悩み姫
一週間後――。あれから風邪は、二日程度で治ってくれた。腹痛もようやく収まってきて、段々と体内に平穏が訪れ始める。
私がこうして体内の平穏にホッとしているこの瞬間も、世の男共は自分の身体のことなど何も気にせず、悠々と過ごしていることだろう。本当に、ただただズルいと思う。
どうして女の子宮というのは、いちいち、いちいち、排卵を繰り返さなくてはならないのだろう。男の精子のように、簡単に排出できるような仕組みにはできなかったのだろうか。考えるだけでも、何から何まで嫌になる。
もちろん――こんなことで悩んでみたり、腹立ってみたところで、神は何もしてくれないことは、紛れもない事実なのだが。
「あ、ちょっと待って! このっ……バカッ! よしっ……よし、よし! ……よっし! あぁ、やっと勝てたぁ……!」
パソコンのディスプレイ画面に、You Winの文字が表示される。一時間の激闘の末、ようやく裏ボスを攻略することができた。思わずコントローラーを持ったまま、感激のあまり両手を挙げてしまった。
「あぁーもうホント、みんなありがとー! みんなのコメントがあったから勝てたよー!」
デュアルディスプレイの、もう片方の画面に映るコメント欄を覗きながら、マイクに向かって叫ぶ。
「『アヤちゃんナイスー!』ケロリンさんもコメントナイスー! 『喜んだときのアヤちゃん可愛い』えっと……爆獣の王さん……? なんか凄い名前だね。ありがとー王様ー!」
滝のように流れるコメントを、読み切れる範囲で読んでいく。初めの頃は、五分に一度コメントが流れればいい程度だったのに、今じゃこれだから嬉しい悩みだ。
「えっとー、じゃあこの先に行けば、ダオラルの剣があるんだっけ? ……うんうん、あ、ちょっとだけ雑魚敵出るんだ。分かった、気をつけるー」
このダンジョンは、一度やられれば全て最初からやり直しだ。ここまできたのだ、もう裏ボスは出ないとはいえ、気をつけなければ。
コメント欄の文字を頼りに、ダンジョン最後の宝箱までキャラクターを動かしていく。思っていたよりその距離は短く、すぐに発見することができた。
「あった! これ? ……やったぁー、ダオラルの剣! ……え、やば! 攻撃力三百十六って……火力おかしい……」
思わず吹き出して笑ってしまった。今の最強装備の武器で、攻撃力は二百四十八だというのに、なんだこのバランスブレイカーは。確かにこれは、裏ボスを倒した報酬にふさわしい。
「あぁー……笑っちゃった。さて、じゃあ戻ろっかぁ。帰還弾を撃って……よし、帰ってきたぁ。あーなんか懐かしいやこの景色。三時間くらいぶり? はぁ、長かったぁ……」
村で流れるBGMが懐かしい。ダンジョンの緊迫した曲もいいが、やはり強敵を倒した後は、村の曲が名残惜しくなる。
「はぁーい、じゃあということで……えぇ!? ちょっと待って! アスパラさん、ハイパーチャット五千円!? 大丈夫、貰っちゃって? 『裏ボス撃破記念』? ありがとー嬉しいー!」
ファンというのは嬉しいもので、偶にこうして投げ銭をしてくれる。ファン達から貰ったお金のおかげで、自分の貯金を使わずに、放送をするための資金にすることができるから、ありがたいものだ。
「ありがとー、みんなから貰ったお金は、ちゃんと動画に使うねー。……っ」
――……あ。また来た。
出た、憎きアンチ野郎。いくらこちらがブロックしようが、また新たなアカウントを作って暴れてくれるものだから、本当に困る。
――“こんなブス女に金使ってないで、キッズは文房具でも買いな”ね。はぁ……またこいつか。いい加減、消えてくれないかなぁ。
「あぁーあぁー、ケンカダメだよー? お金貰わなくても、みんなのコメントが私、一番嬉しいんだから」
落ち着け、私。自我を保て、冷静になれ。怒りたくても、放送中に怒るのはただの事故だ。大丈夫、こいつらはただのクズ、こいつらはただのクズ……。
「……大丈夫かな? はい! じゃあということで、何度かやり直しになっちゃったけど、みんなのおかげで無事裏ボスのギリスを倒すことができましたー! ありがとーみんなー! それじゃあ、今日の放送は終わるよー? みんな、今日はありがとねー! ……それでは以上、アヤでしたー! またねー!」
マイクに叫んでから、心の中で五秒数える。手元と放送のタイムラグを考慮して、こうして挨拶の後は必ず間を空けるように心掛けている。
やがて五秒が経つと、マウスで画面を操作して、長々と続いた生放送を終了させた。
「……はぁ」
なんとも言えない、脱力感。嬉しくもあり、悲しくもある。ファンが増えれば増えるほど、その気持ちはどんどん大きくなっている。
その度に、当たり所のない虚無感と怒りに襲われる。こんな辛さは、せめて生理のときだけでも十分なのに。
――……こんなブスに金使うよりも、か。
そんなのは、自分が一番よく分かっている。
ズル賢くて、底辺を這う人間のゴミ以下。他人から金を巻き上げ、ただただ引きこもって声真似とゲームをするだけの簡単なお仕事。それ以上の努力はせずに、そのくせそこらの人達よりも有名で、お金持ちで、楽して生きている。――こんな奴を、誰が美人と言う?
