孫娘のトリセツ
「ほんっと、サイッテーですね!」
「いや、ホントそれは悪かったって……」
結局、アレから二人とも眠りにつくことができずに、すっかり目が冴えてしまった。お互いに布団に入って、背中を向き合いながらも、いつもの如くくだらない話――もとい、言い争いをする。
そんなやり取りをしているうちに、いつの間にかうるさかったニワトリの鳴き声も止み、交替で今度はセミ達が鳴き始めてきていた。もうそんな時間かとスマホを確認してみると、既に朝の七時を回っていた。
……で。どうして俺が彼女に「最低」と言われているのかというと――。
「そういうのって普通、もっとナチュラルに伝えるもんじゃないんですか? なんですか、『寝癖凄いよ』って笑いながらストレートに。もっと別の言い方ってもんがあるでしょう?」
「じゃあ何さ。『本城さん、背中見てみな』なんていう風に言えばいいのか? そっちのほうが、よっぽど気持ち悪いと思うんだけど」
「先輩に言われるなら、どっちも嫌ですよ」
「いやいやいやいや! それじゃあ話が本末転倒なんですけど!?」
「本末転倒じゃ無いですよ。始めっから先輩が、そのお口をチャックすればいいだけです」
「じゃあ仮に俺がお口チャックをして、そのまま外に出て恥かくのはどっちだよ?」
「恥はかきませんよ。私だって一応か弱い乙女ですから、外に出る前に鏡くらいは見ます」
「あーそう。じゃあ君に何があっても、俺は何一つ口にするなということでいいのね?」
「ようやく理解しましたか。それでいいんですよ、それで。まったく、鳥頭のニワトリさんのお世話は大変で疲れますね」
「お前は今、全国のニワトリを敵に回したと思うぞ……」
俺がそう呟くと、本城さんは眠たそうに「そうかもしれませんね」と告げながら大欠伸だ。……こんな会話を繰り広げておいてなんだが、我ながらワケの分からない、実にくだらない会話をしていると思う。本当に。
「ん、はーい」
ふと、丁度そんなくだらない会話が一区切り付いたところで、唐突に部屋の襖がノックされた。そんなノックに、眠たそうな彼女に代わって返事をする。
「入るよー?」
そう言って部屋に入ってきたのは、あの本城さんと激似のおばちゃんだった。
どうやら、彼女の朝はいつの間にか既に始まっていたようで、既に寝間着では無くエプロン姿になっていた。彼女が襖を開けた途端に、廊下から良い匂いも漂ってきており、早いことにもう朝ご飯はできているようだ。
「おはよ、二人とも」
「おはよーおばあちゃん」
「うぃーっす」
「二人とも、もう起きてたのね。話が早くて助かるわぁ。ウチの寝坊助主人とは大違いね」
「あ、あはは……」
――いや、まぁ、色々あったんだけどね……。
やれやれといった様子で呟く彼女に、思わず俺は苦笑いを浮かべてしまった。
「じゃあほら、朝ご飯もうできてるから、準備できたらいらっしゃい」
「はーい! 朝ご飯朝ご飯ー」
そんなおばちゃんに返事をするなり、本城さんは立ち上がって、ウキウキ気分の様子で部屋を出て行ってしまった。……やっぱりあの子は、食の話になるといても立ってもいられないらしい。
「いやぁ、ご飯の話になると、行動早いなぁ……」
「ふふっ、昔からよ。綾乃ちゃんはね。……あの子のお母さんも、ご飯食べるのが大好きでね。もしかしたら、それがうつっちゃったのかもね」
「へぇ、そうなんだ……。じゃあ、俺も準備してこようかな」
そうして俺も、ようやく重い体を動かして布団から出ると、その場に立ち上がった。そのまま、おばちゃんを通り越して、部屋を出ようとする。
「……ねぇ、実君。一つだけ聞きたいんだけど、いいかな?」
突然おばちゃんが、そんなことを呟いてみせた。振り向くとそこには、右手を左肘に当てて、左手を口元に添えて誰かさんとそっくりな顔をしている、おばちゃんの姿があった。
「うん? 何?」
そう問うと、おばちゃんは「うーん」と唸りながら、俺にそんなことを訊いてきた。
