お母さんっ子、おばあちゃん譲り
作業を始めてから、数時間。いつの間にか、空腹を忘れて作業していたこともあって、時間は午後二時を回っていた。
「こんくらいでいいべ。後は俺がやっとくよ」
山のおじいちゃんと一緒に、古いタンスを外に止まった、トラックの荷台の上に乗せる。
ようやくこれで、ある程度倉庫の中を片付けることができた。後は、本などの資料や、猟をするときに使う簡単な罠など、一人でも片付けられるような物だけだ。
「ふぅ……終わったぁ」
途中、山のおじいちゃんが持ってきてくれた、首に巻いたタオルで汗を拭う。
「いやぁ、ありがとう実君。おかげで助かったよ」
「あ、いえいえ、お力になれたようで良かったです」
「ああ。綾乃ちゃんも、ありがとうねー」
倉庫の中で、ホウキを掃いている本城さんに、山のおじいちゃんが呼び掛ける。彼の言葉に気付いた彼女はこちらを見ると、「大丈夫だよー!」と手を振りながら一声掛けた。
「さて。仕事もしたし、腹も減ったな。そろそろ戻っぺ」
手にはめた軍手を外しながら、山のおじいちゃんが告げる。
「そうですね。時間ももう……二時過ぎちゃってるし、戻りましょうか」
腕時計を見て、時間を確認する。何時から作業を始めたのかはあまり覚えていないが、恐らく三、四時間くらいはずっと荷物整理をしていたと思う。
「綾乃ちゃーん、掃くのもそんくらいでいいぞー? 後はやっとくから」
「んー? ううん、もう少しだけ掃除してから行くー。おじいちゃん達は、先に戻っててー」
意外にもあの本城さんが、そんなことを口にしてみせた。案外「ご飯だー!」みたいなことを言って、光の速さで戻るのかとも思ったけれど、割とこういう仕事は好きらしい。
「そうけ? じゃあ、鍵渡しとくから、先行ってっぞー? ……あ、今日はばあちゃんが、綾乃ちゃんが好きなそうめん作ってくれるって言ってたぞ?」
そうして、彼は本城さんの元に近付くと、ポケットの中から鍵を取り出しては、彼女に手渡した。
「ホント!? わー、分かった! なるべく早く戻るねー!」
「おう、んじゃあ、早めに来いよー?」
そんな二人の会話が終わり、山のおじいちゃんが「んじゃ、行くべ」と告げた。ガッチリとした彼の大きい背中の後ろを、俺は付いていく。
山のおじいちゃん宅から、少し離れた場所に倉庫はあった。そのため、数分ほど移動に時間が掛かる。ちょっとばかし歩くのには気が引けたが、それほど急な坂道では無いことが幸いだ。
「いやぁ、悪いね。実君。わざわざ手伝いに来てくれて」
後ろを歩く俺を覗いて、山のおじいちゃんが告げた。
「あぁ、大丈夫ですよ。力仕事のほうが、俺は性に合ってますんで」
――というより、騙されて来たんだけどな。
「ははっ、そうかい。……しっかし、まさか綾乃ちゃんが、男の子を連れてくるとは驚いた」
「あぁ、やっぱりそうですよね。最初会った時、驚かれてるなぁって思いましたし」
「まぁなぁ。……あの子、小さい頃からほとんど一人でいることが多かったんだ。根っからのお母さんっ子でね。友達も全然作ろうとしないで、ずっとお母さんと一緒にいたんだよ」
「へぇ……そうだったんですか」
それはまた初耳だ。確かに陽キャはおろか、色んな人間に対して、かなりひん曲がった偏見を持っていたのも、それならなんとなく頷ける。
「優しい子なんだけど、人見知りが激しい子でね。幼稚園の頃に、父親を事故で亡くしてから、急に大人しくなったみたいで。そこからしばらくは、俺ですら怖がられちゃって、困ったもんだったよ。仕事柄、昔から体がデケェもんでな。それが一層、怖く感じさせちまったのかもしれないね」
そう告げる彼の横顔は、なんだか寂しそうに見えた。
