シスターズ・バースデー
気が付けばもう日付は十月。先月は久々にぐうたらな日々を過ごしていたせいか、なんだか無駄に長ったらしく感じた気がする。今月からは来月の文化祭に向けた準備が始まるおかげで、また忙しない日々が始まりそうだ。
十月といえば、そろそろ本格的に木々が秋模様を催し始めるわけだが、なんといっても食欲の秋。栗の季節だ。
この季節になると、決まって母さんが作る栗ご飯が恋しくなってくる。去年こそまだ実家にいたので母さん特製の栗ご飯にありつけたが、今年から俺は一人暮らしの身だ。実家に帰省しない限り、あの大好きなご飯を口にすることはできない。
いっそのこと、母さんからレシピを教わって自分で作ってしまおうか。……なんてことも考えてみたが、素人でもできるような簡単な料理しか作れない俺にはきっと、あの味は再現できないだろう。残念だが、今年は我慢するしかない。
そして、鳥頭の俺が毎年のように忘れてしまうもう一つ大切な秋の一大イベント。それが今年も、一人暮らしをする俺の家へ着々と近づいてきていた。
「わぁー、久しぶり! お兄ちゃん!」
部屋のインターホンが鳴り、覗き穴で外を確認してからドアを開く。すると途端、見知った顔が俺を目掛けて突進してきた。
「うわっ、ちょ、茜!? ドア開けていきなり抱きついてくんなって!」
突然抱きつかれて、思わず態勢を崩しそうになる。
「えー、なに恥ずかしがってんの今更?」
「いやいやお前、まだドア開いてんだよ、見られたらどうすんだって」
「大丈夫大丈夫ー、誰もいないよ。私の後ろには誰もいなかったし」
「そういう問題じゃなくてだな……」
お兄ちゃんが大好きなのは百歩譲ってまだいいが、いい加減少し大人になってほしいものである。
「ねぇねぇ、それより中入っていいでしょ? 学校帰りだから、私疲れちゃったよ」
学校帰りという言葉の通り、目の前の茜は久しぶりに見る制服姿だった。
十月に入ったばかりだが、どうやらもう衣替えが始まったらしく、纏っていたのはまだ少し暑苦しくも見える冬服だった。
「はいはい。どうぞ、お入りくださいな」
「わーい、ただいまー!」
「ただいまーって……お前の家じゃなかろうに」
「でも私のお兄ちゃんの家なんだから、私の家族の家でしょ? だから、ただいま!」
「はぁ、そうですか。じゃあ……おかえり、茜」
「えへへー」
楽しそうにニコニコ顔な茜と一緒に、二人で部屋へと入った。
――さて、ここからが問題だ。
このニコニコ顔を崩さないよう色々と考えてはみたものの、それが果たして吉と出るか凶と出るか……。
久しぶりに俺と会えることが嬉しいのか、すっかりご機嫌な茜の顔を見て、思わず生唾を飲んだ。
金曜日の夕方。お互い学校終わりだが、茜はわざわざ明日のために、荷物を全部持って直接電車でこちらに来たらしい。おかげさまで、背中に背負うリュックは見るからにパンパンだ。
茜が今回受ける専門学校は、前に彼女から聞いた話によれば、当日実家から電車で向かっても十分午前中には間に合う場所にあるはずだ。それにもかかわらず、俺の家にわざわざ泊まりに来たということは、つまりそういうことなのだろう。
少しでも期待にそぐわないものだったら、かなりご機嫌斜めにさせてしまうはずだ。今更何を言っても後戻りはできないが、気に入ってもらえることをただただ祈るばかりである。
「でもやっぱり羨ましいなぁ、一人暮らし。私もしたいなぁ」
持っていた荷物を置いて、彼女がベッドへ盛大にダイブする。俺が普段使っている枕を抱きしめると、再び嬉しそうに笑ってみせた。
いつものようにベッドを占領されてしまい、渋々俺はその場の床に座り込む。
「茜も高校を卒業したら一人暮らししたいって、父さん達に相談してみればいいんじゃない?」
「んー、それはそうなんだけどね……」
途端、ピカピカに光沢がかっていた笑顔の輝きが鈍り始めた。
