やまびこ山のお宝
「それじゃあ、俺はこの奥だからもう行くね。終わった後落ち着いたら、今度こそすぐに連絡するから」
渡り廊下を進んだ先の階段のところで、村木先輩が告げた。どうやら彼は、この奥にまで行くようだ。観客として見る私とは、一時ここでお別れらしい。
「そうですか、分かりました」
「それじゃ、よかったら楽しんでいって。また後で!」
「あ、はい……」
そのまま村木先輩は、右手を挙げながらこの場を立ち去ろうとする。
――う……なんかこのまま別れるのも寂しいな……。
せっかくの機会だ。これから本番を迎える彼に、何か気の利いた一言でも言うことはできないだろうか。
「……あ、あのっ、村木先輩!」
数歩だけ歩き出した彼を呼び止める。彼は何事だという顔をしながらピタリと立ち止まると、私の言葉を待っていた。
「えっと……。せ、先輩の演技、期待してますから。だから、その……へ、変な演技でもしたら、許しませんからね! せっかくお好み焼き奢ったんですから!」
そう言った直後に後悔する。どうして自分は、こうも上から目線のような言葉しか言えないのだろう。もっと優しく、鼓舞できるようなことが言えればいいのに。
一体彼は、こんな情けない私を何と思うのだろうか。肩をグッと縮めて、恐る恐る彼の言葉を待った。
「ふふっ、ありがとう。そうだね、演技の上手なあの本城綾乃さんにも怒られないような、本気の演技ができるように頑張ってくるよ」
「えっ? あっ……」
「励ましてくれてどうもね。それじゃあ俺、急ぐから! また!」
「あ、ま、また……」
ニッと笑みを浮かべると、彼は足早に奥へと去って行ってしまった。そんな彼の後ろ姿を、思わずまじまじと見つめてしまう。
――あ、あれで良かったってこと……? うぅ……もうホント、村木先輩の考えてることって分かんない……。
どうしてあのような言葉で、彼は喜んでくれたのだろう。私だったらきっと、あんな言葉を言われても嬉しいとは到底思えないような、酷い言葉だったはずなのに。――逆に私のほうが、君のそんな笑顔を見たおかげで、緊張してしまったじゃないか。
――はぁ……。なんで村木先輩相手に、こんなにもコミュ障になっちゃったんだろ、私……。
一歩一歩、ゆっくりと階段を降りながら、胸の鼓動を抑えていく。こうものんびりしている間にも、彼が出演する演劇のスタート時刻は、刻一刻と迫っていた。
◇ ◇ ◇
すっかり暗がりとなった体育館の中へと入る。
中はステージの上以外明かりは点けられておらず、中央にはレッドカーペットが敷かれ左右に区切られている。左右の列を合わせると、何百もの椅子が設置されていた。
その一方で、見ている観客の数は特別多いわけではなく、後方の何列かはほぼすっからかんだ。大方、並べられた椅子に対しての割合的に、五分の三ぐらいが埋まっている程度だろう。少し寂しい気もするが、大学の文化祭で無料で見られる演劇だと考えると、妥当な数なのかもしれない。
「あ、綾乃お姉ちゃん! こっちこっち!」
ふと、どこからか見知った声が私のことを呼んだ。微かな光を頼りに辺りを見渡してみると、右側の列の、前から二番目の一番左端に、茜ちゃんと七泉の二人が座っていた。
「二人とも、ここにいたんだ」
「綾乃ちゃん。こっち座りな?」
「あ、うん。ありがとう……」
七泉に勧められて、二人と隣り合わせになって座る。本当なら、誰かと隣り合わせで座るのは苦手なのだが……少しでもマシな女になるためだ。せめて女友達とぐらいは、こういう機会に慣れておいたほうがいいだろう。
「それで、結局どうでした? 楽しかったです?」
私から七泉を挟んで座る茜ちゃんが、小声でこちらに問うてきた。
「えっ? まぁ、うん。楽しかったのは、楽しかった……のかな?」
「そっかー、なら良かったです」
「ねぇねぇ、後でどんな話したのか教えてよ?」
続けて七泉が、そんなことを聞いてくる。
「え、えぇ……? そんな、大した話はしてないよ?」
「それがいいんだよー。綾乃ちゃんとお兄ちゃんがどんな話してたのか、凄く気になるなー」
「……どうせ断ったって、しつこく聞いてくるんでしょ?」
「あ、バレた? えへへ」
「うぅ……。じゃあ、あとでちょっとだけね……?」
「うん! 楽しみにしてるね」
そう言って、ニコッと七泉が笑った。
――お、おかしいな。なんかこの二人、いつの間にか近所のおばちゃんっぽくなってない……?
