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ないものねだり

 あれから一週間が過ぎた。段々と大学構内も秋模様になり始め、木の葉も綺麗なグラデーションを見せ始めている。

 そろそろ本格的に季節の変わり目になってきて、肌寒くもなってきた。タンスの奥から引っ張り出してきたジーパンを今日は履いて、大学へとやってきたところだ。

 こうも涼しくなってくると、不思議と夏の暑さが恋しくなるのは何故だろう。夏の最中は早く過ぎ去ってほしいと思うくせに、いざ寒くなるとまた夏に戻りたくなる。やはりこれも、人間の“ないものねだり”なのだろうか。無意識に抱く欲求というのは、ある意味怖いものだ。


 そして――それとは違ってもう一つ。今まさに俺は、とあることに対して“ないものねだり”をしてしまっているようである。






「……やっぱりそれ、慣れないんだよな」


 目の前に座る彼女に向かって呟く。すると彼女は、やれやれといった様子で頬杖をついてみせた。


「なんですか、せっかく親しみを込めてそう呼ぼうと思ったのに。じゃあどっちのほうがいいんです? ……()()()()?」


「うっ……。本城さんにそう呼ばれると、なんか調子狂うというか。他の子なら全然そんなこと無いんだけど」


 あの日の翌日、唐突に本城さんが「これから先輩のこと、村木先輩って呼びますね」と言っては、俺のことをそう呼び始めたのだ。何を思って急にそんなことになったのかは分からないが、今まで“先輩”呼びだったものが“村木先輩”にされると、なんだか違和感があってどうしても慣れない。たった二文字増えるだけなのに不思議だ。


「つまり、そんなに私にそう呼ばれるのが嫌だと?」


「いや、そうじゃないけど。なんていうか、うーん……。今まで日常だったものが、急に変わったからというか」


「じゃあ慣れてくださいよ。先輩なんですから」


「それ、先輩後輩関係あるか……?」


 相変わらず、彼女は何を考えているのかが分からない。そんな言葉に、渋々ツッコミを入れてみせると、彼女はしてやったりという表情でふふんと笑ってみせた。






 今日もやっぱりいつもの学食で、いつもの席に座りながら、いつものモノを食べている。そんな俺達が抱く感情は、これまで同様いつも通り……そのはずだった。

 どうやら先週のあの日を境に、彼女の中で何か変化が起こったようだ。俺のことを“先輩”ではなく“村木先輩”と呼ぶようになったり、更には以前よりもどぎつい言葉であまりバカにしなくなったりと、ここ一週間でガラッと様子が変わってしまった。

 おかげで普段通りに接したい俺としてはなんだかやりづらく、これまで通り憎たらしい本城さんと話していたほうがやりやすいとまで思ってしまった。……まぁそれもはたから見れば、如何なものかと思われるのだろうが。






「っていうか、そもそもなんで急に俺の呼び方変えようって思ったわけ? 別に今まで通り、“先輩”でもよかったんだけど」


「え? いや、だって……」


 そう問うと、何故か本城さんは言葉を詰まらせてしまった。一体どうしたのだろうと、彼女の様子を窺う。


「だって……友達なんですから、その、そういう、なんていうか……特別感というか、そういうの、あったほうがいいのかなって思って……」


 らしくもなくモジモジしながら、彼女がそんなことを告げてみせる。そんな妙に可愛らしい彼女に思わず、吹き出して笑ってしまった。


「なっ、ちょっと、なに笑ってるんです!?」


 吹き出して笑う俺を見かねて、すかさず本城さんが叫ぶ。その顔はほんのり紅色だ。


「あははっ、だって、本城さんってそういう特別感とか気にするんだと思って」


「そりゃあ私だって、少しは気にしますよ。友達自体少ないですから、その分大事にしたいと思いますし」


「ふぅん。じゃあ俺はホントに、本城さんの友達でいいってことなんだ?」


「……まぁ、一応……」


 分が悪そうにボソッと呟くと、まるで逃げるようにハンバーガーを頬張った。


「んー、でもなぁ。前は友達友達って言いながら、あんまり信じてくれてなかったからなぁ。まさか今回もそうなのかなぁ、なんて思っちゃったりするんだけど」


 俺がそう言うと彼女は、モグモグしながらこちらから視線を逸らしてしまった。そんな様子に、再び違和感を覚える。


「あれ……もしかして、申し訳ないとか思ってたりする?」


 そう問うと、口の中のものをゴクンと飲み込んで、口元を右手の甲で拭いながら彼女が告げた。


「そりゃあ……今までホントの意味で言えていなかった上に、何度かダシに使っちゃったのも、申し訳ないと思ってます。けど今は、村木先輩が私のことを嘘偽り無く、ホントの友達なんだと言ってくれているんだなと思ったので。これからはちゃんと一人の友達として、仲良くしていきたいと思ってます」