――……例えどんなにファンが増えたって、結局はみんな“アヤ”っていうキャラクターが好きなだけ。私自身を見てくれる人なんて、どうせ一人もいないんだから。
世間で有名なのは“アヤ”だけ。好かれているのは“アヤ”だけ。私自身、本城綾乃という人間が好かれているわけでも、有名であるわけでもない。そこを見誤えばきっと、調子に乗ってハメを外すだろう。もう一度、帯を締め直さなくては。
「あー、やだやだ。……ご飯食べよ」
予想よりも早い段階で終わることはできたが、それでももう時間は夜の十時前だ。疲れもあるし、今日は簡単にカップ麺でいいだろう。
ヘッドホンを外してスタンドに立て掛けると、そのまま寝室を出た。
麺をすすりながら、パソコンで動画仲間の動画を見る。今日投稿された動画は、声真似しながらカッコいい造語だけしりとり、だそうだ。タイトルだけなら明らかに地雷動画だが、果たしてどんな内容だろうか。
「……ふっ、ふふっ。何? 『アウストラルピテクサー』って……。バカじゃないの?」
ワケの分からない意味不明な言葉を、彼が無駄にカッコよく言ってみせる。知識は私よりもバカなくせに、こういう人を笑わせる能力値は人一倍高い。そんな彼の一面には、思わず妬いてしまう。
それでもなんだかんだ、そんな彼のことを私は、一人のファンとして好きだ。
「はぁ……ホント……」
動画を見終えるのと同じくして、食べ終わったカップ麺を机に置くと、そこに置いてあったスマホと交換した。すぐに彼の連絡先を開いて、彼にメッセージを送る。
「見たよ、アウストラルピテクサー。終始二人とも、ワケ分かんなかったけどw」
そんな他愛のない言葉を送る。返信は少しばかり遅れると思っていたが、意外とすぐに既読は付き、返信が返ってきた。
「あ、見た? カッコいいでしょ、アウストラルピテクサーw」
「ホントなんなの、それw ただの猿じゃんw」
「やめろ、猿言うなw」
そんな彼との会話が、十分程続く。適当に話題が尽きたところで、次の動画撮影の日について軽く話し合うと、そのままその会話は途切れた。
――あーあ、面白い。次の動画でネタにしてやろ、アウストラルピテクサー。
ぼんやりとそんなことを考えながら、スマホの画面を切ろうとする。
――……あれ?
そんな折。ふとLI○Eの友達一覧を見て、とある違和感を覚えた。
――いない……。あっ! そういえば私、先輩の連絡先って消したんだっけ……?
十二人しか登録されていないお友達。ほとんどが動画仲間の連絡先で、リア友は自分が動画活動をしていることを知っている、日和ただ一人だ。――そう、現在は。
――うわぁ……やらかしたなぁ。
忘れていた。うろ覚えだが、あの日彼の連絡先を触った覚えが微かにある。
すぐに非表示リストと、ブロックリストを確認してみたが、どちらも空っぽだった。自分のLI○Eから、一切の存在証拠を綺麗さっぱり消されてしまっている。まるで初めから、彼など存在していなかったかのように。
――はぁ……せっかくお見舞いまで来てくれたのに、これじゃあホントに嫌われちゃうよ。学食にだって、あの時怒っちゃったせいで行きづらくて、今週は全然行けなかったのに……。
おかげで、昼食は構外にあるコンビニまでわざわざ、歩いて行く羽目になった。他の学食はあまりにも人が多過ぎて、万が一何かが起こったときに、面倒くさくて行く気になれなかったのだ。正直いま、あの学食のハンバーガーがとても恋しい。
――……いや待って。なに言ってんの、私。なんで先輩に嫌われちゃったかなとか、そんなことを心配してるの?