体が大きいだとか、そんなことを言ってはいるけれど、彼だってやっぱり、根は優しい人なんだと思う。当時の彼女を救い切ることができなかったと、ずっと後悔しているのかもしれない。
「中学生の頃には、今度はお母さんも病気で亡くしちまってな。お葬式の日の夜は、ずっと一人で、お母さんの前で泣いてたよ。相当、ショックだったんだろうね。
それから、綾乃ちゃんを誰が預かろうか、みんなで話し合ったんだ。もちろん、ウチでもよければ預かりたいとは思ったんだけど、元々綾乃ちゃん達は那珂湊のほうに住んでたからな。例え友達じゃなくとも、全く知らない人達と一緒の学校に通わせるのは、あの時の綾乃ちゃんには、なんだか申し訳なくてね。
そんな時に、本城さん……あいや、綾乃ちゃん風に言えば、“海のおじいちゃん”が、引き取ると言ってくれたんだ。それなら苗字も変わることが無かったし、今まで通りのまま生活しやすいのもあっただろうからね」
「……そうだったんですね」
「でもみんな、ちょっとばかし驚いたよ。いや、本城さんが悪い人だって言ってるわけじゃないんだ。だけど、あの人は何年か前に奥さんを亡くして、一人で暮らしてたから。大丈夫かと少し心配したけど、なんとか上手くやってくれてるみたいで、良かったよ」
「あ……そうですね、なら良かったです……」
思わず、真実を告げようとした口を強引に閉じた。
どうやらやはり、彼は本城さんと海のおじいちゃんの、本当の事情を知らないらしい。言ったって、俺も詳しく知っているわけでは無いが、それでもこのまま、彼に勘違いをさせたままなのも、なんだか申し訳ない気持ちになった。
「……だからまぁ、綾乃ちゃんが男友達を連れてきてくれて、ホントに驚いたよ。だけど、そろそろ綾乃ちゃんも大人になるし……そういう歳になったんだなって、なんだか感慨深いね」
彼のそんな話を聞きながら歩くこと数分。ようやく、山のおじいちゃん宅の前にたどり着いた。
「……でも」
ポツリと空に呟くと、急に彼の足取りが止まった。一体何事かと、後ろを歩いていた俺の足も、思わずその場で立ち止まる。
「どうしました?」
「いや……もしかしたら、あの子はもう、誰かを失うってことを、怖がってるのかもしれないなぁって」
広々とした青空に向かって、彼がボソッとぼやいた。そんな彼の気難しそうな表情に、なんとも言い難いもどかしさを覚える。
――っ……そうだよな。言ったって本城さんは、源二さんの孫娘なわけだし。……実の娘のお母さんも、病気で亡くしてるんだもんな。親より早く娘に旅立たれて、孫娘もそんな境遇で……そりゃあ、複雑な気持ちにもなるよな……。
「……そうかも、しれないですね」
「……はぁ、年寄りの悪い癖だ。悪いね、色々聞きたくもねぇ話を聞かせちまって」
途端に振り向いて、彼がニッと笑ってみせる。――その笑顔が、皮を被った笑顔だというのは、すぐに俺でも分かった。
「あ、いえ。全然そんな……」
全然そんなことは無いと、俺が告げようとしたとき、彼が一歩こちらに歩み寄って、ポンッと肩に右手を乗せた。長年を知る彼の右手が、どれだけ大きい手の平なのかが、それだけでもしっかりと感じられた。
「ま、もう綾乃ちゃんには君がいる。俺が悲しむこたぁねぇよな。……綾乃ちゃんを、これからもよろしくな」
「え。……あ、はい! 任せてください!」
咄嗟に俺が返事をすると、今度こそ彼は嬉しそうに、嘘偽りない笑顔でニッと笑ってみせた。そんな彼の表情に、こちらもホッとする。
「……さて、早く中に入っぺ。飯だ飯」
「あ、はい! そうですね!」
しんみりとした空気から逃げるように、彼はスタスタと玄関へ歩いて行ってしまった。そんな急ぎ足な彼の後ろを、いつもの歩幅で付いていく。
――……待てよ?
