初めて君と見る花火は
「んん……」
ぼんやりとした頭で、ゆっくり目を開く。窓から部屋に入る光量を見るに、どうやら眠ってしまっていたらしい。
――あれ、布団掛かってる。俺、寝ちゃってたのか。
まだ少し頭が痛いが、貰ってきた薬が効いているらしく、だいぶ楽になってきた。やはり処方される薬は様々だと思う。
――今、何時だ……?
右手を伸ばして、スマホを手に取り時間を確認する。現在時刻、十八時二十四分。三時間くらい、寝てしまったらしい。
そろそろ起きなきゃなぁと、眠たい目を擦りながら起き上がった。
「……え」
目の前に見えた光景に、思わず困惑する。一体何故このような状況になっているのか。咄嗟に頭を巡らせてみたが、寝ぼけていて思うように浮かばなかった。
――待て待て……。確か、昼ご飯食べた後、また少し口論になって……。本城さんが『いいです、もう! お皿洗ってきます!』って言って、キッチンに行っちゃったんだっけ。
なんとなく、そこまでは覚えている。だがそれより先は、俺がベッドに座り込んでからの記憶が無い。恐らく、俺のほうが先に眠ってしまったのだろう。
「……本城さーん?」
寝起きの声で、彼女を呼び掛けてみる。……しかし、反応は無い。
一体どうしたものだろうか。渋々ベッドから立ち上がっては、彼女の元へと歩み寄った。
――……ぐっすりだなぁ。寝ちゃってる。
椅子に座って、机に突っ伏しながら眠ってしまっているようだ。長い黒髪が顔に掛かってしまっていて、寝顔は思うように見えない。
――疲れてるのかなぁ。昨日はなんか、生放送するとか言ってたし、わざわざ料理の食材買いにも行ってくれてたみたいだし。
面倒くさがりで、いつも文句ばかり言っている割には、意外と働き者なのかもしれない。具体的にどんなことをしているのかは定かで無いが、以前豚を追い掛けていた時にも思ったが、体を動かすこと自体は苦手では無いらしい。
そうだ、お皿は結局どうしたのだろう。一旦彼女はそのままにして、キッチンへと入ってみる。――そして目の前に見えたその姿に、思わず「おぉ……」と感嘆の声を上げてしまった。
シンクやコンロ周りは全て片付いており、食器や鍋などはきちんと全て食器棚へ仕舞われていた。ついでに、溜まっていたペットボトルなどのゴミもまとめてくれたようで、久々にゴミ一つ無い綺麗なキッチンが蘇っていた。
――マジかよ、おい。頼んでも無いのに、家政婦じゃ無いんだから。……ホント、何から何まで感謝だなぁ。
口の割に、お節介焼きなところもまた彼女らしい。役者としてはともかく、それ以外は案外こういった裏方の仕事をしたほうが、彼女は輝くんじゃなかろうか。
――ホント、将来は良い奥さんになりそうだな。毎日ケンカばっかりありそうだけど。……いや、ケンカが多いのは、相手が俺だからなのか? ……分からん。
確かにここ数ヶ月間、彼女と一緒に過ごすことで、彼女が何を考えているのかはある程度分かるようになった。
しかし、それはあくまで俺を相手しているときの彼女についてなだけであって、俺以外の人と接しているときの彼女の気持ちまでは分からない。もしかしたら、他に好きな男の人がいるかもしれないし、俺よりも仲が良い人なんてザラにいるだろう。
そう考えてみると、俺と話しているときの本城さんは、ほんの一場面の彼女であって全てでは無い。こういった彼女の一面は、俺にとっては新鮮なだけであって、他の人にとっては当たり前の彼女であるかもしれないのだ。
――……まぁとはいっても、そこまで俺が本城さんと仲良くなれるなんて思ってないけどさ。あの子があの調子だし、どうせこの先もこんな調子なんだろうなぁ。
そう思うと、なんだか複雑な気持ちだ。彼女には特別な感情を抱いているわけでは無いが、それでも放っておけないという感情がいつも生まれてしまう。放っておけば、どこかで勝手に壊れてしまうのではないか、そんな繊細さがあるのだ。
そうなる前に、手が打てるなら打っておくに越したことは無い。いま彼女に対して俺がしてやれることは、それなりの距離感を保って、しっかり見守っていてあげることだ。――もう二度と、手遅れなことにならないためにも。
――あ、やば。本城さん起こしてあげないと。首痛めちゃってたりでもしたら大変だよな。
いつまでもキッチンの綺麗さに見惚れていてはダメだ。早く彼女を起こしてやらないと。そう思って、キッチンを出たときだった。
――うわっ! ……ビックリしたぁ、なんだ?
