三人目の彼女?
「それじゃあ、お昼休憩ねー。再開は一時半からだから、それまでに戻ってくるようにー」
時計の二本の針が、ピッタリ十二の場所で重なり合う時間。部長の早川先輩が、部員全員に向かって告げた。それに対して、各々から了解の返事が上がる。
「実。飯行こうぜ、飯。腹減った」
ふと、他の人達と練習をしていた、黒澤が俺に話し掛けてきた。ちょうど俺も話し掛けに行こうと思っていたところなので、手間が省けて助かる。
「ん、はいよ。じゃあ行くか」
休憩で座っていた床から立ち上がる。そのまま俺達は、二人で建物を出て昼食に向かった。
八月も、あっという間に十日が過ぎた。せっかくの夏休みだというのに、一日一日過ぎるのが早くて困ったものだ。
……まぁ、先日の例の二日間だけは、かなり濃く長い二日間ではあったが。
世間はお盆休み前ということもあって、それぞれ実家に帰省するなり、こちらに残るなり、あちらこちらから様々な声が聞こえてくる。
そんな中、俺も今回のお盆休みは、実家に帰ると既に親へは連絡済みだった。
九月の頭に行われる演劇祭に向けて、既に本番まで一ヶ月を切っていることから、共同で行う隣町の大学の演劇サークルとの合同練習が多くなった。
特に、昨日から明後日に向けての四日間は、スタジオを借りての集中練習期間であり、部員達からはかなり緊張感が漂っていた。
いつにも増して先輩達がピリピリしていたことから、きっと午後もかなり厳しく指導で言われるだろうが、それも覚悟の上である。俺だって今回、メインの重要な役なのだ。自分にムチを打って、もっと頑張らなくては。
「なー、何食うよ? この辺何があったっけ?」
建物の入り口前で、黒澤が問うた。
「んー、向こうにラーメン屋と丸○製麺があったと思うけど。あとは忘れた」
「マジか。いま俺、肉の気分なんだよね。実は?」
「俺は別になんでも。お前に合わせるよ」
「そうか。じゃあ、ちょっくら調べるかぁ。えーっと、肉っと……」
ポケットからスマホを取り出して、彼が店を調べ始める。
その間、俺はその隣でぼんやりと周りを眺めていた。
「あ、村木先輩、黒澤先輩、お疲れ様でーす」
ふと、背後から黄色い声が掛けられた。一体誰だろうと、後ろを振り向いてみる。
「宮里さん、九本さん」
「お、宮ちゃん達。お疲れー」
そんな彼女らに、嬉しそうに黒澤が返事をする。まったく、こいつはいつも分かりやすい。
「先輩達は、お昼どこ行くんですか?」
「あぁ。こいつが肉食いたいっていうからさ。どっか、良い店知らない?」
「肉料理なら……大学のほうにある、雨宮ステーキとかありますけど」
「あー、あそこ! 私好き!」
ぼんやりと考え込みながら、宮里さんが告げた。それに続いて、久本さんも声を上げる。
「お。それどこどこ? 教えて教えて?」
ずっとスマホを見ていた黒澤が、咄嗟に彼女達へ迫る。
いちいち聞くのも面倒なので、詳しいことは彼に任せようと思った俺は、特に耳を傾けることなく、ボーっとその場で話が終わるのを待っていた。
「オッケー、サンキュー! 二人はどこ行くの?」
「あー、近くのモ○バーガーでいいかなって」
「そっかそっか。気を付けてね」
「はーい、ありがとうございます。じゃあまた後でー」
「はいよー、またねー」
そうして、彼らの会話が終わり、彼女達に手を振って別れを告げた。再び、その場に二人きりになる。
「んじゃ、行くか」
そうして、すっかり場所を把握した様子の黒澤は、スマホをポケットへ仕舞った。
「行くのはいいんだけど、ちゃんとたどり着けんの?」
「多分行ける。大体合ってる」
「……方向音痴なお前の道案内は心配なんだが?」
「鳥頭の実よりはマシだよ」
「やかましいわ。さっさと案内せい」
「はいよ。じゃあ付いてきな」
