好きの形
数日後。お盆休み前ということもあって、帰省距離が遠い人達が休んでしまった枠に入ってほしいと前日にせがまれてしまい、結局帰省する今日も夕方までバイトをすることになった。
なんとか今日のノルマを終わらせては、急ぎ足で一旦自宅へと帰る。
必要な荷物をまとめると、そのまま俺は実家へ帰省するために、今度は駅へと向かった。
一人暮らしをしている家から、電車とバスを介して約一時間。半年ぶりに地元へ戻ってきたが、以前と何の変わり映えも無くて妙に安心する。
そうして、ようやく今日の目的地である、俺の実家へとたどり着いた。
――あー、なんかこんな感じなんだなぁ。帰省するって。初めてだけど、やっぱりここが一番安心するっていうか。……帰ってきたなぁって感じ。
玄関横のインターホンを鳴らす。そのまましばらく、その場で中から人が出てくるのを待った。
「おー。おかえり、実。久しぶりね」
しばらくして、中から顔を出したのは意外にも母さんだった。てっきりあのブラコン茜ちゃんが、真っ先に飛び出してくるかとも思ったけれど、意外とそうでは無いらしい。
「ただいまー母さん。……なんか、改めてこう言うと照れ臭いな」
「何言ってんの。ほら、さっさと上がっちゃいなさい。夜ご飯、まだでしょ? 今から作るから」
「あ、うん。……今、誰もいないの?」
玄関を閉めて、靴を脱ぎながら彼女に問う。
「今は一人なのよ。お父さんは今栃木に行っちゃってる。明日の夜には帰ってくるんだけどね」
「……茜は?」
「今日は彼氏の家にお泊りだって。一緒に宿題やるんだって言ってたよ」
「ふぅん。……そうなんだ」
彼女の後ろに付きながら、懐かしい実家の中を歩く。半年間いなかったわけだが、あまり家の中の催しは変わっていないようだ。
「茜ったら、『次にお兄ちゃんが帰ってきたら、夜一緒にベッドで寝てやるんだ!』って言って楽しみにしてたのに。残念だねぇ」
「いや、母さんもそれ止めてよ……。いい加減、兄妹なのに一緒の布団で寝るなんておかしいでしょ」
リビングに入り、テレビの前のソファーに荷物を置いて座る。
まったく、どうして母さんは昔からこうなんだろう。もっと茜の兄貴愛を母さんからも止めてくれれば、茜だってやめてくれるかもしれないのに。
「そう? 兄妹仲が良いことは、別に悪いことじゃないでしょう?」
対面式キッチンの向こう側で、冷蔵庫を開きながら、そんな風に彼女が告げる。言っていることは分かるが、それとこれとは話が違う。
「あの……。もし万が一の事態を考えないんですかあなたは? 父さんだってそれが怖いから、昔から茜に言うんでしょ?」
「それはあなたが狼にならなきゃいいだけの話でしょ? 茜は別に、そういう気は無いと思うよ」
「だからって、いつあいつがその気になるかもしれないでしょ」
「無い無い、絶対無い。それは母さんが保証するよ」
右手を振って、笑いながら母さんが告げる。何がそんなに面白くて、どこに保証できる根拠があるのだろうか。
「じゃあ、何よ?」
「んー……じゃあ、久しぶりだし。せっかく二人きりなんだから、少しそういうお話しましょうか。母さんが女の子について、実に教えてあげるよ」
手に取ったお玉を振りながら、母さんが楽しそうにしている。
こういう楽観的なところがきっと、茜も似てしまったんだろうなと、つくづく感じてしまうのは言うまでもない。
「実はさ。茜の“好き”って、どういう意味だと思ってる?」
「はぇ。……まぁ、家族としてでしょ?」
「そ。家族として。茜は実のことを、大切な家族として大好きなの」
「いや、それは分かるんだけど。なんで母さんが大丈夫だって言い切れるのかが、やっぱり謎なんだけど」
「そうねー。……女の子はね。男と違って感情的だって言うでしょ? 女の子は、恋する“好き”っていう感情と、家族としてとか、人として“好き”っていう感情がそれぞれ大きいの。