突然外から、ドンッという大きな爆音が聞こえてきたのだ。一体何事だと、再び机で寝ている本城さんをスルーしては、ベランダへと向かってみる。
――……あ、花火だ。そっか、今日お祭りがあるんだったっけ。すっかり忘れてた。
町に並ぶ建物達を見下ろすように、少し遠くで花火が打ち上げられていた。どうやらこの部屋からなら、綺麗な花火がちょうど真正面から見ることができるようだ。
――へぇ。全然そんなこと意識してなかったけど、良い場所に住んでたんだな俺。……あ、じゃあ本城さんにも見せてあげないとな。
赤や緑色の花火が何発か打ち上げられたのを見たあと、急いで机で寝てしまっている本城さんの元へと向かう。……すっかり熟睡しているようだが、果たして起きてくれるのだろうか。
「おーい、本城さん。起きてー?」
取り敢えず、寝ている彼女の肩を揺らしてみる。……しかし、案の定彼女は起きる気配が無い。
「ほーんじょーうさーん。花火上がってるよー? 見ないのー?」
「……んー。カルビ……?」
もう少し強く揺らして声を掛けてみる。どうやらぼんやりと声は聞こえているようだが、それは全くの見当違いな聞き間違いである。
「カルビじゃないよ、花火。綺麗だよー?」
「うーん。……あれ、村木しぇんぱい?」
寝起きのふわふわな滑舌で、ようやく目の前の生き物が動き出したかと思うと、目に被っていた髪を払ってこちらに視線を向けた。
そんなぼんやりとした目と、数秒間見つめ合う。……え、何々? どうしたのこの子、フリーズしちゃったよ?
「……村木先輩、今何時?」
ふわふわした口調のまま、彼女がぼんやりと問うた。
「え、今? 六時半くらい」
「そうですかぁ。ふわぁ……なんか結構寝ちゃった……眠い」
まるで猫のように大きく欠伸をしながら、ゴシゴシと目を擦っている。やっぱりこの子はよくよく見ると、まんま猫だと思う。前世はもしかしたら、黒猫あたりなんじゃなかろうか。
「あー……。それよりさ、本城さん。外、花火上がってるよ?」
「んぇ……花火?」
「うん。ほら」
未だに半開きの目で、俺が指差した窓の外を彼女が覗く。その瞬間、再び外でドンッと青色の花火が打ち上がった。
「おー、花火だ。先輩、良い部屋住んでるじゃないですか。流石陽キャだ」
「いやいや……。なんでそこで陽キャが出てくるのさ」
「えー、だって、彼女と部屋で花火を見ながらデートするために、この部屋選んだんでしょ?」
「んなワケあるか! 偶々だわ!」
「えー、そうなの?」
「そりゃそうでしょ。こんなところまで計算するほど、俺の頭は良くないよ」
「あー、そりゃそっかぁ。先輩だもんなぁ」
「……それはそれでなんか、バカにされている気がする」
「当たり前じゃないですかぁ。バカにしてますよ」
「言っておくが、今回俺は単位を一つも落としてないからな?」
「それ、自慢じゃないですからね。私だって一つも落としてないですし、高校の時は赤点なんて取ったことありませんよ」
「え。マジで?」
「マジです。どうせ先輩のことだから、高校時代は赤点たくさん取ってたんじゃないですかー?」
「うぐっ……。それを言うな……」
そんな反論できずに口籠ってしまった俺を見て、本城さんは肩を揺らしながらクスクスと笑っていた。その笑いが、見下しからくるものなのか、単純に楽しいからきているのかは定かでは無いが、一先ず笑ってくれたのなら良しとしておこう。
窓の外で、今度は様々な色の小さな花火が連続で上がる。俺達の会話はそこですっかりと途切れてしまい、しばらく二人でボーっとしながら、そんな花火達を見つめていた。
「……なんか、不思議な感じです」
ふと、ポツリと本城さんが告げる。
「不思議? 何が?」
「……こうやって誰かと花火を見たの、小学生以来だから」
「あー……」
