プレゼントのご相談
――あー、見終わっちゃったなぁ。
ようやく気温が肌寒さを思い出してきた金曜日の夜。久しぶりに借りてきた映画を見終え、ディスクを取り出しながらテレビの電源を落とした。
――面白かったなぁ。次回作も来年公開みたいだし、次は絶対映画館で見よ。
ふわっと欠伸をしながら、ベッドの隣の棚に置いて充電しているスマホを覗く。
いつの間にか、日付が変わって十二時半を過ぎてしまったようだ。明日は丸一日休みだから構わないが、そろそろ寝たほうがいいだろう。
ディスクをパッケージに仕舞い、机の上に置いて部屋の照明を豆電球だけの灯りにする。丁度良い眠気もあることだし、すぐ横になれば眠れるだろう。そんなことを考えながら、ベッドの上に寝ころんだ時だった。
「……んあ?」
唐突に、棚の上に置いていたスマホが鳴り出した。今から寝ようとしていたのに、こんな時間に一体誰だと手を伸ばす。……その画面を見た瞬間、謎の安心感で心の中が満ちていった。
「もしもし?」
「あー! よかったぁ、起きてた。お兄ちゃん、もう寝ちゃってたらどうしようって思ってたぁ」
耳元のスピーカーからは、ホッとしたような声が聞こえてくる。その雰囲気から、本当はもっと早く連絡しようと思っていたのだろう。
「どうしたんだ、茜? こんな時間に?」
電話を寄越したのは、妹の茜だった。またも一ヶ月ぶりに聞く彼女の声に、不思議とこちらも安心する。
改めて部屋の照明を点けながら、彼女に問うた。
「そうそう、連絡しないとって思ってたんだけど、お母さんと一緒にテレビ見てたら遅くなっちゃったんだよね」
「テレビ? 何見てたんだ?」
「えっとねー、ア○トーク見てたー」
「へぇ。そういや最近、見てねぇな」
「そうなの? 面白いのに。あ、そうそう聞いて! さっきア○トークで、“相方大好き芸人”ってのやっててね? ……」
咄嗟に茜が話題を持ち出してきたと思えば、いつの間にか二人でいつものように他愛も無い会話を始めてしまった。一ヶ月ぶりに話すはずなのに、こうして突っ掛かりも無く気楽に話せるのはどうしてだろう。兄妹というのは、不思議なものだ。
先程見ていた番組の話から始まり、最近家族内で起こったこと、学校で起こったこと。時間も忘れて、用件も聞かずに気が付けば小一時間、それからずっと二人で話してしまっていた。
「はー、楽しい。やっぱりお兄ちゃんと話してるときが、一番好きな時間だなぁ」
ようやく話題が尽きたところで、茜がクスクスと笑みを浮かべながら告げる。そんな風に言われるのは喜ばしい限りだが、それは妹から兄が言われるべき言葉では無い。
「おいおい、彼氏はどうした? 彼氏とは楽しくないのか?」
「そりゃあ楽しいよ? けどやっぱり、お兄ちゃんとならなんでも気にしないで話せるから、一番気楽で楽しいの」
「それは嬉しいけど……なんだかなぁ」
「むー、いいのー! 素直にありがとうって言いなさい!」
「はいはい、分かった分かった。ありがとうね」
「えへへー、うん!」
無邪気に元気よく彼女が返事をしてみせる。こんな風に俺に対して素直なのは、昔からずっと相変わらずだ。
――あーあ……。茜が妹じゃなくて、彼女だったら良かったのに。
ふと、唐突にそんな感情がポツリと浮かび上がる。……それと同時に、寒気がした。
――いやいや! 何考えてんだ俺。実の妹に向かって、気持ち悪いこと考えてんな。やめろやめろ。
いかにも常人では思い浮かばない考えをすぐに振り払う。いけない、そこまで行ってしまったら、きっともうこの場所へは戻れなくなる。余計なことを考えるのはやめよう。
「……る? ねぇ、お兄ちゃん?」
「……えあっ!?」
一気に現実へと引き戻されては、口から変な声が出る。マズい、余計なことを考えていて、話を聞いていなかった。
「もうっ、やっぱり聞いてなかった。なに急にボーっとしてるの?」
「あ、いや、ごめん……なんだった?」
「だからー、すっかり話込んじゃったけど、話の本題入っていいかって言ってるの」
「……あぁ、そういえば何か話があったんだっけ。違う話で盛り上がっちゃったから、すっかり忘れてたよ。どうしたの?」
「だからね。来週の土曜日に、専門学校の入試があるの」
「入試? ……あぁ! そういえば話してたな。スポーツトレーナーになりたいんだっけ?」
