インドア系女子からのお誘い
夏だ! 休みだ! バカンスだ!
とうとう日付は、八月に入った。相変わらず気温は暑っ苦しい日々が続いているが、陽キャの俺にそんなことは関係無い! ……というのは流石に嘘だが、それでもこんな暑さ、楽しんだもん勝ちだと思っている。
早速お盆明けには、高校時代の友人らと海へ遊びに行く約束もしたことだし、今から久々にみんなと会える日が楽しみな中。二日連続あった、サークルの練習を終えた翌日。――俺は、駅でとある人物と待ち合わせをしていた。
――……遅い。
待ち合わせ時刻から十五分が過ぎた、朝の八時十五分。なんとなーく予想はしていたが、やはりこうなってしまったか。
こんなことになるんだったら、もう少し家でのんびり支度してから出てくればよかった。おかげで今日は、寝不足で眠い。
まったく、向こうが待ち合わせ時刻を決めたっていうのに、こんなにも時間にルーズにされちゃあ、堪ったもんじゃない。着いたら一言、文句を言ってやる。
まだかまだかと、思わず苛立ちを覚えながらも、俺は駅前広場のベンチに座りながら、彼女が来るであろう道と腕時計を、何度も何度も交互に見返していた。
◇ ◇ ◇
三日前――。
――あーあ、バイト疲れたなぁ。さっさと風呂入って寝よ……。
ようやくバイトから帰ってきた、夜の十時過ぎ。一人暮らしの寂しい部屋に明かりを照らして、背負っていたリュックをベッドの横に置いた。
――あー、でも腹も減ったな……。風呂も入りてぇし。……あと眠い。
人間の第三欲求でもある、食欲と睡眠欲に、入浴欲が入り乱れてケンカを始める。
ここにムラムラも入ってきたら、それこそ大問題だったろうが、幸いにも今はその欲求は湧いていない。
取り敢えず、まずは風呂を沸かすところから始めよう。行きと帰りに自転車に乗ったせいで、汗だくになったTシャツを洗濯カゴに放り込むと、上半身裸のまま、風呂場の浴槽に水を溜め始める。
次に、そのままキッチンへと向かい、冷蔵庫の扉を開く。
……ふむ、残っているのは、少々の白菜とウィンナー一袋。あとはプリンなどの雑多な食べ物と、二リットルのコーラ二本のみ。――そろそろスーパーへ買い出しに行かないと、また誰かさんに怒られそうだ。
そうだ、この間買った、チャーハンの素のペーストがまだあったはず。あの味は、一度食べるとなかなか病みつきになるのだ。白菜とウィンナーだけでも、それなりに味は出るだろうし、今日の晩飯はそれにしよう。
冷蔵庫の中から白菜とウィンナー一袋を取り出すと、そのままキッチンに必要な物を出し始める。
――……待てよ? ご飯って、まだ残ってたっけ?
そうだった。チャーハンで一番重要な、ご飯の存在を忘れていた。
急いで炊飯器の蓋を開き――炊飯器の電源が入っていない時点で察しはしたが、一応念のため、中を確認する。……その瞬間、俺の頭の中は、まるで綺麗なご飯粒のように真っ白になった。
――あー……、はいはい、なるほどなるほど、そう来ましたか。……え、どうする? カップ麺も確かもう残ってなかったはずだし……。
最後の希望を込めて、普段カップ麺を仕舞っている戸棚を開く。……案の定、そこにはカップ麺のカの字すらも残っていなかった。
――……今からコンビニに買いに行くか? わざわざ? 風呂は? 眠いんだけど? え、でも腹減ったよ? どうすんの、俺?