例えばほら。実だって、昔は紗織ちゃんのことが大好きだったくせに、いつの間にか中学校で別の彼女作ってたでしょ? それと一緒」
「いや、それもよく分かんないんだけど……」
「物凄く簡単に言えばよ。自分がホームにいるときの“好き”と、アウェイにいるときの“好き”って感じ。実と茜は兄妹だから、ある程度安心できる関係でしょ? それに対して、彼氏とか彼女って、完全に自分のアウェイな関係じゃない。
完全に安心はできないけど、それでも“好き”だって思っちゃう人はいる。けどやっぱり、偶には自分が安心できる人の元でゆっくりしたい。それが偶々、茜にとってそれは実だったってだけの話。“好き”の形なんて、単純に見えて色々なのよ」
「んー……。それならなんとなく分かったような気がする」
「そう、なら良かった」
そう告げると同時に、キッチンからチッチッチ……とコンロの火が点く音が聞こえてきた。流石は主婦歴の長いこと。喋りながらも淡々と作業をこなす様は、まさに熟練のそれだ。
――ホームとアウェイねぇ。女の子らしいというか、なんというか……。俺には、あんまり無い感覚だなぁ。
俺が男だからこそ、そんな感覚はあまり無いのだろうか。それとも、単純に俺にはそんな感情が無いだけなのだろうか。
どちらにせよ、イメージではぼんやりと分かるものの、ハッキリと理解できる感覚では無かった。
「……実だって、本当は分かってるでしょ? 茜が、なんであなたを好きになったのか」
「っ……」
唐突に、母さんがそんなことを告げる。咄嗟に彼女のほうへ視線を向けたが、コンロの前に立っていて、彼女の顔はちょうど壁に隠れてしまっていて見えなかった。
「……分かってるよ、そりゃあ」
「ならいいの。あなたは茜のたった一人のお兄ちゃんとして、これからも仲良くしてあげて。それだけで、茜は安心できるんだから」
「……うん」
うん、とたった一言返事をするだけなのに、何故だろう。――その一言を口にするのに、苦虫を噛みしめたような苦味を覚えた。
――そんなこと……そんなの、ずっと前から分かってる。分かってるからこそ、どうにかできないかって迷うんじゃないか。このまま現状維持を続けてたって、絶対に茜のためにはならないんだよ。……母さんは、何も分かってない。
今後この先、ずっとこのままの関係を続けるわけにはいかない。何か良い方法がないか、俺はこれからも探し続けるつもりだ。
誰になんと言われようが、もう決めたんだ。――たった一人の妹のために、俺ができることを探すんだって。
「実はどうなの? 彼女は」
「……あっ?」
ボーっと考え事をしていたせいで、素っ頓狂な声が出てしまった。なんだか、彼女だかなんだと聞こえた気がする。
「ごめん、今なんて言った?」
「だから、彼女はって聞いたの。今はいないの?」
母さんが壁越しに、チラッとこちらを覗いている。その様子は、まさによくある顔文字のそれだ。
「え。……聞く? それ。わざわざ息子に」
「別にいいでしょうよ。それとも何? いるから言いたくないんだ?」
「だぁ! 違う違う! ……今はいないよ。気になってる奴もいねぇし」
「ふぅん、そうなんだ……」
「……何? そのつまんなそうな顔」
「別にー? ただ、実だって良い男なのに誰も寄り付かないなんて、世の女は勿体無いなぁって思っただけだよ」
「くっ、ここにもブラコンがいたか……」
「ブラコンじゃ無いよー。ただ、自分が生んで育てた自慢の息子を、誇りに思うのは悪いことじゃないでしょ?」
「だから、そういうのをわざわざ息子に向かって言うかって言ってんの」
「えー、ダメ?」
「ダメじゃないけど……。照れ臭いでしょ、なんか」
「あー、照れてるんだ。実君ったら、可愛いー」
「……なんで俺は、母親にまでこんなこと言われなきゃいけないんだ?」
「それだけ愛されてるってこと。素直に嬉しく思いなさい」
「……あっそう」
まったく、なんだって言うんだ。妹だけでなく母さんまでこんな性格だから、もしかして俺も苦労癖が付いたんじゃなかろうか?
