ロスト・イズ・パール(3)
本城さんのお母さんの話を聞きながら歩くこと約三十分。ようやく俺達は、目的地である養豚場へとたどり着いた。目の前には、三角屋根の大きい建物がお目見えだ。
「さて、じゃあ行こっか。……本城さん?」
中へ入ろうと数歩進んだと思ったら、彼女は一人その場に突っ立ったまま、まるで歩くことを拒んでいた。一体何事かと、その進んだ数歩をわざわざ戻る。
「いや、その……。なんて言えばいいんでしょうか……」
頬をポリポリと掻きながら、俺から視線を逸らしてみせる。その仕草に、段々と彼女の扱い方が分かってきた俺は、なんとなく察しがついた。
「……だから、俺を連れて来たのか。君は」
「えっ!? あ、あはは……。な、なんのことだろうなぁ……」
「惚けなくても、何も言わなくても分かるわ。中の人と話すのが怖いんでしょ?」
「……まぁ?」
尻上がりの声で、上の空のままコクりと頷いてみせる。やっぱりこの子は、どこまで強がっていたとしても、根は生粋の陰キャらしい。
「まさかとは思うけど、『自分はここで待ってますんで』なーんて言わないよね?」
「あ、ダメですか?」
「いや言うつもりだったんかい!!」
「いやだって、いつも言ってるじゃないですか。私、コミュ障なんですって」
――どこがだよ。
「はぁ……。よくもまぁ、いつも俺をイジメてる口で言えるよな君は」
「先輩はいいんです。サンドバッグなので」
「サンドバッグには何してもいいのか?」
「だって、サンドバッグってそういうものでしょう? 違うんですか?」
「……もう何も言わん」
「分かったならいいんです。早く行ってください。足が鉛になってるわけじゃあるまいし」
「鉛になってるのはどっちだよ」
「私の足には、やる気スイッチが付いているだけですよ。鉛足の先輩みたいに、いつも鈍間なわけじゃありませんから」
「まるでいつも俺が鈍間みたいな言い方はやめろ」
「違うんですか? さっき私が呼んでから、だいぶ来るまでに時間が掛かってましたけど?」
「アレはおばちゃんと話してただけだよ!」
「ふぅん。あくまで自分のせいでは無くて、おばあちゃんのせいだって言うんですね。酷い人」
「あーあー、めんどくさいなぁ! いいよ、もう! ……後で絶対昼飯奢らせてやる」
「何か言いました?」
その一言を告げると同時に、ニヤリと口元を吊り上げたところを俺は見逃さなかった。どうやらまた、この子はこの状況を楽しんでいるらしい。
――はぁ。絶対ちゃんと聞こえてただろ。……ねちっこい上に地獄耳なんて、最悪な組み合わせだよまったく。
「なんでもねぇよ! さっさと行くぞ!」
そんな本城さんの罵りを食らいながらも、いつまで経っても足のやる気スイッチをオンにしない彼女を、俺が引き連れていくかたちで、揃って養豚場の中へと入った。
「ごめんくださーい」
三角屋根の大きな建物の入り口らしき前に立って、一声呼び掛けてみる。……しかし、どうにも中から物音は聞こえてこない。
「……いないのかなぁ?」
「さぁ。人気はしないですね」
「んー……ちょっとぐるっと回ってみるか」
どうにも出てくる気配がしないので、建物の周りをぐるっと回ってみる。……流石は養豚場だ。奥に行けば行くほど、ニオイもそれなりにきつくなってきた。独特なツンとしたニオイが、思わず鼻につく。
「ニオイキツイな……」
「仕方ないでしょう? 私達だって、他の動物からしたらもしかしたら、メチャクチャ臭いと思われてるのかもしれませんよ?」
「それは……確かにあるかも」
その考え方は確かに無かった。もしかしたら、俺達がペットとして飼っている犬や猫にも、人間は臭いと思われていても、不思議では無いのかもしれない。
建物の裏に来てみると、そこには先程の大きな建物に隠れた形で、横長の建物が五件ほど建っていた。その中からは、養豚場らしく様々な声が聞こえてくる。
「……あっ」
