演劇嫌いな女の子
月曜日。いつものように講義が行われる教室で、彼女とご対面する。先に席へ着いていた彼女を見つけると、すぐに空いていた前の席へと座った。
「それで。どうだったんですか?」
右手で頬杖をつきながら、本城さんが問うた。
「あぁ、だいぶ喜んでたよ。これから毎晩一緒に寝るんだーって言ってた」
「へぇ、良かったじゃないですか。兄としての名誉挽回ができて」
「名誉挽回とはまた、どういう意味かな……?」
「そのまんまですよ。お兄ちゃんなんだから分かるでしょ」
「……この野郎」
そんな俺の言葉も無視して、本城さんは眠たそうに大欠伸だ。
「でもさぁ、なんでだと思う?」
「なにがですか?」
こちらも左手で頬杖を突きながら、後ろに座る彼女を向く。
「いや、何も言わずに普通にプレゼントしたはずなのにさぁ。『で、誰に相談したの?』ってすぐに言われちゃって。なんでバレたんだろうって思ってさ」
「あぁ。妹さんの言いたいことは分かりますよ」
特に表情一つも変えずに、当たり前のように彼女が告げてみせる。
「え、嘘、分かるの?」
「えぇ。だって先輩、プレゼントのセンス無さそうだし」
「……え、急にそんなこと言う?」
突然そんなことを言われても、反応に困る。
「じゃあ私に相談してなかったら、一体どこのものか分からないアクセサリーとか、中途半端に化粧品や美容品を渡したりとか、絶対考えてたでしょ?」
「あ、まぁ、はい。それは頭にありました……」
――そしてまったく同じことを、茜にも言われました、はい……。
「はぁ。そんなプレゼント、恋人ならまだしも妹に渡して喜ぶと思いますか?」
「さぁ……。そういうもんなの?」
「そういうもんなんですよ。先輩はやっぱり、乙女心を分かっていませんね」
やれやれと言った顔で、彼女が呆れている。
もしかして俺は、それほどレッドカードな行動を起こそうとしてしまっていたのだろうか。
「考えてみてくださいよ。例えば恋人に一万円のアクセサリーを貰ったとして、次にお返ししようとするとき、それと同等かそれ以上のモノを返さなきゃって貰った側は思うじゃないですか」
「それは、確かに」
「でしょう? それが原因で、せっかく上手くいってた関係も破綻してしまうかもしれないんです。そりゃあ記念日だとか大切な日には少し考えたほうがいいんでしょうけど、別に普段からプレゼントだからって背伸びする必要は無いんですよ」
「じゃあ、今回はぬいぐるみで喜んでもらえはしたけどさ。本当はもっと、当たり障りのないようなモノのほうがいいってこと?」
「そうですね。なんだったら、プレミアムう○い棒三十本でもいいんじゃないですか?」
「いや、流石にプレミアムでもう○い棒をプレゼントするのはどうかと思うけど……」
「まぁそれは冗談ですよ。それでも、関係を壊したくないと怖がるから、みんな高価なものでそれを補おうと必死になるんです。要するに、見栄を張っちゃうんですよ。性行為だってそうです」
「え。急になんで下の話に……?」
「なんでもなにも、一緒だからです。相手が本当に自分を好きでいてくれているか、自分は本当に相手を好きでいられているかが不安になるから、毎晩のようにベッドインするんです。本当にお互いを信頼しているなら、そんな拗れた関係になんてなりませんよ」
「はぁ……。そっか」
まるで自分は全てを分かっているかのように、彼女が告げてみせる。
流石は本城さんだ。不思議と言葉に説得力はある。言葉だけを見れば、恋愛マスターと言っても過言ではない。
――あれ、でも本城さんって、あんまり恋愛経験無いんじゃなかったっけ……?