普段からあまり俺の前では寂しそうな表情をしない珍しい彼女に、思わず危惧する。
「あれ、父さん達は許してくれてないの?」
「ううん。『茜がしたいんだったら、お父さん達も応援するよ』って言ってくれてはいるんだけど……どうしようかなって思ってて」
「なんで? なんか難しい理由でもあるのか?」
「だって……私まで家を出ちゃったら、お父さんとお母さんが家にいないとき、誰もいなくなっちゃうでしょ? それが偶にだったらいいけど、ウチじゃあしょっちゅうある話だし」
「あー、まぁそうだな。一週間ぐらい、家に誰もいないとかザラになりそう」
ウチの両親は仕事上、月に何度も県外へ出張に行っている。それも地域だけでなく全国どこへでも飛び回っているので、仕事の日も休みの日も毎月毎年バラバラだ。確かに茜が言っていることは、その場合大きな不安になりえる。
「その間に泥棒とか入ったらシャレにならないし、お母さんが大事に育ててる花の水やりもできなくなっちゃうでしょ?」
「そうだなぁ。母さん、あの花全部枯らしたら泣きそうだな」
昔から、実家の裏では母さんが毎年花を大切に育てている。母さんが家にいない間は茜が水やりなどをしているようだが、俺はほとんど任せっきりで手を付けてこなかったので、ガーデニングはいまいちよく分からないのだ。
「うん。だから私、一先ずお兄ちゃんが大学を卒業するまでは実家に残ろうと思ってて」
「え。マジで?」
「うん。マジで」
「いやなんか、それは申し訳ないっていうか。俺だけ一人で家出ちゃって、茜の自由を奪ってるみたいで嫌だな……」
俺がそう言うと、今までベッドの上で横になっていた茜が枕を抱きながら起き上がった。
「だってしょうがないでしょ。お兄ちゃんのほうが先に生まれたんだもん。私みたいな世の中の妹や弟は、そんな宿命を背負って生きてきてるんです。昔からだし、慣れてるよ」
「そういうもんなの?」
「そういうんもんなんです」
「そっか……ごめんな、なんか」
「そう思うんだったら、思う存分一人暮らしを楽しむこと。将来彼女ができて結婚したら、一人暮らしなんてもう一生できないんだからね? 今だけなんだから」
「それもそうだなぁ。うん、ありがとうね、茜」
「どういたしましてー」
そう言って、にへっと茜が微笑んだ。
――なんか俺なんかよりも、よっぽどしっかりしてるなぁ相変わらず。こりゃ、将来は良いお母さんになりそうだな。
きっとこの子は将来、旦那ができて子供ができても、上手くやっていけるだろう。愛し上手で愛され上手な彼女なら、きっと良い家庭を作れるはずだ。……怒らせたら一番面倒なタイプだろうが。
「……えっとー、それでだな。茜」
「んー? どうしたの、お兄ちゃん?」
未だに俺の枕を抱えたまま、彼女が首を傾げてみせる。あの、それぬいぐるみじゃないんだから、いつまでもギューってされてても色々と困るんだけど。
「その、明日は誕生日だろ? 忘れちゃってたお詫びも含めて、何をプレゼントするか迷ったんだけど……」
「あー、迷ってくれたんだぁ。嬉しい」
「元はといえば、お前が俺個人からプレゼントを押収しようとするからだろ?」
「押収とは酷いなぁ。日頃の感謝を込めた贈り物って言ってくださいよ」
「だからって、あんな急に言われてもさ……」
「お母さんが家にいないとき、洗濯から掃除、ご飯の支度まで全部してあげてたのはどこの誰ですか?」
「……茜さんです、はい」
「よろしい」
うんうんと頷きながらドヤ顔をする茜に、俺には言い返す言葉が無かった。
「それでそれでー? お兄ちゃんはどんなプレゼントを用意してくれたのかなぁ?」
座りながら両足をバタバタとさせる。そんなに急かさなくたって、ちゃんと渡すっての。
「はいはい、ちょっと待ってろ。出すから」
俺は立ち上がると、テレビの横にある押入れを開いた。その中から、一昨日買ってきたプレゼントの紙袋を取り出す。