「実君ってさ。……もしかして、綾乃ちゃんよりも年上?」
「えっ。……まぁ、うん」
「ふぅん、やっぱりそうなんだ。いやぁね? さっき部屋に入ろうとしたとき、ちょっとだけ二人の会話聞いちゃって。綾乃ちゃんが、実君に対して敬語で話してたから、そうかなーと思ったのよ」
「あー……。聞いちゃったんだ……」
言われてみれば確かに、特になんの警戒も無くいつものように二人で喋っていたのだから、どこかで聞かれてもおかしくは無い状況だっただろう。これでもう、本城さんのタメ口設定は、彼女には意味が無くなったということになる。
「まぁなーにー? なんとなぁく、綾乃ちゃんが言いそうなことは分かるんだけど。……当ててみよっか?」
口元に手を添えながら、おばちゃんが楽しそうに告げてみせる。
やっぱり彼女と顔がそっくりなせいもあって、いつもよりちょっと元気な本城さんが目の前にいるような感じで、ちょっぴり気持ち悪い。
「じゃあ、言ってみて?」
「んーと。“おじいちゃんとおばあちゃんを少しでも安心させてあげられるように、仲の良い男友達を連れてきたかった。本当は付き合って無いけど、付き合っている体で相手をしてくれ”ってところかな?」
「あー、大体合ってる……」
「ほら見ろ、これでも六十五年以上生きてるんだから、舐められちゃあ困るよー?」
まるで子供のように、にひっとおばちゃんが笑ってみせる。その笑顔は、全く六十代には見えないほど若々しく、何より無邪気だった。
「でも、最後の“付き合ってる体”っていう部分は外れ。本城さんからは、ただ“仲の良い男友達”っていう話で通してくれって言われてる」
「あら、そうなの。てっきりタメ口と敬語で全然態度が違うから、付き合ってる体だと思ってた」
「んーと、それはなんていうか……色々こっちにも、事情というものがあるというか……」
――というよりも、大体の問題はあの子だけどな……。
「ふぅん。……で、普段はあんた達、仲良いの?」
「仲良い……のかなぁ……? 普段は全然あの子が心開いてくれないから、よく分かんないんだよね」
「へぇ、なるほど。……でもね、実君。君に良いこと教えてあげるよ」
「良いこと?」
楽しそうにそう告げると、おばちゃんはこっちに来い来いと、手を振ってみせた。そんなおばちゃんの近くに、一歩歩み寄る。
「あの子ね、気に入った男の子ができると、いつもあんな風に楽しそうなのよ。普段何も無いときは、私や主人にも結構素っ気ないのよ?」
「え」
廊下に声が漏れないように、ボソボソとおばちゃんがそんなことを告げてみせる。そんな衝撃の事実に、思わず声が詰まった。
「前にも二回くらいかなー? いやね、直接本人から聞いたことは無いから、本当に男の子ができたとかは分からないんだけどさ。……あの子のお母さんもそうだったから、なんとなーく分かるのよ。ホント、親子揃って分かりやすいのよねぇ」
「は、はぁ……」
――いや、確かに源二さんも本城さんはお母さんっ子だったとは言ってたけど……。親子って、そんなに似るもんなのか。すげぇな、なんか。
「だからね。逆に言えばそれくらい、実君は綾乃ちゃんにとって、大事に思われてるんだと思うよ。多分、あの子もあの子で、そのことに気付いて無いかもしれないけどね」
そう言って、「あははっ!」とおばちゃんが笑った。
「そういうもんなのかなぁ……?」
「そういうもんよ、きっと。普段は思ってもいないことを、たくさん言われてると思うけどね。あの子も結構、恥ずかしがり屋さんだから、なかなか素直になれないのよ。結構世話の焼ける女の子かもしれないけど、よかったらこれからも綾乃ちゃんと仲良くしてくれたら、私も嬉しいかな」
「あ……うん……」
そうして、彼女にポンポンと背中を叩かれてしまった。
――待て待て待て待て。そんな風に夫婦揃ってよろしくされちゃうと、益々勘違いが進んじゃうっていうか……。だからと言って、今本当のことを言うとなんか違う気がするし……。えぇ……?