当初出会った頃は、二人ともこんなキャラだとは思えなかったのだが……。やはり人は、見かけによらないということなのだろうか。
――まぁ、二人とも私のことを心配してくれてるみたいだし……悪い気はしないんだけどさ。
とはいえ二人とも、悪気があって言っているわけではない。少し気は退けるが、彼女らの優しさだと受け止めておいてあげよう。
「皆さま。この度はご来場、誠にありがとうございます」
そんな会話をしていたのもつかの間。知らぬ間にステージ上には、背中に羽を付けた一人の女性が、マイクを持って立っていた。その衣装を見るに、恐らく妖精か何かだろう。
「そろそろお時間が参りましたので、これから劇団ミスト・レインによる演劇『やまびこ山のお宝』を始めさせていただきます。皆さんどうぞ最後まで、お楽しみください」
彼女が言い終わると同時に、観客席から拍手が送られる。そのままステージの上が暗転すると、暗闇の中で女性の語り部が、静かに話をし始めた。
「昔々、山のふもとにあるとても小さな村に、リックという少年が住んでいました。リックは四人兄弟の長男で、とても家族想いの優しいお兄ちゃんでした」
途端、再びステージに明かりが照らされる。すると両脇から、六人の男女が壇上に上がってきた。それぞれリックと呼ばれる少年とその兄弟、そしてその両親の役だろう。
――あっ、あの人さっきの……。
確か、村木先輩の友達の黒澤と言っていたか。その衣装を見るに、恐らくリックの父親役だろう。彼はステージの右側で、斧のような物を持ち、薪割りをしているかのような動きを見せていた。
「リックの家は、あまり裕福な家庭ではありませんでした。両親は四人の子供達を養うために、毎日必死に働いています。……そんな、ある日の出来事でした」
「おい、リック。いつの間にか、お前もすっかり、大きくなっちまったなぁ。この間まで、こーんなに小さかったくせによぉ」
語り部に代わり、父親役の彼がステージ上で第一声を発した。
「そりゃあそうだよ。俺はこの間、やっと十四歳になったんだもん。もうすっかり大人だよ!」
続けてリック役の男性が、自分の胸を叩きながら誇るように告げる。
「はっは、そうだな。……じゃあそんなお前に、じつは一つお願いがあるんだ。『やまびこ山』は、知っているよな?」
「知ってるよ。でも父さんや母さん、あと村の人達も、あそこには近付くなって、ずっと昔から言っているよね?」
「あぁ。あそこは昔から天気が変わりやすくて、子供が近付くには、とても危険な山なんだよ。……だがな。最近あの山で、今まで見たこともないような、それはそれは美しい花が咲いているのが見つかったらしいんだ」
「美しい花?」
「そうだ。それもどうやら、花びらはまるで手の平のように大きく、根の葉っぱはまるで一匹の魚が生えたかのような、とっても大きな花らしいんだ。しかもその花は、最近発見されたばかりだから、売ればとても高く値がつくらしい。それも、ひと月は飯がたらふく食べられるぐらいな」
「凄い! それじゃあ俺、母さんが作るシチューが、腹いっぱい食いたい!」
「そうだろう。……だからな? それをリックに見つけてきてほしいんだ。本当は父さんも、その美しい花が咲いているのをこの目で見てみたいんだが、あいにく仕事が忙しくてな。……どうだ、行ってくれるか?」
「もちろんだよ! 俺はもう子供じゃないからね!」
「はっは、頼もしいな。その花が一体どこにあるのか、父さんも詳しくは知らないんだが……どうやら山頂近くで見たという噂もある。だから行くときは、しっかり準備してから行きなさい。何度も言うが、あの山はとても危険な山だからね」
「分かってるよ。その花を見つけて、家族みんなにご飯をいっぱい食べさせてあげるんだ!」
「そうかそうか、リックは優しい奴だなぁ。父さんは嬉しいよ。……それじゃあリック、頼んだぞ」
「うん!」
ここでステージは暗転し、再び語り部の女性が話し始める。