そんな大きな建物の隅っこに、普通自動車ぐらいの幅の、物置のような小屋がポツリと建っていた。小屋のドアは開いており、中にはようやく動く一人の人影が見えた。
「あのー……すみません」
その後ろ姿に声を掛けてみる。……ふと、本城さんはというと――俺の背中にピッタリ隠れるように、俺の真後ろに立っていた。君のその身長じゃ、完全に隠れ切ることは無理だろうに。
その人影は俺の声に気が付くと、こちらを振り向いては「あっ、はい!」と声を発した。すぐ床に何かを置くと、颯爽と中から出てくる。
「すみません、気が付かなくて。どうかしましたか?」
青い作業着姿で、見るからに二十代であろう茶髪の若い青年。俺達と歳は離れていても、きっと多くて五歳差ぐらいだろう。こんな田舎の養豚場で働かせておくには勿体無いぐらいの爽やか系で、誰かさん風に言えば、圧倒的な“陽キャ”だ。
「あいや、こちらこそ突然すみません。一つ、お伺いしたいことがありまして」
「……と、言いますと?」
「いや、その。二時間くらい前かな? こっちの彼女が、ここから少し離れた家の前で、豚が歩いてるのを見たらしくて。それで一応、確認のためにお伺いさせて頂いたんですが……」
「あっ! す、すみませんでした!」
俺が告げ終わるとほぼ同時に、咄嗟にその青年は被っていた帽子を脱ぎ、綺麗な四十五度に頭を下げた。どういう事情なのかはイマイチよく分からないが、この様子を見るに、本城さんの勘は正解らしい。
「あぁ、いやいや! その豚が何かをしたわけでは無いので! 別にそんな、謝る必要は……」
「いえ! それらは全て、自分の責任でして! 自分の不注意で、こちらで飼っている豚が二十匹ほど逃げ出してしまいまして。今は、自分以外の皆さんが、必死に保護しに探しに行っている状況で……」
「あ、あぁ……。そうなんですか。と、取り敢えず、頭上げてください! ね?」
別に、彼が俺達に何か悪いことをしたわけでも無いのに、こんな風に頭を下げられるのもなんだか癪だ。一先ず落ち着いてもらおうと、彼のことをなだめる。
「あ、はい……。すみません」
俺に言われて、彼が渋々頭を上げる。その顔は、本気で申し訳ないと思っている様子の顔だ。
「それで、その、見かけた豚というのは、どこで見かけて、どのくらいの大きさでしたか?」
「あぁ、えっと……本城さん?」
そんな細かい詳細は、見かけた当人に説明してもらおうと、俺の後ろに隠れている彼女に質問を受け流した。
すると彼女は、まさか自分に回答権が回ってくるとは思ってもいなかったのか、オーバーに体をビクッとさせて驚いていた。
――いや、そんなにビックリするか? どんだけ陰キャなんだこの子。
「あ、えええっと……。三十分くらい歩いた向こうの、子供よりはちょっとおお、大きいくらいの、大人になり切れて無いくらいの……」
まるで生まれたての小鹿のように、ブルブルと震えた声で答えてみせる。
いやいや、君今までそんな声で話したこと無かったでしょとツッコみたくなるくらいの怯えようで、まさかこれも演技なんじゃないかとも疑ったが、どうやらその怯えようを見てみるに、割と本気なやつらしい。
「あー……。そうですか。分かりました、ありがとうございます」
そんな怯えた彼女に、どういうリアクションを取ればいいか分からない様子の彼が、小さく頷きながら礼を告げた。
――……ダメだこりゃ。しゃあねぇなぁ。
このまま彼女に回答権を譲ったままだと、一向に会話が続かなさそうなので、俺は改めてその回答権を本城さんから奪い取った。
「……まぁ、一応そのご報告をしに来ただけなので。何かお力になれたらいいなーと」
「あぁ、わざわざすみません。ありがとうございます。後で、向こうに行っている者に伝えておきます」
「えぇ。それじゃあまた何かあれば、電話ででもお伝えすればいいですかね?」
「あ、はい! そうして頂けるとありがたいです。ちょっと待っててくださいね」