ふと、今度は俺の足取りが急に止まった。
――……俺、何か勘違いされてないか? 別に俺、本城さんと付き合ってないぞ?
じんわり、じんわりと、不安の汗が滲み出る。
もしこのまま、俺が別の女性と結婚するとなったら、それこそ彼にとっての期待を、裏切ることになるのではないのか? それだと本当に、あの彼に殺され兼ねないのではないか? ――そう思った途端、急に俺の足がこの家の中に入ることを拒んだ。
一体、どのタイミングで弁解をするべきか――はたまた、本城さんと同じように、俺も彼に嘘を吐くべきか。
不安のため息を漏らしながら、渋々俺は、山のおじいちゃん宅の中へと入った。
「あらま! 綾乃ちゃんのお友達!?」
自分の部屋に行くから、先に座って待っててくれと言われて、山のおじいちゃんに通された居間には、またまた初めて見る顔がいた。そんな彼女が、やっぱり驚いた表情で俺を見る。
「あはは……どうも、こんにちは」
使い古された様子の、長方形の机の前に置かれた、朱色の座布団の上に座る。
「やだまぁ、てっきり女の子が来るかと思って、そんなに量作らなかったぁ」
台所で作業をしながら告げる彼女の手元には、既に茹で上がったであろうそうめんが、大きなザルいっぱいに盛られていた。けれどもやっぱり、彼女が言う通り、男二人が混ざって食べるには、少し物足りない気がする。
「あぁ、大丈夫ですよ。ご無理なさらず」
「あーほら、若いのにそんなこと言わないのー。待ってて、今もう少し茹でるから」
「え。あ、あはは……。すみません、わざわざ」
どうやら、田舎のおばあちゃんらしく、お節介が強い人らしい。申し訳なかったが、今は彼女の言葉に甘えさせて頂こう。
「えー? それで? お兄ちゃん、名前は?」
「あ、すみません、遅れました。村木実です」
「実君ね。わざわざ来てくれてどうもー」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「私は松金多恵子って言います。気軽におばちゃんって呼んでちょうだい」
左目には泣きボクロがあり、白髪交じりではあるが、それでも綺麗な長い黒髪を、一本にして結んでいた。流石は本城さんのおばあちゃんと言うべきなのか、身長も彼女に劣らず、それなりに高い。恐らく、百六十センチ以上はあるはずだ。
そして何より、顔のパーツ一つ一つが、本城さんに激似である。笑顔や悩んだ表情はおじいちゃん譲りで、容姿はおばあちゃん譲りなのかもしれない。
「あー……おばちゃんだとなんだか申し訳ないので、多恵子さんって……」
「こら、若いのに遠慮しないの。こっちがそれでいいって言ってるんだから、お言葉に甘える」
シンクの水を流して、何かを作業しながら彼女が告げる。
「え、あー……分かりました。じゃあ、そう呼ばせて頂きますね」
「そ。それから、あんまり堅苦しくしないでちょうだい。こっちの気が狂っちゃう」
「あ、ごめんなさい。そういうつもりは」
「そういうところを言ってんの。もっと実家だと思って、のんびりしてちょうだいな。あんまり敬語使わなくていいし、気を遣われ過ぎるのも好きじゃないの。ね?」
「あ、はぁ……」
――やべぇ、メチャクチャ強引。どこかの誰かさんそっくりじゃん……。
今の一連のやり取りだけで、まさしく彼女こそが、本城さんのおばあちゃんだと確信ができた。まさか、あの本城さんの強引さが、ここから来ているとは思わなんだ。
こうも強引にああだこうだと言われて、なかなか否定しづらい雰囲気にできるのは、彼女や本城さんの強みなのかもしれない。
「じゃ、じゃあ、そうさせてもらいま……あいや、そうさせてもらうね」
「うん、それでよろしい」
うんうんと頷きながら、彼女が告げる。
悪い人では無さそうだが、今後彼女と仲良くなるためには、誰かさんと同じように、ちょっとばかし時間が掛かりそうな気がする。
「おー、何話してんだ?」
ふと、そのタイミングで、ようやく戻ってきた山のおじいちゃんが、居間へと入ってきた。そのまま、机を挟んだ向かいの座布団に彼が座る。
「ほら、堅苦しいのは無しにしてって話よ」
「あー、いつものか。悪いね、実君。あの人、若い子にはいつもそうなんだ。気にしないで」
彼が親指を立てて、彼女のことを指し示す。そんな彼の表情は、ちょっぴり苦笑いだ。
「何よー。あんただっていつも、『敬語は好かねぇよなぁ』って話してるくせにー」
「それはそうだけどよ、そういうのは段階ってもんがあんだろ? 人と仲良くなるまでに、いきなり敬語は無しだって言われても、困るだろ。なぁ?」
「え。あ、あはは……」
――源二さぁぁぁん! それ俺に振らないでぇぇぇっ!