「こうしてリックはお父さんに頼まれて、やまびこ山にあるというとても美しい花を探しに行くことになりました。どうやらこの山は、とても危険な山のようですが……果たしてリックは、無事に帰ることができるのでしょうか?」
彼女がそう告げると、続いて場面は山の中となった。どうやらリックが、山登りを始めたところのようだ。
「ふぅ……だいぶ村から歩いてきたなぁ。ちょっとだけ、休憩しようっと」
彼はそう言うと、かなりリアルに再現された、灰色の岩に座る。
「しっかし、見当たらないなぁ。父さんは、山頂の近くにあるとは言ってたけど……ここって今、どのぐらいなんだろう? 結構上のほうまで歩いてきたのかな? それかもしかすると、もっともーっと登らないと、山頂にはたどり着かないのかも……。もしそうだとしたら、休憩なんてしてる場合じゃない! 急がないと!」
リックは忙しなく立ち上がると、すぐにその場を立ち去ろうと歩き出す。するとそこへ――。
「おい、おーい、そこの少年!」
――っ! この声は……。
まだ壇上にすら出てきていないのに、声だけでそれが誰なのかはすぐに分かった。そんな私と同じように、隣に座っている二人もそれが誰なのかが分かったようだ。
リックが振り返ると、その声の主が壇上へと上がってくる。それは茶色いカーディガンと茶色い帽子を身に付け、口元には付け髭を付けた、紛れもない村木先輩だった。
「待て待て、どうしたんだ。こんなところに子供一人で。もしかして、遭難でもしたのか?」
「ううん、違うよ。今日は俺、一人で山に来たんだ!」
「一人で? どうしてまた、こんな危ない山の中に。両親に止められなかったのか? ……もしかして、家出か?」
「そんなんじゃないよ! 寧ろ俺、父さんに頼まれてきたんだ。この山のどこかにある、今まで見たこともないような、大きくて美しい花を取ってきてほしいって!」
「今まで見たこともないような、大きくて美しい花……?」
大きく身振り手振りで説明するリックに、村木先輩が彼の言葉をゆっくりと復唱する。すると彼は、ひらめいたかのように右手をポンッと左手に乗せた。
「あっ、思い出したぞ。最近この山で見つかった、あの新種の花のことだな?」
「そう、それだよ! その花を売ると、とても高く値がつくんだって……」
「それなら、やめておいたほうがいい」
リックの言葉を遮って、村木先輩がキッパリと言う。
「えっ……どうして?」
リックが問うと、村木先輩は観客席側に一歩、また一歩と静かに近付いてきた。
「君も知っているとは思うが、この山はかなり天気が変わりやすい。さっきまで雲一つない晴れ間が広がっていたと思えば、十分後には大雨になることだってしばしばある。場合によっちゃ、雷が落ちて山火事になるかもしれない」
「だったらそのときは、川とか湖に飛び込めば大丈夫!」
「それから吹雪になって、辺り一面に雪が積もって、帰れなくなるかもしれない」
「だったら火をつけて、洞窟の中に潜るから大丈夫! 母さんから、マッチをたくさんもらってきたんだ!」
「ほかにも! こわーい動物に襲われるかもしれない」
そこでいきなり、リックを驚かせるかの如く急に彼のほうへ振り返る。
「動物は平気だよ! 偶に父さんと一緒に、狩りに連れて行ってもらってるからね!」
「あとは……」
「あとは?」
「……最近、君と同じようにその花を探している大人達が、山の中にたくさん潜んでいるらしいんだ。俺もキノコ狩りをして下山してきたんだが、途中で何人かとすれ違ったな。もしかすると、その花はもう誰かに取られているかもしれないよ」
「……例えそうだったとしても、俺は行かなくちゃいけないんだ。父さんに頼まれたし、何より家族みんなに、お腹いっぱい食べさせてやりたいんだ!」
「……そうか。君がそこまで言うなら止めやしない。けれど、これだけは覚えておいてくれ」
村木先輩はリックの横を数歩だけ通り過ぎると、人差し指を立てて振り返りながらこう言った。
「一番この山で怖いのは……妖精達だよ」
「妖精? この山に、妖精がいるの?」