そうして俺は、不安要素たっぷりな黒澤の道案内に導かれながら、目的地となった雨宮ステーキへと向かった。
◇ ◇ ◇
スタジオから歩くこと約十分。予想通り、方向音痴のナビは道を一本間違えていたが、それでもなんとか目的地へとたどり着くことができた。
「ほれ見ろ、着いただろ?」
「道は一本ズレてたけどな」
「いいんだよ。そんくらい、誤差だよ誤差。さっさと入ろうぜ」
「へーい」
そうして、彼と一緒に店内へと入る。
ステーキ屋ということもあり、中はアメリカンな装いだった。厨房前にはたくさんのワイン瓶が飾られ、レジ横には一体何に使うんだとツッコみたくなるような、大きなタルが一つ置かれていた。
一人の女性店員に迎えられて、中を案内される。意外と店内は広いようで、優に五十人くらいは入りそうなくらいだ。そんな中俺達は、陰キャの人達が至極好みそうな、一番奥の端っこの席へと案内された。
メニュー表を彼女に渡されて、揃って何を注文するか悩み始める。
肉が食いたいと豪語していた黒澤は、言葉の通りステーキとハンバーグが一つずつ乗った、ステーキハンバーグセットを選んだ。
対して俺は、数日後に実家へ帰るときに電車とバス代が掛かることを考えて、少しお手頃価格のデミグラスハンバーグを注文した。
十分近く待ったのちに、ようやくテーブルに各々のステーキとハンバーグ、そして二人分のライスが到着する。
午前中は演技で動きまくっていたせいで、もう既にお腹はペコペコだ。美味しそうなハンバーグを前に、黒澤からナイフとフォークを手渡されると、そのナイフでハンバーグを切り分け始めた。
「そういやさ、実」
同じようにステーキをナイフで切り分けながら、黒澤が俺を呼ぶ。
「ん?」
「お前さ。こないだ珍しく二日間練習にいなかったけど、何してたの?」
「え。……まぁ、ちょっとな」
ここであの話を掘り下げられると厄介だ。面倒だったので、適当に話を濁してやった。
「んー? ……分かった、彼女だろ?」
「あ、はぁ?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「前に体験入部に来て、一緒に演技してた女の子。違うか?」
彼がフォークで刺した肉をこちらに向ける。やめろ、お行儀が悪いぞ。
「何言ってんだ、お前。別に俺は、あの子とは付き合ってねぇよ」
「は、付き合ってねぇの?」
「付き合ってなくて悪いか」
「いやだってさ。お前ここ最近、ずっと大学の昼間あの子といるじゃん? 偶に学食に入るお前のこと見かけるしさ。仲良いんだなぁって思ってたけど」
「仲良いというか、なんというか……。色々あるんだよね、結構」
一体なんと説明すればいいのやら。仕方なく頭で適当な言い訳を考えながら、切り分けたハンバーグを口に運んだ。
「ふぅん。……でも、一緒にいることは否定しないんだろ?」
「それはそうだけど……」
「へぇ、意外。あの子、体験入部に来たとき、結構無愛想だったじゃん? 実って、ああいう子とも付き合ったりするんだぁって思ってたんだよね」
そう言って、彼もようやくステーキを口へ運ぶ。モグモグしながら、彼は言葉を続ける。
「お前が高校の時に付き合ってた花岡はさ、どっちかっつーと、明るい奴だったじゃん? でもあの子は、見る限り陰キャでしょ?」
「……確かに本人も、自分のこと陰キャって言ってるな」
「へぇ。因みにお前は、あの子と付き合う気はあんの?」
「ねぇよ。なんであんな奴と付き合わなきゃいけないんだか」
「おー? 実がそんなこと言うなんて珍しいな。お前、結構愚痴とか文句とか言わないほうじゃん?」
「別にそういう自覚は無いけどさ。でも、あの子は一緒にいたら、絶対嫌でも文句を言いたくなるね」
「例えば?」