しかし、そんな疑問が俺の中で浮かび上がってしまったのは言うまでもない。
「ま、それはともかくとして。……仲良いんですね、先輩と妹さん」
いつもの如く眠たそうに目をゴシゴシと擦りながら、突拍子もなく彼女が告げる。
「……な、なに、突然?」
「だって考えてみてくださいよ。兄妹仲良くなかったら、実の兄に直接プレゼントが欲しいだなんておねだりできませんよ」
「え、そ、そうなのかな」
「少なくとも、仲が良いか悪いかなら良いほうでしょう。仲が悪いお兄ちゃんから、わざわざ誕生日プレゼントをお願いしようだなんて、普通思いません。金目のモノが欲しいだとか、よっぽど捻くれた性格じゃない限りね」
「う……」
――マズい。そこまでズバリと言い当てられちゃうと、茜との関係を話さなくちゃいけなくなるじゃないか。流石にそれを本城さんに話すのはダメだ、どうにかして誤魔化さないと……。
「因みに、妹さんって陽キャなんですか?」
そんなことも知らず、いつもの表情のまま本城さんがまた一つ質問をぶん投げてくる。
「まぁ、どっちかというとそうなのかな。本人は、陰キャにも友達はいるとは言ってたけど」
「ふぅん。じゃあ、友達はいっぱいいるタイプなんですね。きっと彼氏もいるでしょ?」
「え。あ、うん。いるらしいね……」
「そういう子って、人付き合いも良くてみんなから好かれるタイプだと思いますよ。ただ、そんな子に限って人間関係に疲れちゃったりだとか、ちょっと友達とケンカするだけでも酷く落ち込んじゃうようなデリケートなタイプが多いので、しっかりサポートしてあげてくださいね」
「う、うん。そうだね。ちゃんと兄貴として、妹を気遣ってやらないとな」
「そうですね。お兄ちゃんとして、しっかりとしてあげるべきですね」
そこまで言うと本城さんは、気怠げに頬杖をしていた腕を下げて姿勢を正した。ぼんやりとした眠たそうな目で、こちらを見つめている。
「……で。先輩ってもしかして、シスコンですか?」
「は!?」
唐突なシスコン発言に、思わず大きな声が出てしまった。驚きのあまり、頬杖をやめて身を乗り出してしまう。
なんでだ、どうしてなんだ。どうして君はいつもいつも、俺が隠そうとしていたことを全て言い当ててしまうんだ。どこぞの高校生探偵じゃないんだから、もういい加減そのくらいにしておいてほしい。
「あ、驚いてる。正解ですかね」
「いや待て待て! 誰も正解なんて言ってないぞ?」
「じゃあなんで驚いてるんですか?」
「いや、だから……。シスコンなんて言われたのは、初めてだったから……」
「ふぅん。なら、先輩がシスコンだと思った根拠を挙げてみていいですか?」
「え」
マズい。そう思ったときには既に時遅し。止める間もなく、いつもの本城節が始まってしまった。
「一つ。これは私の持論に過ぎませんが、多くの姉は弟へ自分に恋人がいることを自慢したがります。逆に、妹は兄へ自分に恋人がいることを隠したがります。……あ、あくまで男同士や女同士の兄弟を除きますけど」
人差し指を立てた見慣れた姿で、彼女が淡々と述べてみせる。
「そうなの……?」
「二つ。妹に対して特別な感情を持ってるわけじゃない兄は、そこまで執念に妹を助けようと思いません」
「う……」
「そして三つ。これが一番大きいですが、わざわざ彼氏がいることを知っているのにも関わらず、私が言った言葉に先輩は『そうだね』と言いました。これもお兄ちゃんなら『それは彼氏に任せることだから』と言うはずです。それをわざわざ、自分も妹さんに対してそんな存在であろうとしていましたね」
「……あっ」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「それから、何かやましいことが無ければ、あんな風に喋っていてどもることも無いはずです。何かおかしいなって思ったんですよ」
「あぁ……もう……」
完敗だ。そこまで全てを言い当てられてしまったら、もう何も誤魔化す言葉が浮かばない。ここは素直に本当のことを言っておいたほうが、後々響くことも無いだろう。
相変わらずな彼女の推理能力には、しばしば圧倒される。その凄さには、思わずため息だ。
「はぁ……。分かったよ、分かった。その通りです、その通り」
「やっぱり。先輩、シスコンだったんですね」
「シスコンっていうか……正確に言うと妹のほうが重度のブラコンなんだけどね。普通に人前で抱き着いてきたリとかするから、どうしたものかなってそろそろ思ってて」
「へぇ、よかったじゃないですか。先輩にも、大好きでいてくれる人がいるんですね」
「いや、まぁ、そうだけど……」
いざ他人からそう言われると、やっぱり気恥ずかしい。恋人ではなく実妹の話だというのに、こんな感情が湧いてしまう俺は、やっぱりおかしいのだろうか。
「……もしかして、引いた?」
「うん? 別にそんなことで引きませんよ。だってそれは、家族間の問題でしょう? 私が介入するべき話ではないですし、常識の範囲内で仲良くしているのならいいんじゃないですか? ……流石に兄妹でエッチしてるとかなら引きますけどね」
「いや、それは流石に無いから。マジで」
「そうですか。ならいいと思いますよ。兄妹仲睦まじく、素晴らしいことじゃないですか」
「はぁ、そっか。それなら、いいんだけど……」
――よかったぁぁぁっ! ドン引かれなくてよかったぁぁぁっ! もうどうなることかと……はぁぁぁっ……!