その話はなんだか、俺から深掘りしてはいけない気がする。どんな返事をすればいいか分からずにあやふやな返事をしたまま、次の彼女の言葉を待ってしまっていた。
「小学三年生だったか、四年生だったか、どっちだったかは忘れちゃいましたけどね。お母さんと二人でお祭りに行って、屋台でリンゴ飴と焼きそばを買って、広場のベンチに座りながら花火を見たんです。
あの時は、隣に誰かがいるっていうことが当たり前だったから、なんにも思ってなかったけど……。それからは毎年、家の窓からちょっとだけ見える花火を一人で見るだけで、思い出なんてありませんでしたから」
「……なんか、そんな中で俺が一緒になっちゃって、申し訳ないような」
「ホントですよ。どうせなら、先輩以外の人と見たかったです」
「……それ言われるの、結構キツいからな?」
「何言ってるんですか。先輩は陽キャなんだから、もっとしっかりしてください」
「はいはい……」
まったく、いつもの如く酷いものだ。どうせここで文句を言ったって、彼女に勝てるわけが無いんだ。ここは適当に、話を聞き流しておこう。
「……でも先輩じゃなかったら私、これからもずっと一人だったかもしれませんね」
「え?」
なんだろう。何かが聞こえたような気がして、ずっと花火を眺めていた視線を彼女へうつした。そんな彼女は、今でもジッと花火を眺め続けている。
「だって……私のことを、こんなに友達だって言ってくれる人、日和以外にいなかったから。先輩は面倒くさくて、バカで鈍間で鳥頭で、大っ嫌いな陽キャだけど……感謝は、してるんです。こんな私でも、友達になりたいって言ってくれる人がいるんだなって思って。やっぱり先輩は、どうかしてますよね」
「っ……。あははっ、そうだなぁ。やっぱり俺、どうかしてるのかも」
急にそんなことを言われると、なんだか照れ臭い。恥ずかしくなって、思わず視線を花火へと逸らしてしまった。
「ホント、困ったもんですよ。私のこと、大好きなんですから。私がいなかったら、先輩泣いちゃうんじゃないですか?」
「やめろ、なんだそれは。まるでお母さんが恋しい子供みたいな」
「えー? でも、先輩ってそういうところあるでしょ? 恋人とちょっと会えないと、寂しいなぁ、会いたいなぁって思っちゃうタイプ」
「……否定できない自分が悔しい」
「ほらやっぱり。ダメですよ、もっと男らしくしてください。心強い先輩なんですからね」
「う、うるさいなぁもう! ……でも、本城さんが好きなのはホントだよ?」
「……こんなところで、急に愛の告白ですか? 気持ち悪い」
咄嗟にこちらへ顔を向けては、ギロリと睨まれてしまった。いやいや、その話を最初にしたのは君のほうなくせに、何を言ってるんだ。
「バカ野郎、そっちが最初に話ふっかけたんだろ? そういうのじゃなくて、普通にだよ。普通に。普通に友達として、俺は本城さんが好きだって話」
「ふぅん。この間は、分からないとか言ってたくせに」
「気が変わったんだよ。色々とね」
「ワケ分かんない。ホント陽キャって謎ですね」
「そんな君はもう少し、自分の行動を見直したほうがいいよ」
「はぁ? 私、何も変なことしてませんが?」
「十分してるよ。ホント、分かりやすいくらいにね」
――そう。俺のことを一人の友達として、ちゃんと心配してくれてるんだなって。不器用過ぎてこっちが心配になるくらい、心から本当に。
そんな自分のことに気が付かない様子で、気持ち悪いものを見るかのような顔を浮かべて頭を悩ませている彼女に、俺は思わず吹き出して笑ってしまった。
「ねぇ、本城さん」
「……なんですか」
俺が吹き出して笑ってしまったことにふて腐れている彼女が、頬を膨らませながらぶっきらぼうに告げる。
「いやさ。来年はちゃんと、一緒にお祭り行きたいなって思って。今年は、こんな風になっちゃったから」