「うん。だから、その専門学校に入りたいんだ。AO入試が土曜日だから、頑張らないといけなくて」
「そっか、じゃあ入試頑張らないとな。応援してるよ」
「うん、ありがと。それでね、ウチから直接行くより、お兄ちゃんの家からのほうが早く行けるから、金曜日と土曜日はお兄ちゃんの家に泊めてもらいたいなって思ったんだけど」
「あぁ、そういうことね。いいよ、じゃあ適当に掃除して準備しとく」
「ホント? ありがと! じゃあ、お願いね」
「りょーかい」
「……それから、もう一つ」
「ん?」
そこまで言うと、茜は言葉を止めてしまった。一体どうしたのだろうか。
「……お兄ちゃん、何か忘れてない?」
「え、忘れてるって?」
「大事なこと! もうすぐその日でしょ?」
「その日……?」
“その日”とは、一体なんの日だろうか。あと数日で十月に入るが、ここ最近で茜と俺が知る大事な日と言えば――。
「……あっ」
小さな声が出た。
「あっ、じゃない! また忘れてたんでしょ!?」
「あいや、あの……はい。すみませんでした」
「もー、鳥頭のバカ兄貴! 妹の誕生日忘れるとか、ホント最低だよね」
そうだった。月をまたいで、十月三日。もうすぐ茜の誕生日なのだった。ヤバい、うっかり忘れてしまっていた。
「去年、アレだけもう忘れないって言ってたくせに」
相変わらずの鳥頭な俺に呆れて、すっかり拗ねてしまった茜が告げる。
「……そんなこと、言った気がします」
「言いましたぁ! 絶対忘れないって言ってましたぁー!」
「……そんなことも、言った気がします」
「まったくもう……。私だからまぁいいけど、今後彼女の誕生日とか二人の記念日とか、お兄ちゃん絶対忘れるよね。ちゃんとメモとかして忘れないようにしなよ?」
「はい……気を付けます、マジで……」
全く以てその通りだ。自分の用事ならまだしも、誰かとの大切な日を忘れるだなんて、人間としてどうかしている。今後はもうこんなことを起こさないよう、肝に銘じなければならない。
「はぁ。……じゃ、そういうわけだから」
「……ん?」
刹那、嫌な予感が過ぎった。
「だから、そういうわけだからさ。今度遊びに行くとき、楽しみにしてるよ」
「え、あっ?」
「今までお兄ちゃん一人から貰ったことは無かったけど、今年からお兄ちゃんは一人暮らしなんだし、おねだりしちゃってもいいよね?」
「いや待て、茜っ?」
「二年連続で忘れてたんだから、その分どんなプレゼント貰えるか楽しみにしてるね。じゃあね、おやすみー」
「あ、ちょっ!」
そう叫んだ途端、耳元から嫌な音が聴こえた。
――……切られた。
そうか。だから茜は、今度わざわざ俺の家に泊まりに来ると言っていたんだ。……俺から誕生日プレゼントを貰うために。
――姑息な奴め……。あー、どうしたもんかなぁ……。
座っていたベッドに横になって、天井を見上げる。あんな言い方をするということは、それなりの物を期待されているということだろう。
果たして、どんなプレゼントを渡せばいいのか……。考えてはみるものの、一体彼女が何を貰えれば喜ぶのか、見当もつかない。おかげですっかり眠気も忘れてしまい、気が付けばいつの間にか時間は深夜の二時を回ってしまっていた。
◇ ◇ ◇
「……で、私に相談ですか」
次の日。お昼を過ぎた昼下がり。結局夜ふかしをしてしまい、昼間まで寝ていた寝坊助の俺は、泣く泣くすがる思いで本城さんに電話を掛けた。
「ごめん、急に。でもホント分かんなくて……。一体なに渡せばいいんだろうって」
「別に私なんかに相談しなくても、先輩のほうが妹さんのことをよく知ってるでしょう? そもそも私、妹さんのこと知りませんし」
「で、でもさ! 本城さん女の子だし、流行りとか何か知ってるんじゃないの?」
「あのですね……私って流行に乗るほど、腰の軽い人間だと思います?」
「え、でも、前に発売したばっかりのゲーム買ってたじゃん」
「それはゲームだからでしょ。確かにゲームはガチですが、それ以外はなーんにも流行りなんて分かりませんよ。陰キャの私に相談するのが間違いです」
「えぇ……」
まさか陰キャの子って、流行りのものにあまり興味が無いのだろうか。
今まで接してきた女の子はみんな、流行りに敏感ですぐブームに乗っかる子ばかりだったが、それは陽キャだったからなのか?