「え。あ、そ、そっか……」


 ――ヤバい、やっぱりなんか調子狂う。


 そんな風にマジメに話されると、どうしても違和感が拭えない。今までずっとバカにされ続けてきたはずなのに、急に良い子ちゃんにされてもこちらとしては困ってしまう。






「まぁ、それはありがたいんだけどさ……なんか、やっぱり慣れないんだよな……」


「慣れないって、どういうことです?」


 本城さんが首を傾げる。


「いやほら、今まではキャラだったとはいえ、俺のことを散々バカにしてきてたでしょ? でもこの間から急にそんなこと無くなっちゃって、なんか物足りないというか。文句が多い本城さんのほうが、俺は本城さんらしいなって思っちゃって」


「それは……だって、今までバカにされ続けてきて、村木先輩も嫌だったでしょ?」


「そりゃあ、嬉しいかどうかなら嬉しくはないけど……。でもそれが本城さんだって思ってたし、ある程度は許容してたから、全然気にしてなかったよ」


「気にしてないって……はぁ」


 すると彼女は、手に持っていたハンバーガーを机に置くと、両腕を組んでみせた。


「まったく……あなたって人はホント、バカみたいにお人好しなんですね」


「お? それバカにしてくれてるの?」


「……なに嬉しそうにしてるんですか。ドMなんですか、気持ち悪い」


 そんな言葉と共に、一週間ぶりに見る本城さんの仏頂面だ。久々にいつもの彼女が戻ってきたように感じて、つい嬉しくなってしまった。


「おー、それそれ! そっちのほうが本城さんだなぁって感じがするよ」


 まるでスイッチが切り替わったかのようにキャラが変わる。その様はいかにも役者のようだ。


「……そりゃあ、村木先輩はいいかもしれませんけどね。言った私のほうが心配になるんです」


 と、思っていたのに。すぐにそのスイッチは切り替わり、さっきまでの本城さんへ戻ってしまった。


「心配? 心配って、何がさ」


「それは……何か酷いこと言っちゃって、今度こそホントに嫌われちゃわないかな、とか……」


 柄にもなく小さな声で、ボソボソと彼女が呟いてみせた。その言葉に、またも吹き出して笑ってしまう。


「ああっほら! そうやってすぐ笑う! いいです、もう。どうなっても知りませんからね!」


 とうとう自棄になったようで、体ごとこちらから逸らしては再びハンバーガーを手に取り、あむっとかじった。


「おいおい、ごめんって。悪かったよ」


 咄嗟に謝罪を口にするも、彼女は聞く耳を持たずに、ツンとした表情をして視線を窓の外に向けてしまっていた。


 ――あちゃー、女の子の部分全面に出てるなこりゃ。さて、どうしたものかな……。


「まぁなんだ? そりゃあ、何か酷いことを言われて、その瞬間イラッとすることは今後あるかもしれないよ。けど別に、それだけで本城さんを嫌いになるわけじゃないから。友達って、そういうことの許し合いだと思うしさ、心配しなくても大丈夫だよ」


「……そもそも、私にこれまで通り罵ってほしいって言うあなたもあなたですよ。やっぱり先輩、ドMなんですね」


 途端、再びスイッチが入ったらしく、以前までの本城さんへと成り代わっていた。やはり俺はこちらのほうが、違和感なく会話できる。


「お、おぉ。急にキャラ変わったな……」


「誰かさんが罵ってほしいとねだるからでしょ。じゃなきゃ、わざわざこんなキャラ作りませんから」


「別にそういう意味ではないんだけど……。ただ、今まで通りだとしても、よっぽどのことがない限り嫌いになんかならないし、本城さんのやりやすいほうでいいよって話だよ」


「やりやすいほうね……。確かに陽キャの先輩相手なら、こっちのほうが対等に渡り合えるかもしれませんね。さっきの私だと、弱々ですぐ先輩にからかられちゃいますし」


「……もしかして、根に持ってたりする?」


「さぁ、どうでしょうか」


 わざとらしく肩をすかして誤魔化してみせる。


 ――あ、これやり過ぎたら怒るタイプだ。


 その瞬間、俺はなんとなく察した。






「ま、まぁ、とにかく。本城さんがそれでいいなら俺は構わないよ。さっきは慣れないとは言っちゃったけど、あのキャラがいいならそれでもいいし、今までのキャラでも構わないから。本城さんの話しやすいほうに合わせるよ」


 俺がそう言うと本城さんは、今まで逸らしていた体を改めてこちらに向き直した。どうやら、強がりタイムは終わったらしい。


「……やっぱり村木先輩って、お人好しですよね。冗談抜きで」


 つかの間。仏頂面のまま、“村木先輩”呼びでそう言われてしまった。


「え、嘘。そうかな?」


「そうですよ。普通、嫌なことばかり言う輩には、もう言うなって言いません? 言ってもいいよだなんて言う人、多分先輩以外にいませんよ」


「いやだって、俺は本城さんの事情を知ってるからね。この間も言ってたろ? 『どれが本当の自分が分からない』って。だったら、色んなキャラを試してみて、色々キャラを混ぜたりとかしてみたほうが分かりやすいじゃん?」