様々な雑念が、頭の中を駆け巡る。こういうとき、家にもう一人くらいいてくれたらなぁ、なんて思ったのはこれで何度目か。改めて、実家にいる家族の安心感というものに感謝を覚える。
――はぁ……。茜のご飯食いてぇなぁ。今から作りに来てくれねぇかなぁ……なんて。
一体どうしたものかと、頭をわしゃわしゃと掻く。どの行動を起こすにも、どうにも疲れのせいでやる気が起きずに、しばらく思考停止した状態が続いた。――結果、いつの間にか、ベッドの上に座り込んでいたというのがオチである。
――あーねみぃ。でもダメだぁ、風呂に水溜めてんのに、今寝たらマジでヤバいって。……あ、ダメだこれ。寝るやつだ。待って待って、どーしよ。
次第に、うつらうつらと視界が暗くなってくる。
これはマジでヤバい。ここで寝たら、それこそ水道代がバカにならないことになる。上半身は裸のままだし、下手したら風邪をひかねない。ダメだダメだ、起きろ起きろ。っていうか起きて。ねぇ、起きてよ! 起きてぇ! 実ぅぅぅっ!
そうして――そのまま俺の意識は、暗闇へと落ち切ってしまった。……という寸前の出来事だった。
「……んあ?」
その時、俺のスマホが、大きく盛大に鳴り響いた。
こんな時間に一体誰だと、眠い目を擦りながら、スマホの画面を覗いてみる。――その瞬間に、今の今まで眠気マックスだった俺の眠気は、一気にどこかへ吹き飛んでしまった。
――……は? なんで? こんな時間に? 何の用だ?
ワケが分からない。一番最初に抱いたのは、そんな印象だった。
だってそうじゃないか。普段は全くLI○Eで会話なんてしていない上に、最後の会話履歴は、六月の末にしたきりだったのだから。しかも、たった一言二言の会話きりで。
誰だって、そんな人からいきなり電話を掛けてこられたら、何の用だと疑問を抱くだろう。
だからと言って、ここで電話をスルーして無視をするというわけにはいかない。もちろん、その手段も一瞬考えはしたが、その後どうなるのかを考えてみたら、明らかにここで電話に出たほうが吉だという結論が出たからである。
渋々俺は、その掛かってきた電話に対応すべく、思わず息を呑みながらスマホを耳へと当てた。
「……もしもし?」
「あ、よかった。起きてましたか。てっきり、バイトで疲れて永眠しちゃったかと思いました」
早速それは、相変わらずのその声で、相変わらずの皮肉を告げる。
そんな一言に、それとない安心感と苛立ちを覚えながらも、いちいちそれに反応していては、余計に永眠してしまいそうなのでスルーする。
「んなワケあるか」
「でも先輩、今眠いでしょ? 声がいつもと違いますもん」
「……なんでそんなことが分かる?」
「分かりますよ。私を誰だと思ってるんですか? 普段から声主として活動してるんですから、多少の声の違いくらいすぐ分かります」
「……そういうもんなの?」
「そういうもんですよ」
「へぇ……。凄いな」
そう返事をしたと同時に、ふぁっと大きな欠伸が出た。てっきり全て吹き飛んでくれたかとも思ったが、やっぱりまだ、先程までの眠気は健在らしい。
「……で? 本城さん。今日はどういう用件なワケ?」
そんな、眠気マックスだった自分をある意味救ってくれた彼女に、俺は電話を掛けてきたワケを問うた。
「なんですかその言い方。まるで普段から私が電話掛けてるみたいじゃないですか」
「別に、そういうわけじゃないけど……。珍しいなって思ってさ。本城さんから掛かってくるの」
「まぁ確かに、普段私から他人に電話なんて掛けませんからね。ちょっとドキドキでしたよ」
「……それは何? 流石陰キャの本城さんだなって言えばいいの?」
「……電話の一本すら緊張する陰キャで悪かったですね」
ふて腐れた様子で、彼女がぶっきらぼうにそう告げる。どうやら、正解だったらしい。
「お、珍しく本城さんが素直だ」
「私だって、偶には素直になりますよ。反抗しても意味が無いときくらいはね」
――え。いやいや、君割といつも余計に反抗して、話拗らせてるけどね?