「……ほら、これ。喜んでくれるかは分からないけど」
「もー、なに照れて顔逸らしてるの? 兄妹なのにさぁ」
不器用にプレゼントを手渡す俺にニヤニヤしながら、茜がそれを受け取った。
「寧ろ兄貴相手にそこまで堂々としていられるお前のほうが凄いと思うぞ?」
「そうかなぁ。普通じゃない?」
「お前の普通は、平気で兄貴に抱き着くことも含まれてるのか?」
「でも、海外じゃ普通じゃない? ほら、普通にスキンシップで頬っぺた合わせたりもするじゃん」
「あのなぁ……」
そんなことを言われたって、ここは日本だ。その言い訳は通用しない。
しかし、その言葉を上手く口に出すことができないまま口籠ってしまった。結局俺が言い負けたような雰囲気のまま、茜がプレゼントの袋を開けて中身を取り出してしまう。咄嗟に「うわぁー!」と黄色く甲高い声を彼女が出した。
「ちょっと待って、メッチャ可愛いじゃん! わぁ、好きー!」
自身の膝元に置いていた俺の枕を放り出して、すぐさまそれを胸元に抱き寄せる。……なんだか、親元を離れた子供を見ているかのようで、俺の心は複雑になった。
「可愛いだろ? 昔から茜は羊が好きだからさ。可愛いぬいぐるみないかなぁって探してみたんだけど……」
先日ショッピングモールで見つけた、ちょうど胸元で抱き締められるぐらいの大きさをした、モコモコした羊のぬいぐるみ。肌触りも良く、抱き枕代わりにもなりそうなサイズで、両目が点で数字の3のような口元をしたユルい顔が特徴だ。
昔から茜は大の羊好きで、すっかり色あせて茶色くなってしまった羊のぬいぐるみを、幼稚園児の頃から今でもずっと大切にしている。他にも羊のキャラクターのグッズはたくさん持っているが、考えた結果新しいぬいぐるみを買ってあげようと選んだ次第だ。
実家にあるぬいぐるみよりも一回り大きなサイズで、これからはきっとこいつを抱いて毎晩寝ることとなるだろう。
「うんうん、凄く好き! 特にこのアホっぽい目が可愛い!」
「分かる。このユルい感じが茜好きそうだなぁと思って、これにしたんだ」
「そっかぁ。さっすがは私のお兄ちゃん! 好み分かってるー!」
「あはは、喜んでくれたみたいで良かった」
ギューっとぬいぐるみを抱きかかえて頬ずりをしている彼女を見て、ホッと胸を撫で下ろす。
てっきり「また羊?」と残念がられてしまうことも覚悟していたので、結果的に良い方向へ事が転んだようで安心した。こんなに喜んでもらえるなら、プレゼントを選んだ兄としても嬉しい限りだ。
「……でー? これ、誰に相談したの?」
「……へ?」
素っ頓狂な声が出た。
「お兄ちゃんのことだもん、プレゼントを選んでたら偶々これがあったー、みたいな流れじゃないでしょ? 絶対誰かに相談して選んだと思うんだよねぇ」
ぬいぐるみの羊と頬を合わせながら、ニヤニヤ顔で彼女が告げる。
「あ、いや……」
「正直なところ、どこのか分からないアクセサリーとか美容品とか、そういうのをちょっと覚悟してたんだよね。どうせお兄ちゃんのことだし」
「どうせってなんだ、どうせって」
「だってお兄ちゃん、前の彼女さんがいたときに私にプレゼントの相談してきてたけど、いかにもダメ男が選びそうな物を『どうかな?』っていっつも聞いてきてたよね。その度にダメだししてたはずなんだけどなぁ」
「ダメ男って……」
ダメ男とはまた、酷いじゃないか。俺ってそんなにダメ男に見えるか?
「ふふーん。当ててあげよっかぁ?」
「え?」
「ほら、前に話してた後輩で陰キャの女の子。お兄ちゃんのことだから、きっとその女の子に相談したんじゃないかなって。男の子に相談してたら、絶対こんなチョイスしないもん」
「あぁ……」
なんでだ、どうしてそんな風にみんな、俺の行動をズバリと当ててしまうんだ。そんなに俺って分かりやすいのか? ここまでくると、なんか怖くなってきたぞ?