「え。まぁ……それは確かにそうかもしれませんが……」


「ん、何?」


 何やら申し訳なさそうにしている彼女に問うた。


「その……いいんですか? そんな変なことに付き合ってもらうだなんて」


「えー、今更なに言ってんのさ。友達なんだから、いいって何度も言ってるだろ? ……それとも、もう忘れちゃったのかな?」


「いえ……」


 皮肉混じりに彼女へ告げてみせる。そんな彼女は、しばらくぽっかりと口を開けたまま、ぼんやりと机を見つめていた。






「ふふっ、やっぱり村木先輩はお人好し過ぎますね」


 そう言って、彼女が表情を緩めた。


「そうかなぁ?」


「そうですよ。……あ、あとバカね」


 そんな笑みを浮かべている割に、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。


「なんか、バカって聞こえた気がするんだけど?」


「あら、耳良いんですね。流石村木先輩」


「バカにしてるな?」


「してもいいと言ったのは誰です?」


「……俺だけどさ」


 俺がそう言うと、本城さんは楽しそうにクスクスと笑ってみせた。その様子は、まさに悪戯好きの少女だ。


「まぁ、冗談です。謝りますよ」


「いや、いいけどさぁ。まったく……調子に乗るとそれだからなぁ」


「いいじゃないですか、友達なんですから。……色々感謝してますよ、村木せーんぱい」


 ニヤニヤと笑みを浮かべながら、楽しそうにしている。おかしい、さっきまで……いや、今までこんなキャラじゃ無かったはずだ。


「待て、なんかお前楽しんでないか?」


「気のせいですよ、どこ見てそう思ったんですか」


「どう見てもお前の顔だろ」


「失礼しちゃいますね、これは来週発売するゲームが待ち遠しくて堪らない顔ですよ」


「……ん? そっちのほうが色々と危ない顔じゃない?」


「……あ、待って、今の無しでいいですか?」


「いやなんだそれ」


 そんな俺のツッコミに、お互いドッと笑いが込み上げる。今までバカにされていたことなど忘れて、しばらくその笑いに浸っていた。

 なんだか、ようやく初めて彼女とこうやって笑い合えたような気がする。もしかしたら本当に言葉の通り、やっと俺達はれっきとした友達へとなれたのかもしれない。






「あ、そうだ先輩。言わなきゃいけないことがあったんですよ」


 唐突に本城さんが、そんなことを告げた。


「ん、何?」


 俺が問うと彼女は、右手の人差し指で俺から見た右下を指しながらこう言った。


「パテ、落ちてます」


「……ん、パテ?」


 一瞬何のことか分からなかった。


「お肉ですよお肉。ハンバーガーの」


「え……?」


 そうして言われるがままに、彼女が指さす床を覗く。そこには本当に、かじられて半円になった茶色い塊が虚しく落ちてしまっていた。


「ちょ、えぇ!? いつ落ちたの!?」


 突然の衝撃的過ぎる事実に、思わず驚きを隠せなかった。埃まみれになっていたパテを救い出し、泣く泣く紙袋の中へと放る。


「さっき村木先輩が、私のことをからかって笑った時です。ずっと手に持ってたハンバーガーから、すっぽ抜けてました。イラっとしてたので無視したんですけど、先輩ってば全然気付かないんですもん」


「えぇ……!? そこは言ってよ……」


「でもどっちにしろ、落ちた時点でお陀仏じゃないですか。この学食って水道無いし、洗って食べることも出来ませんからね。そのとき言っても変わりませんよ」


「うぅ、まぁそうだけどさぁ……はぁ……」


 例えそうだったとしても、後から言われるよりはそのときに言われたほうがショックは少なかっただろうに……。そう思ったものの、俺は一つ大事なことを忘れていた。

 相手はあの本城さんだ。いくら俺に対する態度が変わったところで、人間の根本はそう簡単には変わらない。きっと前の彼女だろうが、同じことが起きれば恐らく同じようにしたのだろう。変わり者の彼女のことだ。そこら辺の感性は、やはり人一倍疎いのかもしれない。それは彼女が養う努力をしない限り、これからも同じことだ。


「……まぁ、本城さんらしいかぁ」


「? どういう意味です? ……もしかして、バカにしてますか?」


「バカにはしてないよ。バカにはしてないけど……まぁ、うん。君はこれからもそのままでいてください、はい」


「はぁ……?」


 そんな俺の言葉の意味が分からないと言いたげな表情で、彼女は首を傾げながら不思議そうに俺のことをただただ見つめていた。

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