「そもそも先輩、今まで妹さんにプレゼントってあげたことなかったんですか?」
「いや、今までは家族でプレゼントって形だったからさ。今年から俺は一人暮らしだから、親とは別におねだりしてもいいよねって言われて……」
「ふぅん、そうなんですか。……っていうか先輩って、女経験もありますよね? その時にも何かプレゼントしたんじゃないんですか?」
「そりゃあ確かに何回かはあるけど、その時は前々から『アレが欲しいなぁ』みたいに言ってたものをプレゼントしてたから。今回はホントにゼロからだから、何も分からないんだよ」
「はぁ、そうですか……。分かりましたよ、もう」
小さなため息を彼女が吐く。
「いつも私のワガママに付き合ってもらってばかりですからね。偶には付き合ってあげますよ」
「え、ホント!?」
その些細な一言が嬉しくて、つい声を大きくしてしまった。
「うるさい。耳元で叫ばないでください、鼓膜が破れます」
俺の耳元では、そんな彼女の嫌味が聞こえた。
「えぇ……叫んだのは悪かったけど、流石に鼓膜は破れないでしょ」
「分かりませんよ? “万が一”っていうのは、奇跡としか言えない確率でもあり得ますからね」
「それはそうかもしれないけど、そんなこと考えてたらキリなくない?」
「そんなことを考える人間がいなかったら、人間はここまで発展していませんよ。“備えあれば憂いなし”って言うでしょ」
「いや言うけど……面倒くさいなぁ」
「あ、面倒くさいって言われた。相談乗るのやめよっかなぁ」
「え。いや! ごめんって! 悪かったよ!」
「……冗談ですよ、もう。まったくあなたって人は、冗談がなかなか通じませんね」
そう言って、彼女はやれやれと呆れてみせる。まったく、どの口が言うんだ、どの口が。
「本城さんの冗談が、冗談に聞こえないんだよ」
「先輩がすぐ人を信じちゃうから、そう感じるだけじゃないですか?」
「人を信じて何が悪い?」
「悪くはありませんが、悪い大人に騙されないようにって話ですよ」
そして本城さんは、眠たそうに大欠伸だ。
どうして大学二年生にもなって、俺は一つ年下の女の子に社会を教えられなくちゃいけないんだ。この世の中は、やっぱり理不尽だと思う。
「あー、そうですかぁ。そりゃどうも」
「そうそう、感謝してくださいよ? 先輩は騙されてすぐ悪いほうの道に行きそうで、心配なんです。気をつけてくださいよ?」
「あ、心配してくれてるんだ」
「そりゃあ、一応これでも友達ですし」
「ふぅん」
「……電話、切りますよ?」
「ごめんなさい、冗談です」
「それでいいんですよ、初めから。まったく」
――こっちのセリフだ、まったくもう。
「……それじゃあ、教えてくださいよ。できるだけ詳しく。何か、役に立つかもしれません」
「ん、教えるって、何を?」
「決まってるじゃないですか。先輩の、妹さんについてです」
スマホのスピーカーからは、そんないつも生意気な後輩ちゃんの気怠げな声が聞こえてきた。