どういう表情で返事をすればいいか分からずに、思わず笑みを作ってその場をしのぐ。そんなことを言われたら、一体どっちの味方に付けばいいのか、分からないじゃないか。
「でも子供って、いきなり馴れ馴れしくして仲良くなるじゃない? アレはどうなのよ」
「それは子供達の中の社会だろ? 大人とはまた違うべ」
「えー、そういうもんなの? 同じ人間なのに?」
「それ言っちまったら、男と女だって社会は違うべよ。若者とジジババだって社会は違うし、大人と子供の社会も違う。住んでるところが違えば違うし、国も変われば全く違う。そういうもんだっぺ」
「うーん……。やぁねぇ」
そんな、おばちゃんと山のおじいちゃんの謎の論争は、おばちゃんの「やぁねぇ」の一言で幕を閉じた。どうにも自分は中に入りづらい内容だったがために、早めに話題が尽きてくれてホッとする。
――うん。なんだかやっぱり、おばちゃんから本城さんと同じニオイがする。そんな気がする。
言葉で表現するのには、なんとも表現し難いが――偏見持ちというか、自分の世界を持っているというか、なんというか……。とにかく本城さんは、ちゃんとおばちゃんの血を受け継いでいるというのが、しっかりと伝わった。
「それで? 綾乃ちゃんは、どうしたの?」
おばちゃんが束になったそうめんを、アツアツの鍋の中に放りながら告げた。
「あぁ。倉庫の中もう少し掃除してから来るんだと」
「あらそうなの。良い子ねぇ、綾乃ちゃんは」
「ははっ、だなぁ。流石、ウチの孫だ」
「ねー」
先程とは打って変わって、楽しそうにそんな会話を繰り広げてみせる。
ケンカもありつつ、すれ違いもありつつ、こんな風に楽しく過ごせる夫婦――。そんな二人を見て、なんだか羨ましく感じてしまった。
「……あら、帰ってきたんじゃない?」
噂をすればなんとやらだ。唐突におばちゃんが、そんなことを告げてみせた。みんなで一緒になって、玄関のほうに耳を澄ませてみる。……確かに向こうから物音が聞こえた。
「ホントだ。んじゃあ、そろそろ飯にすっかぁ」
そう言うと、山のおじいちゃんはその場から立ち上がった。どうやら、食事の準備をするらしい。
「あ、何か手伝いま……て、手伝おうか?」
「あぁ、いいよいいよ。実君は、座ってて」
「あ……うん、分かったよ」
そんな彼の言葉に甘えて、一度立ち上がった腰を再び下ろそうとした瞬間、居間の扉がガラッと開かれた。――扉の前に立っていたそれに、一同の会話が一斉に途切れた。
ぼんやりとした目を真っ赤にさせて、何度も鼻を啜っている。見たことも無いそんな表情に、思わず俺は言葉を失った。
「……本城、さん?」
「……失くしました」
「え?」
「失くしたんです。……真珠」
先程までのタメ口設定など忘れた様子で、いつもの敬語で話す本城さんがポツリと、そんな言葉を口にした。