「後輩のくせにさ。俺のこと『鳥頭』だの『幼稚園児』だの、『大バカ』だの『サンドバッグ』だの、暇さえあれば悪口言ってくるしさ。憎まれ口は止まらないわ、いじられるわ面倒ごとに巻き込まれるわ、そりゃ酷いのなんのって」
「……実。お前もしかして、Mなの?」
「はぁ?」
ステーキを切り分けていた手を止まらせて、彼がこちらを覗く。その顔は、ちょっぴり苦笑いだった。
「いやだって、その話だけ聞いてたら、なんでじゃあ一緒にいんのってなるんだけど。嫌だったら別に、もう関わらなきゃいいじゃん」
「それはそうなんだけどさ。なんていうか、こう……放っておけないっていうか」
「どういうことよ?」
「だから……んー……説明難しいんだよなぁ」
「いや、マジでワケ分かんねぇよ、お前」
へっと鼻で笑いながら、彼が次の一口を運ぶ。
まぁ確かに、聞いている側もこんな話をされたら、まったく理解できないだろう。彼の気持ちも、分からなくはない。
「花岡のときもそうだったけどさ。お前、いつも余計なことに首突っ込んで巻き込まれるよな。そのせいで、何回花岡と女絡みのケンカしたよ?」
「うぐっ、それは言うな……」
「だって事実だろ? 女ってのは嫉妬深い奴が多いんだから、彼女がいるのに他の女と無理に関わろうとするほうが悪い」
「別に……一定の距離感は保ってたし、あいつ以外高校時代で一度も手を出したこたぁねぇっつーの」
「それが当たり前なの。そこすら疑われる時点で、お前は彼氏失格だよ」
「じゃあお前は、自分の彼女と女絡みでケンカしたことねぇのかよ?」
「無いね。確かにケンカはちょくちょくするし、お互い口も利かなくなるときだってあるけど、それが普通だし。それと、あいつが生理来てイライラしてるときは、無理に関わろうとしないってお互いに決めたりもしてる。
……女は男よりも、何倍も苦労する生き物なんだよ。それを理解して、一緒にいてやれるっていうのが、彼氏っつーもんだ」
「……珍しくお前にどやされるなんてな」
「でも反論は無いだろ?」
「……まぁ、な」
珍しく俺を叱ったことがよっぽど嬉しかったのか、黒澤はにひっと笑うとライスを口へ運んだ。……なんだか、勝者の笑みにも見えてちょっぴり悔しい。
「……で? 結局お前、その二日間何してたんだよ?」
改めて彼が俺に問うた。
「……その子の、おじいちゃんとおばあちゃんの手伝いに付き合わされてた。泊まり込みで」
「マジで? わざわざ?」
「マジで。わざわざ」
「……お前やっぱおかしいよ。悪く言われるのが嫌なのに付き合うなんて、精神がドMとしか思えねぇんだけど」
「俺がおかしいことは否定しないけど、ドM認定だけはやめてくれ」
憎まれ口は彼女に言われるだけでも散々だと言うのに、加えてドM認定だなんて、堪ったもんじゃない。せいぜい鳥頭の陽キャぐらいが、俺の仏の顔も許せる範囲だ。
「ふぅん。……あっそ、ならいいけどさ。昔っからお前無理する性格なんだから、あんま無茶して死ぬなよな?」
「やめろよ、ファンタジーの世界じゃあるまいし。別に死にゃせんっての」
「そうだといいんだけどねぇ」
「その一言がフラグにならないことを祈るよ」
「奇遇だな、俺もだよ」
お互いにそう告げ合うと、彼と揃ってハンバーグを口へと運んだ。
今後この先、一体俺はどうなってしまうのだろうか。こんな風に他人から口を挟まれると、なんだか余計不安になる。
あの時――四月のあの日。思い切って彼女に話し掛けてしまったのは、果たして正解だったのだろうか? あの時、彼女に話し掛けなければ、今頃どんな人生を歩んでいたのだろうか?
そんなことをいくつも考えては、余計な考えを振りほどく。……山のおじいちゃんとおばちゃんと会ってから、こんなことを考えてばっかりだ。
せめてあの日、一人学食の隅っこに座る本城さんの背中に声を掛けてしまったことが、運の尽きだという人生では無いことを、今はただただ心から願っている。