「でも、早いとこ結婚して、お母さんに孫の顔見せてよー? 私、それが人生で今一番楽しみなんだから」
「……まぁ、そのうちね」
結婚とか、子供とか、正直そんなの今は分からない。恋愛の“れ”の字すらも理解できていないのに、奥さんだなんてそのまた先だ。
――まぁ、将来適当に可愛い子と結婚してるだろ。……多分。
人生、人との縁は一期一会だ。いつどこで運命の人と出会えるかなんて分からない。
今はただ、この村木実という男の人生の中で、いつかは運命の巡り合わせが起こるということを、心の底から祈っておこう。
「そうそう、実」
ふと、母さんが俺の名を呼んだ。
「ん?」
「せっかく帰ってきたんだから、お線香あげてきちゃいなさい。まだご飯できないからね」
「あー、うん。そうだね。……あげてくる」
そう告げられて、俺はソファーから立ち上がった。そのまま、リビングの隣にある和室へと入る。
和室にポツリと静かに置かれた、仏壇と向かい合って正座で座る。
ここに座ると、いつもあの時の風景が、一気に脳裏に蘇ってくる。――もう戻らない、あの頃の思い出達が。
――……ただいま、帰ったよ。
火を灯したロウソクに、線香を近付け火を移す。――この火に燃えて灰になるように、嫌な思い出は全て燃えて消えてしまえばいいのにと、思ってしまった俺がいた。
◇ ◇ ◇
――あー、自分の部屋だったのに、半年ぶりだとなんか慣れねぇ。
深夜。未だにほとんどの荷物が残ったままの、実家にある自分の部屋。今日は一人きりで静かなはずなのに、何故かどうにも眠れない。
――やっぱり……この部屋にいると、いつも茜がいたからなぁ。やかましい声が無いと、眠れないのかもしれん。
実家にいた頃は毎晩、寝る前は茜と二人で話をすることが日課だった。学校での話、部活での話、マンガの話、世間で流行しているものの話。いつも何かしらの話をしてから、お互いの部屋で寝る。
これを欠かして、俺が先に寝てしまったりすると、いつも茜がふてくされてしばらく口を利いてくれなくなっていた。
まぁ、大体は頭を撫で撫でをしてやれば機嫌も元通りになっていたが、それでもはたから見れば明らかに兄妹としておかしいことをしていたと思う。
――ホント……なんでこうなっちまったかなぁ。
どうしてこんな関係になってしまったのだろう。例え原因が分かっていたとしたって、他にもっと良い関係になれる方法はあったはずだ。
『私はね? お兄ちゃんが可愛いお嫁さんと結婚して、迷惑だなぁって思われてほしく無いから、こうして色々言ってるんだよ? ……少しは私の気持ち、分かってよね?』
いつだったか、茜が告げた一言。どうして妹にそこまで心配されなきゃいけないんだと、反応に困ったことを今でもよく覚えている。
――まぁ、兄貴想いで良い奴だとは思うけど。……それでもなぁ。
わざわざ妹が心配することじゃない。……ただこの一言に尽きる。
例え俺がどうだったって、妹がわざわざそこまで兄の心配をする必要は無いはずだ。それなのに、どうしてそこまでして兄の心配をする? どうしてそこまで、兄を見ていたくなる? ――茜や母さんがなんと言ったって、俺にはそれが理解できない。
――彼女っつったってなぁ。特に仲が良い女の子がいるわけでもねぇし……。
『ほらやっぱり。ダメですよ。将来もし恋人にしたい子が出てきたとき、バレバレ過ぎて呆れられますよ?』
『何ちょっと恥ずかしがってるんですか? たかだか後輩の陰キャの女に、それすら言えないんじゃあ、今後彼女ができたときに損しますよ』
『大っ嫌いです。以上』
――……本城さんは無いな、うん。絶対無い。
後輩のくせに憎まれ口で、悪口ばっかりで、暇さえあればいじってくるし、先輩の俺をサンドバッグだとしか思ってないワガママお姫様。
どう頑張ったら、あの子と付き合いたいと思う男が出てくるのだろうか。容姿を見て一目惚れをしたならまだしも、実際に話してみてそう感じる男は、一体全体の何パーセントになるのかが疑問だ。
――好きの形は色々だとか、人は捉え方だとか、なんだとか、なんか色々言ったり聞いたけど……。本城さんの場合は別だな、絶対。
綺麗なバラには棘がある。薔薇には強い毒がある。大人しくしていれば、その毒をまき散らすことは無いのに、それを見境なく周囲にまき散らすもんだから、彼女には困ったものだ。――あの子は無作為に敵を作って、孤独を貫こうとでもしているのだろうか。
――ホント、黙ってりゃ可愛いのになぁ。
一体どうすれば、あの薔薇を綺麗に生けることができるのだろう。俺にはまだ、その方法が分からなかった。
◇ ◇ ◇
「くしゅん! うぅ……また風邪ひいたかなぁ?」
「ちょっとー、アヤちゃん大丈夫? 夏風邪?」
通話越しの彼女が、心配そうに告げた。
「うーん。そうかなぁ? ……また風邪ひくのは嫌だなぁ」
「また? ……あぁ、そういえば二ヶ月くらい前にも風邪ひいてたねー」
「うん。……今日は早く寝ようかなぁ」
――どうせまた、風邪ひいたらあの人が来るんだろうし。……それだけはごめんだしね。
「そうしなー。……あ、ボス来たよボス! 回復ある?」
「あ、うん。ちょっと待ってて……」
ダメだ、集中しよう。これから大事なボス戦だ、風邪のことは後で考えよう。
改めて私は、コントローラーを握る手に意識を集中させた。
「よし、大丈夫。行こ行こ」
「オッケー。じゃあ、行くよー?」
彼女がボスの待つ部屋の扉を開ける。――これを倒せばいよいよ、私の大好きなキャラの武器が手に入るのだ。頑張らなければ。