「いやぁ、まぁ……うん。その通りです」
「ほらやっぱり。良いチョイスするなぁ、その女の子」
自分の推理が当たっていたことが嬉しかったのか、茜はぬいぐるみをギューっと抱き締めてみせた。待て待て、それ一人暮らしの大学生からしたら割と良い値段したんだから、そんな乱暴に扱わないでくれよ。
「でも勘違いしてるなら言っておくけど、最終的にそれを選んだのは俺だからな? その子からは、どんなものが良さそうかっていうのを聞いただけだし」
「じゃあその話を聞かなくても、お兄ちゃんはこのプレゼントを選んでた?」
「それはっ……。多分、別のを選んでたとは思う……」
「ほらほらーっ! お兄ちゃんも、ちゃんとその女の子に感謝しなよー? 今度昼ご飯でも奢ってあげなー?」
「……それはこの間、奢ったばっかりだよ」
「んー? なんか言ったー?」
「はぁ……。なんでもないですよー」
そんな俺の言葉に、ワケが分からないと首を傾げたのもつかの間。「あ、そうだぁ! この子に名前付けよっと!」と呟きながら、再びベッドの上にゴロンと寝転んだ。
小学生じゃないんだから……と心の中でぼやきながらも、なんだかんだ楽しそうに羊のぬいぐるみとにらめっこをしている彼女を見て、俺は一安心した。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん」
「んー?」
喉が渇いたという茜お嬢様からのご要望で、コップと冷蔵庫の中から二リットルのコーラを手に戻ってきたのもつかの間。何かを思いついたように、お嬢様が一言ぼやいた。
「私さ、会ってみたいなぁって思うんだけど」
「会う? 会うって誰に?」
コーラを注いだコップを彼女に手渡しながら、それを問い返す。
「だから、お兄ちゃんが相談したっていうその後輩の女の子。私、絶対その子と気が合う気がするんだよねー。なんでか知らないけど」
「え。……会いたいの?」
「うん! 会いたい!」
俺の問いかけに、茜はニッコリスマイルで応じてみせた。
――待て待て待て待て。君とあの子が二人揃ってしまったら、それでこそ俺の立場というものが危うくなるに決まってるじゃないか。またまたどうして、急にそんなことを言いだすんだ君は?
「えー、あー……。でもその子、かなりの人見知りだからなぁ……」
「大丈夫大丈夫ー。私、コミュ力なら自信あるし、なんとかできるから」
そう告げながら、茜はコーラを一口含んだ。棚の上にコップを置いて、再びぬいぐるみを宝物のように抱き締める。
「すげぇ自信だな」
「陽キャとしか仲良くなれないお兄ちゃんとは違うんですー」
「うっ……なんも言えねぇ……」
「ほらほらー! 分かったらその話、その子に伝えておいてよねー? まぁ断られたら断られたでしょうがないけどさ、一応話しておいてよ。ね、お願い!」
「そんなキラキラした目で言われても……」
「なんだよー、可愛い可愛い妹ちゃんからのお願いだぞー? カッコいいお兄ちゃんなら、頼まれてくれるでしょー?」
「ああ……?」
――なんか、デジャブだ。
「ああもう、分かった分かった。その子に話はしておくけど、あんまり期待するなよ?」
「えへへ、やったぁ! そこでお兄ちゃんの話、いっぱいするんだー!」
「うわ、悪口大会になる予感しかしない……」
「ん、なにー?」
「あいや、別に……」
「ふぅん」
まぁいいや、という顔でこちらから顔を背けると、すぐさま羊のぬいぐるみと顔をすり合わせてみせる。なんだかその様子は付き合いたてのカップルみたいで、見てるこっちが恥ずかしくなりそうだ。
「……あ! ねぇねぇそれよりさ、この子“ラム”って名前にしようと思うんだけど、どうかな?」
「え。ら、ラム……?」
「うん、ラム! 可愛くない?」
「可愛い、とは思いけど……」
――いや茜さん、それだと食べるほうのものになりませんかね……?
そんなラムの名付け親は、何も分かっていない様子でニコニコと楽しそうにスマイルだ。はたから見れば、ある意味狂気じみているとも言えるが、当然本人は天然で言っており気付いていないと思われる。
「あー、うん、まぁいいんじゃねぇの?」
まぁ、本人が気付いたときに言えばいいか。特に指摘する気も起きなかった俺は、適当にそう返してしまった。
「でしょでしょ! えへへ、ラムー。これから一緒に寝ようねー」
「……一先ず、気に入ってくれたみたいで良かったよ。少し早いけど、誕生日おめでとう、茜」
「うん! ありがと、お兄ちゃん!」
ラムを抱き寄せながら、満面の笑みを浮かべて茜は嬉しそうに笑っていた。
 