「へぇ……じゃあそのときは、君が一体どんな顔してるのか、一度見てみたいね」
「何言ってるんですか、気持ち悪い。調子に乗らないでくださいよ。先輩は、私のサンドバッグなんですからね」
「まだ言うか」
「何度だって言いますよ。先輩くらい、私の罵りに耐えられる人間が他にいれば、先輩にこれほど当たりませんから。嫌だったら、先輩と同じくらいの人材を見つけてきてください」
「……多分、いないと思うぞ」
「でしょうね。先輩が、頭おかしいだけですもん。こんな私にここまで付き合う人間なんて、絶対頭のネジ何本か飛んでるだろうし、狂ってますからね」
そんな彼女の自虐ネタに、思わずこちらの心がチクリとする。
せっかく彼女だって、根は優しい心を持っているのに、そんな風に言われると、こっちのほうが悲しくなる。あんまり彼女には、自分のことを悪く言わないでほしいというのが、俺の本音だ。
「……じゃあ本城さんはさ。俺とこうやって話すの、嫌なの?」
「えっ……」
そんな疑問を投げた途端に、彼女の饒舌な憎まれ口が止まった。なんだ、やっぱり本音は、そういうことなんじゃないのか?
「……へぇ、『当たり前じゃないですか』って、いつもみたいに即答しないんだ」
「なっ……。別に、好きだとも言って無いでしょう?」
「じゃあ、好きか嫌いなら?」
「大っ嫌いです」
――おぅふ。
いつもより強い口調で告げてみせた彼女の言葉に、心がそれなりにキツいダメージを負う。何も、そんな風にハッキリと明言しなくたっていいじゃないか。酷い奴だ。
けれど、これこそが俺の知る本城さんだ。こうじゃないと、彼女と喋っていても面白くない。
「ふぅん、そうなんだ」
「……なんですか、何か文句でも?」
「別にー? 本城さんらしいなぁって、ただ思っただけ」
「……気持ち悪い」
スピーカーから聞こえるか聞こえないかぐらいの声で、ボソッと呟く。やめろ、そんな地味な追い打ちをされると、また村木先輩萎えちゃうぞ?
「まぁ、それはいいや。それより、用事があって電話くれたんでしょ?」
このまま話していても、ずっと変な言い合いが続きそうだったので、そこで俺は話の路線を元に戻した。
「そうですよ。誰かさんが調子に乗って、余計なことを言うから、話が逸れたんじゃないですか」
「その誰かさんって誰だろうなぁ。本城さん、知ってる?」
「あなた以外に誰がいるんですか? いつまでも調子に乗らないでください、反吐が出ます」
偶に出る、本城さんのワントーン下がった低い声――もとい、怖い声で告げてみせる。その声を聞くと、思わず恐怖で背筋が震えるから、やめていただきたい。
「うぐっ……すみませんでした……」
――うへぇ、前に本城さんに言われたお返ししたのに……。ちくしょう。
「それで……用件は?」
「簡単な話ですよ。先輩、金曜日と土曜日、暇ですよね?」
「……へ?」
素っ頓狂な声が出た。
「だって、どうせバイト無いでしょう? サークルは、別に一日二日くらいサボっても平気だろうし」
「いや、あの……。まさに金、土とサークルが……」
「暇、ですよね?」
再び彼女が、声のトーンを落としてみせる。あ、これ、はいって頷いておかないとヤバいやつだ。なんか知らないけど、俺の十九年間の知識と経験がそう言ってる。絶対そうだ。
「……仮に暇だったとして、その日にどうしたいのさ」
「だから、簡単な話ですって。私と一緒に、二日間友部駅にまでお散歩に行くだけです」
「……はぁ?」
益々意味が分からない。なんだって、友部駅にまで行かなくちゃいけないんだ? しかも、本城さんと一緒に。
「そうですね……金曜日の朝、八時十三分の電車が水戸駅から出るんで、八時に南口側へ集合にしましょうか。それでいいですよね?」
カチャカチャと、パソコンのキーボードらしき音が微かに聞くこえてくる。どうやら、調べながら喋っているらしい。
そんな風に計画を立てて出掛けることは、とてもよろしいことだと思うが、何よりもまだ、俺は行ってもいいとは一言も言っていないのだから、電車の見切り発車にも程がある。
「いや、あの……。俺まだ行くとは一言も……」
「なんですか、酷い人ですね。か弱い乙女が、心強い先輩にお願いしてるんですよ? これを聞いても、あなたはまだ行きたくないとほざくつもりなんですか?」
「いや、だから、サークルの練習が……」
「か弱い乙女の切実なお願いよりも、サークルの練習のほうが大事なんですか? 練習なんて、休みの日にいくらでも家でできるでしょう? たったの二日くらい、か弱い乙女に付き合ってくれてもいいじゃないですか。ね? せーんぱい」
その最後の『せーんぱい』の一言に、益々背筋が震えた。いつよりも声のトーンを一つ上げて、わざと可愛らしい声で告げてみせたのだ。……ヤバい、この子、怖い……!