「あぁ、いるとも。もちろんそんなことを言っても、誰も信じちゃくれないけどね。……けど俺は見たんだ。小さい頃、この山に迷い込んでしまったときに、この山の妖精を怒らせた一人の老父へ、罰を与えていたところを……!」
「罰って……一体どんな罰なの? ……おじさん?」
リックが訊ねる。しかし村木先輩は、まるで当時の情景を思い出しているかのように、酷く青ざめた表情をしてぼんやりと天を見上げていた。
「……すまない。あの時から、偶に思い出してしまうんだ。もう、何度忘れたいと願ったことか……。でもこの話をしても、誰も信じちゃくれなかった! 父さんも母さんも、村のみんなも、誰一人として! ……そうだよな。君も、信じてくれるわけないよな。……忘れてくれ」
そう言うと彼は、リックから背を向けてトボトボと歩き出した。そんな彼に向かって、すかさずリックが呼びかける。
「信じるよ!」
「……え?」
村木先輩が振り返った。
「俺、信じるよ。おじさんの話。この山には妖精がいて、怒らせると罰を与えられちゃうんだよね? だったら、怒らせないように気をつけるよ」
「……信じてくれるのかい?」
「うん、もちろん! おじさん、悪い人じゃなさそうだし!」
「そうか……ありがとう」
そう言って、村木先輩は深々と頭を下げた。
「……何度も言うが、妖精以外にも、この山には危険がいっぱいある。この先へ行くのなら、十分に気をつけていきなさい」
「分かった! ありがとう、おじさん」
「それじゃあ元気でな、少年」
「少年じゃなくて、リックだよ!」
「リックか……良い名前だな。じゃあな、リック!」
「うん! さようなら!」
そうして、バラバラに二人が別れていくのと同時に、ステージ上が暗転していく。続けて語り部の女性が静かに語り出す。
「おじさんから、この山には怖い妖精がいると話を聞いたリック。それでもリックは、家族みんなのために、山をどんどん登っていきます。果たしてリックは無事に、とても大きくて美しい花を手に入れることはできるのでしょうか?」
続けてステージ上では、次のシーンが始まったようだ。……しかし私には、もう既にそんなステージの上で繰り広げられる物語など、一切頭に入ってこなかった。
――あれ……私気が付いたら、普通に演技見入ってた……?
ハッとしたときにはもう既に、村木先輩――いや、あのキノコ狩りから帰ってきたおじさんはいなくなっていた。
私の目の前で繰り広げられていたことが、まるで自然の出来事かのようで、思わず見入ってしまっていた。
――舞台に立っていたのは村木先輩じゃなくて、一人のおじさんだった。どこにも先輩要素はなくって、話し方も雰囲気も、動きも全て、一人のおじさんそのものだった。
彼は私よりも、遥かに経験は浅いはずだ。それなのに彼は、もう既にあの次元の演技を本番でできるようになっている。そこらの素人なんかよりも、よっぽど上手だ。
――……やっぱり村木先輩は、凄い。
あの演技が短期間でできるようになるには、よほどのセンスがないと無理だろう。または、想像以上の努力をしているかのどちらかだ。どちらにしたって、ある意味で天才でなくては到達しない域である。
まだまだ粗削りではあるが、もっと練習をすればきっと素晴らしい役者に――それこそ、大きな劇団でも通用するような、素晴らしい演技だった。
――……私もあんな風に、お母さんの前で演技ができてたらな……。
私のお母さんは、普段は優しい性格から一変して、演劇のことになると思わず熱くなるような、そんな熱心な女性だった。おかげで私は、何度演技について彼女に怒られたことか。
――今だったら……私だってきっと、村木先輩みたいに……。
思わず膝の上で、ギュッと拳を握る。
あの時、お母さんの言葉を裏切らずに演劇を続けていたら、一体どんな道を歩んでいたのだろう。少なくとも、今の腐り切ったつまらない人生を歩むことは、きっとなかったはずなのだ。
当時、彼女の言っていた言葉の意味を、全く理解していなかった自分を、私は今更になって酷く恨んだ。