意味不明な疑問を抱いた自分に、思わず苦笑する。たったの一瞬でも、そんなことを考えてしまった自分を悔やむ。
――え? え? 意味分かんない。別にいいじゃん、嫌われても。それが本望だったんじゃないの? もう今後一切、余計な陽キャ男に付きまとわれなくて済むんだよ? 最高じゃん、それ。
そう。元々は関わりたくないから、彼の前では冷たいキャラで接していたんじゃないか。あのキャラを貫くのも、なかなかにメンタルがやられるのだ。もうあのキャラを演じなくていいのなら、それでいいじゃないか。
「………」
『だってミノルン先輩、本気になったら絶対諦めないタイプだもん。綾乃は逆で、本気で好きになってくれた人を好きになるタイプでしょー? お似合いじゃん!』
『ミノルン先輩ってね、綾乃のこと話すとき、なんか楽しそうなんだもんー』
先週、日和に言われた言葉。そういえば、あの日通話を強引に切ったまま、その後彼女とも話をしていなかった。
「私は……」
彼のことは、好きではない。全く興味もないし、タイプですらない。ましてや私は、本当の友達とすらまだ思ってもいない。
それなのに――何故かいつも、彼が心のどこかで突っ掛かってくる。記憶の片隅で、いつもこちらを覗いている。ただただ何もせずに、あの目でこちらを見守っている。それはなんだか、まるで――。
◇ ◇ ◇
「あー綾乃ぉ! ちょー久しぶりぃ! 元気だったぁ!?」
たったのスリーコールで電話に出た日和が、夜中だというのに相変わらずの声量で叫ぶ。初見にこの声はかなりキツいだろうが、私はもう何年も前から慣れているので問題ない。
「まぁ、いつも通り。それより、その……こないだは、ごめん」
「えぇー? なんのことー? 綾乃、何かしたっけー?」
「何かって……通話、強引に切っちゃったじゃん」
「……あぁー、そういえばそっかぁ。てっきりこってり忘れてたぁ。ううん、大丈夫だよー。綾乃、あの日は熱もあったし、お腹も痛くて辛かったんでしょー?」
「……ちょっと待って。私あの日、生理来てたって言ったっけ?」
「んー……。分かんない! でも、なんとなくそんな気がしたー!」
あはは、と日和が笑ってみせる。
なんだそれは。自分達は心のどこかで、以心伝心できているとでも言うのか。それとも――自分の周期すらも把握するほど、彼女は私のストーカーだったりして。……まぁ、それはないか。
「そっか。……ごめんね、ありがと」
「いいっていいってー! 私と綾乃の仲だもんー!」
「……そうだね」
本当は、今すぐにでも縁を切りたい。聞き飽きた声とおさらばしたい。どうしようもない彼女のことなど、綺麗に忘れてしまいたい。普段はそんな風に思っているはずなのに――この声を聞くと、不思議と安心してしまう。
ただそれは、私が弱いだけなのかもしれない。私がどうしようもない陰キャなせいで、踏み込む勇気を持っていないだけなのかもしれない。
でも例え、そうだったとしても――結局私は、この子の元に戻ってきてしまうんだと思う。そう、今みたいに。
「……ねぇ、日和。ちょっと相談があるの。――聞いてくれる、かな?」
日和に問う。すると彼女は嬉しそうに、にひっと笑って答えてみせた。
「もちろんだよ! さぁ、恋バナでもなんでも、ドンとこぉーい!」
「うん、ありがと。あのね――」
「――先輩とどうすれば、仲直りできるかな?」
短いですがこれにて、本章は終わりです。ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
さて、物語にもいよいよ夏がやってきそうです。次回からはまた、村木先輩と本城さんの日常回が続きます。
お楽しみに!
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