口に出した言葉とは裏腹に、内心ではとてもホッとしていた。
あの本城さんのことだ。知られたら一体どんな罵声を浴びせられるのだと恐怖していたが、意外とあっさり認めてくれたようで一安心だ。普段から何を考えているのか分からない彼女だが、意外とそういうところは許容範囲らしい。
「……でも本城さん。どうして俺がシスコンかもって思ったの?」
ちょうど良い機会だ。まだ講義までもう少し時間もあることだし、聞いてみようじゃないか。毎回、どうしてそんな風にズバリと言い当ててくれるのか、その全貌が気になる。
「んー? いや、そうかなって思っただけですよ。根拠として挙げた三つも、あんまり自信は無かったですし」
「え、自信が無いのに言ったの?」
「そうですよ。でも気になるじゃないですか。だからちょっと、鎌をかけてみたんです」
「……というと?」
「さっきも言った通り、根拠として挙げた三つは正直当てつけでした。でも鎌をかけるときって正直、当てつけでも全然いいんですよ。例え見当違いなことを言い当てていたとしても、相手に『もう話しちゃうか』って気にさせちゃえばいいだけなんです」
「……あれ。つまり俺は、自分から負けを認めて話し始めたってこと?」
「そういうことですね。だって、考えてみてくださいよ。三つ目に挙げた『彼氏に任せず自分が助けてあげる』って言ったことだって、ひっくり返せば妹さんがブラコンだったってことなんですよね? だったらそこで、『自分はシスコンじゃないけど、妹がブラコンだから仕方なく面倒見てる』って言えばまた、印象は変わったと思いません?」
「……確かに」
「そういうことです。先輩は分かりやすくて単純だから、引っかかりやすいんですよ」
そう言って、俺に鎌をかけてみせた本城さんは大欠伸だ。その様子は、まるで“あなたの手の内なんて簡単に覗いてみせますよ”と言われているかのようでちょっと悔しい。
「……あれ、ちょっと待って? そうなると俺ってもしかして、いつも鎌かけられてない?」
「今更ですか? だからいつも言ってるじゃないですか。『先輩は分かりやす過ぎてよく分からない』って」
「それって、そういう意味だったの……?」
「そうですよ、まぁそれが全てではありませんが。まったく、少しは自分の単調さを自覚してください。あまりにも無防備過ぎて今後が心配です」
「う……なんか、すみません。気を付けます」
いつの間にか、話がズレて俺の性格の話になっている気がするが、全て彼女の言う通りだ。今は本城さん相手だからいいが、もう少し単純な性格を直さないと、今後はもっと苦労するだろう。気を付けなければ。
「……あ、そうだ。本城さんに伝えることがあったんだ」
そうだった。茜から伝言を頼まれていたことを、すっぽかしてしまうところだった。危うく忘れかけてしまうところで、その伝言を思い出す。
「なんでしょう?」
「ウチの妹がさ、本城さんと会ってみたいって言ってたんだよ。それをお願いしてみてって頼まれて」
「え、なんですか? 妹さんに私のこと話してるんですか?」
「え、うん。話してるけど」
「……そう、ですか」
すると本城さんは、不器用な表情を浮かべて俯いてしまった。一体、どうしたのだろうか。
「あれ、もしかして嫌だった?」
「いえ。嫌ってわけじゃないんですけど……。なんていうか、もどかしいと言いますか……」
「もどかしいって?」
「……陽キャの先輩には、分からない感情ですよ」
「えぇ? 何それ、すげぇ気になるんだけど」
「名状しがたいか弱き陰キャ乙女の、陽キャ男子には分からない複雑な感情ですよ。先輩には分かりません」
「はぁ? 全然意味分かんない……」
彼女は一体何を言っているのか。ワケも分からず、思わず苦笑いが俺の顔には浮かんだ。