特になんの考えも無しにこの家へ来てしまったが、こんなややこしいことになるのなら、来ないほうがよかったのではないだろうか。確かに本城さんと山のおじいちゃんの役には立てたとはいえ、これが俺への見返りなんだとしたら、流石に俺は神を恨む。
今後この先、今日の出来事がどんな風に影響を及ぼすか、はたまた何も無いまま過ぎ去るかは定かでは無いが――ただ一つ、特になんの不利益を起こすこと無く、時が過ぎ去ってくれることを祈りたい。
「……でー? 実君は、綾乃ちゃんのこと好きなの?」
「えっ!?」
そんなことを考えていたらだ。なんでこう嫌なことというのは、連続して起こるんだろう。そう言われたら、もう誤魔化しようが無いじゃないか。
「いやぁ……それは……」
一体どう答えようか、必死に頭の中で言葉の検索を掛ける。しかし、どれもこれも非が生まれてしまうような言葉ばかりで、上手い嘘が浮かんでこなかった。
「あー、いいのよ別に。正直に答えてもらって。別に実君に彼女がいようが、今後綾乃ちゃんと付き合う予定が無くたって、怒って食ったりしないんだから」
「え」
「……その顔じゃあ、適当に誤魔化そうとしてた気満々だったって感じね。やめときなー? ジジババに嘘吐いたって、ロクなことになんないんだから」
「あ、はぁ……。そう?」
「そうよー。何人嘘吐きの顔見てきたと思ってんの。男も女も、見飽きたぐらい見てきてんだから、それくらい分かるってーの」
「……そっか」
どうやら、意外と期待通りの返事をしなくても大丈夫らしい。相手からそう言われると、こちらも少し気が楽になる。
「まぁ、正直に言うと……。今は、そういう感情は無いっていうか。けどなんていうか、俺には二つ年下の妹がいるから、本城さんがなんだか妹みたいに見えちゃって、心配になるっていうか……そんな感じ」
「ふぅん。……確かに実君って、しっかりしたお兄ちゃんみたいだもんね。一人っ子の綾乃ちゃんが、年上の子を好きになるのも分かる分かる」
おばちゃんが納得した様子で、うんうんと頷いた。
「いやいや、別にしっかりなんかしてないよ。妹にはいつも怒られてばっかりだし」
――家事は任せっきりだし、休みは昼間まで寝てる寝坊助野郎だしな。
「でもそういう男のほうが、女にとっては魅力的に見えるもんよ。一人でなんでもできちゃう男なんて、なーんにも面白く無いんだもの。だったら、料理が苦手だとか、朝起きるのが苦手とか、こっちが思わず放っておけないなって思っちゃうようなことが一つでもある男のほうが、一緒にいてやりたいって思うもんよ」
「……そういうもんなの?」
「そういうもんよ。あくまで私の持論だけどね。……さて、すっかり話し込んじゃった。綾乃ちゃんも待たせてるし、そろそろ朝ご飯にしましょ」
「あ……うん、そうだね」
そう告げると、おばちゃんはくるりと背を向けて、さっさと部屋を出ていってしまった。一人、俺だけ部屋に取り残される。
――……魅力的、ねぇ。
そんなことを言われたって、俺には自分の魅力というものが何なのかが分からない。本城さんに言われてるように俺は、ただの陽キャで、考えることが苦手な脳筋で、特別取り柄の無いような男だ。悪いところは幾らでもあるし、その度に怒られることもしばしばある。
――“放っておけない”か……。
『だって、実ってなんだか放っておけないんだもん。危なっかしくて、火の海の中に子供がいたら、なんにも考えないで飛び込んでいきそうっていうかさ。絶対もう少し考えれば、もっと良い答えがあるはずなのに、そういうの全部周りが見えなくなっちゃって、一つのことしかできないような不器用だし。
良くも悪くも、優し過ぎるんだよ。優し過ぎるから、自暴自棄にだってなるし、自己管理は全くできないし、そうしたらその後どうなるのかっていうのが、全く考えられないバカっていうかさ。……まぁ、そういうところが、私は好きなんだけどね』
――なんか似たようなこと、あいつもに言われたなぁ。……もう別れて一年半か。早いな。
以前に付き合っていた彼女と別れて、早いことにもう一年半が経とうとしている。高校生活のほとんどを彼女と一緒にいたこともあって、彼女と一緒に過ごした時間は、今では忘れられない思い出だ。
――彼女、か。
恋愛なんて、正直あんまりよく分からない。誰かを好きになるという感情が湧かないわけでは無いが、俺はそれよりも先に、“心配”という感情が湧いて出てしまう。
誰かを好きとになるいうよりも、思わず“助けになってやりたい”“力になってやりたい”という思いが先行して、空回りしてしまう。以前付き合っていた彼女だって、出会ったばかりの頃はただ“自分でよければ手伝いたい”という感情から始まった関係だった。
あいつだったからこそ、付き合い始めてから何度かのいざこざを経て、そういうことを全て打ち明けた上で、「そういうのはなんとなく分かってたし、それでもいいからまだ付き合いたいな」と言ってくれたからまだ良かった。
だがそれが、他の女の子が相手になると、きっと話は別だろう。……そう考えると恐らく、俺と本城さんの相性は最悪としか思えない。
――多分俺達は、“友達”が一番良い関係なんだろうな。そんな気がするわ。
この先、万が一俺達の間に何かが起こって、お互いに付き合うことになったとしてもだ。――人生において重要なのは、付き合うまでの過程では無く、付き合ってからの関係である。
――……はぁ。いいや、もう。やめだやめ、飯食うか。
こんなことを今、いつまでも考えていたって時間の無駄だ。余計な考えを振り払うと、ようやく俺もその部屋から一歩を踏み出した。
今俺がやるべきこと――それは、おばちゃんが作ってくれた朝ご飯を食べることだ。