「……来年まで友達ですかね、私達」
「え、なんでよ」
次の花火を打ち上げるための休憩時間なのか、すっかり静まってしまった夜空をぼんやりと見つめながら、彼女が言葉を続ける。
「だって……一年後なんて、分からないんですよ? もしかしたら何か、不幸なことが起こってるかもしれないし。私達だって、何かがあって仲違いになってるかもしれないじゃないですか」
「それはそうだけどさ……。でも、そんな暗いことを考えてたってしょうがないじゃない。もっと明るくいこ、明るく」
「はぁ。陽キャはいいですねぇ、気楽そうで」
「そういう陰キャは、もっと世の中をフランクに楽しまないと。人生長いようで短いんだぞー?」
「あなたなんかに、人生を語ってほしくはありませんよ」
「なっ、いいだろ別に!?」
「嫌です、反吐が出ます」
「反吐と言うな、反吐と……」
そんなことを呟きながら、ふわっと彼女が眠たそうに欠伸をする。相変わらず、マイペースな奴だと思う。
「じゃあ、分かりました。先輩、一つ条件を出しましょう」
「条件?」
「えぇ。今年の後期と、来年の前期。一つも単位を落とさなかったら、来年も一緒に行ってあげていいですよ」
「は。え、何それ。なんか難易度上がってない?」
「当たり前じゃないですか。一度クリアしたクエストは、二回目は少し難しくなるんです。せっかくのチャンスだったのに、ものにできなかった先輩の自業自得ですよ」
「は、はぁ……」
なにもそんな、ゲームの話を現実に持ってこなくてもいいじゃないか。どうしてそんなに、俺と一緒にどこかへ行くのには、条件を出したがるのだろうか。
「分かったよ……。じゃあ、ちょっと頑張ってみようかな」
「え。本気なんですか?」
「え。本気だけど……なんで?」
そんな言い出しっぺの本城さんが、今度は大きく目を見開いて驚いてみせる。どうしてそんな顔をするのか、俺には全く理解できない。
「いやだって……。そんな話、普通鵜呑みにします?」
「えーだって、単位取れたら来年もチャンスくれるんでしょ? だったらちゃんと、頑張らないとさ」
「あなたはもう少し、疑うってことを知らないんですか?」
「なんでよ。だって本城さんだし、嘘は吐かないって知ってるからさ。ちゃんと頑張ろうって思ったから言ってるんだよ?」
「はぁ……。これだからあなたって人は、本当に……はぁ……」
突然おでこに右手を添えては、何度も何度も大きなため息を吐いてみせる。どうしたのだろうか。俺何か、変なことでも言ったのか?
「ん、どうしたの?」
「いえ……なんでもないです……」
「ふぅん。まぁいいや。それじゃあ、九月からの後期もちゃんと、一生懸命単位取れるように頑張るぞー!」
そんな言葉を口にしたのもつかの間。急に鼻がむず痒くなっては、大きなくしゃみを思いっきりしてしまった。……そうだった、すっかり会話に夢中になってしまっていたが、今は風邪をひいているんだった。
「……その前に、まずは早く風邪を治してくださいよ? 話はそれからです」
「はぁーい……」
未だにムズムズする鼻を啜る。そんな俺を見て、彼女が不器用に微笑むと同時に、外では大きな大きな朱色の花火が、再びドンッと音を立てながら、俺達二人のことを華やかに見下ろしてくれていた。
これにて、本章は終わりです。ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
次回はもうちょっとだけ続く夏休みと、大学後期の授業がスタートします!
……そういえばここ最近、演劇の話題って出てきていませんよね。なんだか段々二人も仲良いムードになってきたし、そろそろ爆弾投下しちゃいましょうか?(筆者の陰謀)
お楽しみに!
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