「ま、それはともかく。別に会うのは構いませんよ。先輩の妹さんなら」
「おっ、ホント?」
「えぇ。二人で先輩の愚痴でも言い合えればいいなぁって思いますけど」
「あ、やっぱりそうなるんだ……」
「……なんです?」
「あいや、なんでも無いっす……」
「そうですか」
薄っすらと不気味な笑みを浮かべて、本城さんが首を傾げた。……まるで、悪魔の笑みである。
「あとはなんですかね……。先輩の妹さんと話をするなら、先輩の演劇の話でもすればいいんでしょうか? ブラコンなら、そんな話をするのはきっと好きだろうし」
「あ、んーまぁ、演劇の話をするのはいいんだけどさ……」
彼女の口から珍しく“演劇”というワードが出てきたところで、俺の中に一つの疑問が浮かび上がった。
一体なんだという顔で、今度こそ彼女が素の顔で首を傾げてみせる。
「その……本城さん、演劇の話はあんまり嫌なんじゃないの?」
「……またその話ですか」
俺がそう問うと、呆れたように彼女はため息を吐いた。一体今の発言のどこに呆れられる要素があったのか、俺には疑問である。
「何度も言ってるじゃないですか。ただ私が個人的に毛嫌いしているだけで、先輩や妹さんには関係無いんです。話したいなら、素直に話せばいいじゃないですか。私、何か間違ったこと言ってますか?」
「いや、それはそうなんだけど……」
「はーい、じゃあ前の席からプリント配るよー!」
その時、突然教室の一番前から、大きな声が響き渡った。話に夢中になっていた俺達は、咄嗟に揃って声のほうを向く。教卓の前には、既に先生の姿があった。
いつの間にか、講義が始まる時間になっていたらしい。夢中になって聞こえていなかった、チャイムの末端だけが耳に入ってきた。
「まぁ、そういうことですので」
改めて会話を終わらせようと、本城さんがポツリと呟く。――その一言はあまりにも冷たくて、鋭く尖った何かで突っぱねられたような感覚に陥った。
「あ、うん……。分かった。じゃあ妹にも予定聞いてみて、あとで予定合わせてみようか」
「えぇ、お願いします」
前の席から回ってきたプリントを、後ろに座る本城さんに手渡す。
もしかして怒っているのかと思いきや、彼女はいつもの如く眠たそうに大欠伸をしながら、そのプリントを受け取っていた。
――やっぱり……本城さんがどうして演劇を嫌いになったのかが気になるなぁ。
ずっと前に彼女が話していた、小学生の頃のエピソード。
あの時は確かにトラウマの原因にも成り得ると納得していたものの、改めて今考えてみると、それだけが本城さんを演劇嫌いにさせた決定的な理由とは考え難い。
一つ、引っかかることがある。この根拠に自信は無い。当然本城さんに向かって、鎌をかけられるほど有力な理由にはならない。
だがこの数ヶ月、彼女と接してきて分かってきたことがある。彼女の性格は“好きなものをそう簡単に嫌いにはならない”ということだ。
以前には「声優にもなってみたいと思った」と言っていたり、今もインターネットで声主として活動をしていることから、現在でも“演じる”こと自体が嫌いになったわけでは無いのだろう。
つまり、そんな彼女が演劇嫌いになった大きな原因は、他に“確実に存在する”ということ。自信は無いが、俺が立てた根拠はそれだ。
――でもそうは言ったってなぁ。その原因が分からなきゃ、どうしようもないよなぁ……。
彼女が抱えている、もう一つの大きな原因。それは一体なんなのだろうか。とっくに始まってしまっている生理学の授業もそっちのけで、その疑問をどうにか解決に導けないかと頭を悩ませる。
そんな俺の思考をピタリと止めてみせたのは、三限目終わりに鳴り響いたチャイムだった。