両手を前に出して、その場で待てというジェスチャーをすると、彼は先程俺達が通ってきた建物の入り口のほうへ走って行ってしまった。
それから、その場でホッと一息吐いた様子の本城さんと待つこと一分。すぐに彼は走りながら戻ってきた。
「はぁ、すみません、お待たせしました。こちら、自分の名刺ですので。こちらにお電話頂ければ」
そう言うと彼は、一枚の名刺をこちらへ手渡してきた。黄緑色を基調としたデザインで、右下には一匹の座った豚が描かれた、可愛らしいデザインの名刺だ。中には松野智と、彼の名前が堂々と書かれていた。
きっと後ろの猫ちゃんは、恥ずかしがって受け取らない――いや、受け取れないと思うので、代わりに仕方なく俺が受け取ってあげた。
「ありがとうございます。それじゃあ、また何かあれば、こちらに連絡しますね」
「すみません、わざわざ。よろしくお願いします」
「いえ。それじゃあ、自分達はこれで」
「あ、はい! ありがとうございました!」
そうして、礼儀正しく帽子を脱ぎ、斜め四十五度の角度でお辞儀をする彼に見送られながら、俺達二人――特に本城さんは足早に、その場所を後にした。
「……本城さん」
養豚場を出た帰り道。ようやく緊張が解けたのか、大きなため息を吐きながら、俺の後ろをちょこちょこと付いてくる、彼女の名前を呼んだ。
「……なんですか?」
「いや……流石にアレは、ビビり過ぎなんじゃないかなぁって思って」
「だって、仕方ないじゃないですか……。私ホントに、コミュ障なんですって。話したこと無い人と話すときは、いつもああなんですよ。すぐ緊張して、あがっちゃうんです」
ふて腐れるように、彼女がボソッと告げる。
「はぁ。そうなの?」
「……引きましたか?」
俺とは目線を合わせずに、反対方向を見つめて彼女が呟く。どうやらよっぽど、俺の前であの自分を見せたことが恥ずかしかったらしい。
「あ、いやいや。別に引いては無いよ? ……ただでもさ。ウチのサークルに初めて来たときは、全然そんなこと無かったじゃない」
「アレはだって、覚悟決めて中に入ってるので。予めどんなキャラで行くか、決めながら行くから平気なんです。逆に、急に知らない人と話せって言われると、どのキャラで話せばいいのか分からなくなるんですよ」
――……え、何? 陰キャの子って、自分の中でいくつかキャラ作って用意してるの? マジで?
「どんなキャラでって……。別に、いつもの本城さんのままでいいんじゃないの?」
「何言ってるんですか。普段の私で話したら、確実に嫌われるに決まってます。第一印象最悪なのを分かってて、わざわざそのキャラでいく必要は無いでしょう?」
「それは……まぁ、言いたいことは分かるけどさ。でも結局、それなりに仲良くなったら、素の本城さんを見るようになるんだし。わざわざキャラを作って話し始めるよりも、初めから素で話したほうが良い気がしない?」
「バカですか。なんでその場限りの関係の人間に、わざわざ嫌われに行かなくちゃいけないんですか? ホント、先輩は陰キャを何も分かってませんね」
やれやれといった様子で、彼女が呆れている。どうやら、これ以上何を言っても、自分の意見を曲げるつもりは無いらしい。
このまま言い合いを続けても、きっと話は平行線のままになりそうなので、ここは俺が退いてやることにしよう。
「はぁ。……そういうもんなの?」
「そういうもんなんです。放っておいてください」
「ふぅん……。そっか」
「……それより、早く戻りましょう? そろそろ日も暮れますし、何よりおじいちゃんのほうも心配です」
そう言うと本城さんは、スタスタと俺のことを抜き去っては、早歩きで歩いて行ってしまう。本当に、気まぐれな猫には困ったものだ。
「あ、ちょ……。待ってよ、本城さん!」
そんな気まぐれな猫こと、本城さんのことを急いで追い掛ける。
彼女と並びながら歩く夏の夕空はそろそろ、まるで美味しいオレンジジュースのような、濃厚な味を示していた。




