってくださいよ。もしかしたら、警察沙汰になる可能性だって否定はできないんですから」
そう必死に俺を説得する彼女の様は、まさしく本気のそれだ。言葉では笑っていたが、本当は心配してくれているのだろう。
「うん、分かったよ。ありがとう、そうする」
「いえ……」
そうして彼女は、静かにハンバーガーを一口食べた。
そこまで本気にならなくなって、恐らくはただの偶然だろうに。まったく、可愛らしいものだ。
――ま、前より可愛げが増えていいや。こっちのほうが本城さんらしいし。
そんなことを考えながら、ぼんやりと俺もハンバーガーを一口食べる。
「あ、そうだ先輩。言わなきゃいけないことがあったんですよ」
唐突に本城さんが、そんなことを告げた。……なんだか、デジャブな気がする。
「ん、何?」
俺が問うと彼女は、右手の人差し指で俺から見た右下を指しながらこう言った。
「パテ、落ちてます」
「はぇ!?」
彼女に告げられて、またかと咄嗟に机の下を覗く。……しかし、どこにもそんな茶色い物体は落ちてなどいなかった。
まさかと思い、今度は彼女のほうを覗く。……まるでバカを見るような目で、それはクスクスと俺のことを嘲笑っていた。
「冗談ですよもう。先輩ってホント引っかかりやすいですよね」
「お前……騙したな?」
「騙したも何も、たった今先輩が自分でハンバーガーを食べてたくせに引っかかってるんですもん。そりゃあ私も心配になりますよ」
「う……それは確かに……」
悔しいが、確かにその通りだ。図星過ぎて何も言い返せなかった。
「まったく、先輩なんだから少しは自衛してください。後輩の陰キャ女子に心配されてるようじゃ、まだまだですね」
「……なんかムカつくけど、その分自分が情けなく感じてきたぞ……」
相変わらず、“先輩なんだから”という言い分はどうかとは思うものの、その反面男としてしっかりしていない部分が多い自分を、なんだか惨めに感じてしまった。
◇ ◇ ◇
――あー、疲れた。帰ってきたぁ……。
夜の十時過ぎ。今日も大学の講義とバイトが終わり、アパート前へと帰ってきた。
早く部屋に入って、ベッドの上に寝転びたい。そんな風に考えながら、自分の部屋の玄関前へと向かった。
「……あ?」
玄関前に着いた瞬間、口から変な声が出る。視界に入った目の前の事実に、思わず目を疑った。
――え、何々? なんでなんで? ワケ分からんワケ分からん……。
一体全体どうしたってんだ。どうしてまた、そんなことになってしまっているんだ。俺は何か、そんなことをされるような行いをしたのだろうか? だとしたら、一体誰が? 全く以って分からなかった。
その場にしゃがみこみ、足元に落ちていたそれを一つ拾い上げる。
掌の上にゴロンと転がったそれは、見るからに形の綺麗な三角形の茶色い物体――まさしく“栗”そのものだった。