「……俺以外の選択肢は無かったワケ? 日和ちゃんとかさ」
「無いですね。っていうか、今回は先輩じゃないとダメなんです。冗談抜きで、ホントにお願いできませんか?」
何が『先輩じゃないとダメなんです』だ。どうせ丁度良い手頃なサンドバッグがあったから、声を掛けてるだけだろうに。まったく、世話が焼ける奴だ。
「……はぁ。分かったよ、行けばいいんでしょ? 行けば」
「そうですよ、来ればいいんです。話が早くて助かりますよ」
「あっそう……」
半ば脅されていたような気もするが、そこは敢えて触れないでおこう。
「じゃあそういうことなので。……あ、一日泊まることになるので、着替えとか持って来てくださいね。詳しいことは、また追って説明します」
「そう、分かった。じゃあ、また今度ね」
「えぇ、また今度です。それじゃあ、おやすみなさい、先輩」
「うん……おやすみ」
「……疲れたからって、お腹出して寝てると風邪ひきますからね。気を付けてくださいよ?」
「えっ!? あ、あぁ、そうだな! ありがと!」
「えぇ、また」
なんだこの子は。俺のことを、どこかで監視でもしてるのか? それとも、本当に勘が鋭いのか? ……単に俺が、分かりやすいだけなのか?
ともかく、どうして今まさに上半身裸でいることが分かったのかは不明だが、そんな彼女にお礼を告げると、そのまま電話は切れた。
そうして――まるで綺麗に話が丸く収まったかのように、その日の本城さんとの会話は終わったのだった。
――……はぁ。なんかまた、面倒なことに巻き込まれた気がするなぁ。
彼女と関わるようになってから、こんな面倒ごとに何度も巻き込まれているような気がする。嫌というわけでは無いが、毎度毎度色んなことばっかりで、その度にため息を吐くようなことばっかりだ。
嫌気が差して、座っていたベッドに大の字で背を任せては、はぁっと大きなため息を吐いた。――それとほぼ同時に、思わずハッとする。
――……あ、やべ! 風呂の水出しっぱなしだ!
咄嗟に、脳裏に記憶が蘇る。
急いで風呂場に駆け込んでみると、浴槽からお湯が溢れてしまうギリギリで、なんとか耐えてくれていた。危ない危ない、まだ溢れていないのならセーフだ。
すっかり眠気も覚めてしまったことだし、一先ず先に風呂へ入ろう。ご飯については、上がってから考えることにして、俺はすぐに着ていた服を脱ぎ、洗濯カゴへ放り投げた。
――……あれ?
全裸で風呂場に入った瞬間に、その足が止まった。
――……俺、本城さんと友部に行くのはいいけど……何しに行くんだ?
そう――彼女と共に友部駅にまで行く肝心な理由を、その時の俺はまだ知らなかった。
 




